chapter9. strange world  -異世界-
1. 2. 3. 4.
 
 4
 
「─────」
 
 
 慣れない静けさで、目が覚めた。
 部屋が色彩にあふれ……でも、布団は真っ白だ……
 妙に肌寒くて、肩までそれを引き上げた。
 
 
 ────シン
 
 
 音が、空気に吸い込まれていくようだ……
 そして、この寒さ。
 二つの記憶が蘇った。
 
 
『雪だね』
 
 メグが、ぽつりと言った。
 窓を見ると大きな牡丹雪が、真っ白な空から舞い落ちてきていた。
 俺が悪魔の影に脅えて……
 恵ごと部屋の中に引きこもった、冬の日だ。
「……………」
 恵から笑顔が消えて、俺は黙り込んでしまい…どうしていいか判らなかった。
 霧島が雪の中『天野を解放してください!』って言いに来やがって……
 
 
 
「……克晴…起きたのか?」
 いつものオッサンの腕だと思った。後ろから抱き締められた。
 
 
「───雪が…」
「…………?」
 
 
 
 蘇ったもう一つの、古い記憶。
 雪が降っていた……最後のあの日。
『僕から解放されて、よかったな。じゃな』
 それだけ言って走り去った車は、吹雪ですぐにかき消された。
 俺はあの時も、雪の中……呆然と立ちつくしていた。
 
 
 ────なんでこんな……
 どっちも苦々しい記憶……胸が…苦しくなる。
 
 
 
 
「寒いのか?」
 オッサンよりずっと太くて大きな腕が、俺を背中から包み込んだ。
 …温かい……
 両足も膝で挟まれて、全身が絡むように密着させてくる。
 
 
 
 ──そうだ、ここは……俺の、三つ目の異世界……
 青と白のベッドでなければ、何もかも白一色でもない。
 シンプルだけど、彩のある部屋。
「……………」
 壁には大きなタペストリーが、掛かっている。
 燃えるような紅色…。鮮やかなそれは、この部屋では、特別な存在感があった。
 目の端に入ると、まるでシレンがそこに居るような気がする。
 メイジャーの寝室に、ベッドは一つ。
 上下と左側を壁に囲まれている。
 足側の壁に、鉄製のドア。
 頭側に、サイドテーブルとシェードランプ。あとは向こうの隅に、机と棚しかない。
 ダブルベッドは大きいけれど、ボスの隣は、俺だけだった。
 ……シレンは…どこで寝ているんだろう……
 寂しそうに揺れたグレーの瞳が、何故だか胸を離れない。
 チェイスと対している時の冷たさはとは、まるで別人だった。
 
 
「…………あ」
 ぼんやりしていたら、首筋に優しいキス。
 吐息や素肌の温もりが、体の冷えを教える。
 寝る時に犯られたから、二人とも何も着ていなかった。寒いはずだ。
「肩が冷え切っているな。温めてやるよ」
 大きな掌が、肩や腕、胸と、ゴシゴシ擦り出した。
 ───え……
 撫で回すのかと思った手が、力強く肌を擦って摩擦熱を生み出していく。
 
「……………!」
「どうした?」 
 ぽかぽかしていく肌を感じて、また懐かしい記憶───
 
『寒いときは、こうやって擦ると暖かいんだ!』
 服の上から、恵の体をやたらめったら擦ってあげたことがあった。
 冬の日、校門前で待たせてしまった時だ。
 きゃっきゃと喜びながら、『僕も! 僕も!』と、小さい手を伸ばしてくる。
 でも上手く擦れなくて、べそを掻きだした。
『メグを擦ってると、兄ちゃんまで暖かくなるよ!』
 しゃがんで膝の間で抱き締めて、熱い息を首筋にかけてあげる。
『ひゃ~! あったか!!』
 くすぐったがるメグの息も、俺の頬に暖かかった。
 
 
「……………」
 さっきよりもっと、胸が痛い。
 ………こんなこと、まだ思い出すんだ。
 
 メイジャーの俺への扱いは、とことん優しくて……挿入以外は、ぬるま湯に浸かっているようだった。
 セックスだけじゃないスキンシップで、俺に触れる。
 甲板に出れば、冷たい風から庇うように懐に包む。
 その腕の中で……俺は、冬の霞んだ空を見つめながら、どうしていいか解らなくなった。
 
「また、その目だ」
「……え」
 グイッと体を回転させられて、仰向けになった俺の胸に、メイジャーが跨ってきた。
「オマエはまだ、オレを見ない」
 黒髪を掻き上げて、乱れたオールバックを直しながら、顔を近づけてくる。
「……いや、何も見ていないのか…自分さえも」
「……………」
「そのうち、心を開くと…開かせてみせると思っていたが、なかなか頑固だ」
 呆れたように笑うと、顔を離した。
「オマエのその顔を見ると、欲情する」
「──────!」
 腰を突き出して、反り返っている怒張の先を、当然のように俺の口に突き立ててきた。
「昨日は激しかったからな。今朝は口でいい、咥えろ」
 
 …………………!!
 
