chapter17. reveal the love -到達-
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8
爆発する────
その気配を感じ取るまで、俺は必死に泳いでいた。
切迫感に煽られて、振り向くことも出来ずに。
ズン…
背後で、海中から響く地鳴りのような振動。
あ…と思った途端、
ドンッ!!
凄絶な爆裂音、閃光…
真っ暗闇を明々と照らす光が、目の前の海面に、俺の影をくっきりと作り出した。
爆風、熱風────凄まじい圧力が、背中を突き抜けて海面を押した。
パアッと燃え上がる炎に、海も空も、一瞬赤い。
「………!」
内包したエネルギーが船体を破裂させた、瞬間だった。
ドォオン!
……ズン…
海上と海中で、暴発が立て続いて……
振動、轟音、熱気─────海が燃える。
雲に反射した炎の色が、不気味なほど世界を赤く染めていく。
その光景を目に映しながら、俺達は、風圧の波紋に揉まれた。
───うわッ…!!
海面が見る見るうちに盛り上がった、うねりの外側に落とされて。
「………!!」
問答無用に襲ってくる、第二波、第三波の荒波に翻弄される。水を被り、上下に揺さぶられて、鼓膜は麻痺したままで──なにが何だか───
───クソ……!!
それでもシレンを引っ張って、潮を飲み、波間を漂いながらも、俺はなんとか前へと進もうとした。
この後、大渦が巻き起こる……そして、もっと大きな波紋が起こる。
グラディスが言っていたそれが、怖かった。
急げ、急げッ……!
藻掻くように泳ぎながら、背後の気配を感じ取った。
爆音が止んでいき、得体の知れない轟音が鳴り響きだした。
ォォォオオオオオォォォ………グォォォオオオオオオォォォ……
地鳴りのような呻りのような、幾重にも重なる咆吼……それはまるで地獄への、誘いのようだった。
怖くて、振り返る余裕なんか無い。見えないだけに、その気配は怖ろしくて……
すり鉢状に渦巻く中心に、船が飲み込まれていくのが想像できる。
そこに俺も引っ張り込まれていく気がして、背筋から怖気が走る。
ハァッ、ハァッ、ハァッ…!
闇に、渦に、恐怖に……負けないように、巻き込まれないように───大波に揺さぶられながらも、ひたすら手足を動かしていた。
「ハァ……ハァ……」
一心不乱に泳ぐうち、紅蓮に染まっていた空が、赤黒く沈んでいき、灰色になり、いつしか真っ暗闇に、戻っていった。
波のうねりが静まっていくのも、感じる。
……逃げ切れたのか…?
ゴゴゴ…と海中に響いていた振動も、聞こえなくなった。
「───ハァ…」
俺はやっと水を掻く手を休めて、振り向いてみた。
真っ黒の海、空────堺なんか無い、無限の暗闇。
………沈んだ……
メイジャーの船が、沈没した。
「──────」
跡形もなく姿を消しているその闇を、暫く呆然と眺めてしまった。
うっすらと白煙が漂っているだけの、底なしの闇を……
チャプリと、麻痺が残る耳に波が打ち寄せる音で、我に返った。
「……ウッ…」
ブルッと悪寒が走って、夢中すぎて判らなかった寒さを、急に感じた。
途端に、海の冷たさが蘇ってきた。全身が凍り漬けになっているようで……
吐く息は熱いのに、ゾクゾクと駆け抜けた凍えに、顔まで鳥肌が立った。
「………ッ」
俺は慌てて、前方に視線を戻した。
見渡す限りの闇の中で、一つだけ…ぽつんと揺らぐ灯り。
「─────」
急に心細さを感じた。
……海のど真ん中───
後ろは、船を飲み込んだ真っ暗闇……前方には、灯り一つ。
遠ざかって行く船……まだ留まっているのか? ……判らない。
──どんなに泳いでも、もう届かないんじゃないか。
そんな不安に駆られた。
──それでも、進むしかないじゃないか。
見失っちゃいけない……あれがどれだけ希望の光なのか、改めて感じて、俺は再び泳ぎだした。
しかし戻ってきた凍えは、身体をどんどん蝕んで、あっという間に手足を動かなくさせていった。
「……ウ……ハァッ…」
冷たさは、切るような痛みに代わり、こめかみをかち割るような頭痛と甲高い耳鳴りが止まらなくなった。
ガクガクと海の中で震え、歯の根は合わなくて、ガチガチと煩い。閉まりきらない口から、絶えず白い息が漏れた。
その浅い呼吸のせいで、目が廻って……
もう駄目か…弱気になって溺れそうになる度、自分を叱咤していた。
──やっと自分の力で、自由になれたんだ。
──ここで力尽きたら、何にもならないだろ……!
