chapter11. beautiful world- 約束の場所へ -
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2.
 
「どこに行くの?」
 恵が期待した顔で聞いてくる。予定していたことは無駄になってしまったし、今日の事は何も考えていなかったので、正直困った。
「ん~、寒いからなあ。川に降りるのも何だし。どこかに一泊して帰ろうか」
「えー、川があるの? 行きたい!」
 そう言えば恵には、あまり外出させていなかった。
「…うん、そうだね。じゃあ、行ってみよう」
 川沿いを走り、細い路をどんどん登って行って、やっと車を停められる場所を見つけた。
「さむ…」
 車を降りた外の空気は、切れるように冷たかった。道路の向こう側から渓流のせせらぎが微かに聞こえる。
 あっちだよあっち! と恵に腕を引っ張られながら雑草の斜面を滑り降りると、細長い川原に出た。
「わあ、水だ!」
 恵がはしゃいで川縁にしゃがみ込む。
「冷たそうだな」
 俺も覗き込んで言った。かなり上流なので水は澄んでいて、余計に冷たそうだった。川の中央は深いらしく、緑色をしていた。
「魚、いるかな」
「そうだな、いると思うけど…」
 俺は幅10メートルくらいの、割と水流のありそうな川を眺めて、ついでに周り中を眺めた。
 うわ……。
 自分が立っている川原が一番低い。川の両側面は急激な雑草の斜面で、その上に杉林がそそり立っている。ここは、山と山の谷間だった。
 地面と木肌と杉の葉。焦げ茶色と深緑だけの世界。冬の澄んだ空気が、ぴりぴりと張りつめているようだった。
「…メグ、川もいいけど、上を見てみて」
「うん?」
 俺はしゃがんだ膝の間に、寒くないように恵を背中からすっぽり抱え込んだ。首の前に腕を回して、抱きしめる。そのまま、二人して、空を見上げた。
 左右から杉の木が空に向かって伸びている。その杉に囲まれた真冬の空が、どこまでも透き通った水色をしていた。
 静かすぎて、耳が痛い。
「……メグ、ふたりっきりだな」
「……うん」
 二人の口から、白い息が絶え間なく生まれては消える。寒いぶん、恵の体温が余計、温かく感じられる気がした。
「急だったけど、ここに来れて、良かった…」
「うん」
 恵が、抱きしめている俺の手に頬を擦りつけた。かなり冷たい。
「……行こうか。冷えちゃったな」
 自分の頬を恵の頬に押し当てて、ぐりぐりした。恵がくすぐったそうに、笑い声を立てた。
「メグ、やっと笑った」
 頬をつけたまま、俺は思わず言った。久しぶりに聴いたから。
「…克にぃが、笑ったから」
 ふふと、笑い続ける。
 ………恵。
「…そか、兄ちゃんが悪かったな」
「! 悪くないよ! オトナのジジョーだもん!」
 首をねじ曲げて、こっちを向く。
 その唇にキスをした。
「ん」
「無理しなくて、いいから。オトナのジジョーに我慢しなくていいんだよ。兄ちゃんに文句があったら、言ってくれよな」
「…うん」
 嬉しそうに目を潤ませた。
「そしたら、真剣なキスして」
「……うん」
 抱え込んだ上半身だけこっちを向かせ、二人でしゃがみ込んだまま、深い深い口付けを交わした。
 絡める舌も熱い。いつまでも絡め合って離さなかった。
「……ん、はぁ」
 やっと顔を離すと、俺は尻餅をついてしまった。目眩が収まるのを待つ。……気持ち良すぎる。
「メグは、キスの素質があるなぁ」
「え~?」
 上唇を舌で舐めながら、目を輝かせた。首を傾げて、嬉しそうに笑う。
「昨日より上手くなってる。ちゃんと鼻で息してるし」
 自分の無様さを思い出した。
「そいじゃ、行こうか。完全に身体、冷えちゃったね」
 立ち上がって、尻の砂をはたいた。恵も手を取って、立たせる。
「うん、次、どこ行くの?」
「う~ん。ここは特に観光場所じゃないから、見るトコないな」
 車に戻って、エアコンで車内を暖めた。
「どっかでご飯食べて、泊まる場所を探そう」
 ハンドルを切り返して、ウインカーを右に出した所で、俺はふと思った。細い道を戻って国道に出ようと思ったけど、止めた。何処までも行こう。そう言ったんだから。
「…メグ、今だけは、どこまでも行こうな」
 恵が隣から俺を見上げた。
「…うん! 約束だもんね! どこまでも行くって」
「…ああ」
 前だけ行こう。後ろには戻らない。ユーターンして帰るまでは、…帰路に付くまでは、来た道を引き返さない。ウィンカーを左に出し直すと、車を滑らせた。
 