 オッサンのを無理矢理、口に……あの時の記憶が、全身に鳥肌を立たせた。
「嫌だッ!」
 考えるよりも身体が先に、拒否していた。
 迫ってくる腰を両手で押し離して、跨られた膝の間から這い出そうとした。
 
「ダメだ。フェラで許してやるんだ、しっかりやれ」
 腕を掴まれて、またベッドの中心に引き戻された。
「………ッ!」
 膝立ちで跨って、座らせた俺の頬に打ち付けてくる。両肩をガッチリ押さえ込まれて、距離を離すこともできない。
「オマエのテクを、見せてみろ。どんな風に仕込まれているんだ?」
 言いながら、赤黒く光っているそれを唇に押しつけてきた。
「んん───ッ!」
 咽せる臭い。口を無理やり、こじ開けられた。オッサンの比じゃない質量が、口の中に入ってくる。
 後ろに挿れられる時の圧迫感と、同じ恐怖───
 口を犯されている……そんな屈辱感も、込み上げる。
 ───こんなこと!
 結局メイジャーも、同じだと思い知った。
 心が絆されそうで、不安だった。でも、普段乱暴じゃないってだけだったんだ。……欲望を、自分勝手に押しつけてくる!
「んんっ……んっ!」
 何をどうしていいかもわからず、藻掻いた。
「ちゃんと舌を絡めろ。唇でしごけ」
 頭を押さえつけて、前後に腰を振ってくる。喉の奥まで突き立てられて、えづいた。
「グ……ッ」
 吐きそうになった俺の様子に、メイジャーが気付いて腰を引いた。
「…………克晴?」
「ゲ…ゴホッ……」
 
 ───殴られる……!
 咽せながら、そう、覚悟した。
 
 でもメイジャーは、驚いた顔で俺を覗き込んできた。
「オマエ………こっちは、仕込まれなかったのか?」
「──────」
 口を腕で拭いながら、その目を睨み付けた。
「……だったら、何だよ?」
「マサヨシは、強要しなかったんだな。……克晴がよほど、大事だったらしい」
「………?」
 意味がわからず見上げた俺の頬を両側から、大きな両掌が挟んだ。
 苦しくて滲んだ目尻を、ゴツイ親指が擦る。
「強引なフェラは、苦痛しか与えない。……マサヨシがオマエを、どう扱っていたのかが判った」
 
 ───大事に…? ……よく言う。
 
「それっぽっち、大切にされたって……!」
 手を振り払って、メイジャーの下から抜け出した。
「嫌なこと無理やりってのは、何だって同じだ! ……メイジャー…アンタも」
 教会の時みたいに、壁を背にベッドの端に追いつめられた。
 迫力がオッサンとは、何もかも違う。こんなに抵抗したら、今度こそ殴られる…そう思いながらも、口が止まらない。
「快感が伴えば、俺が喜ぶって? ……ふざけんな……」
 噴きだした怒りは、哀しみなのか。
「俺は結局、モノ扱いだ……こんな所にいる限り!」
 叫びながら、左手の下に、何かがあることに気付いた。
 
 …………?
 ベッドと壁の隙間。
 ベッドマットの下に、何かある……
 ───え…これは……
 
「─────!」
 俺はそれを掴みだして、メイジャーに突きつけた。
 考える間もなく、身体が動いていた。両手の中に収まっているそれは。
 真っ黒い鉄の塊───冷たくて、重い。
 
 
「メイジャー!」
 ドアが開いて、赤い炎が飛び込んできた。
「シレン、大丈夫だ」
 駆け寄る細い身体を、背中に庇うように腕を伸ばして。
 低い声で制しながら、メイジャーは俺を見つめた。
 
 
「─────」
 自分に向けられている銃口。
 狙いを定めている、俺。
 俺の指がちょっと動けば、命はない。
 緊迫した空気────
 それなのに……
 そんなの、ものともしない眼で、睨み付けもしてこない。
 深いブラウンの双眸は、ただ俺の様子を見ていた。
 
