chapter10. dropping a word  -零れた言葉-
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 ──あ……あれは…
 
「……どうしたの? 天野君」
 
 服を着終えて、仕切カーテンから出た僕は、窓際の端っこにある洗面台で手を洗っていた。
 そして、ふと窓の外を見たまま、動けなくなっていた。
 
 後ろに寄り添うように立っていた先生が、僕の目線を追って、そっちを見る。でももう、その先には誰もいなかった。
「……………」
 引かれたカーテンの隙間から見えた、見慣れたシルエット。
 校門に向かって走っていった、一人の後ろ姿……あれは、霧島君だった。
 
 横顔、後ろ頭、背中……走っていく。
 離れていく……行ってしまう。
 
 僕に気付くこともない。
 
 あの、体育の時間以来、一言も口をきいていない。霧島君は放課後、僕を待たずに帰るようになっていた。
 
 
「………っ」
 胸がズキンと痛くなった。
 
 
 もう振り向いてもらえない。
 失った信用は、取り戻せない。
 まだ、ウソだらけなんだから………
 
 誰も待たなくなった教室が、ガランとしていたのを、思い出した。
 あそこに今日も一人……。きっと、僕だけのランドセルが、ぽつんと残ってる。
 
 
 流しっぱなしだった水道を、後ろから大きな手が伸びて、止めた。その手が、僕を抱え込んで、背後から抱きしめる。
「…………」
 目線を上げると、正面に取りつけてある鏡に、僕と桜庭先生が映っていた。
 妖しく目を光らせて、僕を見下ろしている先生…。覆い被さるように、肩と胸を締め付ける…その両腕は、僕に何重にも巻き付く、鎖の様に見えた。
   
 ───自分を捕らえている、大人。
  
 こんな風に見ると、なんて大きいんだろう。
 僕は小さくて、この手を振り解くなんて、想像も付かないように思えた。
 鏡の中の僕は、頬と唇と目が変に赤くて、……僕じゃないみたいだった。
 
 そして、いつの間にか再び伝う涙が、赤い頬を濡らしていた。霧島君の後ろ姿を見てから、また止まらなくなっていたんだ。
「………あ…」
 顎を引かれて、先生に顔を向かされる。流れ続ける涙を、先生の唇が受け止めた。
「ぼくの天野君は、泣き虫だね……」
 唇が頬を伝って、降りていく。僕の口に辿り着くと、舌先で開けとつつく。
「ん……」 
 僕はそれを受け入れるために、真上を向いて、唇を薄く開けた。
 
 鏡に映った二人の姿は、イヤラしい音だけをたてて、ずっと動かなかった。
 
 
 
 ───ぼくの天野君……。
 
 それも、繰り返す。
 聞きたくない───
 
 
 
 
 
 
 
「他の子から、聞いたんだけど」
 
 次の日、始める前に先生が言い出した。
 ベッドの真ん中で僕を膝に抱えて、後ろからシャツのボタンを外しながら。
 
「丈太郎、先に帰っちゃうんだって?」
「…………」
 
 露わになった胸を指先で弾いたり撫で回したりして、喋り続ける。まるで楽器を弾きながら、優雅に唄ってでもいるように。
 僕は、先生の胸に背中を寄っかからせて、されるがままだった。
 
「すっかりここに来なくなったと、思ってたら。君たちあんなに一緒だったのに」
「……んッ…」
 
 先生のせいなのに……。ムッとして、返事もしたくなかった。
 湧いた怒りも、体の感覚に掻き回される。
 
「…知らないです……」
 もう、霧島君の帰っちゃうトコ、見たくなかった。離れていく距離が、その度に広がっていく。どんどん遠くなっていくようで。
 
 ───緒方君も……
 端正な顔が、思い出された。急に優しい声を掛けてくれた、妙に僕を心配してくれるひと。
 霧島君の力強い目線とは、全然違う。優しく微笑んで、何も訊かない。
『何かあったら、俺に言えよ』、『俺に、頼れよ』
 そう言ってくれる。
 
 ……でも、言えるわけない。
 緒方君も、そのうち呆れて離れていく。
 
「…………」
 
「……どうしたの?」
 無意識に大きな溜息をついていたみたいで、先生が背後から、覗き込んできた。
「先生……ぼく……もうやだ」
 頭で考えるより先に、言葉が出ていた。
 
 
「もう、こんなのヤダ……」
 
 
 聞こえたかなんて、わからない。心から絞り出た声。
 もっと叫んでしまうかと思ってた……言わなきゃって、力んでたときは。
 でも、そんなんじゃなく……つい言ってしまった、独り言のような呟き。
 先生の手を見ていたら、目の前でうごめく白い指を見ていたら、ゾッとしたんだ。
 心の底から、嫌になった。
 また繰り返す。シャツを脱がされ、下着を剥がされ……先生が入ってくる。
 僕はイヤなのに喘がされて…そして泣くばかり。本当のことは何も言えない。今日も、明日も。
 そして本当に、霧島君は、……緒方君も………離れていってしまう。
 ──そう思ったら、つい言葉が漏れていた。
 
 
「……ぼく……悲しい……」
 
 
 
