chapter6. alternate guardian -守護る者-
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 ───天野 恵。
 ふわふわ髪で、真っ白な肌。
 克にいの、だいじな、だいじな……小さな弟。
 
 ………天野を初めて見たときは、女の子かと思った。
 ちっちゃくて、丸くて、幼くて。それなのに、その口から出てくる言葉は妙に、大人びていた。
 その瞳は克にいしか映さない。
 どこか不思議な天野。……俺より先に、何かが変わった。
 
 
 そして、俺も変化した。俺は天野と、対等になりたかった。
 
 ………あの時思ったんだ。
 
 俺みたいに独りで泣かせない。俺はもう、戸惑ったりしない。
 “克にいみたいになりたい”いつもそう言っていた、天野より……あいつより先に、俺が克にいみたいになるんだ。
 俺が先に成長する。俺が世の中を先に知る。 
 
 
 そして───俺がこの小さい天野を、守るんだ。
 
 
 
 
 
 予鈴が鳴っても、天野が教室に入ってこない。
 今までそんなこと、まずなかった。毎朝、克にいに手を引かれて、同じ時間に登校していたからだ。
 ───昨日、克にいが校門に、迎えに来なかったからなあ。
 それが気になった。ずっと一緒に待っていたけど、とうとう来なかったんだ。天野は泣き出しちゃうし、困ったよなあ。
 ……今朝は、一緒なんだろうか。
「霧島、霧島!」
 教室に駆け込んできた隣の席の原田が、俺を呼んだ。
「ん?」
「校門の外に天野がいるの、知ってるか?」
「え?」
「なんか、変だぞ。うずくまってる」
「……何だそれ、おまえ…それほっといて来たのか?」
 俺の心がざわついた。
「ほっといてって……。霧島に言った方がいいと思って、走ってきたんだぞ」
 最後の方は、聞いていなかった。ガタンと椅子を鳴らすと、教室を飛び出していた。
 ……天野!
 
 尻餅をついたような格好のまま、天野はそこで放心していた。一目見て、普通じゃないとわかる。
「天野! ……何やってんだこんなとこで! 授業始まるぞッ」
 駆け寄りながら声を掛けた。まるっきり無反応だ。
「おい、天野!?」
 顔を覗き込んで、俺はぞっとした。
 その目は、何も映していなかった。俺も、周りの風景も。
 
 ───なんだ? 
 ……何があったんだ? 
 天野……克にいは、どうしたんだ!?
 
 腹の底から、怒りが湧き上がってきた。
 怒鳴りつけてやりたい。こんな天野を、一人にして!
「天野!」 
 肩を掴んで、何回も呼んでみる。
 泣き腫らしたような顔は生気がなく、涙の跡がいく筋も伝っている。
 ……とにかく、中に……。
 立たせようと引っ張ったら、身体ごと地面を引きずってしまった。
 ───くそっ、俺じゃ、駄目だ!
 そこを動くなと言い置いて、桜庭先生を呼びに言った。
 
「…天野君?」
 桜庭先生の呼びかけにも、まったく応えない。
「おい、天野!」
 肩を揺すっていたら、急に暴れて泣きだした。
「……先生」
 俺は動揺してしまい、桜庭先生を見上げた。
「……どうしたんだろうね。……取り敢えず、連れて行こうか」
 先生は、俺を安心させる様に微笑んで、そう言った。
 そして、座り込んでいる天野の膝と脇の下に腕を差し込んで、軽々と掬い上げた。
「……………」
 天野は、大人しく先生の腕に収まっている。
「……丈太郎?」
 桜庭先生が、ついて来ない俺を振り返った。
「あ、ハイ。行きます!」
 ……俺は、悔しかったし、羨ましかった。天野を抱えてしまえる先生が。
 
 桜庭先生の腕の中で眠ってしまった天野は、ベッドに寝かせても起きなかった。
「暫くこのままにしておくよ。丈太郎は授業に行きなさい」
「……はい。先生、ありがとうございました」
 俺はお辞儀をして、教室に戻った。階段を駆け登りながら、キリキリ痛む胸を服の上から掴んだ。
 桜庭先生は、大人だ。克にいより、もっと大人だ。
 だから、当然なんだけど……。俺が、天野をあんな風に運んでやりたかった。
 
