chapter2. emergency space -きみに助けを
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 夕飯は適当に肉野菜炒めなんかを作って、引っ張り出したちゃぶ台に並べた。
 狭いから、必要なとき以外は畳んでいる小さな台だった。
「あ、やっぱ似合うじゃん」
 オレがメシを作ってる間に、着替えていた。
 今までの天野の服とは、路線が違うから新鮮だった。やっぱ、格好いいなあ、天野は。
「……そうか?」
「うん、大学の女子、全部お持ち帰りできる」
 にっこり笑ったオレの脳裏に、タクローの顔が一瞬浮かんだ。しっしと追い払って、メシの用意を整えた。
 
 天野は、無言で食べ続けていた。あんまり必死に掻っ込んでる感じが、痛々しい。
「うまいじゃろ」
 箸を咥えながら、聞いてみた。
「……うん」
 また一言だけ、そう言った。これじゃあ、会話にならないな。…かえって言葉を止めさせちゃったよ。
 心で溜息をついて、メシのおかわりを注いでやった。
「あんま食べると太るよん。オレの服、着れなくなっちゃうよん」
 言いながら、頼まれもしないのに、みそ汁も追加した。
「……おまえなぁ」
 苦笑い。お、やっと喋った。
「今夜はここに寝ろよな。オレ、下ね」
 目線でベッドを指して、そう言った。もう一杯どお? ってくらい軽く。
「……うん」
 オレは笑い出してしまった。
「そういうときは、“遠慮無く”ってんだ!」
 信じられない。天野が可愛く見える。こんな不器用なところが、あったとは……。
 心底驚きだった。普段の天野が、余りにソツがなさ過ぎて分からなかった。
 どんなジョークだって、下ネタだって、軽くかわしてするすると擦り抜けて行ってしまう。
 今交わしている会話に立ち止まって、内容を吟味したり、話してる相手を認識したり、そんなことは、一切しなかったから。
 
 ……でも。
 さっき、天野はオレを見た。真っ正面からオレを見て、オレに返事してくれた。
 
 ───ずっと、思っていた。
 
 いつか、心を開いてくれないかなって。
 オレからも、その努力はしてなかったんだけど。ずっと天野の後ろに、必死になって引っ付いていただけだった。
 ……だから嬉しかったんだ。少し天野に近づけたかなって。
 
 
 
 キッチンを片づけて、部屋に戻ってみると、天野の様子が変な事に気付いた。
 ベッドに寄っかかって項垂れている顔が赤く、もの凄く熱っぽい。
「ちょいと、おでこ貸してみ」
 額を触ってみると、かなり熱い。 
「あらら、こんどは風邪薬部隊、出動だ」
 解熱効果と、抗生物質の入っていそうなやつを取り出して(実際はどうかしらんが)天野に飲ませた。
「ほらほら、さっさとお寝んねしなさい!」
 スウェットの上下を放った。
「……ああ、サンキュー……」
 その返事を聞いて、オレは天野の具合が、相当悪いことに気が付いた。
 反射的に返したその言葉。ずっと言い続けて、染み付いてしまっていて……。
 顔を覗き込んでみると、目が虚ろで呼吸も荒い。とても自分で着替えられそうに、見えない。
 しょうがないな。
「はい、お着替えですよー」
 オレは親戚のガキのお守りをする時のように、万歳させて天野のシャツを脱がせた。
 トレーナーを首にかぶせて、腕を通そうとした時、驚いた。
 
 ───なんだ?
 なんだコレは……
 
 左肩…二の腕に付けられた、無数の注射針の痕。肘の内側には、静脈注射の痕まであった。青痣が広がっている。
 
 なんだ……何をされたんだ。
 いったい、天野は何に巻き込まれているんだ?
 
