chapter14. Only you -ただ、君だけ-
1.2.3.4.5.6.7.
 
 1
 
「…克晴を…幸せに出来るのは……恵君だけなんだ…」
 
 ……認めたくなかった、目を逸らしてきた、そのこと……
 ついに、言葉にしてまった。
 
 克晴を幸せにするのは、僕だって。
 そうでなきゃ、いけないんだって……自分にも克晴にも、言い聞かせてきた。
 誰よりも克晴を理解してるからこそ、そんなの、……許せなかったんだ。
 だって、手放さなければ……僕と克晴の歴史の方が、長かったはずだった。
 
 ……それをどうしても、諦めきれなくて────
 
 
 
 
 
 
 
 
「マサヨシ……無駄に逃げるんじゃねぇよ、苦しみが長引くだけだぜ」
「……殺されたって…!」
 
 プレートの鍵を、横取りする気だ……
 メイジャー達が引き上げた後、チェイスが一人戻ってきた。
 
 でも……どれだけ殴られたって、あの鍵は誰にも渡さない。
 どんな無様でも、もうあの鍵にしか、僕と克晴を繋ぐものがないから───しがみつくしかないんだ!
 
 そう意を決した時、
「こんなことだろうと、思いました。…勝手なことは許されませんよ」
 赤毛の青年とその仲間が、入ってきた。
「………シレンッ」
 チェイスが総毛立って、怒りを剥き出した。暴力の矛先がそっちに向いたのが判った。
「──────」
 ……よかった………取りあえず、今は……助かった……。
 ホッとしたけど……シレンも敵であることに、代わりはない。小競り合いを始めた二人を見上げながら、緊張は解けなかった。
 
 ───僕はまだこの時、これ以上に克晴との距離を、裂くことがあるなんて……思ってもいなかった。
 鍵の安否ばかりを、気にしていたんだ。
 
「くだらねぇこと、やってんじゃねえ!」
 カルヴィンが止めに入って来て、とんでもない手みやげを、口にするまでは。
『グラディスが来たぞ』
 
 
 
 ───グラディス……?
 
 ハッとした空気の中で、僕も驚いていた。
 怪我が酷くて、体を起こすのにも、肩に腰に激痛が走る。這いつくばったまま、朦朧とした頭でその名前を反芻して…… 
 ……なんで───まずはそれが浮かんだ。
 ……そして、ぎくりとした。
 チェイスの顔…ヤツのあんなカオ、初めて見た。
 崇慕するグラディスが来たというのに、その目の色は、一瞬…困惑していた。
 
「……すみません」
 畏敬の緊張を漲らせて、シレン達の顔が引き締まった。
「すぐに、行きます」
 もう僕の事など、存在すら忘れたように。振り向きもせず、赤い髪を先頭に、集団は部屋から出て行った。
 
 
 
 
「──────」
 
 僕は…プレートの鍵が、今は無事だったことにホッとして……半端に起こしていた体を、硬い床に横たえた。
 
「…………」
 シン…と、いつも通りに倉庫が静まりかえった。
 動かなくなった鉄扉を、霞む視界でぼんやりと眺め続けた。冷たい鉄板の下から、微かな重低音だけが響いてくる。
 急なことが、たくさんあって……メイジャー…克晴……グラディス───霞んでいく思考が、心の上を上滑りしていく。“克晴”その時だけ、琴線に触れた。
 今僕を包んでいる、暖かい服───これが、さっきまでのことが夢じゃないと、教えてくれる。
 ……痛い…。激痛と鈍痛が、骨から皮膚から、鼓動と共に生まれる。
 たゆたう揺れが、痛みのせいで目眩に変わった。
 
「………ハァ…」
 目を瞑ると、上下が反転したような錯覚を起こしていく。痛みすら……感じなくなりそうだ………
 目眩と緊張が、すり替わっていく。
 “グラディスが来た”───それ…本当なのか……?
 ここは、大海に浮かぶ船。陸も見えない大海原に停泊し続けていると、聞いた。
 ……そんな所に、ヤツがわざわざ乗り込んでくるなんて。
 
 自分では、決して動かない男なのに。……捕まえた獲物には、何でもするけど…。
 目的のためには手駒を動かす。張り巡らされた情報網と、機動組織。……あれは凄い。命令なんかもしない。ヤツの呟き一つで、取り巻き達が動くんだ───
 
 
 それ以上は、考えることも出来なかった。痛みと疲労に負けた僕の体は、思考をストップしていた。
 
 
 
 その後は、意識が戻るたび、とぎれとぎれに思い返していた。
 
 “グラディスに、会えさえすれば……” その一念で、僕は動いていた。
 『goodluck』 ……そう言ったんだ。『see you』 ではなくて。そしてプレートを、僕の四肢から外した。
 ……それって、解放されたってことだよね…?
 そう思っていいと、信じたんだ。僕は…
 