 4時間目が始まる時、天野が戻ってきた。
「ごめんね、もう大丈夫」
 なんて笑って見せるその顔は、朝の取り乱し方がウソみたいに、元気だった。
 でも、泣き腫らした目は、まだ真っ赤だ。
「無理するなよ…。どうしたんだ……何があったんだ?」
 大丈夫って、一言で片付けられる状態じゃ、なかったろうが。天野を覗き込むと、しばらく迷ったあと、小さく呟いた。
「……克にぃが、帰ってこないの」
「──!」
 呟いた後、また泣きそうに顔を歪ませている。
 ……………帰ってこない? あの克にいが?
 俺には、信じられなかった。“あの”克にいが、天野に何も言わず、帰って来ないなんて…。
 横柄な顔が浮かんでくる。
「…………っ!」
 忌々しいその顔を、舌打ちして掻き消した。
 
 放課後、すっ飛んでいく天野について校門まで走った。
「………」
 誰もいない。俺はまた天野が取り乱すんじゃないかと、心配だった。
「僕、……待つ」
 そう言って天野はしゃがみ込んだ。膝の上で腕を組み、その間に顔を半分埋めている。
 俺に追いつきそうなくらい、身長は伸びたけど、そんな風にしてると、出会った頃の幼い天野を思い出す。
 同学年とは思えないほど、小さくてあどけなかった。あの頃の天野は、克にい以外の一切に興味を持たなかった。
 ……やっと少しは、俺を見るようになったと思ってたんだけどな。
 足元の小さな頭を見下ろして、溜息を付いた。
 
 いつまで待っても、克にいは来ない。昨日と同じだった。
 ……もしかして、家に帰ってんじゃねえか? 
 そう思って、天野に言ってみた。
 その時の、俺を見上げた天野の顔と言ったら……ぱあっと頬を紅く染めて、目がキラキラと潤みだした。
 口元も綻んで、
「うん、うん、そうだね!」
 と、しきりに頷く。
「ありがとう、霧島君!!」
 と言ったその勢いで、立ち上がって走り出した。
 ───え!?
「おいっ! 天野!」
 ………俺の呼ぶ声なんか、聞こえやしない…。振り向きもせず、天野は走って行ってしまった。
「…………」
 俺は突っ立ったまま、苦笑いするしかなかった。
 
 ──それにしても……克にいのことは、気になった。
 
 次の日は、早朝、天野の家まで行ってみた。
「部屋で……まだ寝てるの」
 顔を出した天野の母親が、申し訳けなさそうに俺に言った。天野にそっくりな、美人のお母さんだ。
「……上がっても、いいですか?」
「ええ、……あの子を…よろしくね」
「………ハイ」
 克にいのことを聞こうかと、一瞬思ったけど、今は天野だ。急いで、2階に上がってすぐだと教えてくれた部屋に、走った。
「天野? 入るよ」
 その部屋は、デカいベッドと勉強机が二つ、いかにも克にいと二人きりって部屋だった。
 天野はそのベッドに入ったまま丸まって、動かないでいた。
 起きてるのか…? 目がうつろで、昨日の朝みたいにまた、俺がわからないのかと怖くなった。
「おい起きろ……着替えろよ、天野!」
 布団に手を突っ込んで、夢中で引きずり出した。
「………やっ、離して」
 反応して、声を出したことにホッとした。
 天野を一人にしちゃ、いけない。……学校に連れて行かなくっちゃ!
「とにかく、着替えろって!」
 手を引っ張っても、ちっとも動かない。
 まったく、こいつは……
「天野!」
 顔を覗き込んでみた。俺なんか、まるっきり映らないのかよ?
「俺を見ろよ! 頼むから着替えてくれよ」
 もう一度、無理やり手首を引っ張った。
 天野の目から、涙が幾筋も伝った。俯いたまま、ただ黙って首を横に振っている。
 
