chapter8. astray time- 迷走空間 -
  
  
 僕は結局、修学旅行には行けなかった。
 行けないなんて思わなかった頃、みんなのうわさ話に混じって、色々楽しいことを想像していた。
 集団で遠出、お土産、おやつ、枕投げ、夜更かし、のぞき(これはどうでもいいけど)。そういう、新しい世界があるってことに、舞い上がっていた。
 霧島君と同じ班になって、歩く時もバスも寝るときも一緒だって言うから、怖くはないと思った。寝るときに克にぃがいないのが寂しいけど。寝れるかな、やっぱり怖いな、なんて想像するのは、ほんとに楽しかった。
 
「なんでだよ!? 病気か? 家の事情? 葬式とか…」
 行けない、と霧島君に伝えたとき、ヤツギバヤに質問された。
「僕も、…よく分からない」
 先生はとっくに納得して、気の毒そうに僕に話しかける。でも、その理由は決して口に出さないんだ。
「俺…、むちゃくちゃ楽しみにしてたのに!」
 霧島君は泣きそうなくらい、がっかりしてくれた。
「うん、でも僕、克にぃと離れて寝れないから、……たぶん」
 僕は照れ笑いをしながら、自分にいいわけした。納得できなくても、ホッとしてるとこはある。克にぃと離れたくはない。二泊三日って、3日間離ればなれだもん。やだ。
 ほんとうは、それ以上に行きたいって気持ちを抑えて、自分に言い聞かせた。
「天野…、そんなに克にいがいいのか?」
「え?」
「克にい無しのお前って、考えられないのか?」
「………うん」
 僕は、あまり考えずに返事をした。考えるまでもないから。霧島君はその時、すごい悲しそうな顔をした。
「俺、天野と修学旅行行きたかった。バス乗ったり、夜中起きたり。そういうの、したかった」
 静かにそういう、その言葉は、僕の中にも悲しみを作った。
 
 霧島君は、お土産を沢山買ってきてくれた。観光した場所全部の記念品。場所名が必ずどこかに刻まれている。
「天野と選びながら買いたかった。一人じゃつまんなかったよ」
 なんて、全然楽しそうじゃない。僕はその顔に驚いてしまった。ぶすくれて、にこりともしないんだ。他の子達は、思い出話ではしゃぎまくってるのに。それに、霧島君は僕よりいっぱい友達がいる。
「なんで? ひとりじゃないじゃん!」
 僕は思わず、そう言っちゃった。一人なのは僕だったんだから。
「……人数だけはね」
 と、寂しそうに笑った。霧島君は声変わりもしていた。かなり低くなっている、だからだと思った。ぽつりと呟く声が、こんなにも悲しく聞こえるのは。
 
 いろんな禁止事項は、僕にはつまんないことも辛いこともあった。でもあの日克にぃは、僕と二人だけで旅行に行ってくれるって、言ったんだ。約束って! 僕は嬉しくて嬉しくて、踊ってしまった。克にぃと旅行! こっちの方が、ぜんぜんいいもん。
 その日の夜は、修学旅行の代わり、なんて言って、僕を一人でお風呂に入れさせてくれた。
 一人のお風呂は、室内が、がらんとしてちょっと怖かった。背中に手が届かないし、シャワーが難しい。でも、一人で何かするのは冒険みたいで面白い。克にぃが僕をオトナとして見てくれた気もする。それがまた嬉しい。
 もっともっと。なんでも自分で出来るようになって、僕は克にぃのお荷物じゃなくなるんだ。霧島君が前に言ってた。
「年の離れた弟の面倒を見るのはタイヘンなんじゃないかな。自分のこと出来ないし。お荷物抱えてるみたい」
 でも、克にぃがやりたいって言うんだ。僕だっていっぱい心配したけど、心配するとかえって怒るんだ。だから、このままでいいのかな…なんて思っちゃってた。
 
 でも最近僕は思う。やっぱり自分のことは自分で出来るようになって、オトナになって、それで、克にぃの横に立つんだ。ずっと後ろじゃなくて、横に立ちたい。
 だから、克にぃ、待ってて。そこで待ってて。
 
 
 
 でも次の日から、克にぃは変わってしまった。
 いつも通り優しいし、一緒にいてくれる。けどふと、何か考え事をするようになった。
 そんな時の克にぃの顔は、とても真剣にどっかを見つめていて。
 ……とてもオトナに見えた。
 近寄っちゃいけないような、とーさんがよく出してる雰囲気に似ている。
 僕が一歩出ようとすると、一歩行ってしまう。
 
