chapter2. emergency space -きみに助けを
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「えっ!?」
 
 オレは目の前にいる人物を、信じられない気持ちで、マジマジと見つめてしまった。
 眼鏡のブリッジを、ずれてもいないのに指で押し上げた。
 
 ───何で、ここにいるんだ?
 ……て、言うより…なに、この格好……
 
 
 
 
 
「悪い……中に入れてくれないか?」
 天野は、そう言って立ち上がった。
 
 
 
 
 
 
「……すまない」
 部屋に上げて、ベットの横に座らせた。
 オレの借りてるこの部屋はちっさくて縦に細長く、玄関あけたらすぐの狭いキッチンと、扉の奥に4畳弱のフローリングしかない。ベッドを置けば、うなぎの寝床みたいな細いスペースがあるだけだった。
「いや、……それはいいけど」
 オレは淹れたコーヒーを持って、天野の前に座った。
 ……このヤツれ様はなんだ?
 頬がげっそりと痩せ細っている。顔色も真っ青だ。それに……着てる服が、まともじゃない。
 ドアの前で蹲っていた様子は、尋常ではなかった。
 張りつめた空気を纏い、鋭い眼光で足音に耳をそばだてていて……。オレを見た途端、その暗い眼光は消えた。
 
 ───なんだ?
 ───天野に何があったんだ?
 
 
 天野を最後に見た日。
 あれは、天野が車に乗り込む所だった。それっきり大学に来ないから、心配してたんだ。
 
「山崎……変なこと聞くけど……」
「ん?」
「今日は、…何日だ?」
「………!」
 オレは、驚いた顔を隠せなかった。思わず天野を、見つめてしまう。
「…………」
 
 なんでそんなこと…笑って訊き返す雰囲気じゃなかった。オレは声に詰まってしまった。
 ───今日がわからないって、流石に……
 あれから何があったんだよ?
 
 真剣に見返してくる黒い眼は、いつにも増して凄みがあって…唇はぎゅっと引き締めて。座ったまま微動だにもせず、ただオレを見る。黙り込む厳しい表情。
 
 こいつの奇行…学校のトイレや、すぐ帰ることや、何か普通じゃない感じ。一瞬一瞬がフラッシュバックする。
 この顔は、そういう時の、寄せ付けない空気だ。
 
 ───今ここでオレが動揺したら、いけないんじゃないか……
 咄嗟に、そう思った。
 真剣にオレを見る目線が、時々不安げに揺れる。
「今日は25日。なんだよ、自分の誕生日のアピール?」
 分かってるくせに、敢えて聞くのかこんちくしょうって、おどけて笑ってみせた。天野の誕生日が、明日だったからだ。
 天野は、目を丸くしてオレを見た。
「……誕生日……ああ、そう、……当たり」
 オレの冗談に乗った振りをして、天野も笑った。
「山崎、よく覚えてたな、俺の誕生日なんて」
「……まあな、4月生まれって羨ましくて。誰よりも年上じゃん」
 それもウソではないけど…。実際は、単に天野の誕生日って事だけで、なんとなく覚えてしまっていた。
「コーヒー飲めよ。冷めるぜ」
「……ああ、サンキュー」
 何気なく出された手を見て、また驚いた。
 左手。それも、あちこち刃物で切ったような、切り傷だらけじゃないか。思わず右手を見た。シャツを巻き付けていて、手の先が見えない。
 でも……これは、いくらなんでも放って置けないだろ。
「……天野、絆創膏貼るから、手ぇ出せ」
 菓子でも食うか? ってなくらい、軽く言った。でも天野はサッと顔色を白くして、両手を後ろに隠した。
「そのままにしといたら、バイ菌入るだろ? 後々、困るんだからサ」
 棚から救急箱代わりのプラスチックケースを取ってきて、絆創膏を何枚か取り出した。
 ……足りるかな。いったい幾つ傷があるんだ?
 天野を見ると、難しい顔をして考え込んでいるみたいだった。
「ほら、手!」
 オレが自分の手を差し出すと、天野は弾かれたようにオレを見て、ゆっくり左手を出してきた。
 その手を取って、傷の数を数える。
「うわー、足りるんかいな。……まあいいや、片っ端から貼るぞ!」
「…………」
 返事はしないけど、少し笑ったのがわかった。
 消毒しながら左手を仕上げて、今度は右手だった。絆創膏はまだ何枚か、残っている。
「ほら、今度はそっち。かして!」
 さっきと同じように、オレは手を差し出した。
 でも、今度は本気で出し渋っている感じだ。
「……?」
「………」
「かして! み・ぎ・て! あ、ちゃんと借りたら返すからさ、延滞料金は付けないでね」
 差し出した手をペラペラ振りながら、オレはそう言って、最後に恐い顔を作って見せた。
 やっと天野の顔が、笑った。
「切り取って貸し出さない限り、延滞はつかねーよ」
 冗談で会話は進むけど、差し出された右手は、想像以上だった。
「なにっ……これ、平気なのか?」
 手首が、ざっくり切れている。
 ──これは、まるで……。
 青ざめてしまったオレに、天野が慌てて訂正をかけた。
「勘違いすんな! うっかりなんだ、これは……」
 手首を押さえながら言うその声には、張りがあった。オレはちょっとホッとした。
 ……ウソは言ってない…? 
「はあ~、うっかり! まあ、それは偉いこって!」
 呆れたオレは、大げさに戯けながら、でも困ってしまった。
「こんなデッカイ絆創膏、ないぞ」
 ふっ、と天野が小さい声を出して笑った。
 今のは冗談じゃ、ないんだけど……。オレも笑ってしまった。
「しかたない、ハンカチで我慢しろ。心配すんな、汚くないから」
 ちゃんと洗濯済みのものを、わざとらしく引き出しから出すと、消毒した手首に巻いた。
 指や手のひらも深い傷から優先して、なんとか全ての絆創膏で処置し終えた。
「ほい、終わり~! 無事、当日返却!」
 ぽんと手を叩いて、突っ返した。天野はまた笑って、礼を言った。
「……ほんと、サンキューな。助かった」
「いいよ。いつでも来て」
 コーヒーを啜りながら、ウインクした。天野の笑顔が、苦笑いに変わった。
 
