chapter9. Antinomie  -二律背反-
1. 2. 3. 4.
 
 2
 
「克晴……よかったでしょ?」
 何度イかせたか、僕でさえ分からない……。
 
 
 僕は相変わらず欲望の求めるままに、寝続ける身体を抱いていた。
 腕の中で、小刻みに震える克晴に、そう問い掛ける。
 額や首筋に、汗が伝っている。たった今、イッたばかりで、僕にも余韻が伝わってくる。入りっぱなしの僕のペニスを、ぎゅうっと締め付けて……
 
 体力を失った、細い身体。
 車の中で、6年ぶりに見た時のあの、生き生きとした力強さ、瑞々しさが、今は見る影もない。
 痛々しい、その細い顔を見つめる。
 
 ……愛しい…… 
「……かつはる……ねえ?」
 気持ち良かったって、笑顔を見せてよ。せめて僕を見て、頷いて欲しいのに。
「…………………」
 閉じた瞼。荒い呼吸しか吐かない、紅い唇。張り付く髪の毛……熱い身体。
 
 この横顔は、僕を見ない。僕に笑わない。
 この腕は、僕を求めない。僕を……必要としない。
「─────」
 胸のどっかが、引き絞られるみたいに、キリキリと痛み出す。
 
「克晴……僕、克晴の笑顔、見たことあるよ」
 腕の中になおも抱き締めながら、耳に囁いた。
「………サイコーにいい、笑顔だった」
「─────」
 聞いているとは思うけど、ピクリともしない。
「……あの笑顔、見たいなぁ」
「…………ん…ッ」
 切なくて、耳たぶにかじりついちゃった。首を竦める仕草が、可愛い。
 
 日本に戻ってきてすぐの時、克晴を見に、天野家の近くまで行った。
 あの時見掛けた、克晴の笑顔。笑い声。
 優しい目線………
 恵君には──あの子には、あんな顔見せてたのにさ。
 ………あの声で、笑って!
 ……あの輝く笑顔を見せてよ!
 その思いが、僕の胸を締め付ける。──それだけで、僕の魂は休まるのに。きっと、酷いことしなくて、済むのに。
 あの笑顔を思い出すと、どうしようもなく胸が妬ける。
 6年間、僕は克晴を想い続けてきた。
 向こうでは、辛くて辛くて……何度も、挫けたけど、克晴だけを想って、耐えてきた。
 その痛みとは、全然違う。
 ───コレは、嫉妬だ。……こっちの方が、イタかった。
 
 僕はやっぱり、思う。
 心を開いてくれない限り、この想いは平行線だと。
 満たされない僕の欲望は、この行為を、繰り返してしまう──
 
 
 ───僕は……まだ、気づくことが出来なかった。
 哀しみの人形の、心を動かすための、キーワードを。時々ちらりと寄越す、視線の意味を───
 
 
 そしていつまでも、縛り続ける。
「かつはる……」
 何度でも、腕の中の愛しい身体を、抱き締める。こうしている限り、僕のものなんだから。
 心は違っても、想いは他にあっても。今は僕だけに反応させて、僕だけしかその視界に映させない。
「……克晴」
 呼びながら、堪らなくてキスをした。まだ震えてる。まだ、繋がったままだもんね。
 ………その薄目で睨み付けてくるの、大好き。
 
 
 
 
 一週間経っても、克晴の努力は見られなかった。相変わらず、身体を支えられないでいる。
 約束したのに。
 心配してるから、言ってるのに。
 素直じゃない僕は“心配してる”なんて、言えなかったけどさ。
 
 
 お仕置きをしなけりゃ。僕の心は、踊った。
 心配と同時に、「お仕置き」ができるという楽しみで、相反する二つの気持ちが同時進行で動く。
 
 ───健康でいてほしいのに。
 そう、純粋に心配する気持ち。
 
 ───どんな「お仕置き」をしてやろう。
 苦痛に歪める顔を想像して、身体が熱くなる。
 
 ちょっとやそっとじゃ、ダメだ。
 あれだけ酷いコトして、ハイと言わされたのに、守らなかったんだから。
 そうだな。克晴の嫌がる事と、言ったら───
 
 散々その身体を堪能したあと、僕は、ソファーで新聞を広げながら考えていた。
 克晴はシャワーを浴びに行った。やっと立ち上がったけど、一人じゃバスルームまで歩けないってほど、弱ってる。
 あんなんじゃ、ホント、駄目だよ。
 