そう思いながらも、挫けそうな自分がいる。
もういいか…もう無理だろ……
沈んでしまいたいほど、辛くて───この苦痛から逃げ出したいと、つい思ってしまう。
でも、シレンを放せない手が、俺を正気にさせた。
……もう、息をしているのかも判らない。
それでも、この手を離せるはずもなく…引っ張っている感触だけは失わないように、必死だった。
……そして、もう一つ───
守りたいと思った、メイジャーとシレンの愛、それを思い出せば出すほど、神父さんの言葉が頭に響いた。
“悲しませては、いけませんよ”
愛とは何か……神父さんに問うた時、返ってきた言葉。
“相手を思えばこそ、自分を大切にすることも…愛です”
そして、最後の言葉…
───諦めては、いけません───
あの時の俺は、チェイスと本気で刺し違えるつもりでいた。
何を諦めちゃいけないのか…そんなの、判らなかった。
「……ハァッ…」
余りの海水の冷たさに、凍えすぎて。
恐怖も、痛みも、煩い耳鳴りも……全ての感覚が麻痺して、失われていく。
だんだん波に浮く浮遊感が、目眩にも似てきて。俺の手は、本当に水を掻いているんだろうか。
唯一の目標も…ぼやける視界の中で、大きくなって、小さくなって…安定しない。
何処に向かっているかさえ、判らなくなっていった。
───メグ……
光を見失いそうになるたび、恵の顔が浮かんだ。
ゆらゆら遠くで揺れる、ただ一つ。自分を導く光。
……………。
それを見ているうちに、ああ…と、気が付いた。
もう何一つ無い中で、それだけが最後の糸……あの光は、恵だ。
俺が行きたい場所、帰りたい場所……
───それは、メグの所なんだから。
あれをただ、追っていればいい…あの子が俺を、導いてくれる。
暗闇だった真っ黒い海が、輝き出した。
キラキラと…眩しいくらいだな……。
見上げた空一面、星空で、それが海面にも映って…まるで星の海を、泳いでいるようだ。
……メグと行ったホテルの小宇宙………あれより凄い……
上も下もなく広がる銀河に、懐かしい思い出を重ねて、見上げ続けた。
……青い世界…あそこにもう一度、行きたかったな……
ふとそう思って、心にも暖かな火が灯った。
───そうだ…メグと再会できたら、もっと遠くまで旅をしよう。
“ごめんな”を、いっぱい言って。
“愛してる”を、それ以上に囁いて、抱き締めて……
二人で出来なかったこと、やりたかったこと、たくさん、たくさん……
……この凄い星空のことも、話してやろう。
何があっても、メグだけだったんだぞって、誇らしげに語ってやるんだ。
「……はは、…メグ、待ってろよ」
楽しくなって…泳ぎながら、俺は笑っていた。
泳いでいるのか…本当はもう、判らない。苦痛も恐怖も、すでに無い。
ふわりと浮いたような感覚だけは、続く。
もうとっくに体は沈んでしまって、魂だけがまだ、夢を見ているような気もした。
───身体は届かなくても、心は届くかな…。
……ああ、それで良いんだ…と、また悟った。
汚れた体を脱ぎ捨てて、守りきった心だけで、恵の元へ帰る。
巻き戻せない時間の中で、自分を取り戻せるとしたら。
やり直せるとしたら…今がその時だ……今こそが本当の、解縛の時。
プレートを外されて、オッサンからの解放……
散々犯されて、嫌気が差したこの身体から、魂の解放……
恵にもう逢えないと嘆いた、枷を脱ぎ捨てて…全てから、解き放たれる。
───俺は、自由だ。
まっさらになった心の中に、また一筋の光が届く。
…克にぃ…
ふわりと髪が揺れて、メグが優しく笑う…両手を差し出して、俺を待つ。
あれは、俺を呼ぶ…恵の愛だ。
───神父さん、俺……わかったよ…“諦めるな”って意味。
生き残れるか…じゃなくて、生きている限り…進める限り……
俺も行くんだ。
それが、メグへの愛だから。
一分一秒…この命ある限り、あの子へ辿り着こうとする、この気持ちが、
メグへの愛の奉仕。
……これが俺の、愛だ………
光が乱反射して、眩しい。どんどん輝いて、眩しくなる。
───真っ白だ……
眩い光の中で、俺は、メグを抱き締めていた。
真っ白の世界で、二人きり。
微笑み…吐息……愛しい輝きを、この腕に―――
……暖かい
………あったかいよ、メグ。
光と温もりに包まれて、俺は……自分が幸せだったことに、気付いた。
恵という存在、…その奇跡。
メグを想う、ただそのことが……
どんな時だって、俺には幸福の時間だったんだ。
……ありがとう、メグ………愛してる……