「そうだ天野、コスプレもいいけど、それ、酷すぎない?」
 今度はオレが、苦笑いだ。
 くたびれたサラリーマンが着てるような、シャツとスラックス。どう見たって、天野のものではない。
「どうせなら、若者ゴッコしようぜ。オレの貸してやる!」
「……コスプレ……」
 ぼそっと呟くのを、聞いてしまった。目を丸くしている。
 オレは噴出した。そこか! って。
「はは、そう、コスプレ。ぴちぴちのフレッシュボーイのカッコさせてやる! 待ってな」
 オレはけっこう、衣装持ちだ。
 天野の方がホントは少しデカイけど、今は痩せ細っているから着れると思った。適当に見繕って、投げ渡した。
「ん? ……それじゃ、駄目か?」
 受け取った天野が、変な顔をしている。けっこー似合うと思うんだけどな。
「いや、そうじゃなくて…」
 妙に言い難そうにしている。
「?」
「その…、下着も……、いいか?」
 苦い顔で、下を向いてそう言った。
 ───えっ?
 危うく、声に出そうになったのを、飲み込んだ。
 
 ……オレは、天野が巻き込まれている状況は、マジでヤバイんじゃって悟った。
 具体的にどうってわけじゃないけど……
 パンツを欲しがるなんて……今、穿いてないのか?
 ……それがどういう事かぐらいは、オレにだって………
 
「……………」
 
 ───胸が痛くて、息苦しくなった。
 こんなこと、オレに知られて…特にコイツなんか…。
 でも、それでも、オレの所に来てくれたんだ…。
 
 ……もう、いちいち驚くのはやめなけりゃ。
 
 その度に、天野が傷つく気がした。今はとにかく着替えさせて、話はその後だ。
「おう! ブリーフ、トランクス、ボクサーパンツ、なんでもあるぞ」
 一際ちっちゃいのを出して、
「天野のはこんぐらいか?」
 なんて、言ってみた。
 また目を丸くして、口も開けている。
「あはは、ウソウソ。これは親戚のガキのだ。ほい、これやるよ」
 買い置きの、新しいヤツを投げた。
「ああ、……悪いな」
 ホッとした顔を作った。
「毎回、さんきゅーとかそう言うの、いいって。おかわりいる?」
 コーヒーカップを取り上げた。
「ああ、さんきゅ……」
 途中まで言って、言葉を止めた。それ以上どう言っていいか、分からないらしい。
 オレは声を出して笑った。こんな天野は初めて見た。
「うん、て言えばいいんだよ! メシも食うだろ? 用意するよ」
 天野は、真っ正面に顔を上げて、オレを見た。
「……うん」
 照れくさそうに、そう呟いた。
 


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