 “ヤクザ”とか、そんな類が頭を過ぎった。
 もういちいち驚くのはやめよう……って───さっき、そう思った。
 だけど、目の前のこれは……オレの想像を絶するこの状態は、そんな生やさしい物ではなかった。
 
 
 とにかく、上だけ着替えさせて、ベッドに潜り込ませた。
「よく寝るんだぞ、明日高熱が下がらなかったら、病院行くからな!」
「……ああ…」
 またあの言葉が出そうになったから、布団を口まで覆い被せた。
 
 そっと部屋を出ると、キッチン兼廊下の床にへたり込んだ。
 シンク下の収納扉に寄りかかって、溜息をつく。今見たモノが凄すぎて、頭が付いていかなかった。
「…………」
 眼鏡を外し、上を向いて目頭を押さえた。
 別に泣くわけじゃない。泣くとしたら天野にではない。こんなにずっと引っ付いていて、何も気付かなかった…愚かなオレにだ。
 どうしようもなく遣り切れない思いが、こんなポーズを取らせた。
 
 さっき感じた、今までの天野、笑いながら距離を取る天野、何も言わない、何も聞くなって、いつも目だけで語る。
 いろんなヤツがいるさ、オレはそう思っていた。家庭の事情で踏み込まれたくないヤツなんて、友人の中にも何人も見てきた。……そういうんじゃ、なかったのか…
 
 
 暫くしてオレは、ようやく動くことが出来た。
 すぐ横にある冷蔵庫から缶ビールを取り出す。同じ位置に座り直すと、缶を開けて、一気に半分飲んだ。
 開けるときの弾ける音と、キツイ喉越しが、少しはオレをマシにさせた。
 
 
 部屋に戻って、天野の様子を見てみた。
 枕元にしゃがみ込んで顔を覗く。苦しそうに眉を寄せて、荒い呼吸をしていた。
「……………」
 こんなふうに歪めていたって、やっぱり天野は綺麗な顔をしている。
 これだけの顔をしているんだ。もしかしたら何かになっていたかもしれない。そうでなくたって、もっと幸せになれたはずだ。
 そういう一切とは全然違う世界に、今天野はいるのか。
 ……ずっと? それとも、この数日の間に、何かが…?
 思い当たるのは、不可解なトイレでのオナニー。……高一の頃から、いや、その前からなのか?
 
 目頭が熱くなる。 
 見る見る天野の顔が滲んでいく。
 
 ……頬を涙が伝った。
 やっぱ、さっき泣きたかったんだオレは。今は涙を止められなかった。
 
 ヤクザ…ヒト買い、思いつくのは所詮それくらいだ。
 でもオレがもし。 オレがこんなことになったら?
 この目で見た注射針の痕は、心底恐ろしく感じた。
 下着を貸してくれって下を向いた、あの時のカオ……思い出したら知らずに拳を握り込んでいた。
 
 
 天野…こんな酷いこと、独りで抱えて……。
 
 いつも笑顔で、そんなことはお首にも出さなかった。
 そう、いつも笑ってた。だから、抱えてるものの深さを、オレに測らせなかったんだ。
 ──天野に近づきたいだって? 近づける筈がなかった。オレなんかが、わかるわけなかったんだ。
 ……こんなこと。誰が………わかるかよ、こんなこと。
 
 どう声を掛けていいかわからなかった。何を言うのが正解なんだ…?
 オレは流れるまま、涙を流し続けた。
 
 
 
 苦しそうに寝返りを打つ天野を見て、はたと気付いた。冷やしてやらなきゃ。
 涙を手の甲で拭って眼鏡をかけ直すと、キッチンに急いだ。冷凍庫の氷を小さなビニール袋に入れてきつく輪ゴムで縛り、タオルでくるむ。
 それを天野の頭の下に引いてやり、額にも冷たいタオルを乗せた。
 明日、熱が下がるといいけどな……。
 
 
 
