chapter2. emergency space -引力の行方-
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「なんか、機嫌いーじゃん? 山崎」
 無意識に鼻歌を口ずさんでいたオレに、タクローがすかさずツッコミを入れてきた。
 タクローのこういうところが、天野に半分でもあればいいのにな。
 オレは、心で溜息をついた。
「うん、まあね。別に、何でもないけど」
 
 天野がオレの部屋に居ることは、誰にも内緒だ。
 あいつは───誰かに追われてる……きっとそうだ。
 あれは……
 どこかから、逃げ出してきた格好だったんじゃないか。
 
 天野が大学に来なくなって、四日が過ぎていた。
 四日なんて、普通は何でもない日数かもしれない。大学だもんな、私用を優先するヤツもいるさ。酷いと、1週間まるっきり顔を出さないのまでいる。
 だけど、天野は違うんだ。判で押したみたいに、毎朝同じ時間に来て、なるべく早く帰ってしまう。
 高校の時から、ずっとそうだったから。だから、そんなに不在なのは異常だった。
 ずっと、心配してたんだ。
 
 
「なあ、今日も俺んち来いよ。珍しいパーツ仕入れたんだ!」
「…………」
 オレは横目で、タクローを見た。
「なによ?」
「いや、今日は用あって行けんのよ。……それよりさ」
 タクローの“新しいパーツが手に入った”を、オレは毎日聞いてる気がする。
「どんぐらい小遣い有るんだ? こんの金持ち息子! 今日は女の子呼べば?」
 ハリネズミ頭を、グーでこづいた。
「オヤジの会社のを安く手に入れてんだから、安いモンだぜ」
 口を尖んがらかす。
「嘘付け! 輸入物とか、よく混じってんじゃんか」
「アハハ、まーな。女は車走らせるとき乗せるのよ。改造途中見せたって、飽きて帰っちまうんだよ」
 見せ甲斐はお前にあると、オレを指さす。オレは工具が色々置いてあるガレージが楽しいだけだ。
「ほいじゃな、明日は来いよな!」
「わからん!」
 そう言ってタクローと別れた。別れ際、タクローの顔が変だったけど、知るか! あいつはほっといてもダイジョブだ。
 オレはケーキを買いに、走った。
 
 
 
 
 
 天野は一日中、よく眠っていたようだった。
 オレが帰った時も、ぐっすりと寝ていた。熱も引いたみたいで、顔色が随分良くなっている。
「………………」
 オレは昨晩の様に枕元に蹲り、天野の顔を見つめた。
 
 オレが天野の腕を見たことを、天野は知らない。天野がそんなふうに傷付いていることを知っているのは、オレだけの秘密だった。
 
 ───あの時も、ホント驚かされたな。
 高校1年のショッキングな目撃事件を、改めて思い出してみる。
 天野にくっついて、第二校舎まで走って行ったあの時……そこのトイレで、オレは初めて天野の秘密を知った。
 やっぱあの頃から天野はきっと、ヤバイ事に巻き込まれていたんだ。
 そうでなきゃ、毎日あんなこと……。
 
 思わず、深い溜息を付いてしまった。
 天野の瞼が、少し動いた。悪い夢でもみ見ているのか、うなされて額に汗を浮かべている。
 お、起きるかな?
 顔を覗き込んで、その目が開くのを待った。
「おっはよう! そして、たっだいまー!」
 でっかい声で、挨拶した。元気が出るように。
 
「────っっ!!」
 
 引き吊ったような音を喉から出して、天野が飛び退いた。身体ごと、後ろの壁に激しくぶち当たる。
 驚いたオレも、慌てて叫んだ。
「わあ、ごめん、ごめん、ゴメンッ!!」
 両手を振り回して、謝った。
「驚かすつもりじゃ、なかったんだ!」
「──────」
 手の甲で口を塞ぎ、驚愕の目でオレを見返す。
「………やま……ざき?」
「ああ、ごめんな、びっくりさせちまった」
「……いや、俺の方こそ……」
 目を見開いたまま、喉を撫でさすって、
「………すまん……ちょっと、夢見が悪くて……」
 浅い呼吸を、肩で繰り返している。
 オレは立ち上がって、笑った。
「オレのせいじゃないなら、よかった! それより見ろよ、バースデーケーキ買ってきたぞ! スペシャル特大!!」
 ちゃぶ台を出して、真ん中にやたらでかいホールケーキを乗せた。苺と生クリームがたっぷりだ。
「しかも、ほら! 誕生日プレート作ってもらったんだぜ、有料で!」
 しっかりした板チョコのプレートに、メッセージを書いてもらえる。
「克晴君、お誕生日おめでとうって入れてもらったんだ。よく書けてんだろ? 難しい字なのに」
「……難しいか?」
 白い板チョコを受け取りながら、天野が聞いた。
「ああ、バイトの女子高生には、ちと難しいらしかったな。何回か練習で書き直してたもん」
「……そうか」
 プレートを眺める天野が、嬉しそうな顔をしている。名前になにか思い入れでもあるのかな。
 有料で作ってもらった甲斐があったってもんだ。つっても、何百円って、せこい世界だけど。
 
