chapter10. past talk time- 興味 -
 
 
「桜庭せんせーい!」
 少年が二人、慌ただしく保健室のドアを開けて入ってきた。
 
 5年1組 霧島丈太郎
 同じく、天野恵
 
 丁度この二人の記録ノートを付けていたら、二人が入ってきた。もっとも、天野君の名前は、ついでだけど。
「またキミたちかい」
「すみません」
「うん、僕はおまけ」
 
 この二人は、目下ぼくのお気に入りだ。
 丈太郎はとてもスッキリした顔で、凛々しい。いい男に育つだろう。初めてここに手当に来た時は、胸が躍った。額を怪我して、顔半分が血だらけで、一層引き締まった顔になっていた。
 でも、ぼくがもっと驚いたのは、その後ろから彼に付いて心配そうに入って来た天野君だった。
 真っ白い顔をもっと白くして、ピンクの唇を震わせていた。長いまつげ、ふわっとした髪、まるで女の子みたいだった。
 当時3年生だった二人は、今よりずっと幼かった。丈太郎がしょっちゅう怪我をするから、天野君もその度に付いて来る。ぼくが声をかけてみると、無邪気に返事をする。でも自分からはまるで話さない、不思議な子だった。
 
 
 あの子の変化に気付いているのは、ぼくだけだろうか。
 あれは、確実に性体験を覚えている。あんな顔をして、あんな年で。ぼくは大いに興味を持って、それとなく聞き出してみた。
「克にぃが、僕の面倒を全部見てくれるの」
 全ての応えが、そこに終始する。
 
 ふうん、克にい、ねえ。
 
 ぼくはこの二人から目が離せなくなった。
 二人揃っていると、とても目を引く。丈太郎も、成長するたびに素敵になっていく。今は第一変声期を迎えている。いい声になりそうだ。
 天野君は、…彼は、他の子と、まったく違う流れを生きている。身体は育っているけれど、精神はどうなんだろう?
 
 子供の成長を見るのは面白い。すさまじいほどの好奇心と運動量で、めまぐるしく育っていく。思わぬ発見もあるし、見ていて微笑ましい。
 この子供好きが高じて、小学校の保健医にまでなってしまった。
 
 でも天野君…こんな不思議な子を見たのは、初めてだった。目使い、口元、仕草が、天性の色気を秘めている。何をしていても、艶っぽい。元来あどけない幼子なので、そのアンバランスさが、また不思議な雰囲気を作っている。
 丈太郎は彼のナイトの気分だろうが、下手したら、丈太郎でも手に負えない…。そんな気がした。
 
 そんな折り、噂の克にいを拝見出来るチャンスに恵まれた。放課後もずいぶん過ぎて、丈太郎が駆け込んで来た。
「またキミかい」
「違う、馬鹿にいだ! 先生、大人でも、関係者なら、ここに来てもいいよね?」
「どういうこと?」
「天野の克にいが、怪我してるんだ。血だらけで。だから、ここで手当てしてもらえる?」
 ぼくは笑った。バカにいって…。お兄さんを意識してるのか。
「ああ、いいよ。連れておいで」
「うん! センセ、ありがと!」
 嬉しそうに、駆け出して行った。
 
 入ってきた学生服のコにまた、びっくりした。血と泥で汚れているが、かなり奇麗な顔をしている。
 これが、克にいか……。
 涼しい目元や、すっとした顎は、どちらかというと丈太郎に似ている。天野君と兄弟とは思えないな。18歳と聞いていたけど、この子も年相応には見えない、不思議な色香を持っている。
 ぼくがしげしげ見ていても、恐縮して下を向いているからか、気が付かない。話しかけたら、やっとこっちを見た。ふむ、やっぱりぼく好み。
 そしてやはり確信した。天野君のナイトは彼、克にいだと。
 格が違った。小学生と高校生で比べるのは無理があるけれど、あの子、天野君の妖艶色は克にいに釣り合っていた。
 
 ぼくは、克にいにも興味を持った。
 
 
 
「桜庭先生」
 丈太郎の処置をして、二人を送り出すのと入れ違いに、3・4年生の担任を受け持っている柴田先生が顔を覗かせた。
「柴田先生、どうされたんですか?」
「あ、病気とか、そういうのではなく」
 ちょっと困った顔で笑った。ブラウンの背広がよく似合う、もう40代後半のベテラン先生だ。
「ちょっと、相談というか、質問というか」
「?」
 この先生はどちらかと言うと物腰が静かで、普段からそうパワフルな方ではないけれど、何か歯切れが悪い。
「……桜庭先生は、生徒達のカウンセリングもしていらっしゃるから、私よりも子どものことが分かるかと、思いまして」
「ええっ、何をおっしゃっているんですか」
 ぼくは、この入り口で突っ立っている、子供達に信望の厚い先生を見つめた。
「こちらにどうぞ、お茶入れますね」
 
 
 
