chapter17. reveal the love -到達-
1.2.3.4.5.6.7.8.
5
────ウッ…
巻き上がる煙で、目が刺すように痛くなった。
口を手で塞いでいても、肺の奥まで咽せてくる。
駆け下りた2フロア下の階は、階段も通路も、照明が全部消えてしまっていた。
「─────」
灯りは、煙の中に点々とぼやける青白い非常灯と、下から照らし上げる赤い炎だけ……
薄暗いその奥に目を凝らしても、人の気配は感じられない。
……こんな中に、いるのか…?
焦燥感に駆られる。早く、見つけなけりゃ……
気持ちは焦るけれど、足場が悪くて、なかなか進めない。
爆発の衝撃が起こるたびに、縦に横に揺さぶられ、船体が傾げていくのが判る。
「くそっ…」
チェイスがキングになって、あっという間に通路に雑貨が散乱していた。食料品の段ボール、油缶。
こんなの…カルヴィンは絶対に、許さなかった。
傾いた角に寄せ集まってくる障害物を跨いでは、通路の端を、壁伝いに走った。
「………これは…」
一際奥まった場所に位置する、マスターズ・キャビン。
そこに辿り着いて、思わず息を呑んだ。
他に比べて、損傷が激しい。縦横するパイプは折れて、配線が剥き出しになって火花を散らしている。
そして、世界の中心だった、メイジャーの砦……俺の“家の門”にもなっていた、見慣れた鉄ドア─── それが枠ごと歪んで、半開きになっている。
「…………」
胸騒ぎで、動悸が激しくなった。
焼け爛れた室内に踏み込むと、奥の部屋からすすり泣くような声が聞こえてきた。
「……シレン!」
飛び込んだ寝室の入り口で、俺は目を瞠った。
────紅い…
ベッドが、燃えている。
床や壁からも、炎が噴き出して。
その床の中央で、真っ赤な布を身体に巻き付けて、シレンが蹲っていた。
垣間見える肌…ブラウスと、ズボン。
赤と白が眩しいほどの、コントラストを放っている。
……壁に飾ってあった、タペストリーだ。
自分の何倍もあるそれを、背中から巻き付けて、掻き抱くように前を抑えている。
「…………」
ゆっくりと起きあがった白い顔が、俺の方を向いた。
赤い髪の隙間から、銀色の眼が光る。幾筋もの涙が、頬を伝い落ちる。
「ボクは…セイレーン」
震える唇から、小さな声が零れた。
か細いけれど、透き通るようなそれは、まるで歌うように……
「船を沈める…それが…ボクの役目……」
「……シレン…」
……この船を守るために、捕らわれたセイレーン。
誇りに満ちて、妖しく微笑む……至上の歌姫だったのに───
「ボスのいない船………もう……」
俺を見ながら、その眼は何も見えていないように、涙だけを流し続ける。
「護る必要なんか、ないんだ……だからボクが………ボクがッ…」
「シレン…!」
咄嗟に駆け寄って、強引にその身体を引っ張り上げた。
激昂し始めた声が狂気に変わっていくようで、怖ろしかった。
蒼白な顔は、もはや何処を見ているのか判らない。見開いた目が悲しげに、眉を寄せた。
「それに、もう───ボクは……アァ……アアッ!」
身体を掻き毟るように、喉元やブラウスの胸に爪を立てた。
「ゥア……アアァッ…! メイジャー……メイジャー!!」
「───!」
叫び出した悲壮な声が、俺の胸にも突き刺さった。
呼んでも帰ってこない。
自分に起こったことも、消せはしない。
嫌ってほど判る、痛みだ───
………クソッ…
奥歯を噛み締めて、己を保った。俺が悲しんでいる場合じゃない。
「シレン…シレン…!」
正気にさせようと、旗ごと肩を掴んで揺さぶった。
頭を振るたび、乱れた髪が紅い残像を作る。
「……あ」
床に垂れていた布の端に、火が燃え移った。
それをたぐり寄せるようにして、シレンは炎さえも抱えこんだ。
「アハハ……ボクも…ヤツも…全部…沈んでしまえばいい……!」
「………!」
心を絞り出すような、叫び。
奪われた何もかもを……メイジャーと一緒に、心中させようとしている。
炎が体を焼くのを、喜びのように笑い出した。
「───駄目だ…!」
俺はその布を奪い剥がして、負けずに叫んでいた。
「シレン、ダメだ……デッキに上がれ!」
「いやだ…いやだ…離せッ…」
暴れる身体を両腕に抱え込んで、寝室から飛び出した。
衰弱している細い身体は、抵抗しきれずに引きずられた。
それでも身体に巻き付けた旗を、離そうとしない。
……まるで、メイジャーにくるまれてるみたいに……それに、しがみついているようだった。
「……ッ」
また胸が痛い。こんな状態のまま、シレンを死なせるわけには、いかない……!
