2.
「なんでこんなことするんだよっ」
俺を睨み付けてくる。どこにそんな強さがあるのか、この外見からは想像出来ないほどの、真っ直ぐな視線。
「僕になんの恨みがあるんだッ!」
そのデッカイ目から、大粒の涙が溢れてきた。
細い眉を吊り上げているのに、睫毛が濡れてよけい艶っぽい。
そのアンバランスさが、益々俺の胸を灼く。
……はっ? 恨み? そんなモンあるもんか!
なんだってんだ、なんだってんだ!
「ムカツクんだよ! 大ッ嫌いだおまえっ!!」
あまりに腹が立って、首を掴んだ。黙らせたくて唇で唇を塞ぐ。
勢いで舌をねじ込ませ、吸い上げた。泣かせてやろうと、さらに吸い上げる。
「──んんッ……んーっっ!」
足をバタつかせながら、呻いたその声に驚いて、俺は思わず唇を離した。
なんて声を出すんだ。
「はっ、なるほどね、その声か!」
俺を駆り立てる。許さない、許さない!
そんな声で睦月に鳴くな。そんな表情で睦月に迫るな!
俺は握り潰しそうなほど、力を込めて首を絞めた。
顔を歪めて、喘ぐ。
困惑しながら俺を見上げてくるその目に、また大粒の涙がぽろぽろ零れる。
────くそっ!
奥歯を噛みしめた。
俺は泣かない。こんな風に睦月の前で涙なんか、零さない。
俺には流す涙なんかないんだ!
「……その涙も……。いっぱい手管があるんだな、おまえ。……よくわかった」
心が痛い。俺にはない可愛さ。負けたくないのに。
その瞬間、タツミが俺の気持ちの隙間に入るように、のぞき込みやがった。
俺はまた、目の前が真っ赤になって、訳が分からなくなった。
可愛いタツミ。健気なタツミ。こんなことしてるのは自分なのに、庇護欲をそそられる。
怒りを煽るくせに、守ってやりたくなる。
───それなのになんだ、こいつは! 俺を哀れみやがった!
それだけは許せない。許せない。やっぱ睦月のことも許せない!
鎖骨の下の痣に噛みついてやった。
「痛っ!」
悲鳴が上がって、口の中に血の味が広がった。
俺の傷んだ心の味。睦月との、間接キスだ。
睦月のキス……。こんなにその跡を撒き散らせて。
どれだけ大事に扱っているのか…。俺は今、悲鳴を上げさせるばかりなのに。
………もういいや。
怒って怒鳴り散らしていても、俺にもタツミにもどうしょうもないことだった。
初めの予定通り、コイツをめちゃくちゃにしてやる。
「俺にもその声を聞かせろ。俺が納得するまで、鳴き声をあげろ」
タツミの胸に顔を寄せて、胸の尖りに舌を這わす。
「アッ……」
思わぬ喘ぎ声に俺はびっくりして、さらに舐め回してみた。ねちっこく、根を上げるくらい。
すっごい小さな突起がつんと力強く、舌先に当たってくる。
「……やらしい身体……。俺の愛撫で感じてる」
舐め回しながら、嗤ってタツミを見上げた。どんなカオしてんのか見たかった。
「………っ」
悔しさに唇を噛みしめてるけど、目を瞠って射抜いてくる視線は、やっぱり俺を煽る。
手錠のガチャガチャいうのだけが聞こえて、うるさい。
もっと声が聞きたい。
「ほら、もっと鳴けよ……」
鳩尾、脇腹、臍、下腹、と唇を下げていく。睦月の気配を追って。睦月の痕跡を辿るように。睦月が愛しんだ身体を、同じように探る。
特に太腿、尻、ペニス。
やさしく、やさしく、睦月がしてくれたように。啄んでは軽く吸う。
「……ぅ………ん」
タツミの身体が震え出した。熱く火照ってくる。
真っ白だった全身が、ほのかにピンク色に染まった。漏れる息も熱い。
腰が揺れて、次の刺激を誘い出す。艶めかしく悶える肢体。しっとり汗を掻き、指が肌に吸い付く。気が付くと、自分の呼吸も早くなっている。
