chapter14. Only you -ただ、君だけ-
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 5
 
「………マサヨシ」
 チェイスも驚愕の顔で、僕を見た。
「テメェ…オレの船に、なにしやがった……」
 
 目の色を変えて、殺気立っている。
 鼻頭にシワを寄せて、唇を捲り上げて─── ベッドを挟んだすぐそこの狂獣に、足が竦みそうだった。
 
 
「知らない……でも…メイジャーの船だろ……?」
 
 僕を問いつめに来た、あの貫禄が忘れられなくて。克晴を抱えたまま、非難の目で、思わず呟いていた。
 
「……ウルセェ、チクショウ!」
 恐ろしい野獣の顔が、喰い殺さんとばかりに、ますます目を剥いた。
「オイ、コイツを捕まえろよ! 早く、火を消せッ」
「バカ共が……誰か下を、見に行って来い!」
 やたらめったら喚き散らして、熱気と異臭の立ちこめる空気を、腕を振り回して払っている。
 
「─────!」
 ………僕は、今しかないと思った。
 炎はいずれ、消えてしまう。ここで囲まれたら、逃げ出せるわけがない。
「克晴……」
 腕を離して、耳に囁いた。
「………ここで、じっとしていて」
 そしてさっきの鉄パイプを掴むと、ドアの方に走った。
 
「お前なんかに、捕まるもんか! ………沈めてやる…こんな船っ!!」
 
「…なにィッ?」
 チェイスが叫びながら、ベッドを回り込んで来るのが、視界の端に映った。
「オイ! 捕まえろ、役立たず共がッ!!」
 
「……うぁあああああッ!」
 多勢に無勢…そうでなくたって怪我してる僕じゃ、どんなに走ったって、すぐに捕まってしまう。
 それでも叫びながらパイプを振り回して、転げるように通路に躍り出た。
 
 ───ここから誘き出してやる……!
 
 咄嗟に考えたのは、それだった。
 捕まったら、それまでだ……! その恐怖が常につきまとう。とにかく逃げて、撹乱するんだ……ヤツらを克晴から、引き剥がす───
 どうしていいかなんて、わからない。必死に元来た方向へ、通路を走った。
 
「待て、このヤロウ!」
「捕まえろ!」
 手下達の口々に叫ぶ声と足音が、すぐに追い付いてきた。
「ウワアアアッ!」
 掴みかかって来る腕を、振り向きざまにパイプで牽制しながら、僕は叫び続けた。
 相手が怯んでは、逃げて……
「ハァ…ハァ…」
 凍てつく冷気が、熱い肺を冷やす。
 激しい温度差のせいで、吸い込むたびに肺が痛い。
 一歩一歩床を蹴るたびに、膝や腰骨がズキンと痛み、転びそうになった。
 ───ダメだ……捕まる……
 まだ三部屋分くらいしか、走っていないのに。 後ろの荒い気配に、恐怖で腰砕けになりそうだった。
 
 ───あっ…? ───あれは……!
 
 数メートル先に、見覚えのある小瓶が、点々と置いてある。
「──────!」
 僕は考えるよりも先に、それに向かって走った。
 スライディングしながら瓶を掴むと、床に倒れ込んだまま、武器にしていた鉄パイプを、追いかけてきた男達めがけて投げつけた。
「ギャッ」
 上手いこと顔にぶち当たって、最前列の男達が、二、三歩の距離を保って足を止めた。
 
 ───焦るな……!
 
 震える手で、コートからライターを掴みだした。
 汗でべとべとだ。なのに寒さで、指先はかじかんでいる。ガラス瓶も、取り落としそうになった。
 その両手を前に突き出して、手の中の物をヤツらに、見せつけた。
「……近付いてみろ! ───ハァ、……火…点けるぞ…………」
 言いながら、 瓶の口に点火した。
「ウワッ……!」
 どよめいて後退る男達は、それぞれがぶつかって、通路をお互いに塞いでいた。 
 ───あっ……!
 その中に、ただ一つ、チェイスのプラチナブロンドを見つけた。
 