 待ってよ。そんな顔して考え込まないで。僕だけを見ていて。
 
 そして克にぃは、僕を外へ出さなくなってしまった。今まで以上に、僕の面倒をみて世話を焼いてくれる。僕がこれ以上、自分で何かするのを辞めさせようとしているように。僕はそれが嫌だった。
 外で遊ぶといろいろ勉強することが多い。やっぱり、部屋の中だけよりジョウホウが多いもん。友達と遊んでると、“自分”がいる気がするんだ。その気持ちを大事にしたかった。それは僕のオトナごっこという遊び。
 
 それでも克にぃと一緒にいれるのは嬉しい、楽しいのに。
 ……なのに、克にぃの難しい顔を見る時間も増えてしまった。
 僕にはそっちの方が辛かった。克にぃが笑顔でないと、僕も笑えない。
 
 ……ずるい。ずるい。僕だって、大きくなりたいのに。
 克にぃだけ、どんどん先を走ってしまう。何で僕を止めるの?
 だったら、克にぃも止まってればいいのに。なんで自分だけもっと先に行くの?
 
 朝、身体を触られるのも、辛くていやになってしまった。何がどう辛いとかは、わかんない。でも気持ちよくないんだ。気持ちが悲しいのに。
 これって、オトナになる魔法だよね? これ以上育つ魔法は、他にもうないの? 僕は大きくなりたいと思っているのに、なんで克にぃがそれを止めるの。
 なんで体は触るの。なんで僕はいやなの。
 
 ……ムジュン。
 矛盾て言うんだ。僕だって知ったよ、なにもかも、矛盾だらけだ。
 僕も、克にぃも。 
 
 
 ……克にぃ。そんなムズカシイ顔して、触らないで。
 メグ、メグって呼んで。僕が笑顔になる声で。
 克にぃ、大好き、大好き。
 
 ……大好き。
 
 
 
 学校では霧島君がとても心配してくれる。 
「天野、天野、校内でできること、何かしよう!」
「学校にいる間は、天野の自由時間なんだぜ! 何かしよう!」
 そう言っては、僕を校内中連れ回して、悪戯に付き合わせた。実験室にこっそり入り、引き出しのろうそくを窓枠に並べてみたり、貴賓室に置いてあるお客様用の紅茶の粉をなめたり。
 初めは僕も面白かったけど、克にぃが笑わなくなってから、楽しくなくなってしまった。顔は笑ってるけど、その笑顔がウソなことは、わかってしまうから。
 閉じこめられているのも、苦痛に感じてしまう。克にぃと一緒なのに…それが悲しい。そう思うと、教室にいても涙が出てしまった。
 霧島君が慌てるから、急いで手の甲で拭く。色々心配して聞いてくれるから、その度に泣きたくなるけど、ぐっと歯を噛み締めた。泣いてたらオトナになれないもんね、そう自分に言い聞かせて。
 その分、声が出せなくて、何も伝えられなかった。どう話していいかも判らないんだ。霧島君の目を真っ直ぐ見て、声を絞り出す。
「ありがとう。ごめんね、心配させて」
 これが僕の精一杯。霧島君の誠意に応えたかった。
 
 
 その霧島君が、ポーチを走って出て行くのが見えた。窓から外を見ていたら偶然見えたんだ。克にぃが下に行ってるはず。なんだろう? 大雪なのに、傘もささずに。
「克にぃ?」
 階下に降りると、玄関の廊下でうずくまっている克にぃが見えた。
「どうしたの?」
 声を掛けると、なんでもないよとすぐ立ち上がって、僕を抱え込んでくれる。
 ……克にぃ? なんか変…
 霧島君と会ったんだろうか。なんですぐ帰っちゃったのかな。
「急用を思い出したってさ」
「……ふうん」
 僕は霧島君に、克にぃと同じオトナのにおいを感じる時がある。なにかわからないけど、とても似ているんだ。
 克にぃ、霧島君に、何か教えてるとかしてるの? ちらっと胸に痛いものが走った。
 でも、そんなのすぐに消えた。
「それより、メグ。春休みになったら、旅行に行かないか?」
 克にぃが、そんなことを言ってくれた!
 旅行! 僕、行きたかった! 楽しいに決まってる。克にぃと二人きりで、どこまでも行くんだ。
 暗くなってた僕の心は、陽が差した見たいに明るくなった。
 春休みになったら! ああ、楽しみ! 
 
 でもその予定は、もっともっと早まった。
 


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