 俺たちの居た世界を置き去りにして、車は前へと走る。
 
 この道は何処に向かうのだろう。わからないけど、それでよかった。
 今だけは恵と二人だけの時間。二人だけが目指す場所に向かって行くんだ。
 ──約束の場所へ。
 
 
 
 細い道はかなり続いた。山を越えて県を越えたようだった。さっきとは違う国道に接触していて、それに沿って走っていれば店はいくらでもあった。
「ラーメン! ラーメンがいい!」
「えー、ラーメンなんて、どこでも食べれるぞ」
「いいの」
 そう言うので、適当なラーメン屋に入って、2つ注文した。
「うわぁ」
 どんぶりを目の前に、なにやら感激している。
「どうした?」
「僕のために、一杯、来た!」
 …そうか。恵は食が細いせいもあって、誰かのついでのような注文しか取らなかった。
「うん、今日はメグだけのために、一人分。これを“いちにんまえ”って言うんだ。オトナになったな~って思うとき、“一人前になった”って言うんだぞ」
「へえーっ、いちにんまえ! 僕、いちにんまえだ」
「うん。今日から、一人前の仲間入り」
 恵はえへへと笑いながら、どんぶりに取り掛かった。熱々の湯気が恵の顔を隠す。ひえーとか言いながら、頑張って食べていた。食べきれない分は俺が手伝った。
「ごめんね、余しちゃって」
「いいの。そのつもりで、兄ちゃん大盛りにしなかったんだから」
 
