chapter20. For all time ~過去も未来も~
1.2.3.4.5.6.
 
 6
 
 ポーチに出ると、いつからか咲かなくなっていたバラのつるが、伸びていることに気が付いた。
 中庭は色褪せて、僕はひなたぼっこにも、出なくなっていたけれど。
 ピンクや黄色や白の花が、たくさん柵沿いに植えられている。
 振り返ると、玄関からの白い石畳の両側も、紫の花の列が出来ていた。
 ───かあさんが、庭の手入れを再開したんだ。
「……行ってきます」
 思わず中庭に、声を掛けていた。
 大好きだった輝きが戻ってきたみたいで、嬉しかった。
 
 よくよく見てみると、あちこちの庭に、綺麗な花が咲いてる。
 街路樹は黄緑色で、空は薄青くて。
 暖かくなった風を切るのが、気持ちいい。
 一人でも通い慣れた駅までの道を、僕は土や草の匂いを感じながら、自転車で走った。 
 
 ───ほんと、気持ちいい…。
 
 なんてよく、色々な物が目に入って来るんだろう。
 克にぃといた時は、感じていた季節。
 僕がアレはなに? って聞くたび、克にぃは何でも説明してくれた。
 春には花が咲いて、夏には蝉が鳴いて、秋には葉が落ちて、冬には雪が降る。
 そんな季節の訪れの合図が、いつも待ち遠しかった。
 一年、一年、確実に僕は大人になる。……克にぃに近づいていく───
 
 その克にぃを失ったと思って……。
 何もかも無意味だと思って、すべてから目を閉ざしていたけれど。
 ──克にぃを想って、旅をする仕事に就く──
 その思いつきが、どれだけ僕に変化を与えたのか、自分でも驚くほどだった。
 
 ……それは、忘れていた胸のドキドキ。
 そばにいなくたって、思い出が繋がってる。
 そう思うだけで、こないだまでの世界とは、まるで違って見えた。まるで生まれ変わったみたいに、晴れやかな気分だ。
 中庭も、街の風景も、どれだけ好きだったか……大事な景色だったか。
 僕が大切にしなきゃいけなかったのに。そう思いながら、今まで見なかった分を、じっくり見ながら走ったんだ。
 
 
 いつもどおりのプラットホームも、なぜだか、きらきら明るい気がする。
「…………」
 電車に乗って、窓の外を眺めてみた。
 二駅だから、すぐに着いてしまう。それでも住んでない街に行くのは、どきどきする。
 でも今日はもっと、心臓が高鳴っていた。
 ……これが、ずっと遠くだったら?
 ……何時間も掛けて、新幹線にだって乗って……もっともっと、遠くへ行ったら?
 未知への土地へ繋がってる電車。真っ直ぐに続く線路。
 これがもしかしたら、克にぃに続いているかもしれないなんて。
 
 
 
 この凄い思い付きは、“趣味とジツエキを兼ねる”んだって。
 あとで知った、言葉。
 新しい土地への冒険…それが、克にぃとの再会になるかも。それが僕の未来。
 
 
 
 
 早く新米神父さんに報告したくて、駅に着いてからは、走り出していた。
 克にぃが見たら、驚くよね。こんなに僕、一人でなんでも出来るようになったんだ。一人で、電車に乗ってるんだよ!
 
 ところが教会に着いて、中庭に走り出てみたら、あの女の子がまた来てて、驚いた。
「あ!」
 二人で同時に声を上げてしまった。
 僕はぎょっとして。向こうは、真っ赤になって。
 
「………」
「……また逢えた、セレネ君…」
 
 きらきらとした目で、見てくる。
 
 ───セ…セレネ君…って!
 ……本当にそんな名前つけて、僕を呼んでるんだ…?
 
 思わず凝視しちゃった。僕の顔は、すごい引きつってると思う。
 エミちゃん…だったかな? この謎の人…できたら、避けていたかった。
「………」
 今日もボランティアが重なるなんて、思いもしなかったから。僕のきらきらしてた心は、急にしぼんでしまった気がした。
「……こんにちは…」
 怖々、エミさんにお辞儀をすると、嬉しそうに近づいてきた。
「あたしね、掛け持ちしたんだよ」
「………?」
「女性部。ご飯作る係りも、立候補したの!」
 遠慮がちだったのに、いきなり声を大きくして、嬉しそうに話し出した。
「この間言おうと思って途中になっちゃったけど、この教会って、綺麗な人多いよね。素敵系率が高いでしょ? せっかくだから、もっと通いたいと思ったんだ」
 
 ……ス、…ステキケイリツ…???
 