 
 潮の音を遠くに感じながら、6年という歳月が、僕の上を流れていく。
 
 だからこそ、会いに行って。
 気紛れのオモチャ遊びは、もう止めてくれ。
 チェイスの愚行を、止めさせろって───
 
 
 あの時の苦痛を、体が思い出す……傷の痛みが、失った克晴との時間を嘆く。
 会いたい…克晴……顔が見たいよ……
 
 僕の勝算…それは、こっちから乗り込んで行く場合の話しだ。グッと握り込んだ拳は、それだけでズキンと痛みを訴える。
 ……動けない僕……側にいない克晴。今は、条件が悪すぎる。
 
 ───何しに…来た……?
 
 
 
 
 
 
 
 
 …キュッ
 
 ネズミがどこかで鳴いた。
「…………」
 ぼんやりと薄目を開けると、隅の方に、相変わらずカビたパンが転がっている。その向こうに、細い尻尾が見えた。
 
 横たわっている僕のすぐ横には、カルヴィンが持ってきた配膳が置いてあった。昨日よりさらに、内容がマシになってる。
 ……マシって程度だけど……腐っていないスープとパンと、野菜。ネズミに食われるまえに、食べなきゃ…
 
 体を起こそうと思うけど、肩と肺に激痛が走る。傷と服が擦れて、新たな血がにじみ出す。炎症が起こす火照りは、いつまでも体中に熱を燻らせた。
「……く…」
 横になったまま、動く方の手でお椀を掴んだ。首筋に垂れるのも構えないまま、それをすすった。
 生きてなきゃ───
 そのためには、辛くても食べるんだ。それだけは、僕は……嫌って程、知っている。
 
 治りかけてきたカサブタが、痒くて。無意識に掻きむしっては、また血を流す。こんなボロボロになって……自分でも生きてるのか…死んでるのか…時々、判らなかった。
 でも───
 塞がっていく傷を感じると、……まだ生きようと、体はしてるんだなぁ…って……。そう思うと、まだ負けちゃいけないってこと、思い出した。
 ……克晴も…負けなかった……それが、今の僕の総て。
 ───大事な克晴……僕の克晴……鍵だけは、僕が守るんだ───
 
 指先も手の平も乾いた血で、泥土を掴んだあとのようになっていた。その手で、パンを掴む。スープの残りに浸して、口に押し込んだ。
 ……腰骨が軋む。硬い床に寝続けるのは……辛いなあ…。
 尾てい骨の上の皮がすりむけて、すでに真上を向いては、寝れなかった。床に接触しっぱなしの皮膚から、腐っていきそうな気がした。体は寝返りを打とうとして、痛みがそれを阻止する。それの繰り返しだった。
 
 
 
 あの日から、僕はずっと緊張していたのに───グラディスは、姿を見せなかった。
 ……僕が居るから…来たんじゃないのか。良くも悪くも、それはやはり一番に思うことで……鉄扉が開くたび、目線はそっちに動いた。
 “仕事”らしいのは、時々聞こえてくる話声から、判った。でも、一度も顔を見せないのが気になる。……克晴には、会ったのか…?
「─────」
 これを思うと、いつも息苦しくて……深く息をついては、咳き込んだ。
 不安が違う方向へ、向いていく。グラディスの興味は───今、何処にある……?
 
 それと同時に、少しずつ環境が良くなっていくのに、助けられていた。
 暖かい衣類、柔らかい布団。そして食事の改善。体が回復していくのが、判る。
「……これは、メイジャーが?」
 訊いても、バンダナ男からは“さあな”しか返ってこない。
 
 あの時、シレンが言い残した言葉。
 “あなたが殺されないでいる意味を、よく考えることですね”
 ……克晴が……僕のために、メイジャーに───
「…………」
 その代償なのか、これは。……そう思うと、単純に喜んだりなど、とてもできない。
 ……それとも、グラディス……?
 僕には、判らないことだらけで。外がどうなっているのか、気が気じゃなかった。
 
 そして、チェイス……
 いつまた、鍵を奪いに来るか───今度こそ殺しに来るのか。
 死刑を待つような、気分だ。
 
 
 
 
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「………?」
 なんだろう? ……外が、騒がしい。
 
 どれだけ時間が経ったのか、何日という日数が過ぎたのか…判らないまま、ただ横になって傷を癒やしていた。
 膿んでいた切り傷もジュクジュクした体液も、だいぶ乾いてきていた。それが、時間の経過を伝える。
 
 その日は、ずっと船内が浮き足立っているのが判った。
「今日は、何かあるの?」
 見張りの男に訊いても、答えちゃくれない。凍えることの無くなった手足を丸めて、睡眠のフチを彷徨っていた。そこに、数人の競合うような気配……。
 
 
「やめろッ」
「離せ……離せッ!」
「大人しくしてろッ」
 
 
 ────克晴!?
 