「……ない……はず…いのに……」
 小さな呟きが聞こえた。
「……天野?」
「いないはず……ないのに……なんで?」
 譫言のように、繰り返し始めた。俺の胸がぎゅっと痛くなった。
 ……一晩中……天野は、一晩中こうやって泣いていたのか?
 俺は天野の細い肩を掴むと、激しく揺さぶった。
「天野、しっかりしろ! 克にいは、いるから! ……大丈夫だから!」
 言いたくないけど、その名前を出すしかなかった。
「居なくなるはず、ないだろ!? こんな天野を残して!」
 克にいの馬鹿野郎! 馬鹿野郎! こんな天野を残して! どこ行ってんだよ!?
 見ていられない……こんな天野なんて。
「……ぼくを……のこして……」
「そうだよ、帰ってくるって!」
 気休めでも、今はそう言った方がいいと思った。それにしがみついてでも、正気な方がマシだろ!
「……いつ? いつ? ……いつ帰ってくる?」
 俺の言葉に縋り付くように、天野が迫ってきた。
「───っ」
 どう答えたらいいか、迷った。
「ねえ、いつ? ……教えてよ、なんでなの」
「…………」
「僕、わからないんだ! なんで何も言ってくれないの!」
「天野……」
「みんな奪うばっかりで、なんの説明もないんだ!!」
 ……悲痛な叫び声。俺の胸もまた、痛くなった。
「もうやだ! こんな世界、いらない……っ!」
 俺の腕にしがみついて、喉を詰まらせながら、泣き続けた。
 俺も、たぶん泣きたかった。
 ……お前の否定する世界に……俺はいるんだぞ。本当に克にいしか、いらないんだ。天野は。
 俺の腕にしがみついて肩を震わせ続ける天野を、抱きしめてやりたかった。
 ───でも、その役目は克にいでなきゃ、駄目なんだよな。
 キリキリと胸が痛む。
 
「………?」
 天野の嗚咽を聞いていて、何か違和感を感じた。
「……天野?」
 泣き声がおかしい。───っていうか、声になってない……?
 ひゅうひゅうと、変な音だけが聞こえる。嫌な予感がした。
「天野、喋ってみろ。俺を、呼んでみろ!」
 顔を上げた天野も、不安げに眉を寄せて目を丸くしている。
「…………」
 口だけ、ぱくぱくさせた。
「……嘘だろ……」
 俺は、呆然としてしまった。困惑した天野の顔から、これが冗談なんかじゃないことは、分かる。
 天野の腕を振り解いて、また細い肩を掴んで、俺に向かわせた。
「おい、声出せ! なんでもいいから、克にぃでもいいから呼べよ!」
 一番呼びたい名前……それなら、呼べるだろ!?
 でも天野は、悲しげに顔を横に振った。
「────っ!」
 マジかよ!
 こんだけ泣いてるだけでも充分なのに、……なんでこれ以上大変な事が起きる? 
悔しくて、唇を噛んだ。天野が俺を見上げて、涙をまた零した。
「───天野っ!!」
 俺は堪らなくなって、天野を抱きしめた。
 俺じゃ駄目か…克にいの変わりなんかに、ならないのか……。
 でも、それでもいいから、支えてやりたかった。こんなに脆く崩れやすい天野の心。
 俺を見なくたっていい、この世界に居続けてくれよ……!
 
 俺は必死になって、学校に行くことを説得した。
 こんな部屋に一人でいたら、誰だってよくないに決まってる。天野の顔を覗き込み、俺が映るように、俺の声が届くように、何度も呼びかけた。
「学校に行けば、気が紛れるから……なっ?」
 やっと天野が、小さく頷いた。俺はホッとして笑顔を零した。
 それを見た天野は、また泣き出した。
 ……なんだ? 何で泣くんだよ? …なんで……俺を見上げて、泣くんだ?
 悲痛な…声にならない悲しい目で、涙を零す。俺はその震えてる肩を、ずっと抱きしめていた。
 


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