 
「克晴。オレを撃って、何になる」
「……………」
「オマエが自由になるワケじゃない」
 
「…………………」
 わかってる…そんなの。自分でも、何でこんな事をしているのか判らない。
「……アイツ…雅義は…? 生きているのか?」
 
「生きてはいる。チェイスも飽きたのか、倉庫で放置だ」
「…………」
「気になるのか?」
「─────」
 俺は首だけ、微かに横に振った。
 何でそんなこと聞いたかも、判らない。
「克晴」
 伸びてきた手が、銃を掴んだ。
「─────」
 簡単に取り上げられて、俺の一瞬の抵抗が終わった。
 
 メイジャーを撃ちたいんじゃない───“自分”を確保したかったんだ。
 手の中のモノが、俺を自由にするかもしれない……
 そんな可能性が、たった数分だけ…俺を俺のモノに、してくれていた。
 
「“こんな所”などと言うな。オレの国だ」
 引き寄せられて、腕の中にくるまれた。
「オマエは賢い。……オレを撃てはしない」
「……………」
 肌と肌が、熱を伝えあう。
 あぐらを掻いた膝の上で、背後から抱き締められて。
 興奮していた感情が、メイジャーの呼吸に合わせるように、落ち着いていった。
「それに、撃鉄も起こさずに、トリガーは引けない」
 笑いながら、目の前で右手に握って見せた。
 さっきは夢中でわからなかったけど、回転式弾倉で弾が何発も込められている。
 いわゆる、リボルバーというやつだった。
 ……オッサンのは、もっと小さかったな。
「これはシングルアクション。毎回ここを上げるんだ」
 親指でガチャリと撃鉄を起こす。
「構えはこう」
 俺の目の高さに銃を持ってきて、目の前の壁に狙いをつけた。
「右腕は、真っ直ぐ伸ばせ」
 右手に握り込んだ銃尻を左手が下から包むように補佐する。
「発砲の反動で、弾道がずれる。こうやってホールドしろ」
 顔の両側を太い腕に挟まれた。その先で鉄の塊は、とても安定して見えた。
「……………」
 
 なんでこんなこと、教えるんだ?
 見上げた視線に、メイジャーは笑顔を作った。
「あまりに、下手な構えだったからな」
「…………」
 赤面した俺に、また笑った。
「これでオレを殺せる。いつでもいいぞ」
「………メイジャー」
「この船に、武器……拳銃は、これ一丁しかない。乗船者は必ず厳重なボディチェックを受ける」
 金属音を響かせて、撃鉄を元に戻した。
 
「これが王様の証だ。オレが、この国の王だ」
 
 その王様を殺れるものなら、やってみろ。
 胸を揺すって笑いながら、そう豪語して。ベッドマットの下に銃を戻した。
 ……その一部始終を、シレンは黙って見ていた。
 走り寄ってきたその場で、いつものような腕組みもせず、立ちつくして。
 
 
 
 “オマエは賢い”……だからそんなこと、出来ない。
 その言葉が、重圧のある声と共に、胸にズシンと落ちてきた。
 解ってる。
 そんなこと、本当に……。
 俺は、色々な意味で、“人質”なんだってこと。
 ……外の現実世界の、恵。
 オッサンを殺そうとしている、チェイス。
 全てのキーであるチェイスを御す、王様…メイジャー。
 こんな異世界に連れ込まれて、その国の王に貢がれた。
 ……これ以上の最悪が起こらないように、バランスを保つには、俺は……
 
 ───ここはもう、“異世界”なんかじゃない。
 
 
 
 
「克晴」
「………ん」
 沈んで黙り込んだ俺を、抱き直す。
 優しいキスで、舌が入ってきた。
「ん……ちょ…」
 シレンが横にいるのに。
 それを気にする様子もなく、メイジャーはキスを続けた。
 ゆっくりと寝かせられて、胸を撫でられた。
「…………ッ」
 震える身体を、更に愛撫で押さえ込む。
「マサヨシの命を助け、チェイスからオマエを守る。それができるのは、オレだけだ」
「…………」
 添い寝から身体を起こして、覆い被さるように真上に来た。
「克晴、オレを見ろ」
 真っ直ぐに視線を下ろしてくる。
 顔の両側に手を突いて、腰の上に跨って。
 ………押さえられている訳じゃないのに、動けない。
 影になって濃いブラウンに変わった双眸を、俺も見返した。
 
 
「オレを愛していると、言え」
 
 
「─────」
 
 
「オマエのシガラミを、全部断ち切ってやる」
 
 
 
 ここは異世界じゃなく…ホームなんだって……
 ここが俺の現実…………
 
 
 
 
 
「辛いことも、苦しいのも、全部終わりだ」
 
「ただ一言。“オレを愛している”と、言えばいい」
 


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