chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
1.2.3.4.5.6.7.8.
 
 3
 
 細長く四角くに開いた、小さな覗き穴。
 鉄格子の隙間から、倉庫の中の様子が窺えるようになっている。
 手前には壁に寄せて、発泡スチロールの箱が積んであるようだ。その向こうの床に、毛布にくるまったオッサンが転がっていた。左の壁奥には、鉄扉が見える。
 
 ───ここは……あの部屋の……
 
 この船で俺が一番最初に目を覚ました場所、そしてその時リンチを受けたオッサンの、放置部屋になっている倉庫だった。
 倉庫と言っても、“仮置き場”だと後から聞いた。一時的に乗せた荷物を詰めておくための小部屋が、いくつか並んでいる。そのうちの一つだと。
 俺はグラディスが乗船した日、メイジャーに連れられて、一回来たきり……
 あとは全体の説明を受けて回ったくらいで、この空間には、立ち寄っていなかった。
 
 ─── グラディス…なんで、こんな所から。
 
 よく見えないけれど、オッサンは一応暖かそうな服装で、毛布を被っている。
 でもぴくりとも動かないその様子は、死んでいるようにも見えた。
「…………」
 また複雑な気持ちが、湧き上がってきた。
 さっきの殴り合いで思い出した、苛立ち。“あの悪魔を、いつかこの手で殺してやる”───犯られる度、何度思ったか。
 ……でも、本当に殺そうとしたチェイスを、俺は……止めてしまった。
 銀の野獣…アイツの蛮行は、間違ってる。…そう思ってしまう自分は、何なんだろう。
 
 ドアの内側では、見張り役なのか、船員が一人蹲っている。
 ……グラディスなら、入れるだろうに…。
 さっきチラリと見えた横顔は、人形のように冷たかった。とても感情があるとは、思えないような……
 ───本当に何年も、オッサンを囲ってたのか…?
 だいたいあの存在感からして、オッサンなんかに目を留めること自体、どうしても信じられない。
「…………」
 ───なんで……いろんな疑問が、湧く。
 “想定通り”って、何なんだ。一枚も二枚も噛んだようなこと言って、知らん顔して。
 メイジャーの方が、詳しくは知らないはずなのに、判ったような顔で笑っていた。
 でも、俺には……
 もう一度、聞き出したい。なに考えてんだって。
「─────」
 白い影が消えた方向。真っ直ぐに船首へと続く、メイン通路。
 目で追っても、もう白い姿は無かった。
 ……階段を使ったか、手近な部屋に入ったのか?
 探せば、まだ近くに居るはずだ。
 俺は追おうとして、走り出した。
 
 ───え……
 
 その時……右側の細い通路から、まさかの姿が現れた。
 
 
 
 
 ─── チェイス!
 
 
 部屋の終わりの角、そこは初めて俺が逃げるために、走った廊下だった。
 そのT字路から、兄を追うような早足で、銀髪の野獣が出てきた。背後には、取り巻きを3人従えている。
「………うぁ…!」
 ぶつかりそうになって、慌てて足を止めた。
「…Oh!」 
 振り向いたチェイスも、俺に気付くと驚いたように、見下ろしてきた。
「─────」
 あまりの至近距離に、その一瞥で身体が凍り付いた。
 記憶より先に、恐怖と痛みが蘇る。
 
 
 動けない俺、驚いたままのチェイス……数秒息を止めたまま、向かい合った。
 
 
「……よう」
 先に銀獣が、碧い目を瞠って、唇だけ捲り上げた。
「………」
 ───しまった…
 いつもはメイジャーが横にいて、こんなにチェイスと接近する事など、なかった。
 あの巨体の厚みが、どれだけ俺をコイツから守っていたか……今更ながら、実感した。 
 ───このすぐ先に、階段があるのに……。
 巨体に通りを塞がれた形になって、擦り抜けられない。
 メイジャーやカルヴィンほどは、大きくない。でも薄暗いトンネルのような通路で、その威圧感は俺を震えさせるのに、充分だった。
 
 
 
 
「一人でお散歩か? ……カツハル」
 興奮を抑えたような声で、喋りだした。
 白い頬を紅潮させて、ニヤリと歪めた口だけで笑う。
「びしょ濡れじゃねぇか」
 上から下まで、舐めるように視線を動かして、眺めてくる。
 甲板で俺を見ていた、あの目だ……
 
 “チェイスは、君に興味が移っている”……シレンの忠告が、頭を過ぎった。
 
 ───俺には、信じられない。
 あのグラディスに、心酔してんだろ……それは判る……
 それが、何だって……
 
「オレの部屋に来いよ、構ってやるぜ」
 変な猫なで声を出して、手を伸ばしてきた。
 ───冗談……!
「……触るなッ!」
 掴まれる前に、その手を払った。喋り方にも目つきにも…ナメクジのような気持ち悪さに、怖気が立った。
「──────」
 チェイスの薄笑いが、張り付いた。目玉だけがギロリと動いて、俺を捉える。
 負けじと、その碧眼を睨み返した。
「……お前なんか……何で…」
 取り巻きにも囲まれてしまい、俺は必死だった。
「グラディスを、追ってろよッ! 俺はもう、関係無いだろ!?」
 
