chapter9. strange world  -異世界-
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「………なんですか…この二人は」
 
 
 咎める口調。
 流暢な日本語は、チェイスより綺麗な発音だった。
 白革のブーツが近付いてきて、俺の顔の前で止まった。
 
「仕事場に、無関係の人間を連れ込むなんて……私情を、挟みすぎですよ」
 最後の方には、冷笑を含んでいる。
「……うるせぇ」
 チェイスの声が、気色ばんだ。
 
 
 
 ────なんだ………誰なんだ……?
 仲間割れとも違う、この空気は………
 
「……えッ…」 
 見上げて、思わず声を上げてしまった。
 
 
 燃えるような、赤………
 
 
 目を瞠るような、赤髪の美人が立っていた。
 ボリュームのある細かいウェーブを、襟足の位置で揃えてある。
 前髪も同じ長さで、真ん中から分けた左側だけ、耳の横から掻き上げていた。
 
 ────驚いた……。
 声からは想像も付かないくらい、華やかな外見。
 立ち姿そのものが艶やかで、一瞬女性と勘違いしてしまった。
「……くッ…」
 晒しっぱなしの下半身を隠したくて、脚を閉じて腰を捩った。それだけでも、内蔵に激痛が走る。
 せめてもと、Tシャツを胸から下げて、長袖シャツの裾でも、腰を覆った。
 
 
 
「こんな勝手なことをして。……メイジャーには何て、説明するんです?」
 
 銀色にも見える、薄いグレーの目。猫のように大きく、吊り上がっている。
 その色は、声と同じ印象で…冷たい光を放っていた。
 
 俺とオッサンの状態なんか、どうでも良いとさえ思っているように……
 一瞥した冷たい目線は、すぐにチェイスに戻った。
 
「うるせぇって言ってるんだ。……オマエには、関係ない!」
 チェイスが忌々しそうに、言い返す。
「ありますよ。こんなの運び入れて……計算外も良いところです」
 軽く腕を組み直したり、髪をかき上げたり……仕草の一つ一つが、目を惹く。
 白いブラウスがヒラヒラと翻って、ぴったりとしたパンツの腰つきが、妖しいくらいに色っぽい。
 
「あなたの身勝手さには、メイジャーもいい加減…うんざりですよ」
「……黙れッ」
 凶暴さで威嚇するチェイスに対して、シレンと呼ばれたその人は、目線だけであしらっている。
「ふ……そんなだから、あなたはボスの器じゃないって……ボクがいつも、言っているんですよ」
「何……!」
「アハハッ…こんなこと言われたくらいで、ムキになって……!」
 からかうように、声を上げて笑い出した。
 
 
 
 
 
 
 
「なんの騒ぎだ、シレン」
 
 
 また鉄のドアが開いて、今度はスーツ姿の大男が入ってきた。
 
「……メイジャー」
 シレンが笑いをぴたりと止めて、男に寄り添った。
 その男に顎を掬われて、当然のようにキスを受けている。
 
 オールバックの黒髪に、上唇を覆い隠す口髭、太い鼻筋。
 スーツを着ていなければ、チェイス同様の野生味を感じさせそうな、豪快な面立ちをしている。
「説明しろ、チェイス」
 ───威圧感のある、ドスの利いた声。
 シレンを右腕に抱き込みながら、一睨みしている。
「………チッ…」
 顔を真っ赤にして掴みかかりそうだった敵意を、チェイスはシレンを睨んだだけで、抑え込んでいた。
 
 
 
「─────」
 凶悪そのものだったチェイスの、この態度……。
 
 何かの組織に入ってるって、オッサンが言っていたけど。
 ───コイツが、ボス…なのか……?
 ここは…そのアジト……?
 