「─────!」
 近すぎる─── そうは思ったけど、迷わなかった。最前列の足下に、火炎瓶を力いっぱい叩き付けた。
「ギャアアッ!」
 ガラス瓶が割れるのと、空気が膨張するような暴発音。それらが熱風となって、僕にも襲ってきた。
「グァ……!」
 衝撃で、片目が焼けるように乾いた───髪が焦げる悪臭……それでも這いつくばって、立ち上がった。
 ───やった……! チェイスを吹っ飛ばした!?
 背後を恐くて、見る余裕はない。
 数メートル先の瓶めがけて走ると、また火を点けて、後ろに投げた。
 何度もそうやって逃げているうちに、大勢いた男達が数人に減ってきたのが判った。
 
 ───ハァ…ハァ……苦しい……
 
 爆風で、左目がやられたみたいだった。痛くて開けていられない。
 でも、押さえる手すら、負傷している。
 瞑った片目から流れる涙を、拭うことも出来ずに。ガクガクと震える膝で、走り続けた。
「…ハァ、…ハァ………」
 右に階段、左に細い通路の場所で、一瞬迷った。……ここを曲がって、克晴のところへ戻れるのか?
 
「アッ!」
 後ろから襟首を掴まれた。
「捕まえたぜ、この野郎ッ!」
 追い付いた金髪男が、憎々しげに叫ぶ。
 しまった───! ゾクリと、背筋が痺れた。
「……うわあ! 離せッ、…クソッ!」
 爪で引っ掻いて、引き剥がそうとした。
 
 こんなとこで捕まってたまるか……! 戻って、克晴を助けなきゃ…!
 
 目まぐるしく頭の中で、叫び続ける。
「離せ、はなせッ…!!」
 無茶苦茶に暴れるのを、ガッチリと掴んだ手が引っ張った。
「逃がすかよ、テメェ……」
 拳が飛んでくるのがスローモーションのように、振り仰いだ視界に入ってきた。
 
 ────うわ…
 
 ……ダメだ…ダメだ、ダメだ、ダメだ────!
 終わってしまう、捕まってしまう……!
 
 
 絶望が胸を締め付けた。目を瞑った瞬間、激しい爆裂音が横から轟いた。
 
 ────えっ!?
 
「……ッ!」
 
 さっきより強烈な爆風を受けて、僕は男もろとも、反対の壁に叩き付けられた。
 衝撃と、熱と痛み───全身を焼かれたかと思った。
 でも、黒焦げになったのは、僕じゃなかった。
「ギャアアアアッ」
 地獄絵図のような、恐ろしい形相と叫び声……手下達が数人、火だるまになっている。
 階段の出入り口から黒煙が立ち上り、通路は見る見るうちに視界が利かなくなっていった。
「…………」
 あっけにとられて動けないでいると、その煙の中から黒い腕が伸びてきた。
『……早く…こっちです』
 ────!?
 階段室の方へグイと引っ張られ、僕の身体も黒煙に隠された。
 
「……君は…!」
 煙に咽せながら相手を見上げると、黒い肌に黒い服。スラリとした青年が、唇に人差し指を当てて、僕を見下ろしている。
「カスター……?」
 ───来てくれたんだ……思わず心が震えた。
「……いえ、私はプルクスです」
「……あ、ごめん」
 見分けが付かない。この煙のせいで、余計に判らない。
「いいです。……それより早く」
 静かに長い腕が、さっき曲がろうかと迷った細い通路の方向を、指し示す。
「……ありがとう」
 指先を目で追って、振り向くと、もう青年はいなかった。
「─────」
 忍者みたいに、煙だけ残して……。
 でももう、忽然といない隣りに、“なんで”なんて思っている場合じゃなかった。
 
 ───早く回って、克晴のところに戻らなきゃ。
 こうしている今も、どこかに連れて行かれてしまったら……
 
「……ハァ…」
 階段の冷気が、傷に染みる。
 コートの中にまで忍び込んできて、汗を冷やした。
 白いモヤを吐きながら、細い通路の方をもう一度見た。
 煙の向こうでは、騒ぎが続いている。助けを求める悲鳴、僕を探す怒鳴り声……
「…………」
 ……アイツら、あと何人いるんだろう。
 大分減った筈だけど、まだ4.5人…? ───いや、もっといるかも…
「………」
 腕を抱えて、自分を抱き締めた。
 怖がってる場合じゃない……
 ───まだ…やらなきゃいけないことが、あるんだ。
 躊躇も戸惑いも、もう必要ない。僕は左目を擦りながら、そこを飛び出した。
 
「いたぞッ」
「追え!」
 
 気は焦るけど、体が言うことをきかなくて……
 壁伝いによたよたと走り出した僕に、追っ手はすぐに気が付いてしまった。
 
 何か……ないのか? 武器になる物……!
 
