chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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 2
 
 「Good! それでいい!」
 俺の右ストレートを軽くいなすと、カルヴィンは続けて叫んだ。
 
「もっと攻めろ! 逃げは防御じゃねえぞ!」
「……ハァッ…」
「助かりたかったら、攻めろ!」
 
「わかるな? 倒してこそ、防御成功なんだ。逃げてちゃ、いつか必ず捕まるぞ」
 言いながら容赦なく、次のを打って来くる。ビュッと拳が風を切る音で、パンチ力の凄さが判る。
「もっと腰を入れて、体重を乗せたのを打て! オラ、逃げるなよ!」
 じりじりと巨体が迫る。
 下がり続けながら、俺は数発しか返すことしかできない。甲板の真ん中で、小さな円を描くように回り続けた。
「オラオラ、やる気がねぇなら、教えねえぞ!」
 この口調と、顔つき……いつものカルヴィンじゃなかった。チンピラを纏めるボスみたいに、粗野で荒々しい。
「逃げてんじゃねぇッ! 負けた後、後悔する気か?」
「……ッ!」
「強くなりてぇんだろ? 口先だけだったのかよ!」
 寸止めだったパンチを、軽く当ててきた。
 肩や腹に、パンッと軽い衝撃なのに、ズシリと骨まで響くようだ。
「─── クソッ!」
 その痛みと言葉に煽られて、悔しさだけに支配された。
 当たるのを覚悟で、踏み出した。
「Good! Come! come come come…!」
 懐に飛び込んだ俺に打ち込みながらも、上手く誘導する。
「踏み込む足に重心を掛けろ。腰から回して肩ごと前に出せ」
 右、左とステップを踏みながら、打ち込む俺の柔パンチに指示を出す。
 時々鋭い拳が飛んでくる時は、つい下がってしまった。
 
「Hey,boy! Nice Fight!」
「逃げてんなよッ」
 
 いつの間にか他の船員達が、見に来ていたらしい。くわえ煙草で、面白そうに眺めながら野次を飛ばしている。
 
「克晴、後は難しいことは考えるな」
 ギャラリーなど、構っている場合じゃなかった。
 カルヴィンの猛攻は、どんどん激しさを増す。顎肩、すぐさま腹、右も左も避けれない。
「オラ下がるなよ、気迫で来い!」
 がむしゃらに腕を振っていた。でもつい避けようとしてしまうのを、見抜かれる。
「攻めて攻めて攻めまくって、オレを倒すことだけを考えろ! もっと打てよ、もっと踏み込め! 手を休めるんじゃねえッ」
「─── クッ…!」
 凄まじいエネルギーを、浴びせられる様だった。拳の重さが増してくる。俺が打ち止めると、あからさまに連打されて、息ができない……痛いッ!
 やり返さないと、そのうち殴り倒される──その恐怖を教えてくる。
 
 痛みと苛立ちと息苦しさ、それを振り切れるのは、自分が拳を出した時だけだ。
 もう野次も耳に入らない。ただ夢中で、目の前の懐に入り込んでいった。
 そして何発めかの応酬の最中……
 
 
「────克晴ッ!」
 シレンの叫びと、カルヴィンの拳が俺の腹に当たるのが、ほぼ同時だった。
 
 指笛の甲高い音。
 手を打ち鳴らしながら、野次が飛ぶ。
 
「……グッ」
 そんなに入りはしなかった。それでも当たった衝撃が激しくて、思わず膝をついてしまった。
 汗がぽたぽたと、鉄板にしたたり落ちていく。
 
「何やってるんですか、カルヴィン!!」
 血相を変えて、シレンが飛んできた。
 蹲る俺を細い腕で抱えて、2倍はありそうな巨体を睨み見上げる。 
「……スマン…つい」
 申し訳なさそうに、バンダナを解いて頭を下げてきた。髪を掻き上げながら、しゃがんで覗き込こむ。
「大丈夫か? ……手加減していたつもりが…いいとこ来たもんで、当てちまった」
「…………」 
 みぞおちを押さえて動けない俺は、顔を上げるのがやっとだった。
 胃にダメージを喰らった。……でもこんなの、チェイスに捕まったときの痛みに比べれば……それを思い出して、吐き気を堪えた。
「……平気だ…」
 
「……良かった。克晴に何かあったら、メイジャーに顔向けできない…」
 まだ真っ青のまま、シレンもホッとした溜息を漏らした。
 
 それでも怒りの収まらないシレンが、散々カルヴィンを叱りとばして、今日は中止ということになった。
 夕暮れの気配を浮かべた空も、寒さが増してきている。 
 
「克晴…今の勢いを忘れるな」
「…………」
 やっと立ち上がった俺に、バンダナを巻き直したカルヴィンが、真剣な目で見下ろしてきた。
「攻撃は最大の防御だ。やられる前にやれ……でなけりゃ、負けだ」 
「───ああ…」  
 俺は素直に頷いた。
「OK! その心が判らないんじゃ、何を教えても無駄だと思っていた」
 ニヤリと笑って、眉を下げた。
「色々、お前を試した。荒っぽいことをして、済まなかったな」
「…………」
 急なことばかりで、驚いたけれど……
「明日からは、基本的な構えと打ち込み方だ。克晴にあったスタイルを教えてやる。それと基礎トレーニングな。ヤルからには、オレは厳しいぜ」
「………はい」
 思わず出ていた声。教えられることが多い…そう思うと、感謝が言葉になっていた。
「……お願いします」
「なんだ、その返事は!」
 照れ隠しのようにパンと脇を叩かれて、ウッと呻いてしまった。
 
