chapter20. For all time ~過去も未来も~
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「こんにちは、お髭の神父さん。今日も、いいですか?」
 
 
 入れ違いに出掛けていく神父さんに、僕はいつも通りの挨拶をした。
 
「こんにちは、頼れる子羊さん。もちろんですとも、いつもの時間に、行ってみてくださいな」
「はい、ありがとうございます!」
 
 ザンゲ室での、新米神父さんへの相談。
 ホントはこんなふうに確認しなくても、もう当然みたいになってるんだけど。
 教会に着いてもまだ待ち遠しくて、つい聞いてしまうんだ。
 でもボランティアに通い続けていてる理由、本当はこっちが目的ってことは、僕だけの秘密。
「フォッ! 彼も、だいぶ慣れてきたでしょう? 相談しやすくなりましたかな?」
「……はい」
 相談と言っても、実際は僕がただ一方的に、呟いているだけだった。
 きっと新米神父さんには、遠慮のない子だと思われてる。
 慣れたのは、僕だった。
 その恥ずかしさから、顔が赤くなっちゃった。
 
「天の声を聴いた」あの時から、もうあの神父さんの声は、克にぃにしか聞こえなくて。
 だから、困り顔の頼りなげな姿を思い出さないように、目は瞑ってしまう。そして取り留めのない、迷いを話し始める。
 時々打ってくれる相づち、ふと漏れる返事……耳に届くその一つ一つに胸、震わせて。
 本物の克にぃに聞いてもらっているような、錯覚を起こしていた。
 
 ───側に誰も、居なくなっちゃった……
 その寂しさが、縋る気持ちを強くさせてるってこと、僕は自分でわかっていながら、止められないでいた。
 
 
 
「あ、そうそう。今日は女性部の方々が来ているから、賑やかですよ、フォッフォッ!」 
「……え…そうなんですかぁ」
 
 振り返りながらの、最後の言葉。
 僕はそれに足を止め、ちょっとギクリとしてしまった。
 女性部というのは、おばさん達だけが集まって、いろいろなボランティアをやっている団体だった。
 食事を、持ち回りで作る係。バザーで売れ残った洋服を手入れして、子供達に着させたり。月に何遍か、礼拝堂や中庭の大掃除の日もある。 
 あと、この教会を拠点にして、他へのボランティアを募ったりもしてるんだって。
 壁の掲示板にも、とりどりのお知らせが、張り出されてあった。とにかく色々な団体が、出入りしているらしい。
 僕は日曜の2時間しかいないから、殆ど会ったことが無いんだけど。
 ……でも、時々鉢合わせる一つの団体の中から、最近妙な視線を感じるようになっていた。
 
「……はぁ…」
 僕はそれが、とても苦手だった。 
 思わず溜息をつきながら、礼拝堂の前を差し掛かると、賑やかな声が聞こえてきた。
 
 おばさん達が中で、布きれを手にしながら、長い木のイスを拭いたり、床をモップ掛けしている。ザワザワと20人近くは、いるみたいだった。
 あー、今日が大掃除の日なんだ…。
 祭壇の奥では、新米神父さんが、居場所がないように立っていた。
 
 ……相変わらず、猫背で細いなぁ。
 
 腰の前で丁寧に手を合わせて。給仕さんがお客を迎えて、肩をすぼめているような格好にも見えた。
 ぽつんと突っ立ったまま、時々おどおどと辺りを見回している。おばさん達の気迫に、吹き飛んでしまいそうだった。
 
 開け放った入り口から、なんとなく心配で眺めていたら、ふと目が合った。
 開いているのか判らないような、細くて垂れた目で、こっちを見てる。
「────」
 僕はいつも、つい「ありがとうございます!」って、声を掛けそうになっちゃう。
 でもそれを、ぐっと押し込めて、見つめ返した。あの新米神父さんだって、相手が僕なのを知らないはずなんだもの。
 だから、お辞儀だけで、感謝を込めていた。
「………!」
 ぺこりと膝までお辞儀した僕に続いて、新米神父さんも慌てた風に顔を赤らめて、遠慮げに会釈する。
 
 ……こんな姿、ちっとも克にぃ似てないのにな。
 
 僕はおかしくて、笑顔を浮かべながら中庭に走ろうとした。
 
「………!」
 その時、あの視線を感じて、思わず足を止めた。
 ───やっぱ、居る。
 
 そっちを見ると、いつも僕を見つめている顔があった。
 入り口近くの、左端のおばさん群の中に一人だけ混じってる、お姉さん…。
 僕より少し上くらいかな…、高校生に見えた。
 肩までの黒髪を後ろで一つに結んで、飾りの付いたゴムで止めてる。
 レースの沢山ついたブラウスに、わりかしダボッとしたジーンズとスニーカーという、いつも同じような格好だった。
「………」
 このヒト、ちょっと苦手で、どうしたらいいかわからなくて…実は会うのが怖かった。
 見つめ合った瞬間、真っ赤になって「きゃーッ」と小さい悲鳴をあげて、おばさんの影に隠れたりする。
 僕はその度に、驚いたり、怖かったり……たじたじしてた。
 
 今日もまったく同じ感じで、小さい声を上げて、ぴょんと跳びはねた。
 わ…と、思った瞬間、おばさんの後ろに回って、半分だけ顔を出している。
「………」
 それはまるで、怖い物見たさのような。まるで僕が、見せ物になっているような気分になった。
 
 ……なんなんだろ?
 