「おっはよう! どお? 熱」
 次の朝、景気よく挨拶した。天野は起きあがって、オレを見た。
「ああ、高熱は下がったみたいだ。まだちょっと高いけどな」
 それを聞いて、オレは安心した。今の天野を病院に連れて行くのは、どうかと思っていたから。
 ……あんなの見たら、医者も放って置かないだろう。でも、警察を呼ばれた方が、天野にはいいのか…?
「そか、よかよか。病院行かなくて済んだな」
 言いながら、肩を回した。首も左右に倒す。怪訝な顔で天野がオレを見た。
 昨晩はキッチンの廊下で蹲って寝たのだった。身体のあちこちが痛い。
 でもそんなこと天野には言わない。遠慮して、出て行くなんて言い出したら困るから。
 
「朝メシつくるよ。玉子粥でいい?」
「ああ、なんでもいいよ。食えるだけでホント、助かる」
「……うん」
 素直な言葉に、ちょっとどきっとした。
「……これ、山崎が作ってくれたのか?」
 もはや水袋と化してしまったそれを、オレに見せる。
「ああ、オレんとこ、氷嚢とか氷枕みたいな気の利いたの無くてさ。でも、そんなんでも役に立ったみたいだな」
 オレが笑うと、天野は真っ直ぐにオレの目を見た。
「本当に……助かったよ。ありがとうな」
 オレは顔が熱くなるのが分かった。
「何言ってんの、いつでも大歓迎よ!」
 軽くウインクすると、急いでキッチンに逃げた。
 
 “ありがとう”って言った。いつもの軽い、サンキューじゃなく。
 ……その言葉に、心がこもっていたから。
 天野の言葉……。“天野の言葉”で喋っている。
 今、あいつはオレに、自分の言葉で喋っているんだ。めちゃくちゃ、嬉しかった。
 
 
「ほい、お待っとー!!」
 上半身だけ起こしている天野の膝の布団の上に、トレーごと置いた。
 粥鍋には、ローソクが一本真ん中に立っている。
「……何だ? これ」
 天野が目を丸くした。
「誕生日の前祝い。今日ケーキ買ってくるから、パーティーしようぜ!」
 ホントは、オレの気分が良かったから。勢いでぶっさしただけだ。
「早く、早く、ローソク引き抜いて!」
 両手の平を上に向けて、パタパタ仰ぐようなジェスチャーをした。直火から下ろしたての粥鍋は、かなり熱いだろう。
 天野は、慌ててローソクを引き抜いた。
「よかった、溶けてない」
 それを受け取ったオレは、しげしげ見ながら言った。
「……お前なあ」
 苦々しい顔で、天野が呻いた。
「あはは! 天野、背中寒いだろ。これ着てな」
 どてらを放って、キッチンに自分の食事を取りに行った。
 4月と言っても、夜まだ寒い日がある。オレの御用達だった。あんなの、天野は着るの初めてかもな。
 格好いい天野は、なんでも着せ甲斐がある。単なる綿半纏も、スキーウェアに見えたりして。
 一人、にやついて部屋に戻った。
 
 でも。どてらはどてらだった。……あたりまえか、ばかかオレ。
 ──オレ、天野に何求めてんだ。今度は一人、苦笑いだ。
 
 一人で苦悩してるオレを、天野が不思議そうに眺めていた。
 こんな時、タクローだったら「何、百面相してんだーっ!」って、首を絞めてくるなあ、なんて思った。
 いや、首を絞めて欲しいわけじゃない。
 ただ、“どうした?”って、気に掛けて、それを言葉に出して欲しい。
 些細なことでもいいから。そこから話しは膨らむってもんだ。お互いをもっと知れるのに……。
 
 でも、それに気が付いただけで充分だ。オレだって、天野にはそれをしてこなかった。
 今後、オレからそれをやっていけばいい。
 大丈夫か? って声かけて、どうしたら何ができるのか、聞くだけ聞きほじって、天野と、本当の会話を作り上げていくんだ。
 
 朝メシの後は、また薬を飲ませて寝かせた。
 オレは天野が心配だったけど、外せない講義があったりして、しょうがなく大学に向かった。
 


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