 その後は、ケーキ食いたい放題パーティーになった。出血大サービス、コーヒーも飲み放題!
「もしかして、これが夕飯……なんてこと、ないよな?」
 天野が、恐る恐る聞いてきた。
「はは、さすがにそれは。せっかくケーキが主役なのに、腹一杯になってからじゃもったいないと思って」
 子供の頃、腹一杯になったあとのケーキに親が苦労していた。ガキのオレはなんでも嬉しかったからよく食ってたけど、今なら食後のあれ、親の気持ちがわかるな。
「じゃあ、同時とか……」
 ん……? やけに食いついてくんな。オレはピンときた。
「天野、わかったぞ。お前腹減ってんだろ!」
 オレが言うと、天野は顔を赤くした。
「はは、なんだよ。恥ずかしい事じゃ無いじゃん」
 オレは笑って、買ってきた中華料理の総菜皿をちゃぶ台に並べた。
「じゃじゃーん! このままでいいよな、盛り付け崩れちゃうし、皿洗わなくて済むから」
「ああ、美味そうだな」
「美味いよ、オレのとっておき! 特別な時しか買わないんだ」
 勢い余って言ってしまってから、今度はオレが赤面した。
「なんだよ。恥ずかしい事じゃないだろ。誕生日は特別だぜ」
 天野が笑った。
 “天野の”が付くんだ、その前に。だからオレには、とっておきなんだ。タクローや他の奴らなんかに、こんなの絶対買ってやらない。
 
 さんざん食い散らかして、パーティーもお開きになった。
 手首の傷も化膿しないで、塞がってきていた。今日買ってきたデカいガーゼを手首に巻き直して、一段落だ。
「でも、これは痕が残るな」
「……そうだな。……しょうがないけど」
 天野も困ったように、溜息をついた。
「?」
 天野の顔を見ると、目を細めて返した。
「……弟が……弟がさ。こんなの見つけたら、すごい心配するから」
 笑ったのであろうその表情は、オレには泣き顔に見えた。
 
 
 ………おとうと…弟がいるって、前にもちらっと言ってたな。自分のこと話さないくせに。
 ──家族には…? 今の天野はどのくらい、家族に話してるんだ? 
 当然の疑問がいくつもある。
 
 これからこいつ、どうするんだろう…
 寂しそうな俯き顔を見ながら、胸が痛くなった。
 オレなんかが、心配しきれる事じゃない。でも……オレは何かしてやりたかった。少しでも何かできるなら、助けになりたかったんだ。
 
 今なら天野の笑顔の裏に、少しは気が付ける気がする。
 そうやってオレはまた、勝手に天野の近くにいると、錯覚をしていた。
 
 
 
 
 次の日、大学から帰ると、部屋は空っぽだった。オレは買い物袋を床に落として、呆然とした。
 
 天野がオレの部屋に居たのは、たったの二日だけだった。正確には三日目の朝まで。
 今朝は元気に、挨拶して出たんだ。「ほいじゃ、行ってくんね」「ああ、気を付けてな」まるで新婚さん気分でさ。
 大学から帰ると、天野が寝ていて、出かけるときは見送ってくれる。
 オレは天野を手に入れたような気がして、妙に嬉しかった。少なくとも、あと1週間くらいはこれが続くかと思っていた。
 だって、あの怪我で、……あの身体で。まだ回復なんかしてるはずがないのに。
 
 
 
 ベッドにメモが置いてあった。それを拾い上げる。
 
 
『──山崎へ。ありがとうな、本当に助かったよ』
 
 
「これだけかよ」
 ……たったこれだけ。
 本当はもっと言いたいこと、あるはずだ。でも言い出したら、こんな小さな紙切れには書ききれなくなる。
 だから……この一言に、全ての気持ちを込めたんだ。
 
 ……そう思う事にした。
「こんな時は、また来る。礼をさせてくれって、書くモンだぞ」
 オレは立ちつくしたまま、一人呟いていた。
 
 
 
 
 
 それでもオレは、待ってしまった。
 夜には帰ってくるかも。
 一週間後には「悪い、また世話になる」とか言って。
 一年後には「片づいたよ」って笑顔を見せて。
 そんなふうにいつかはまた、オレの世界に天野が姿を現すと思って、待っていたんだ。
 
 
 ───でも
 結局、天野は姿を見せることはなかった。
 
 
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 天野克晴という惑星……オレは、その星の周りを廻る衛星の一つだった。
 天野という引力に引かれて、回り続けていたんだ。
 
 ………でも、
 その惑星がなくなってしまったら、衛星達はどうしたらいいのだろう。
 
 引力はどこに向かうのだろう。
 


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