 向こうもなんかビクビクしてる感じなのに、僕の体はまるで蛇に睨まれたカエルみたいに、動けなくなった。
 ハタキを掛けていたおばさんが気づいて、「話しかけてみなよ」と楽しそうに言いながら、お姉さんを前に押し出してきた。
 
「…こんにちは」
「……こ…こんにちは」
 
 ……なんか妙な感じ。
 並んでみれば、同じくらの背丈だった。
「君…可愛いね」
「え」
「って言うか綺麗? そう、すっごく綺麗…」
 瞬きを繰り返しながら僕の顔を眺め回して、何を言うのかと思ったら…。
「………」
 目を潤ませる感じで、じっと見つめて来る。
 ……僕はどうしていいのか、わからない…。
 
「あ…あの……」
 
「…声変わりしてるんだ…イメージと、ちがーう」
「……!?」
 一瞬、ジトっとした、暗い声。……そんなこと言われても…。
 気圧されて、もう声も出せない。
 目を見開いて、背中に冷や汗を掻いた。
 
 でも、お姉さんはすぐに気を取り直したように、話し出した。
「……髪、染めてるんじゃないよね? 目も澄んだ薄茶色だし…肌、真っ白だし……女の子みたいに綺麗なのに、でも違う……」
 遠慮がちに言いながら、指の先をもじもじと胸の前で絡ませている。
 その仕草は、とても恥じらっているように見えるけれど、食らいつくような眼光が、やっぱり怖い。
「金色なんだけど、銀のイメージなんだ…だからね、君のこと、セレネ君て呼んでる」
「……?」
「月っぽいの。だから、銀」
「…??」
 
 ……なに…何の話しをしてるの?
 言葉の意味が、さっぱり理解できなくて…。誰かに助けを求めるように、辺りを見回したけど、おばさん達はそっちのけで掃除を続けていた。
 
「一緒に、カッコイイ子、いたよね? あっちも楽しみだったのに。最近見れなくて、残念なんだ」
「……え?」 
 き…霧島君のことかな。
 お姉さんに視線を戻すと、今度は斜め上を見上げるように、うわの空で瞳をキラキラ輝かせてる。
 うっとりした感じが……どうしよう…。
「カッコイイと綺麗が揃ってて、ここで見れるの、ラッキーだと思ってたんだ」
 またキャッと一声上げて、喜んでいる。
「………」
 僕はもう、ただただ、背中にダラダラ汗が流れて。
 お愛想笑いも、引きつっていたと思う。
 ぼーっとしたり奇声を上げたりする妙な行動に、怯えるばかりだった。
「それとさ…」
「エミちゃん、あっちやるよ」
 他に何か言いかけた所で、幸いにもおばさん達からの、声がかかった。
「あー、戻らなきゃ。また逢えたら、よろしくね」
 最後にもう一度、キラキラした目で舐めるように見つめられて、僕は扉の端にしがみつきながら、コクコクと頷くのが精一杯だった。
 
 
「いよッ、モテんじゃないか!」
 急に背中をバシンと叩かれて、僕は飛び跳ねた。
「…うわっ…」
 驚いて見上げると、増田のお兄さんだった。
 戻っていった女の子をチラリと見ながら、笑っている。
「…も……もて…?」
 目を白黒させて、咳き込んでいると、
「ありゃ、君が目当てで来てるボランティアだな」
 面白そうに、またニヤニヤと笑う。
「……えーーっ」
 驚きつつ、戸惑った。
 “目当て”って意味が、判らないからじゃない。
 女の子が霧島君に寄ってきたり、すっごい人気があるって、そういうのは知ってたから。
 
 でも……
 僕にはそんなの、一切関係なかったし。
 教室でもクラブでも、女の子が居たところで、まったく存在してないのと同じだった。
 っていうか、霧島君だって、同級生や後輩の子、まるっきり相手にしてなくて。
 だから僕のほうでも、視野に入りようが無かったんだ。
 
 ───あ……!
 鈍感な僕……やっと、それがなぜなのか、思い当たることができた。
 今なら、わかる。霧島君の、そういうとこ。
 僕が克にぃしか見てなかったみたいに、霧島君も…僕しか……見てなかったんだ。
「まんざらじゃねぇのかッ」
 急に赤面した僕を勘違いして、増田のお兄さんは、また背中を叩いてきた。
「ええーっ、違う…」
 どっちにしろ恥ずかしくて、僕はしどろもどろでもっと真っ赤になった。
「これからは、セレネ君て呼ぶか」なんて冗談を言ってくるから、「なんですか? それ…」良く聞き取れたなあって思いながら、訊いてみた。
「意味、判るんですか?」
「ハハッ、わかんねーよ!」
 カラカラと笑う。やめてください~って困りながら、中庭に出て散らばる子供たちを真ん中に集めた。
 
