chapter9. break the sealed time- 壊封 -
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1.
 
 ──恵と旅行。
 
 俺の頭はそれでいっぱいだった。
 金は用意してある。実はクラスの奴らに、ノートを写させてやって小遣いを稼いだ。
 俺のノートは評判がよかったから、かなり儲かった。まあ、そのつもりで授業に取り組んでいたから、あたりまえだけど。大学受験のこの時期は、何にでも縋り付きたいものだから。
 
 俺は恵の春休みに向けて、色々考えていた。
 ……ところが、あいつがやって来た。
 俺の卒業式だ。
 両親の代わりのような顔をして、校門の外で待っていた。
 父さん達とは、この後駅前の喫茶店で落ち合う予定になっていた。コイツのことは聞いていない。
「……やあ」
 明るい茶色の髪は変わらない。オッサンのくせに童顔なところも。でも、しっかりスーツを着込んでネクタイを締めてると、一端のサラリーマンだ。
 この間もそう思った、以前は殆ど私服だったから、すごい違和感がある。
「………」
 俺はまた、心臓が止まりそうだった。
「卒業、おめでとう。それが言いたくて」
 そんなこと言って、近づいてくる。
 
 とうとう来た…こんな時に来るか?
 二つの想いが同時に湧く。覚悟の無い時に、不意を突かれて。苦々しさと恐怖もだ。
 俺はまた逃げなければ、と思った。でも、足が竦んで動かない。
「……来るな」
 声をやっと、絞り出した。逃げられないなら、これ以上近づけさせたくなかった。
「………俺に、近づくなッ」
 これ以上ないくらい睨み付けた。記憶が次々にフラッシュバックしようとする。6年振りの顔。嫌悪が胃の中を渦巻いた。ガクガク震える足を、なんとか押さえて立ち続ける。
「…つれないこと、言うなよ」
 悲しそうに、口の端を上げて笑う。俺には、悪魔の微笑みに見えた。
「……オマエなんか、知るかッ」
 あっちへ行け! 近寄るな! 心で罵りながら、虚勢を張った。どんな言葉なら追っ払えるのか。気の利いた文句など出てこない。
「俺の前に、二度と現れるな…ッ」
 最後は静かに言ってやった。目はギラギラしていただろう、憎悪に燃えて。
 俺が一番、叩きつけてやりたい言葉だった。
 でも、こいつはまた呪詛を唱えたのだ。
「そんなこと言ったって。キミの両親に頼まれたんだよ。レストランに連れてくるようにって」
 困った顔でそう言う。
「────!!」
 あり得ないことじゃない。父さんなら、やりかねない。でも……。
「ウソ付け、散々そうやって、人のこと脅して…」
 俺は嗤ってやった。ふざけるな! もうそんな呪いは怖くない!
「本当だよ。ウソって言うならいいけど。レストランの場所を変えたから、僕が送ってかないと、わかんないでしょ。両親と恵君のお祝いの気持ち、無視するの?」
「………っ!」
 喉が引きつった音を立てた。
 何だこれは、ホントかウソか判らない。俺を陥れようとしているんじゃないのか。本当にただの迎えなのか…?
 迷った時点で、俺は罠に落ちていた。この悪魔は、俺の腕を掴んで横に止めていた車の助手席に押し込んだ。
「早く乗って、みんな待ってるんだから」
「ちょ……やめろ、俺は乗りたくない!」
 暴れたけれど、遅かった。強引に嵌められたシートベルトを外せないまま、車は凄い勢いで走り出した。
「降ろせ! 場所を言えよ、自分で行くから!」
 聞く耳を持たないといった横顔で、どんどんスピードを上げる。
 俺は何処へ連れて行かれるんだ? 
 恐怖が身体を動かした。無茶だとは思ったけど、サイドブレーキを引いてやった。キキキィーッと、ものすごい不快音を立てて、車が止まった。
「馬鹿ッ! 何すんだ、危ないだろ!!」
 さすがに悪魔も蒼白になって、怒鳴ってきた。
「アブないのは、オッサンだろ! 俺は降りるッ」
 怒りで、動けなかった身体は解放されていた。ところが、シートベルトがどうしても外れない。
「?」
 俺は焦って、ガチャガチャ鳴らした。どんなにボタンを押しても外れないんだ。
「なんだ、これ?」
 困惑して、オッサンを見た。
 ──そして、ぞっとした。
 さっきまで人のよさそうな顔をしてたくせに、その眼は獲物を捕らえた猛獣のように、光っていた。
「…アメリカ帰りを、甘く見るなよ」
 ニヤリと嗤う。
「こんなこと、したくなかった。キミが素直に僕に付いてきてくれたら、そのまま先輩の所に連れて行ってあげたのに」
「!!」
「…相変わらずだね、僕を煽る、その眼は変わらない」
 ──先輩そっくりの眼
 そう言った眼のことか! 俺の体は怒りで、炎が出るかと思うくらい熱くなった。
「…外せっ、俺は降りる!」
 もう一度、ガチャガチャ鳴らした。もしかして外れないかと。
「ムリだよ。それ、高かったんだから」
 楽しそうに嗤う。そしてまた、車を走らせた。向かった先は……。
「!」
「覚えてるよね、此処だけは変わらないな、6年も経ってるのに」
 忘れる訳がない。ここに来て散々車の中で悪戯された。車内が覗かれない、うってつけの場所。正面が藪、その向こうが河原、足下は膝まである熊笹が密集している。その窪みに頭から車を突っ込んでしまえば、絶対に誰にも覗かれない。
「なに…」
 声が掠れて、出ない。
「克晴がこんなに大きくなっちゃ、僕はもう力で勝てない。シートベルトを外したら、ホテルに連れ込む間に逃げられちゃうでしょ」
 