 ───さっきまで俺が受けていた恐怖は、なんだったのか…。
 違和感…というのか、奇妙な憤慨が、腹の底に湧き上がった。
 俺にとって、この野獣が何よりも、恐ろしい敵だったのに。そのチェイスに、こんな格上がいるってことに……。
「……………」
 オッサンにも、それを感じたのを、思い出した。
 “コイツさえいなければ”……そう思い続けていた、越えられない壁。
 最強の敵だと思っていたのに、そいつには、もっと手に負えない強敵がいたんだ。
 ……自分の小ささを、痛感する。
 どれだけ俺は弱いんだ……? そう思い知らされて…悔しい。
 もっともっと、強くなりたいと───
 
 
 
 ………ふゥ…
 そっと深呼吸をした。
 薬もだいぶ抜けて、まともな思考回路が戻ってきた。
 殴られた後遺症のせいか、脳が揺れるような目眩は、まだ治まらない。
 ……身体も痛い。
 情けない格好だとは思う。……でも、下手に動けない。
 俺は下着も穿けずに横たわったまま、3人の会話を聞いていた。
 
 目線だけ動かして、部屋の様子も探った。
 壁や天井も鉄板らしく、灰色の艶光りする面に、つなぎ目のラインが走っている。
 角の方に、発泡スチロールの箱が、いくつも積み上げてあった。
 ……あれが臭っているのか……
 魚の干物を放置しているみたいに、生臭い。
 ───どこかの港の、倉庫か……?
 床に顔を着けていると、地響きのように何かが響いているのを感じる。
 なんだろう……不安を煽るような音だった。
 
 ────あッ……!
 
 ぐるりと這わしていた俺の視線が、メイジャーというボスらしき大男、その後ろに釘付けになった。
 部屋の出入り口は、2人が入ってきた鉄扉一つ。
 ……あのドアが、閉じきっていない。
 
 
「…………………」
 心臓が激しく鼓動を打ち鳴らし始めた。
 
 ───落ち着け、俺……
 
 
 
 
 
「チェイス……こいつらをどうするのかと、訊いている」
 短く、メイジャーが促した。
 シレンとは正反対の、低くて重い声。それだけで、重圧感がある。
 
 
 
 
 ───ドアまでの距離は、そんなにない……。
 チンピラのような男達は、部屋の奥に立つチェイスの背後に取り巻いている。
 オッサンは、その後ろに転がされていた。
 
 
 
 
「……あっちのは」
 渋々…という感じで、チェイスがしゃべり出した。
 オッサンを顎で指して
「そのうち殺す」
 
 
「……………!」
 抑揚のないその一言に、ゾッとした。
 思考を停止して、思わずチェイスを見上げた。
 
「─────」
 俺を見下ろしてきた碧眼と、視線が絡んだ。……その双眸が、妖しく煌めいたように見えた。
 唇を捲れ上がらせて、牙を剥き出す。
 
「こっちの……綺麗な人形は……」
 メイジャーに向かって、ニヤリと嗤った。
 
 
「アンタに献上するために……連れてきた」
 
 
 
 
 ─────え?
 
 俺が、上手く聞き取れなかったのかと、思った。
 起きあがって、膝の前に両手を突いて……
 フラつく身体を支えながら、もう一度チェイスを見た。
 献上って───
 それに、ボスに向かって、“アンタ”って………
 
 驚いて見上げている俺を、メイジャーが見下ろしてきた。
「……こんなガキを、オレに? ……青二才もいいところじゃないか」
 興味なさそうに鼻で笑うと、シレンと同じく一瞥しただけで、チェイスに向き直った。
「許可無く、こんなのを連れ込んだ事は……許し難いぞ」
「…………」
 一睨みで、チェイスはまた息を詰めた。
「そう言わずに、受け取れよ。……こいつ、見た目よりイイから。一回ヤってみりゃ、わかる」
 最後は下卑た嗤いで、俺をちらりと見た。
 赤い舌が、薄い唇を舐め上げている。
 
 
 ───オッサンは殺して、俺はこの男に……
 そうすれば、グラディスに関わる邪魔者は、始末できるんだ……。
 その思惑を悟って、今度こそ心臓がバクバクと音を立て始めた。
『そのうち殺す』
 虫けらでも潰すような……何の感慨も持たないような、あの声。このあとすぐにでも、やりかねない。
 
 
 ダメだ───様子を見ている場合じゃない……
 
 
 恐怖が俺を駆り立てた。瞬時にドアに目がいった。
 
 
 
 逃げろ……この場から、逃げろ……!
 ───あの隙間から、逃げろッ……!!
 