「カルヴィンッ!」
「ああっ、…スマン!」
 
「…………」
 同時に上がる声に、思わず苦しみながら、笑ってしまった。
 ポカンとした日焼け顔と、目を見開いている白い顔。
 
「……克晴が…笑った」 
 ぽそりと呟いたシレンの目が、嬉しそうに細まる。
 
 その反応に、俺も戸惑った。
 なんで笑ったのか……自分で、判らない。
 ただ、体を無心で動かして。性行為を求めてこない人間と、接することができて……
 こんな関係なんてのが、久しぶりだったんだ。
 
 
 
 
 冷やかしていた船員達は、休憩に上がって来ていたようだった。入れ替わっては、面白そうに眺めてくる。
「お前らも一服したら、さっさと持ち場に戻れ」
「サー」
 カルヴィンが一声掛けて、俺達だけ3人で、先に船内に戻った。
 
「ちょっと…トイレ、寄っていく」 
 寝室に戻る途中、やはり吐き気が抑えられなくなった。
 心配するシレン達を先に下のフロアに行かせて、俺だけ近場のトイレに向かった。
 下水の水回りは、居住区がある船尾に集結している。倉庫が並ぶ通路を走って、トイレを探し出すと、個室に駆け込んだ。
「………グ…」
 胃の中の物を全部吐き出して、呻いた。ちょっと腹を、殴られただけで……
 他にも、突かれた肩や胸に、鈍い痛みが走る。あんな手加減されていて、こんなにダメージを受けてしまうなんて。
 うがいで口をすすいだ後、洗面台に顔を突っ込んで、頭まで水を掛けた。
 ───弱い……
 当たり前だ……でも、悔しい……もっともっと……
 心の中で、モヤが渦巻く。
 ……俺は成長して、強くなったと思っていた。
 大人になったと思っていたんだ。だから恵の前で、“強い克にい”でいられた。
 それをことごとく、打ち壊されて───
 
「…………」
 冷たい水が頭を冷やして、心も冷やしていく。 
 あの閉じこめられたマンションでも、服を着たままシャワーを被ったことがあった。
 オッサンから逃げられなくて…それが悔しくて……。でもあの時の方が、まだこんなに弱ってはいなかった。
 
 ───嫌だ……俺は強くありたい………! 
 
 びっしょりに濡れてしまった髪を、犬みたいに頭を振って、水気を飛ばした。
 
『逃げてちゃ、勝てねぇぞ! 口先だけだったのかよ!』
 カルヴィンの言葉が、耳に付いて離れない。
 人が変わったようだった。ゾッとする容赦のない笑み。見下ろす眼…暴力慣れした、別人の顔……
 こんな船に乗ってるくらいだ。並の人間じゃないってのは、判っていたつもりだった。
 ……でもあれは、単なるボディーガードなんかじゃない……俺には想像も付かない世界を、生きてきている。
 そして、シレンもだ。強くあるだけの理由を、持っていた。
 時々零す、意味深な微笑み……妖しげに瞳を輝かせて───メイジャーに必要とされているという、喜びと誇りだったんだ。
 
 洗面台に手をついて、項垂れていた顔を上げた。前の鏡に、自分が映っている。
 ……俺は?
 “お前は時間だけが、足りていない”メイジャーが言ったことがあった。
 身体だけ先に、大人にされて……。いつもここで、思考はストップしていた。やりきれない思いで、いっぱいになる。 
「──────」 
 濡れた髪を掻き上げて、後ろで搾った。
 露わになった顔を、睨み付けた。
 ───俺が大人になるには、……何が足りないんだ。
 
 
 搾りきれない水滴が滴るけれど、タオルなどはない。袖で拭いながら、やっとトイレから出た。
「……………?」
 元来た通路の奥に、白い光が見えた。
 ─── グラディス……?
 壁に額を押しつけるように立って、じっと動かない。
 気になって見ていると、すぐに白いシルエットは壁から離れた。何事もなかったように靴音を響かせて、通路の奥へ歩きだした。
 
 
 ───何、してたんだ……?
 グラディスが立っていた場所まで、行ってみた。
 倉庫が並ぶ通路。その壁の一カ所に、目線の高さに合わせて、四角く切り取られた穴が空いている。
「…………!」 
 そこを覗き込んで、驚いた。 
 
 
 ───オッサン…!
 


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