 ───は……?
 近づいてくる顔を凝視しながら、この状況が俺には信じられなかった。さっきまで、卒業式だったんだぞ。後輩達に祝福されてガッコ追い出されて…。 
「中学の学ランも似合ってたけど、ブレザーも似合うね。ロングコートがまた、カッコいい」
 学校指定の真っ黒いロングコート。今時こんな古くさいのと皆でケチつけていたコートだった。
「制服のネクタイは、スーツのとは違ってて、なんかいいよね。今日で最後だろ。どうしてもこの手で、脱がしてみたかったんだ」
 俺の首元に手を伸ばしてきた。ネクタイを緩めはじめる。
「やめろ!」
 激しくその手を振り払った。
 タチの悪い思い出話をするのかと思った。俺にこの場を見せつけて、怖がらせて楽しむのかと。
「…わかってたけど。シートベルトだけじゃ、全然拘束できないね」
 悲しそうに笑うと、いきなり俺にのし掛かってきて、ドア側の背もたれ調整のレバーを思いっきり引いた。同時に俺の背もたれに体重を掛けて、シートを一気に後ろに倒した。俺は両手でヤツを跳ね返そうとしていたのに、不意をつかれて、無防備に後ろへ倒されてしまった。
「!?」
 宙に浮いた腕を捕まれた。ガチャリッ。金属音が響く。
「あっ……」
 俺はどこまで迂闊なのか。両腕を手錠で、シートのヘッドレストに繋がれてしまった。そして邪魔になったシートベルトを、オッサンはどこかを操作して外した。
「何すんだ!」
 焦ってろくな言葉が出てこない。まさかの恐怖が突き上げてくる。
「外せよ、この野郎! 卑怯者!」
 ガチャガチャと手錠を鳴らした。この悪魔はふっと笑って、再度俺の首に手を掛けてきた。
「卑怯者? なにそれ。こんな事に卑怯じゃないことって、あるの?」
 ネクタイを外された。シャツのボタンもゆっくりと、外し始めた。
「くっ……やめろって!」
 首を捻って体を遠ざけても、ダメだ。両手を頭上で拘束されてしまっては、何をされても全く阻止できなかった。
 
 ブレザーの前を開け、シャツのボタンを全部外された。楽しむように、ゆっくり、ゆっくりと。その下のTシャツをたくし上げると、胸を露出された。外気に触れ、俺の身体は硬直した。ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえて、改めてぞっとした。
────本気なのか…?
「おい、オッサン!」
 俺は悪態を付いて、気を逸らせようとした。こんな冗談、なんとか止めさせたかった。
「…オッサンて言うの、いい加減やめろよ。まあいいや、今は許してあげる」
 それだけ言うと、俺の胸を触ってきた。
「アッ…」
 ナメクジが這うような、ぬらりととした感触。舌を這わせてきた。
 マジか…
 
「ふ……っ」
 くすぐったい、気持ち悪い、ゾクゾクと脇から込み上げて来る。
 この生々しい感触、封印していたこの怖気。また味わうことになるなんて……!
「やめ…、やめろ…」
 無駄だとわかっていても、抵抗せずにはいられなかった。
「やだよ。やっと捕まえたんだから」
 体のあちこちを舐め回しながら、言った。
「……なんで、いまさら」
 本当にそう思った、6年間も。そして、こっちに帰ってきてからの半年間。もういいだろ、そんなに経ってんだから。
「悪いけど、僕には今更じゃないんだ。どっちかって言うと、浦島太郎、被害者だよ」
「!?」
「そんなこと、どうでもいいや。先輩が君を待ってる。早く済ませなきゃ」
「な……んっ」
 唇を吸われた。
「んんっ」
 抗っても顎を押さえられ、無理矢理舌をねじ込まれる。舌を絡め取られ、思いっきり吸われる。
「────っ!」
 悲鳴も漏れない、目眩がする。煙草臭い…これはあの頃の苦痛だ……真っ黒な蟻地獄に、逆さから引きずり込まれるような気がした。
 身体を這い回っていた手が、ズボンのベルトに掛かった。
「!」
 バックルを外す金属音。ジッパーの音。
「や……!」
 唇の隙間から、くぐもった声を出した。オッサンはやっと顔を離すと、舌なめずりをして、今のキスを味わっている。
「久しぶりだからね。先にイかせてあげる」
 制服のズボンが下着ごと膝まで引き下ろされた。俺は一瞬ぎゅっと目を瞑って、顔を反らした。見られることから、目を背けたかった。熱くなった顔とは裏腹に、冷気か怖気か、太もも一面に鳥肌が立つ。
 ヤツは無言で眺め回しながら、腰とコートの間にバスタオルをねじ込んで敷いてきた。そして、ゆっくりと無防備なそこに、手を伸ばしてきた。
「さ──触んな! いやだ、やめろ……やめろよッ!」
 俺は必死に抵抗し続けた。最後は子供の頃に戻ったように、叫んだ。
「ぁっ……!」
 でも、身体は俺を裏切った。絶対反応しないと思ったのに、ヤツの掌に収まった瞬間から、血液を集め出した。俺は自分が信じられなかった。
「そんなに、驚かなくても。僕は克晴のこと、なんでも知ってるんだから。何処をどうしたら気持ちいいか、いい声で鳴くか」
「────ッ」
「まあ、この6年のうちに、誰か他のペットにでもなって、身体を変えられていなければ、だけどね」
 


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