chapter6. alternate guardian -守護る者-
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 4
 
「…………」
 うっすら、目を開けた様だった。
 俺はその目を覗き込む。
 ベッドの横で膝を付いて、ずっと動かない天野を見つめていた。
 勝手に家に上がり込んで、天野を背負って運び、ベッドに寝かせていた。
「…………」
 意識は……あるのだろうか。
 半分開いた瞼の奧で、瞳を左右に動かしている。
 だんだん焦点が合ってきた…茶色い澄んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見た。
 ………天野。
 声が掠れて、呼べなかった。
 その、大きな目がゆっくり細められる。口元も、左右にひき上がっていく。
 ……華やかな笑顔が生み出された。
 
「───克にぃ、おはよー」
 
 
 
 
 
 
 俺は天野の部屋の外で、ドアに寄りかかって蹲っていた。
 膝を抱えて、額をそこに付ける………途方に暮れていた。
 ───天野は、錯乱している───
 俺を克にいと間違えていて……克にいが帰って来ないことすら、忘れている。
 今の天野に、辛い現実はどこにも存在しない。今までのは夢で、やっと起きたかのような、そんな目つきだった。
 
 俺は自分の唇を、指で触った。
 天野の感触……。
 
「克にぃ……」
 目を覚ました天野は、微笑みながら、俺に両腕を差し出してきた。
 上に屈み込んでいた俺の首に腕を巻き付けると、ほっぺたをくっつけた。
 ……うわ……
 密着する、頬と頬。温かくて柔らかい。ふわふわな髪の毛も、顔にくすぐったい。
「……………」
 俺は身動ぎもせず、声一つ出せない。
「ん…克にぃ……いつもの……」
 そう言うと、天野は頬をずらして、唇を合わせてきた。
「─────!」
 天野の舌が、俺の中に入ってきた。
「……ん」
 俺は思わず、その舌を自分の舌で絡め取った。優しく吸い上げる。
「んん~」
 目を細めて、可愛い声を出す。
 喜んでいるのか?
「ん、……」
 でも、天野の舌は絶妙に動いて、誘導しているはずの俺の舌で、遊びだした。
 ───天野……なんてキス、するんだ…!
 身体の芯が熱くなってくる。
 克にいと、毎朝こんな……?
 そう思い至ったとたん、いたたまれなくなった。さりげなく、唇を剥がした。
「……克にぃ…?」
「……まだ、夜だよ。もっと眠ろう」
「……うん」
 絡みつく腕も解いて、布団に収めてやる。
 瞑った目が開かないように、髪の毛をそっと梳く。前髪に指を櫛のように入れて、後ろに流してやる。
 天野は気持ちよさそうに、また眠りに落ちていった。
 
 
 
 暫くそうしていた。
 それから、俺は部屋を逃げ出して、外の廊下にドアを背にして座り込んだ。
「……………」 
 今度は怖くなってしまったんだ。天野の目に映ることが。
 だって……真っ直ぐ俺を見て、嬉しそうに言った。
『克にぃ……』
 
 あんな目で、……あんな声で。あいつは克にいに、甘えるんだ。
 毎朝、あんなことしてたんだ。
 
 どんどん見えてくる、二人の生活。
 見せ付けられる。どれだけ、くっついていたか。
 
 
 俺が知ってる学校での、天野なんて……ほんの一部だった。
 
 それに打ちのめされていた。
 ───克にいの、あの自信。今なら、わかる気がする。
 天野が選んでいるのだから。この態度の差で、それは歴然としていた。
 
 
 胸が苦しくて痛い。
 どこまで行ったって、克にいに追いつけやしない。……天野は、俺を見ない。
 蹲ったまま、動けなかった。
 
 ごとん。
 室内で、何かが落ちるような音がした。
「……天野!?」
 慌てて立って、中に入る。布団を身体に巻き付けた天野が、ベッドの脇に倒れていた。
「だ……大丈夫か!?」
「───こないで!」
 助け起こそうとした俺に、天野が鋭く言った。驚いて天野の顔を見つめる。
 
「……きりしまくん」
 俺を見返して、天野は小さくそう言った。
 
 ……俺がわかるのか…。
「天野……」
「……ごめんね、今は…ちょっと……触れないで」
 顔を横に振る。
 目から大粒の涙が零れた。身体に巻き付けた布団の端を、震える手が掴んでいる。
 ───全部、思い出して……
 自分がどうなったか、思い出してしまったのか。
「天野!」
「──っ!!」
 全身を硬直させて、天野の身体は凍り付いた。俺はそれでも構わず、抱きしめる腕に力を込めた。肝心な時にまた、側に居てやらなかった!
 