 お手伝いは、だいぶ僕も慣れて、板に付いてきたと思う。
 “体操のお兄ちゃん”って寄って来る子達を、整列させられるようになったんだ。増田のお兄さんは、“体操の先生”って呼ばれて、一人になっても厳しく、教えてる。
 一緒になって手足を動かしてあげているうちに、みんな熱中し始めるから。そうしたら、僕の仕事は終わりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「がんばれって…言われても…何をしたらいいか、判らないんです」
 
 待ちに待ったこの時間。
 僕はハンカチで汗を拭いながら、いつも通り左側の個室で、漠然としたお喋りを始めていた。
 
『僕を好きだって言ってくれた友達が…自分だけ決めてたことが、あったんです』
『将来のこと、いつの間にか決めてて、…驚きました』
 
 心にある戸惑いを、いつも吐き出していた。
 霧島君がいなくなったこと。
 好きな人、大切な人がいなくなっていくこと。
 ……それを受け止める時間が、僕には必要だった。
 
「置いてけぼりみたいで、僕…どうしたらいいか、わからないんです」
 
 新米神父さんは、ただ聞いてくれて、何も言ってくれなかった。
 でも僕はそれだけで、充分だった。心を吐き出すことで、泣かないで済んでいたから。
 克にぃに何でも話してた時みたいに、不安なコトをさらけ出して。
 その度に、気持ちが収まって行くような気がしていた。
 
 今日も話しながら、前より気分が落ち着いていることに、気が付いた。
「……なんか、不思議。心がぽっかりしたの、最近は無くなってきたかもって……思います」
 あんな哀しかったのに。……克にぃのときも。霧島君も。
「………」
 目を瞑った真っ暗闇の中に、克にぃの優しい笑顔が浮かんだ。
 鼻の奥が、ツンと痛くなった。
 
『……不思議なものだよ、いろんなことに慣れて行く』
 
 青い光りに浮き上がる、二人だけの小宇宙。
 ……そのベットの上で教えてくれた言葉、……不意に思い出した。
 僕が、『嫌な気持ちになるの、やだ』って…泣いたときだ。
 そうだ、あの苦しい感覚だって…今はだいぶ違う。
 
 ───こういうことなのかなぁ、克にぃ…。
 今度は、胸がズンと痛んだ。
  
 何度も繰り返すうち、…慣れていく。
 嫌な気持ちも。
 寂しい気持ちも。
 ……一人でいることにも、慣れていってしまう。
 
 
「………うぅ…」
 ─── そしてそのまま、僕は…進まなきゃ行けないの…?
 苦しくなって、呻いていた。
 
 
 喉を両手で押さえて、息を大きく吸う。
 ちょっとした、沈黙が流れた。
 その後、思わぬ返答が返ってきた。
 
 
 
「そうやって、慣れていけるんだ。……人間て…不思議な生き物だね」
 
 
 
 ………えッ!?
 
 僕は驚きすぎて、また息を詰まらせた。
 まるっきり同じ言葉を、この神父さんからも聞くなんて。
 閉じていた目をバチッと開けて、薄暗闇の中、縋るように左側の仕切り網を見上げた。
「はい…ハイッ……不思議です!」
 その言葉に精一杯頷いて、どれだけ共感してるかを伝えた。
 ホントは、僕が先に“不思議”って言ったのに。
 こんな言葉、よくあるものかもしれないのに。
 僕には克にぃがもう一度教えてくれたとしか、思えなかった。
 
 まだドキドキが収まらない中、ふと思い付いたみたいに、また新米神父さんが問いかけてきた。
 
 
「君は、何がしたいのかな?」 
 
「…え?」
 
 
 あまりに独り言みたいで、聞き取りにくかった。
 でもまた、第二の天啓みたいにその言葉は、僕の中に落ちてきていた。
 
 
 
 ───君は、何をしたいのかな?───
 
 
 
 痺れたような頭の奥で、何度も何度も繰り返された。
 それは克にぃの声となって、いつまでも響き続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふと思ったんだとおもう、何気ない神父さんの質問。
 ……それは、当然のことだったと思う。
 僕だって本当なら、考えていたはずだから。
 そこに踏み入れなきゃ行けないってこと。 
 
 
 でもそれは……僕自身さえ、気付かないうちに、封印していた言葉だった。
 
 その裏に潜む恐怖に、怯えるがあまり。
 解放するまでは、その恐怖と向き合うのが一番怖かっただなんて、知るはずもなかった。
 だから、ぽっかりとそこを無視するように。
 
 “将来”
 
 そのキーワードに触れるたび、僕の心は思考を停止して。
 真っ白になっていたんだ。
 
 
 
 そして、心の不安を解放するキーワードも、同じその言葉だったなんて。
 
 この第二の天啓を切っ掛けに、僕のこれからは……
 本当の意味で、成長し、変わっていくこととなった─────
 


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