 なんとなく耳を澄ませていて、驚いた。叫び声だ。チェイスの声も…!
 
「克晴…!」
 僕は跳ね起きて、痛む体を引きずりながら、ドアの方へよろよろと歩いた。
「No… Stop!」
 見張りが叫ぶけれど、構うもんか。
「克晴…克晴ッ!」
 開かないドアの前にへたり込んで、両腕でノブにぶら下がって、叫び続けた。
 
 ───なんで……メイジャーは!?
 
 チェイスの手下が奇声を上げながら、ドカドカと走っていくのが聞こえる。
 “オマエらも見に来いよ、面白れーぜ!”
 “見物しろってよ、早く来いッ!”
 
「──────」
 
 ……チェイスッ!
 
 ノブを掴んでいる手から、すーっと血の気が引いていった。
 もう叫び声は、よく聞こえない。囃し立てるような歓声と、指笛だけが響いてくる。
 
 ちくしょうッ!
 
「……出せよッ、ここから出せ!」
 後ろの見張り番を振り仰いで、叫んだ。
 助けなきゃ───克晴を助けなきゃ!! その思いだけで、体は動いていた。
「ウルセェ、あっちで寝てろッ」
「痛ッ…!」
 胸ぐらにしがみついた腕を掴まれて、背中で捻られた。
「ダメだ…克晴ッ……カツハルッ!」
 男の腕を掻きむしって、引き剥がそうとした。
「鍵を開けろ! 開けろよ! 行かなきゃ……助けなきゃ───!」
 半狂乱になった僕に、男も少し脅えた。
 それでも、ただでさえそんなに力がないのに、この怪我で……。暴れるのも空しく引きずられて、布団の上に全身を叩き付けられた。
「グッ…」
 内蔵に激痛が走った。肩も腕も、骨が軋んだ。
 治りかけた骨が折れるような、痛み…気絶しそうなそれに、一瞬目の前が真っ暗になった。
 
 ───克晴……
 
 噛み締めた奥歯から、嗚咽が漏れた。
 ぎゅっと瞑った目からは、涙が零れる。
 傷のせいなんかじゃ、ない。心が───痛い…
 
 ごめん……こめん……
 
 拭えない思いを、ずっと持ち続けていた。
 “お前は克晴の、何だ……何がしたいんだ?” メイジャーの問いかけに、気持ちが揺れて。
 
 好き…克晴が好き……。幸せにしたい。一緒に幸せになりたい。
 
 ただひたすら、そう思っていた。ずっと一緒にいれば、いつか幸せになれると。
 ───でも……
 こんなことになって…僕のせいで……メイジャーに…チェイスに……
 絶対に穢してはいけない僕の克晴を、僕が傷つけさせた───!
「うッ……うう…」
 黒い巨体の、影に立っていた克晴。……あの横顔が、哀しい。
 メイジャーの言いなりになって……毎晩……? 分厚い身体に組み敷かれて堪え続ける姿を思うと、辛くて…辛くて……。
 
 なのに、今の声───
 “やめろッ…離せ!”
 あれは、負けない克晴の声だった。
「ぅうッ……ううッ……」
 心は負けない! いつもそう言って睨み付けてきた、プライドの高い潔白な克晴のままなんだ。
 
 その克晴が、チェイスに犯されてるっていうのに!
 僕は何にもできない!
 助けることも、止めに行くことさえ…!
 
 ゴメン…ゴメン………巻き込んでしまって、ごめんね───
 
「克晴……克晴……」
 僕は布団に顔を埋めて、泣き続けた。
 僕はバカだ───“好き”と言えなかった後悔より、酷い。
 
 
 
 
 
「マサヨシ…」
 
 泣き崩れて、投げ出された布団の上で丸くなったまま。外がどうなったのか、判らない…。
 ───克晴……
 ただ胸が痛くて、ずっとそのまま動けなかった。
 そこに不意に入ってきたのは……
 
 
 
「……グラディス!」
 
 見張りの男を外に出して、ドアを閉めている。
 その姿は───あの頃と、まったく変わっていない。
 
 アメリカを発つ、最後の日。
 僕を送って車の前に立っていた……2年前の、美麗な体躯、面立ち……その眼。
 
 透き通る銀の髪を、床に擦るのも構わず、長身をかがめた男は、僕の前に顔を寄せた。
 
 
 
「怪我の様子は、どうだ。…動けるか?」
「─────」
 
「今日、目的の荷が積み込まれた。仕事は終わりだ」
 


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