 
 ………克晴もカッコ付けだ。
 恥ずかしい事を強いられるのを、特に嫌がる。
 制服プレイなんか、そうだった。
 脱がしもしないで、局部だけを弄くって──制服を着ながら、乱されている自分のギャップに…その非現実性に、打ちのめされていた。
 反対に、素っ裸にさせて抵抗を封じたときも、泣きそうな顔をする。………絶対に、泣かないけど。
 
 隠せない自分の身体に、僕の意識が集中しないように、目線で煽るんだ。
 睨み付けて。
 この眼だけを見ていろと、言わんばかりに。
 
 ………可愛いな……
 
 そんな心の動きがすぐに読み取れてしまう、克晴……。
 思わず、クスクスと笑ってしまった。
 
 どうやって羞恥を煽ってあげようか。
 
 結局、衣服を奪うことにした。唯一身体を隠す、パジャマ。あれは、心の防波堤の一つのはずだった。
 
 下着のない克晴は、パジャマを剥ぐとき、すっごい不安そうな顔をする。
 どれだけ脱がしてるか、わからない。なのに、毎回それにしがみついているんだ。身体を晒すことを、頑なに嫌がる。
 
「………決めた」
 僕はソファーを立つと、克晴の部屋に入った。ベッドの足元の方に、さっき脱がしたパジャマがそのまま丸まっていた。
「…………」
 それを拾い上げて、抱きしめてみる。顔に押し当てると、克晴の匂いがした。
 同じ石けん使ってんのに、克晴の匂いなんだよなぁ……
「…………はぁ」
 ……さっき何度も抱いたばかりなのに。腰が疼いちゃった。
  
 今日は、玩具を使った。それも嫌がるから。そんなものに感じてしまう、羞恥心……。
 それを表情に表すとき、めちゃくちゃ愛しくなる。そんな顔をさせているのは、自分なのに、護ってあげたくなる。
 大抵ローターで遊ぶけど、今日はちょっと大きめのバイブを挿れてみた。
 
 
 
『…………ッ!』
 嫌だと全身で拒否する、目を瞠って、呼吸が止まる瞬間。
 
 アレを見たときの克晴の青ざめ様は、思い出しても腰が疼く。
 ごめんねと心で謝りながら、脚を開かせる。ローションをたっぷり塗ってあげて、後ろにそれを、埋め込んでいく。
『ん………ぅあ………』
 剔るたびに、熱くなっていく吐息…額に光る汗。
 嫌だと首を横に振るけれど、勃ちあがっていくペニス。中でそれを締め付けて収縮しているのが、押し込んでいる指に伝わってくる。
『気持ちイイでしょ?』
 僕は訊くけど、相変わらず今日も否定し続けていた。
 声を殺そうと固く引き結んだ唇を、解いてあげたくてそこに自分のを重ねる。その唇は、条件反射のように薄く開いて、僕を受け入れるようになっていた。
 濃厚なキスを与えながら、埋め込んだバイブのスイッチを入れてみた。
 
『………んんっ…!!』
 
 身体が、ビクンと跳ねる。色っぽい声が、苦しそうにキスの合間に漏れる。
『ぁああっ……ゃ……ぅああぁ!』
 バイブの振動に絶えかねて、克晴の声が激しくなる。勃ちあがった先端からも、透明な液体が後から後から零れる。
 
 こんなに乱れても、認めないんだ……克晴は。
 僕はもう、それを強制的に認めさせるのは、ちょっと諦めていた。
 涙を流して、泣きだしたあの時。
 何故いきなり涙を零したのかは、ちっともわからないけど……僕は反省した。
 言葉で言わなくたって、感じてるのなんか、手に取るように分かってるんだから。
 克晴の精神力は、常人より遙かに強い。だから身体の方が、責めに耐えられなかったのかも………
 そんなふうに、思っていた。
 
 バイブで1回、イかせた。
 前を扱くのもあまり待たずに、イッた。
『すごい、克晴。すぐイっちゃったね』
 いつまでも振動を止めないで、体内に入ったままのそれに焦れて、克晴はまた睨み付けてきた。
 ───判ってる。……抜いて欲しいのも、怒った顔してるけどホントは困っているのも。
 僕は嫌がってる顔を見続けたくて、バイブを取り出せないまま、可愛い克晴を抱きしめた。そして、勢いで言いそうになる。
 ───大好き……
 僕もその言葉を呑み込むために、抱きしめる腕に力を入れる。
『………限界。…入れるよ、かつはる』
 その分、いつも身体を欲してしまった。バイブを抜いて、僕の熱くなってる塊を代わりに押し当てた。
『んぁあ、……ぁああッ………!!』
 いやいやをするように、必死に顔を振って、抵抗する。僕を拒否する。もう言葉では言わなくなったけど、聞こえてくる。
 
 ───止めろ、オッサン、俺に触るなッ!!
 