 意味が分からなくて圧倒されていると、目をしばたかせてまた言う。
「綺麗な子や神父さん、素敵な人が多いって言ってるの!」
「───ああ…」
 綺麗な子って……僕のこと…だよね? こないだ言われたこと思い出して、思わずまた赤面してしまった。
 でも、───神父さんって…。
 お髭の神父さんと新米神父さんが、頭に浮かんだ。
「あの神父さん、臨時なのかな。時々しか観れないから、あたしがもっと通わなきゃって思ったの」
「……あ…うん、日曜しか…」
「きゃぁ、そうなのっ!? わあ、良かったぁ、あたしねぇ」
 嬉しそうに話しだす言葉は、上の空でしか聞けなかった。
 
「………」
 “素敵な”って言い方に、驚いた。
 あの猫背の神父さん、見た目は細くて頼りなさげだけど……優しそうな笑みを、いつも浮かべてるし。
 エミさんには、ステキに見えるんだなぁって、新鮮な気分になった。
 
「あッ、じゃあね、セレネ君。あたし、そろそろ上に行かなくちゃ!」
 名残惜しそうな目でまた僕をじっと見て、建物の中に走っていく。それを、唖然として見送った。
 ───よく判らないこと、沢山だけど……変だし…でも、ちょっと面白い人?
 ため息を付いて、前よりは逃げ出したい気持ちばかりじゃないかもって、気づいた。…これも、慣れなのかなぁ。
 
「おーい、そろそろ始めるぞ! 集合ーーーッ!」
 野太いかけ声に振り向くと、増田のお兄さんがちっちゃい子を肩車しながら、おいでおいでをしているのが、目に入った。
「あ…ここにも、ステキ系がいた」
 思わず笑っちゃった。
 
 
 
 
 
 
「神父さん、僕今度は、やりたいこと見つけました!」
 嬉しくて、開口一番に報告した言葉。
 
 ……ずっと前の、霧島君を思いだした。
『センセ、俺さ、中学行ったらやりたいことみっけたよ』
 僕が保健室でうがいをして倒れた時、聞こえてきた嬉しそうな声。
 
 “強くなりたい”そう言ってた霧島君は、中学で柔道部に入った。 
 言葉にはしなかったけど…あの時からもしかして、僕を守るって…思ってくれていたのかな……。
 今になって気づくことが、本当にたくさんある。
 誰かのために何かしたいと思って、進路を決める───あの弾んだ声は、今の僕とまるっきり同じだと思った。
 
「神父さん……僕、最近とても色々なことがわかるように、なりました」
 報告をそっちのけで、思いついたことを口にしていた。 
 
「僕、ずっと───大好きな人を…好きでいることに、迷っていたんです」 
「……うん?」 
「嫌われているかも…好かれる資格がないかも……そう思うと、とても怖かったです」
「………」
 
 でも……桜庭先生に言い返しているうちに、わかった。
 僕が好きでいる限り、僕は克にぃのものだって、思いなおせた。
 そして……
『克にいを好きな天野だから、…そんなお前だから、好きだ』
 そう、霧島君が言ってくれた言葉。───あれは、僕が僕でいていいって、ことだったんだと思う。
「友達が言ってた、“がんばれ”って言葉……」
 霧島君は、最後まで僕にメッセージを残してくれたんだ。
 
 “そのお前のまま、未来にむかって、頑張れ。”
 
「好きな人を思い続けて、その方向で頑張れって、言ってくれてたんです」 
 胸が熱くなってきて、声が震えた。
 
 
「……良い友達が、いたんだね」
 
 
「────!」
 また、思いがけない言葉。ますます胸が、詰まった。
 薄暗い個室で両手を握りしめながら、斜め上の網窓を見上げる。
 
「そんなに思ってくれる友人など、めったに出会えるものじゃないよ。……感謝して、大切にしないとね」
 
「……はい…!」 
 
 今度こそ息をのんで、驚いた。
 だって、それは……克にぃだったらきっとそう言ってくれるって、思った言葉。
 声も、言い方も……まるで克にぃだった。
 ───熱い胸が、熱すぎて痛い。
 この感覚を味わうたび、僕は思う。どれだけこの神父さんに、助けられてたんだろうって。
 この声の助言がなかったら、きっと僕は、ココまでになれなかった。
 