「桜庭先生、先日天野恵の兄に会いましたよね」
 お茶を一口飲んで、溜息をついてから、柴田先生は話し出した。
「あ、ええ。とてもカッコいいお兄さんでした」
 にっこり答えた。ぼく好みなんて、言えないけど。
「私は、あの兄、天野克晴が5・6年生の時の担任でした」
「へえ、5・6学年も受け持ってたんですか」
「ええ、以前はもっぱら送り出し部隊でした」
「なんで、また今は…」
「…天野克晴のことで、自信が無くなってしまったんです」
 柴田先生は、苦しそうに眉を寄せた。そんな顔をすると、壮年の年輪が垣間見える。
「天野はとても優秀で、それでいて闊達で、よく笑う子でした。比較的裕福な家の子で、愛されて育っているのがよく分かりました」
「…………」
「ところが、ある時を境に、彼は変わりました」
「……!」
「何がどう、とは分からないんです。いつも通り笑顔だし、友達と遊んでる。でも、その笑顔が何となく空々しくて。いえ、笑顔というより、存在そのものが希薄になったんです。クラスの中心だったのに、そのオーラを自分で掻き消したみたいに」
 ぼくは、当時の克晴を想像してみた。まるっきり丈太郎のような顔だろう。でも、丈太郎にはオーラがある。
「私は、自分の違和感を確認してみたかった。本人に聞いてみたかったんです。でも彼は、私もクラスも、そこに無いような目で見るんです。声を掛けるのを躊躇うほど」
 悔しそうな声……柴田先生は、相談に乗ることも、してもらうこともできなかったのが、辛かったんだ。
「そんな目をしたまま、彼は卒業していきました。私は担任の学年替えを希望しました。もう一つ下の子どもたちに、触れて見たかったんです」
「ええ、柴田先生に救われた子は、たくさんいますよ。ここに駆け込んでくる子たちの口から、よく話が出ます。先生に話しを聞いてもらったから、もう平気って」
 ふと、柴田先生が目を上げて、ぼくを見た。優しい目を細めて、微笑む。
「そうか、よかった」
「はい」
 ぼくも微笑みで返した。
「救いたいなんて、おこがましいことは言わないけどね、何の因果か、克晴の弟が私の受け持ちになった」
「?」
「天野は、…天野恵は、天使みたいな無垢な子だった。びっくりしたよ。兄が克晴だと知ったときは。──だから、その無垢さが信じられなかったし、そのまま育ってほしいとも思った」
「………はい」
「ところが、あの子も同じような変化をしたんだ。しかも、克晴より早かった。……私は本当に驚きました」
「………」
「ただ、救いは、克晴みたいに周りを拒絶したりはしなかった。周りを受け容れて、変化に取り込んでいくみたいに」
「………」
「でも、やっぱり私は違和感を感じる。天野の変化は、成長とは違う気がするんです。他の子とはあきらかに何か違う。克晴に感じた時と同じ。…私はやはり、何度も本人に聞こうと思ったけれど聞けなかった。…兄のことも」
 下を向いて、柴田先生は項垂れてしまった。ぼくは先生の湯飲み茶碗におかわりを注いで、言葉を待った。
「天野恵は上級に上がって、私の受け持ちから外れてしまったから…、もう口を出すことではないのかもしれない。でも、なんだか心配でね、あの危うさが」
「……そうですね」
「この間、久しぶりに大きくなった天野克晴に会った。でかくなってた」
 思い出して、笑う。
「自分の生徒のその後を見る、っていうのは、教師の特権だね」
「ふふ、そうですね」
「…桜庭先生は、天野を見て…天野克晴を見て、どう思いました?」
「……え?」
「…私は、やっぱり驚きました。あの影が消えていなかったからです。あの頃の雰囲気のままなんです」
 ぼくは克晴を思い出してみた。天野君と同じような妖艶な空気。……あれのことか。…柴田先生は、あの微妙さを感じ取るんだな。
「…ぼくも、驚きです。克晴くんが10歳の時にすでに、そんなだったとは」
 誰に手を付けられたのだろう。きっと酷くされたんだ。でも、それを言ってもしょうがない。
「ぼくはこの間はホンのちょっと会っただけですから、…よくはわかりませんでした」
「……そうですよね」
 すまなそうに柴田先生は、頭を下げた。
「ただ、あの年の…あの年代の子が、なぜ年相応に笑っていないのか、私にはそれが不可解だし、見ていて辛かったんです」
「……」
「桜庭先生なら、何か判るかと思いましてね……。すみません、長年溜め込んでいた事を愚痴ってしまいました」
 眉を下げて、頭の後ろを掻いた。
「……いいえ。ぼくも、お役に立てなくてすみません」
 
 柴田先生を送り出して、もう一度、熱いお茶を入れた。外を見ると、雪が降っている。
 ──もう冬か。寒いはずだ。
 
 柴田先生には言わなかったけれど、天野君が最近変なことに、ぼくは気付いていた。
 いつも通り、丈太郎の後ろにくっついているけれど、どこか上の空で元気がない。
 柴田先生じゃないけど、相談してほしいとか、話しを聞いてあげたいと思ってしまう。でも、大人の権限で問いただして良い事と悪い事がある。自発的に言える子はマシだ。内に込めてしまう子は危ない。
 
 ……天野君は、先生としてではなく、ぼく個人的に構いたいと、思ってしまう子だった。
 あの克晴に、何をされてるの?
  ……克晴は何をされたのだろう?
 
 ぼくの頭には、二人の妖艶な映像が染みついて、離れなくなってしまった。
 


NEXT(cp11へ)/back/1部/2部/3部/4部/Novel