 そしてそれは、小さい頃のそれとは、意味が違った。
 ───何だかわからないけど、イヤなんだ!
 それだけだった。そう言っていたのに……
 今は、もっと明白だ。
 ───俺は、お前がイヤだ! ……オッサンが嫌いだ!!
 そうはっきり言っている。……それが辛い。
 だから、わからせようとしてしまうんだ──その身体に。もう、僕のモノなんだから。受け入れなきゃ、いけないんだって!
 そう思うと、もう止まらない。克晴の中に、熱い僕の想いを打ち込み続ける。
『ぁああ…ぅぁああっ!!』
 最後は絶叫して、意識が飛んでしまうときもある。今日は、なんとか大丈夫だったみたいだけど。
 終わった後、ぐったりしたまま痙攣しているのも、愛おしい。
 僕がそうさせた。僕が、克晴の全てを奪った……そう実感出来る、瞬間だから。
 心で泣いてる克晴を抱きしめながら、僕も泣き続けた。
 
 早く心を開いてよ。
 そしたら、2人で気持ちよくなれるのにさ……。本当は、泣かせたくなんか、ないんだから……!
 明日なら……明後日なら………
 1週間後? ……1ヶ月後?
 
 ───いつになったら、克晴は、ほんとのイイ子になるの………
 
 
 さっきの、終わったあとの克晴の顔を思い出して、切なくなった。
 胸が搾られるみたいに、痛い。
 抱きしめた克晴のパジャマを、涙で濡らしてしまった。僕は、こんなに簡単に泣けるのになぁ……
 
「ああ、シャワーから出てくる。新しいパジャマ、引き上げなきゃ」
 
 脱衣所の定位置に置いておいた、着替え用のパジャマを掴んで、北側の自分の部屋に片づけてしまった。
 こっちまでは、克晴は来れない。廊下に出たところで、センサーが働くから。
 あの逃走未遂の一件以来、すっかり懲りて、試そうともしていないようだった。
 
 
「……着替えは?」
 リビングのソファーに戻って、新聞を読み直していると、克晴が声を掛けてきた。
 
 ───来たな。僕は内心、にやりとした。
 どれだけ取り乱してくれるかな。大声で詰るかな。
 
「ないよ」
 僕はなるべく、つっけんどんに言ってあげた。
 
「……無いって?」
 事態が飲み込めていないようだ。
 それ以上待っても、克晴の言葉は期待できないと思った。
 
「………」
 ───溜息だ。
 新聞を置いて克晴の方を向くと、扉の影から出てこないその顔に、冷たい視線を送った。
 
「克晴……僕の言うこと、聞かないから」
 腹筋するって、約束したのに。
「まさか、忘れてた訳じゃないよね?」
 そんな子じゃないのは、ホントは僕が一番良く知ってる。
 
 ───でも、僕のために……そう言って、約束させたのに、それを破ったんだ。……それはダメだよ、克晴………
 その後も、辛抱強く言葉を待った。何か言ってくれるかと……でも、それっきりだった。
 
「だから、お仕置き。イイ子じゃない克晴は、パジャマもダメ!」
 
 僕の言葉に、言い返すことも出来ず、静かにドアを閉じてしまった。
 ……もっと、声が聞きたいのに。
 文句でも、叫びでも。怒りでいいから、僕にぶつけて……克晴を見せて欲しい。
 
 罵りに耐えきれずに、言葉を封じたのは僕なのに…つい、そんなことを思ってしまう。
 
 罵りは嫌だ。傷つくだけだ。
 でも、怒りや文句は大歓迎だった。だって、克晴の心を見せてくれるって、ことだもん。
 
「────」
 暫く閉じられた扉を、見つめ続けた。
 そこはまるで、開かない克晴の心の要塞……
 克晴を閉じこめているはずなのに。僕がそこから、締め出しをくっている気がした。
 


NEXT /1部/2部/3部/4部/Novel