 一人で泣かせやしない。
 天野の痛み、俺もわかりたい、俺が癒したいんだ……。
 
 天野は、俺の腕の中でそれ以上暴れることはなかった。抱きしめられたまま、身体を震わせてずっと涙だけ流していた。
 
 俺たちは、天野の声が戻ったことを確認しあうことさえ、忘れていた。
 天野は泣き疲れたように、また眠ってしまった。身体をベッドに抱え上げなおすと、布団を首まできちんと掛けた。
 ───天野を一人にしたくないな……。
 寝顔を見ながら、そう思う。
 出来ることなら、ここに泊まり込むとか、天野を俺の家に連れて行くとか、したかった。
 一人で目覚めさせて、一人で泣かせたくなかった。
 
 階下に降りると、いつの間にか帰っていた天野の母さんがキッチンにいた。
 俺は、天野の具合が悪いから、明日学校を休ませるのと、俺が泊まり込んでいいかを聞いてみた。
 天野の母さんは、目を見開いて驚いていたけど、最後はにっこり微笑んでくれた。
「恵にも、貴方みたいなお友達がいたのね……よかった」
 俺はどきどきして、その顔を見ていた。
 天野が口紅を付けたら、こんな顔になるのかな……なんて思ったりもして。
 その晩の天野は、ちょっと起きてはすぐ眠ってを繰り返して、殆ど意識がなかった。 
 
 翌日、学校が終わった俺は急いで校門を出た。自分の荷物を取りに、一回戻んなきゃならない。
 今にも雨が降りそうな空が、気を焦らせる。
 ───降る前に、天野んちに着きたいなあ。
 空を見上げながら、学校横の近道に足を踏み入れた。細くて暗くて見通しが悪いから、通学路に指定されていない。
 物騒だから通っちゃだめだと言われている、裏道だった。
 
「────!!」
 
 
 ───えっ!?
 
 
 
 
 そこには……克にいがいた。
 
 
 
 
 
 
「……………」
 俺は、声も出せずに、立ち尽くした。
 
 克にいは、見たこともない明るい雰囲気の派手目のシャツを着て、そこらへんの軟派なお兄さんみたいだった。
 それに、もの凄い痩せていた。顔がやつれて別人みたいだ。
 
 だから……、一瞬わからなかった。
 
 でも…道ばたの植え込みに蹲って、じっと動かない。……そのシルエットは見覚えが、あった。
 
 
「かつにい!?」
 半月前、交差点で見かけた時の克にいも、こんな風に塀によりかかって動けないでいた。
 
「……霧島」
 顔だけ上げて、俺を見た。
 
「…………」
 
 二人ともそれ以上何も言わない。
 俺が握り拳を振るわせて、凝視していると、克にいが辛そうに口を開いた。
 ただ一言……。
 
「……恵は?」
 
 
「─────っ!!」
 
 俺の頭の中で、何かがぶち切れた。
 拘束するだけしといて、何日もいなくなって、天野がおかしくなっちゃって。
 自分だって、どう見ても普通じゃないくせに!
 
「何してたんだよ! ──こんな大事な時に!」
 
 
 考えるよりさきに、口が動いていた。
 
「そんな心配……俺に訊くぐらいなら、天野の所に、早く戻ったらどうですか!!!」
 
 
 天野、大変な目に遭ってるのに!
 誰のせいだよ!!
 ──帰ってきた!!
 