 泊まるところは、どこでもいいけど、ラブホテルのつもりでいた。あそこのシステムなら、俺は嫌と言うほどよく知っている。未成年でも入れるから、都合がよかったんだ。
 お城みたいに白いタイル張りのお洒落な外装のホテルを見つけて、そこに車を入れた。入り口の、部屋を選ぶパネルの前で、恵に聞いてみる。
「メグ、どの部屋がいい?」
「えー」
 どれも煌びやかな写真で、目がチカチカしているようだ。
「じゃあ、この広くてブラックライトのある部屋にしよう」
「ブラックライトって?」
「ん、行ってのお楽しみ」
 部屋に入って、鍵をかけた。
「うわー、広いね!」
 家のリビングぐらいある広い空間、真ん中にトリプルベッド。枕側は壁にくっついている。足元側には、大きいテレビとビデオデッキが置いてあった。
 壁と天井の区別が無く、一体となって、ドーム型に丸く頂点まで繋がっていた。照明は全て足下からで、壁際の間接照明がぼんやりした空間を作り上げている。
 入り口右側には応接セットがあり、小さなソファーとガラスのテーブル。広い割には、それしかなかった。左奧にバスルームのドアがあった。
「はーっ」
 二人でどさっと、ベッドに寝ころぶ。広くて、手前に寝ころんだぐらいでは、シーツも乱れない。
「疲れた? メグ」
 寝っ転がったまま、顔だけ恵に向けた。
「ううん。僕は元気!」
 楽しくてしょうがないという風に、顔を輝かせている。その額に掛かった前髪を、後ろに梳いてやった。
「…克にぃ」
 その手に、恵は自分の手を添えた。
「僕、凄いドキドキしてる。わかる?」
 俺の手を自分の胸に持って行き、押し当てた。
 小さな胸が、トクトク鼓動を鳴らしている。
「ああ、わかるよ。…兄ちゃんもどきどきしてる」
 恵は体を起こして、横になってる俺の胸に耳を当てた。
「…ホントだ」
 目をキラキラさせて笑う。その頬を撫でながら、俺は言った。
「メグ、お風呂入ろう。身体、あっためよう」
「うん!」
 風呂場も大きくて、恵は喜んではしゃいだ。
「すごいすごい! きれーだね」
 全面タイル張りで、うっすらと模様が描いてある。お湯をバスタブに張ると、二人で浸かった。
「ふうー、気持ちいい!」
「うん、あったかいな」
 冷え切っていた手や足先がじんじん痺れる。心まで染み渡る温かさだった。
「メグ、見てて」
 壁の操作パネルを触ると、バスルームの照明が、すうっと消えた。変わりに、バスタブの中から、七色に次から次へと色を変えるライトが付いた。
「わ、奇麗!」
「もっとすごいぞ」
 ダークブルーの光が壁を照らすと、壁一面にうっすら描かれていた模様が光り出した。
「うわあ」
「これがブルーライトだよ。この光を当てると、インクが光るようになってるんだ」
「へーっ」
 お湯の中で恵を膝に乗せ、二人で足を伸ばして天井を見上げると、異次元に入り込んだような気がした。幾何学の模様が、現実感を無くす。
 すごいねぇと呟きながら、珍しそうに眺め続けるメグに、俺も無言で頷きながら、頬を寄せた。
 すっかり温まって風呂を出ると、備え付けのバスローブを纏った。恵には大きすぎたけど、着ると言い張って、袖を何度も折り返した。
 
「お、お湯が沸かせるよ。凄いな、この部屋」
 応接セットでは、お茶も飲めるようになっていた。熱い紅茶で喉を潤して、やっとひとごこちつく思いだった。
 考えてみれば俺が知ってるホテルから何年も経ってるんだ……設備も良くなるよな。
 見回してみると、あちこち細かい仕様が行き届いてるようだった。アレはなに? っていちいち恵が聞く。
 すっぽりと低いソファーに収まって、温かいマグカップを握りしめながらきょろきょろと楽しそうにしてるのを見て、俺は思った。
 やめよう、比べるのは。……これが俺の、メグと初めてのホテルだ。
 
 その後、ベッドにもう一度ひっくり返った。今度は真ん中で。俺は枕元の操作パネルに手を伸ばした。
「メグ、見てて。今度はたぶん、もっと凄いよ」
「えー? 何が?」
「天井や、壁。電気消すよ」
 すうっと、照明が落ちていく。
「………………」
「………うわぁ……」
 恵が、感嘆の声をあげた。俺も息を詰める。空一面、煌めく星空、星座の世界。遮る物のないドーム型の天井が、何処までも空高い。
 ブラックライトに浮き上がってきた空間は、俺たちを中心に一つの宇宙を作り出していた。
 室内に無駄なモノを置いて無かったのは、この空間を保つためだったのだ。
「…はぁ」
 俺も溜息をついた。
「…綺麗だな」
「…うん」
 恵も息を吐く。
「…俺たち、二人だけだ」
 寝っ転がって天井を見つめる二人。
「二人しか、この宇宙にはいない」
「うん」
 恵がまっくろになった瞳を輝かせて応える。
 その眼に青白いライトを反射させて、俺に微笑んだ。
「…ステキだね」
「……ああ」
 いつもなら、笑ってた。恵が時々言う、大人びた言葉。でも今日はぴったりだった。
 ───素敵だ。……恵、凄く綺麗。
 


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