 その途端、チェイスの顔が豹変した。
 首から上を真っ赤にして、額に青筋が立っていく。
「優しく言ってやりゃ、コイツ!」
「───ッ!」
 両腕を捕んで引き上げられ、背中を壁に叩き付けられた。
「オマエ、誰にも懐かねぇんじゃ、なかったのかよ!?」
 顔を近づけて、噛みつかんばかりに、口臭を浴びせてくる。
「…………!」
「すっかりメイジャーの、人形じゃねえか!」
 目まで真っ赤にさせて、歯茎を剥き出し、息も吸えない俺の眼を、鼻を、口を、その恐ろしい形相で、睨みつけて。
 そして狂気の塊のように、激しく吼え立てた。
「ハッ! そんなにオヤジの“アレ”の、具合がいいのか!?」
 下卑た嘲笑が眼光に浮かぶ。
「おう、だったらオレの方がスゲぇからよ、虜にしてやるぜ」
 頭の上でガッチリと手首を押さえられて、逃げる所じゃない。吊るされて押し付けられている背中が、更に密着した。
「覚えてんだろ…? 二回もヤッてやったんだからな……もっともっと、本気で喘がしてやるぜぇ…」
 腰と腰をいやらしく擦りつけるように、当ててくる。
「……やめ…」
「オレの方が、メイジャーよりイイって、言わせてやるよッ、オラッ!」
「……うぁッ」
 唇を近づけて、キスしようとしてきた。
「やめろ! ……離せッ」
 冗談じゃない、コイツとなんて絶対嫌だ! 顔を必死に背けて、拒絶した。その何もかもが逆効果のように、野獣の怒りを暴発させていく。
「抗ってんじゃねぇッ、来いよ! 今すぐ、犯ってやるッ!」
「─────!」
 
 目眩がするほどの、恐怖、戦慄……
 ……嫌だ……
 
「離せッ、離せよ!!」
 俺は死にものぐるいで暴れた。脚で空を蹴って、全身を捩って、肘で引き剥がそうと。
「大人しくしてろッ」
 メイン通路を乱暴に引きずられ、広い倉庫に連れ込まれた。同じように、段ボールが端に積み重ねてある。
「……痛ッ!」
 入り口で突き飛ばされて、床に転がされた。
「今すぐ、天国に連れて行ってやるよ」
 凶暴な笑みを浮かべると、手下に何か怒鳴りつけて、俺に跨ってきた。
「今、仲間を呼びに行かせた」
「……え?」
「ヒャハハッ、大勢に見物させてやるぜ。オマエのよがる顔を!」
 膝立ちで跨って、金属音を鳴らしながら、自分のベルトを外し始めた。二人の手下が、心得たように俺の手足を押さえていく。
「──やッ───」
 セーターが捲り上げられ、シャツのボタンが飛んだ。
 
 ───マジか……
 
 あまりにも急すぎだった。後悔も恐怖もすっ飛んで、真っ白になった。
 ……あっ!
 見上げていた野獣の後ろに、さっき見た姿がまた現れた。
 ─── グラディス…!!
 開いたままのドアの向こうで、引き返してきた様に、居住区へ向かう横顔………
 
 
 ……えっ!?
 
 
 通りすがりに、チラリと寄越した。
 その綺麗な銀色の眼は、確かに俺を見た。
 
 そして右手には、お決まりの携帯……
 長方形のぽっかり空いた空間に、ふっと現れた輝く銀馬は、一瞬にして視界から消え去った。
「…………」
 まさか……
 冷たい横顔───この状況を、見捨てたのか……?
 
「──────」
 一瞬でも助かる気がした俺は、暗転した闇に、瞬時に突き落とされていた。
 
 
 
 狂気に取り付かれたチェイスは、何も気が付いていない。
 愕然としている俺を見て、気味の悪い声で笑い出した。
「ヒャッヒャッ……カツハル、そう脅えんなよ! メイジャーなんかより…あんなオヤジより、ずっと良くしてやるぜ」
 腰に跨ったまま、露わになった俺の胸を、尖った舌先で舐め始めた。
「………!」
 背中を、悪寒が走る。
 ───何でこうなる……
 
 
 ピクリと身体が揺れてしまう。
 この屈辱感。俺の意に反した拘束と服従、感触と反応……!
 この遣り切れなさは、とことん俺を惨めにする。
 …………何でまた、俺なんだ…!
 
 
「止めろ! ……離せよッ……チェイスッ!!!」
 悔しくて、睨み付けながら叫び続けた。
 血走った目が食い入るように俺を見て、いやらしく手を這い回す。
 
 ギャラリーがどんどん、増えていくようだ。囃し立てては指笛を吹いて、俺の声を掻き消していく。
 その勢いに乗って、チェイスが暴走していく。
「……ハッ…ハッ…!」
 盛った犬のように荒い息を吐きながら、左右の胸を執拗になめ回した。
「……クッ…」
 突き離したい……逃げたくても、大の字に押さえられた手足と、のし掛かってくる体重で、まるっきり動けない。
「────ッ」
 握った拳に力を込めて、湧いてくるおぞ気に耐えた。
 プレートが床の鉄板に擦れて、金属音を鳴らす。まるで、噛み殺した俺の声の代わりのように。
 
「……んッ…」
 首を振るたびに、濡れた髪も、耳元で音を立てた。
 
 
 
「……オマエのその顔が、忘れられなかった…」
 


NEXT /1部/2部/3部/4部/Novel