その厭らしい動きに、俺の身体まで熱くなりそうで、驚いた。
俺は睦月以外、欲情しないのに……。
「……ぁあ……はぁ……」
焦らしていると、喘ぎが激しくなっていった。
「……くやしいけど、いい声」
俺は思わず呟いた。
くそっ。
これ以上、聞きたくなくなった。
「イかしてやるよ。焦らして悪かったな」
嫌がらせ半分、衝動半分で、反り返ってるモノを口に含んだ。
幸隆なんかとは比べモノにならないくらい、小振りだけど、しっかり芯があって存在感がある。
幸隆のは……一回銜えさせられたんだ。ムリヤリ。
睦月はしたくても、一度も触れさせてもらえなかった。
「やぁ……っ」
流石に、抵抗してくる。ただの愛撫じゃないもんな。
俺は構わず、しゃぶった。口の中で転がすと、心地いい。
「いいっ、いいから、焦れたままで……もう辞めてッ!!」
必死の声が、頭の上から浴びせられた。
身体は反応していて、口の中のモノは力強く跳ねている。
「やだ……やめてっ……ほんとにやめて! ───お願いッッッ!!」
そのあまりの悲痛さの中に、俺の心に刺さるモノがあった。
身に覚えがある気がした。
迷いながらも、正直なタツミの身体を味わい続けた。
「ぁっ、ぁっ……」
嬌声と悲鳴が交互に上がる。腰が震えて、身体が喜んでいるのが手に取るようにわかる。
でもその口からは、止めてとしか紡がれない。
「……やああッ!」
泣き声。俺の心もたぶん泣いていた。
舌を絡ませて上下させていた唇を離して、手のひらで包み直す。
タツミのイク顔も見たかった。
目をぎゅと瞑り、顔を仰け反らせて喘いでいる。
上気した頬が、壮絶に綺麗で、首や胸を伝う汗が、艶めかしい。
俺の目はもう、タツミしか映っていなかった。コイツをイかせる。
イかせてやる。俺の手で。今のコイツの相手は、俺だ……。
「…………!」
タツミの絶頂と共に、俺の手が熱い液体で汚れた。
俺は心で、タツミを犯した気分だった。
目を瞑ったまま、タツミは泣いていた。横を向いたまま俯いて。
後から後から、涙が頬を伝い、シーツにはたはたと音をたてて、落ちる。
妙な満足感と、後味の悪い苦々しさをない交ぜながら、俺はそれをずっと眺めていた。小刻みに振るえている身体が、跨っている俺まで振るわせるようだ。小さく鳴らす手錠の音で我に返った。
枕元に這っていって、手錠を外してやる。手に取った華奢な手首の感触に、驚いた。濡れている。赤く染まって。
赤い筋が肘まで垂れていた。
痛そうにタツミが、顔を歪めた。
「!! ……痛いよな……。ごめん」
思わず呟いた。
手首の回り中、擦り剥けて、赤黒く痣になっている。一カ所ざっくりと切れていて、血の筋を作っていた。
「……すごい……痛い……」
タツミも驚いて自分の手首を見ている。今にも泣きそうだ。
「ごめん、悪かったよ。ほんと」
俺は、こんな怪我をさせるつもりはなかったから、本当にびっくりした。
やり過ぎていたことを、今更思い知らされた。
すごい後悔が、俺を襲った。
ずっと手錠の音は聞こえていたのに。そんなことに気遣う余裕すら、俺には無かった。
ちょっと可哀相で、何遍も謝った。手首の傷に対して。
でもタツミは俺に背を向けたまま、身体を丸めてしまって、ピクリとも動かない。壊れてしまったのかと、思うほど。
……傷の手当をしないと………。
俺はやっと思い立って、リネン室からタオルと救急箱を持ってきた。