俺はその一念で、まとわりついてくる火の粉を払って、通路に出ようとした。
「クックック……」
─────?
聞き覚えのある、厭らしい笑い……
「……………」
耳を疑った。
まさかと、足を止めた煙の向こうで、黒い影が、声を上げてゲラゲラと笑い出した。
「カツハル……ホンモノが現れるなんてなぁ…」
「────!!」
愕然として、俺は立ちつくした。
───まさか……
まさか、チェイスが…
あそこから転げ落ちて、まだ生きていたって言うのか───?
ショックで、声も出せなかった。
……でも……なんだ、何やってんだ…?
両膝を床について、手を腰の辺りで忙しなく動かしている。
「ハァッ、ハァッ、……たまんねぇ…オマエのコト、考えてたんだぜ…」
─────!!
驚きは、そのまま戦慄にすり替わった。
自慰だ……こんな状況で……
死んでたっておかしくない、無惨な怪我をしてるってのに。
痛みや恐怖を感じてるとは、とても思えない、恍惚とした表情で────
腫れで埋もれた碧眼は、俺を映しているのかも判らない。
不気味に喘ぎながら、一心不乱に自分のモノを、扱いている。
「………ッ」
いくらなんでも、異常すぎる……息を呑んだ時、最後にヤツが舐めていた粉が脳裏に浮かんだ。
───フォーリン・エンジェル……!!
……あの薬の…せいなのか…?
「──────」
ゾワゾワと恐怖が、背筋を這い登ってくる。
「……天使でさえも、堕ちる…だって……?」
あまりのおぞましさに、思わず声に出して呻いていた。
それどころじゃない……化け物だ───性欲に狂った怪物を、作り出してしまった。
「オマエも喜べよ…カツハル……オマエを想ってシテたんだ」
立ち上がって、こっちに向かって歩いてくる。
半端に下げたジーンズによろめきながら、片手で扱き続けている怒張は、天を向いて青筋を走らせている。
「本物に会えるとはな…オレ達、運命で繋がっていたんだなぁ…」
にじり寄ってくる。
「また挿れてやるよ…ハァ…繋がろうぜ……ハハ」
「……来るな……」
掠れた声で、そんな言葉しか出なかった。
「それどころじゃ、無いだろッ!!」
シレンを抱えたまま走り抜けることもできず、後退った。
「ク…クク……」
腕の中で、小さな笑い声。
抱えている肩が、揺れた。
───シレン…?
脱力していた体に、力が入っていくのが判る。
「……シレ…」
「ハハハッ……チェイス……お前に会えるなんてッ……!」
笑いながらいきなり叫ぶと、勢いよく俺から体を剥がした。
マントを翻す様に、タペストリーを脱ぎ捨てて、両腕をチェイスに向かって突き出している。
その手の中には、黒いリボルバーが握られていた。
「─────!!」
……メイジャーの銃! ……いつのまに……
シレンを挟んで、両極に向かい合った俺とチェイスは、同時に驚いていた。
「…………」
……いや…チェイスの受けている衝撃は、俺なんかの比じゃない。
性欲の権化となり果てた化け物……もう他のことは何も感じない、反応しないただの怪物だと、そう思っていたのに。
見開いた眼は、さっきの俺みたいに……“信じられない”と言っていた。
「お前を探していたんだ…見つからなくて、諦めていた」
シレンはお構いなしに、喋りだした。
銃を構えたまま肩で呼吸しながら、興奮を抑えるように、低く笑う。
「フフ……イヤだけど…ボク達も、運命の糸で結ばれていたんだな」
そしてじわりと一歩、踏み出した。
「……その…銃は…」
目も口も開きっぱなしで、チェイスが呻いた。
扱くのも忘れて股間を晒したまま、ガクガクと顎を震わせている。
「ハ…ハハ……誰からだと思う?」
楽しむようにじっくり、間を取って、
「アンタの敬愛して止まない、グラディスからだよ!」
憎しみを込めて、シレンが嗤い出した。
「ボクを助けた時、渡してくれた……これの持ち主に相応しいのは、ボクだって!!」
「…………」
「アハハハッ、オマエじゃない! ……オマエなんか、結局あの兄に、見限られていたんだ!」