 
「……天野君…」
 
 
 俯いている僕の両肩を掴んで、身体を捻らせた。無理矢理、先生と向かい合わされて見つめ合う。先生の目は見開かれて、唇は震えていた。
 
「何て言った?」
 
 口の端が、極端に上がっていく。目が笑ってないのに、細まっていく。
 
「………ッ」
 僕は怖くなって、それ以上は声が出なくなった。
 
 
「ダメ……だよ。…そんなこと」
「…………」
「天野君は、ぼくのものなんだから……」
 
 ───ちがう……
 
「誰に、嫌だなんて言ってるの?」
「……んッ」
 乱暴に唇を吸われた。
「この口も、身体も、声も視線も……」
 先生の指が、僕の身体を弄りだす。
「ッあ……」
 胸の尖りをつねられた。
 
「ぼくのだ…」
「やだ……せんせ……」
「それにこの身体はもう、ぼく無しではいられないのに?」
 ───! ……ぁああッ…!
 
 後ろに指が這った。教え込まれた感覚が、勝手に身体を熱くしていく。恥ずかしい格好も、恥ずかしい声も、隠させてくれない。
「あ……ぁあ……んんッ…」
 グイグイと指を数本押し込まれ、反対の手で胸も摘み上げる。
「んっ、……ああっ!! ……せんせッ…」
 腰がその度に跳ねて、前の萎えていたのが、勃ち上がってくる。
 
 ──や……やだ……触んなきゃ、それで済むのに…!
 
 背中を反らせて、感覚から逃げた。
 
「や……しなきゃ…先生が、こんなこと……」
 強烈な疼きで、舌が回らない。
 ──ぁあっ……お腹が……!
 指の抜き差しに、感度がついていかない。
 体内の奧で沸き起こる、ズキンズキンという絶頂のような痺れが、手足の先まで這っていく。
「はぁ……せんせ……もう、許して…!」
 
 
「天野君……判らせてあげる」
「……? ………」
「……許されないことがあるって」
 
 ──なに………?
 
「……んぐッ…」
 またタオルで、口を塞がれた。あの時の恐怖が、僕の中に湧き上がってきた。
「んっ……んんーッ…!」
 
 シーツに腹這いに押し付けられて、僕は藻掻いた。
 ……やだ…先生、怖い!
 
「んぁあっ! ……やぁ!」
 
 脚をむりやり開いて、指が挿れなおされた。何度も何度も、出し入れを繰り返される。
「んーッ! ……んんっ!」
 背中に体重を掛けて手を突いてくるので、動けない。
 僕は顔の横でシーツを握り締めて、必死に指の感覚をごまかした。
 それでも、ゾクゾクと疼きが背中を這い上がってくる。腰を振って、指を奥深くに受け入れようとしてしまう。
 
 ──やだ……やぁ…ゆるして!
 
 いつまでも、それは続いた。僕の中で、指は動き回った。
「ここ、いいでしょう?」
 そう言っては、勝手に身体が反応する場所を触る。
「んぁあっ………!」
 お尻を刺激するように、わざと擦って、出し入れする。
「こんな事されて、君の身体はもう、我慢出来ないはずだよ」
 
 やっと指から解放されて、仰向けにされた時は、すっかり前が勃ち上がっていた。
 その先端だけを撫でながら、先生が笑う。
「……んぁっ」
 腰が震える。もっと触ってほしい……しっかり包んで動かして欲しい……
 いつもの動きを、身体が期待していた。
「ほらね…」
「………ッ!」
 
 ───違う! ……先生なんかじゃない!
 ホントは、元々は、克にぃが触ってくれるんだから! 僕の身体は、克にぃを必要としてるのに……
 
 触って欲しいのは、克にぃの手で───抱き締めて欲しいのは、克にぃの腕なんだから……!!
 
 
 
 
 ───でも……今は、先生が支配者だった。
 
「お願いして、天野君。どうしてほしい?」
「………………」
 僕は顔を横に振った。
「……今日はどうしたの? 聞き分けないね」
 不快そうに顔を歪めて、先生は僕の中に入ってきた。ぬぷりと、遠慮なく押し込んでくる。
「ぁ………んんーッ!」
 いつもより奧まで入ってきて止まった。
「……天野君……」
 ゆっくりと呼びながら、僕の頬を撫でる。引きつった表情は、笑ってるようにも泣き顔のようにも見えた。
 
「…………」
 僕は怖くて、ただ見上げ返すしかなかった。
 
 
 
 ───桜庭先生……
 毎日、この行為のたびに僕を好きだという、僕を支配するヒト。
 
 僕は、まだわからない……先生の大人のキスは、克にぃのとは、違う。
 “好き”っていう、その言葉も、違うと思う。
 どう言っていいか、わかんないけど……
 克にぃは、僕が笑うことが嬉しくて、僕はそう言って笑ってくれる克にぃが、嬉しかった。お互いの気持ちが、優しかったと思う。
 でも、先生は絶対違う。僕の気持ちなんか、考えてないから。
 ……なのに……
 時々見せる、この泣きそうな顔に、なんでだか胸が痛くなった。
 
 


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