 
 背中を押されるように、立ち上がっていた。
 俺の両眼はもう、ドアの隙間しか見えていない。
 
 ダッと走り出した背中で、驚きの声が上がった。
「───クッ!」
 足下がふらつく。ドアにしがみついて、部屋の外に飛び出した。
 
 ────どっちだ!?
 
 外は薄暗く細い通路が、左右に伸びていた。
 判断なんかつかない、とにかく明るい方へ走った。
 
 ───逃げろ、逃げろ、逃げろッ……!
 ───捕まったら、最後だ……逃げ切って、助けを呼ぶんだ!
 
 
 下着も着けていない。
 靴も履けなかった。
 それでも、逃げ切る方が大事だった。
 
 後ろからは大勢の靴音が、金属音を響かせて追いかけてくる。
 ニゲロ、ニゲロッ……!
 心の中でも、何かに追われているような恐怖が追いかけてくる。それに掴まれそうで、脚が竦む。
 ダメだ、走れ……痛いのも、辛いのも、プライドでさえも、全部後回しなんだ!
 今までの我慢や頑張りは、いつも誰かのためだった。
 ………でも今は違う。ただ、“チェイス”という恐怖に、突き上げられていた。
 広い通路に出て、目に付く階段を駆け上っては、その先に逃げた。
 
 ────出口!!
 
 外の光が差し込む磨りガラスが、嵌め込んである。
 ……日光…外だ………あのドアを出れば……
 外に人がいる確証なんてない。でも、大声で叫んでやる。
「ハァッ…ハァッ…」 
 手すりにしがみつくようにして上りきって、重い鉄扉に体当たりした。
 
 
 
「誰か…誰か────!」
 
 
 
 外に飛び出すのと同時に、俺は叫んだ。
 そう、叫んだつもりだった。
 
 
 
 
 
「────────」
 
 
 もの凄い強風。
 シャツも髪も巻き上げる。俺の声も、吸い取られた。
 
 
 
 青い空と──── 一面の海に………
 
 
 
「……………!?」
 視界に飛び込んできたのは、上も下も青一色。
 360度……見渡す限りの、大海原だった。
 
「…………なん……」
 
 ……目に映る光景が、信じられない。
 港だとばかり、思っていた……この潮臭さは。
 
 
「──────」
 外に出れば、地面があって。
 走れる限り、この足で何処までも逃げていけると……思っていた。
 
 
 ……何度逃げ出したんだ、俺……
 ……どれだけ自由になりたいと、願ったか……
 
 手首切るような大怪我してまで、逃げ出した。センサーなんて知らなくて、走った。
 こんなプレート嵌められて、オッサンの籠の鳥になったって……あのマンションの外には、自由があったはずなんだ。
 
 
 
 呆然と立ち尽くす俺の顔に、タンカーが作り出す波しぶきが当たる。
 潮風が、髪の毛までベタベタにしていく。
 
 
 追いかけて来た男達が、俺の様子を遠巻きに見て……笑い出した。
 逃げ切れると信じて、こんな所に飛び出して。
 ショックを受けてる俺を、ゲラゲラと笑っている。
 
 俺一人、知らなかったんだ。
 この足はもうとっくに、大地を離れ………着地する陸も見えない。
 
 
 
 アメリカなんて、行きたくなかった。そんな未知の国。
 
 ……なのに……
 見知らぬ船に乗せられて、こんな海のど真ん中だ。
「……は…」
 俺も、笑いたかった。あんまり冗談が過ぎるだろ。
「はは……」
 
 地図にも存在しない、閉鎖された浮遊空間。
 自由も逃げ場も、二度と望めない。
 
 
 “未知の国”……なんてもんじゃない。
 
 
 
────よっぽどタチの悪い、異世界だ………
 


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