 細い通路の端には所々に、段ボールや缶詰、瓶詰みたいなのが、積んである。
 それを掴んでは投げた。
「……この野郎ッ」
 相手も怒りにまかせて、投げてきた。
「アッ…」
 瓶詰が足に当たって、よろけた。
 ─────!
 転倒しそうになって、正面の誰かに受け止められた。
 同時に、後ろの男達がハデに転びだした。
「ウワッ!?」
 口々に上がる声に、僕は“誰か”にしがみつきながら、そいつらに目をやった。
 僕が投げた最後の瓶──そのフタが開いて、油が飛び散っていた。
 僕に当たった容器もフタが開いて、オイル漬けの何かがぶち巻かれている。
『早く、火を…』
 耳元で囁かれた。
 僕は言われるままに、ライターを点火して床に押しつけた。
 ボワッ!
 空気が揺れて、弾けるように炎が舞い上がった。油伝いに、オレンジの炎が床を走っていく。
「ウギャァ!」
 新手の悲鳴が、煙幕の向こうで上がった。
 同時に火は、僕の足にも這い上がって来た。
 
 ────! ……燃える……!
 
 熱さより、その勢いと炎の大きさに恐怖した。
 その途端、ばさりと大きな布を被せられた。
 足も腰もそれで覆われて、全身火だるまになる前に、あっという間に鎮火させてくれた。
 よく見ると、それは見覚えのある、黒いシャツで……
「………ハァ…」
 急な事過ぎて、やっと事態を飲み込めた僕は、相手を見上げた。
「……プルクス…!」
 さっき見た顔が、そこにあった。
 しなやかな筋肉を晒した、胸と肩。長い両腕が僕を支えて、黒い双眸が見下ろしてくる。
 その黒い瞳が、ちょっと見開いた。
「いえ…私はリゲルです」
 
「……え?」
 
 驚いて、もう一度見上げると、静かに体を離された。
「残党は、まだいます……」
 シャツを羽織りながら、囁く。その姿は、どう見たって……
「そこを曲がってください……早く」
 そう通路の先を指し示すと、また煙の中に、姿を消した。
「ちょ……!」
 
 ───リゲル…?
 双子じゃなかったの…?
 
 頭が混乱した。角を曲がって走り出しながらも、気になった。
 
 船底からは、ずっと爆発音が続いている。
 足下が激しい振動で、揺れた。明らかに床が斜めに傾いてきていた。
 ……何が起こっているんだ……?
 
 ただならぬ事態だと───
 僕一人がこんなところで駆け回っている間に、下ではもっともっと、とんでもないことが起こっている。それを実感する、鳴動と揺さぶりだった。
 
 冗談じゃなく、この船は破壊されている……海に、沈んでいる。
 ───彼ら…なのか…? 真っ黒い双眸の後ろに、冷たい銀の一重を見た。
 なんで、そこまで……。追っ手への恐怖とは違う戦慄を、背中に感じた。
 
 だいたいこの騒ぎ、あの二人だけで出来る事じゃ、ない……連続する爆音…タイミング良く引っかき回して。
 ……あの助け方だって───
 次々と僕をフォローするように見せかけて……まるで僕が、この船に放火して破壊しているようだった……
 
 どんどん傾いていく床を、壁伝いによろよろと移動しながら。今更ながらグラディスへの、得体の知れない意図を感じた。
 ───ヤツの組織って、いったい……
 
 
「……ゲホ…」
 考えている間にも、煙が回ってきた。船内の気温が上がっていく。そこかしこの排気口から、白煙と炎が噴き出している。
 船体の縦揺れも、大きくうねるように激しくなっている気がした。
 ………早く……早く、戻らなきゃ……
 
 
 
 
「………克晴?」
 やっと辿り着いた部屋は、業火と煙幕に包まれていた。
 
「─────!」
 その煙の中に、克晴を連れ出そうとしている、男の姿───
 
 克晴………意識がない?
 担がれた肩の上で、力無く腕が垂れ下がっている。
 
 
 もう、左目は見えない。
 腕は火傷で、血だらけだ。
 足はもつれて……
 全身ボロボロで……もうどれだけ動けるか、判らない。
 
「……う……うぁああああああ!!!」 
 
 
 それでも僕は、夢中でその背中に飛びかかって行った。
 


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