 あまりに急な克にいの姿に、俺はいろいろがいっせいにごちゃごちゃになった。
 でも何よりも、怒りが込み上げる。
「なんでいきなり、いなくなったりしたんですか!? 天野……どれだけ……ッ」
 
 興奮しすぎて、喉が詰まった。
 咳き込みながら克にいを見て、ますます言葉がつまった。
 
 
「────────」
 
 
 怒り。
 眉を吊り上げて、睨みつけてくる。
「………うるせぇ」
 舌打ちと一緒に聞こえたそれは、ぞっとするほど低い、歯の隙間からすり潰すみたいな声だった。
 
 
 
 ────うるせえって……、そんな言い方!
 やっぱ、いつもの横柄な克にいだ!
「せ、説明くらい……、なんかあるだろ!?」
 迫力にちょっと負けそうになったけど、俺だって負けない。怒りにまかせて、声を出した。
 
 でもそれっきり。
「……………」
 苦しそうに息をして、睨み見上げてはくるけれど、何も言わない。 
 一瞬恐かった眼光も、直ぐに消えてしまった。言い返しも、説明もしてくれないで、ただ俺を見る。 
 服が違うし、やつれてるし……やっぱ、克にいじゃなくも見える。
 
「…………」
 いつもの克にいと、そうじゃない克にい。その理由なんか、わかるわけもなく… 
 ……なんで、黙ってんだよ?
 ───ガキ扱いかよ! それとも、俺なんかどうせ関係ないから?
 なんか悔しくて、ますます怒りが強くなった。
 説明を欲しがってた天野。
 心も身体も傷ついた天野。
 ずっと泣き続けて……
 俺だって、天野の涙を止めてやりたかったのに…
 それができるのは、どう頑張ったって、克にいだけなのに……
 ……なのに……
 悔しさが爆発した。
 
 
 
 
 
「……貴方はもうムリだ!」
 
 
 
 
 また叫んだ俺に、克にいが、ハッとした眼をした。
 ……“克にぃ”のくせに……天野をあんなふうにしたくせに!
 握り拳を作って、声も震えて、言葉が止まらない。
「貴方には、貴方の世界がある! もう……天野だけの兄ちゃんじゃ、なくなってるんだ!」
 …そうだ、そう言って泣いたんだ、あいつ。────予兆は、あったんだ。
「面倒みきれないのに、天野から何もかも奪うのはよせよ!!」
 
「……………」
 
 克にいの顔が歪んだ。
 また奥歯を、噛み締めている。
 
 俺はさらに強く、拳を握りしめる。
 克にい───俺でさえ……ちょっと懐かしい。
 その顔を見て、心のどこかで何かが安心している。
 でも……天野が見たら?
 安心させて、泣かせて、そしてまた、いなくなるのか?
 
 だって、そうだろ?
 そうでなきゃ、なんでこんなとこ、いるんだよ。
 まっすぐ帰って、ずっと一緒に居てやればいいじゃないか!
 
 安心させて、またいなくなる……
 
 そう思うだけで、狂いそうに全身が熱くなった。
 ……泣き続ける天野……今度こそ、おかしくなっちまう!
 
 
 俺は克にいを目一杯、睨み付けた。
「奪ってばかりでなく──必要なものもあるんだ! 俺がそれになる…貴方の代わりに、天野を守る!」
 
 
「───────」
 
 
 雨がとうとう降ってきた。
 大粒の雨で、どんどん二人ともびしょ濡れになっていく。アスファルトは、あっという間に真っ黒になった。
 
 俺は、一歩にじり寄った。
 克にいの、普段は見上げているはずの顔を、見下ろす。
 真剣な視線が絡み合った。
「天野を……天野を俺にください。俺は絶対傷付けない。裏切ったり、置いてけぼりにしたりしない!!」
 頬を濡らすのは、もはや雨なのか涙なのかわからない。
 でも、俺の心は泣いていた。
 天野抜きで、こんな事言ったって、………きっと天野は…。
 ぐっと、奥歯を噛み締めた。
 それでも……克にいがフラフラ出てきたら、そんなのもっと駄目なことぐらいわかる。
 またこんなふうにいなくなるくらいなら、もう、───会わない方が、いいんだ!!
 
 
 克にいは、黙ってずっと俺の叫びを聞いていた。
 横柄で、散々俺のことをガキ扱いしていた、克にい。
 雨でずぶぬれになっている、その顔が……。
 
 真剣な眼差しが、俺を射抜いた。
 
 
 
「───今は……頼む」
 


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