手首の傷を消毒して、止血してガーゼを巻く。俺はしょっちゅう怪我をするから、こういうのは得意だ。身体の汚れた所や、汗を拭いて、服を着せる。タツミは人形のように、されるがままだった。
もう泣きもしない。かといって怒りもしない。逆らいもしない。ぼんやりとした目を彷徨わせている。
俺は、怪我させてしまったことは悪いと思うけど、やったことに対しては、謝りたくなかった。
タツミを認めたくなかった。
睦月を返せ。
タツミは可愛い。タツミは色っぽい。タツミの声は俺を煽る。そのくせ儚げで。
ずるい。
俺だって可愛い。タツミに無いモノがあるはずだ。
睦月を俺に返せ。
なぜ俺じゃいけないんだ。
そんな気持ちが、俺を意固地にさせていた。
布団も肩までかけてやって、何もすることが無くなったのに、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
虚ろな顔のタツミを見つめる。額に掛かる前髪が汗で張り付いている。虚脱した真っ白な顔が痛々しく、俺の胸を責める。
不意に、視線を真っ直ぐ合わせてきた。
俺は負けじと、見返した。
文句を聞いてやろう。受けて立ってやる。
ところが、タツミの口からとんでもない奇襲を受けた。
「君は……、睦月さんの……?」
───えっ?
俺……どっかで睦月の名前、呼んだっけか?
思わず顔が赤くなってしまった。
タツミが困った顔でなおも言う。
「だって……、同じなんだもの。君の……愛撫が。……睦月さんと」
「………っ!!!」
俺の頭は一瞬にして、真っ白になった。
やっと落ち着いてた心が、ザワッと揺れる。気持ち悪い触手が絡みついて、思考を奪う。
……愛撫が……睦月と同じ……
言葉を反芻して、意味を理解していく。
俺が受けていた、俺だけのはずの、”愛撫”。
睦月の癖。優しさ。手順。
俺だけが知っていることを誇りに思っていた。
なのに、コイツは自分のモノとして、語っている。
顔がどんどん赤くなっていくのが判った。
「あ……、愛撫とか、いうな!! 睦月を名前で呼ぶなよ!」
悔しくて、叫んで歯軋りする。
握り拳を、ベッドの端に押し付けて、身体ごと震わせた。
ふざけんな! ふざけんな!
「おまえ……、睦月に可愛がられてるからって……、キスマーク付けられたからって、いい気になるなよな!」
睦月は俺のだ。誰がなんと言おうと、会社がどんな処分を下そうと。
睦月が誰を相手にしようと。
………俺が睦月のものなのに………
「なんで……なんで、おまえなんだよ……」
俺はどうしたらいいんだよ。
なんでこんな思いして、我慢しなきゃいけないんだ。
ちょっとは可愛いと思ってしまった。コイツならしょうがないかと、一瞬思ってしまった。
けど……
「おまえなんか、やっぱ、大っ嫌いだー!!」
それ以上はそこに居れなかった。
絞め殺してしまうかもしれない。
そこから逃げ出した。
俺は”タツミ”から逃げ出した。
部屋を出て、当てもなくエレベーターに乗り込む。
両腕で身体を抱きしめて、床にへたれ込んだ。
睦月……。
呼吸ができない。
心がまた、止まってしまう。
俺に触って。俺を呼んで。
俺を必要だと言って。仕事上でいいから。
俺に、ここに居ていいと……
生きていていいと
「睦月……。死んじゃうよ、おれ……」
それでも、俺の目からはあんな涙は流れない。
こんな心は痛いのに。
すでに泣き尽くして、そんなものは枯れてしまった。
それを持っているタツミが羨ましかった。
それを武器に出来ることが妬ましかった。
「………睦月。助けて」
動かないエレベーターの中で、俺はいつまでも蹲っていた。