「僕、ずっと一人だと思ってました。……でも、違ったんです」
 ……わからないところは、質問して。
 ……怖いことには、立ち向かえた。
 差し出して見れば、自分を助けてくれる手がこんなに多いこと、……知らなかった。
 “お前一人の命じゃない” とうさんにも、叱られた。
 生きること、放棄しちゃってたら…克にぃが悲しむ。……霧島君が、悲しむ。
 とうさんも、かあさんも。
 そういうこと、やっと実感したと思った。
 
 
「誰かに助けを求めることが、できたんだね?」
 神父さんが、黙り込んだ僕の様子をうかがうように、訊いてくれる。
「……うん……はい、僕…頑張りました」
 神父さんに助けを求めたんですよ!って、壁の向こうに叫びたかった。とっても助かりました!って。
 ……でも、恥ずかしくて。
 
「それは、進歩したね」
 
「……ぅう……はい!」
 優しい声で褒めてくれる。ますます感激しちゃった。
 嬉しくて嬉しくて、僕は思わず唸ってから、大きな声で返事をしていた。
 クスリと笑う気配。
「……じゃあ、もうココは卒業かな?」
 
 ───え…
 
「あ、それは……まだこれから怖いこと、あるかもしれないし…」
 焦って、言葉に詰まった。
 克にぃに逢えるかもしれないって希望と、この楽しい時間が終わりなのは、違う。
 僕には、どっちも必要だった。
 さっきの感動して目に溜まってた涙と、急に哀しくなった涙が、一緒に膝に落ちていた。
 
「そう、じゃあ来週も来てください」
 
「……!」
 他にどう言おうかと考える間もなく、さらっと返答が帰ってきた。
 改まった言い方。お髭の神父さんが、礼拝堂で言うみたい。
 何でそんな言い方をするのかは、わからなかったけど…
「はい! ……よろしくお願いしますっ!」
 
 嬉し泣きに変わった鼻声でお礼を言って、今日の相談時間も、終わりを迎えた。
 いつも通り、僕が先に出る。
 眩しい光に慣れるまで、しばらくよろよろと通路を歩いた。
 
「……ふう…」
 今日は興奮しちゃって、転びそうになって危なかった。
 鼻をすすりながら、玄関入り口の木製ベンチに腰掛けて、休むことにした。
 涙を拭いて壁に寄りかかっていたら、礼拝堂の向こう側の通路から、新米神父さんも戻ってきた。
 
 ───あ…
 
 その姿を見た途端、僕はもう我慢できない衝動に駆られた。
「───ッ」
 声を掛けそうになって、でも相手が僕だって、あの人には判らないのに…! その照れくささから、一瞬思いとどまって。
 それでも立ち上がって、駆け出していた。
 
 
「神父さん……!」
 
 
 嬉しい思いが、そうさせていた。
 今までだったら、ぐっと我慢していた。でも今日は、熱く震える心を、押さえ切れなかった。
「……はい?」
 びくっと全身を跳ねかして、新米神父さんは僕を見下ろしてきた。
 その目を見上げて、もう夢中だった。
「僕…やっぱりお礼を言いたくて……今日は、ありがとうございましたっ!!」
 
 
 
「……なんの…事でしょうか…?」
 
 
 
「……あ、いえ…、あの……いつも相談に乗って貰っていて…」
 
「…え、相談……?」
 
 
 
「──────」 
 
 
 見上げる僕に、不審な目。
 知らない振りをしてるとかじゃなく、本当に何のことだか判らない感じ。怯えて困ったような顔に、僕もその先が詰まった。
 ……でもそれよりも、僕が驚いていたのは……
 
 ────声が…違う。
 
 当然返ってくると思っていた、聞き慣れたあの声ではなく、変に甲高くて、まるで女の人みたいな印象だった。
 あまりに違う弱々しい声に、僕はただ動転してしまって……
 その時、追い打ちを掛けるように、エミさんが生活棟の階段を駆け下りてきて、僕に叫んだ。
 
「あ、セレネ君! 聞いてよ、いた、いたっ! さっき言ってた素敵な神父さん、見ちゃったよーーーっ!!」 
 
 僕の横にいる、新米神父さんには、目もくれない。
 顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうで……両手を胸の前で揉み合わせて、ぴょんぴょん跳ねている。
「んもう、めっちゃステキ! やばいよやばいよ、あの美貌、まさに黒天使だよおぉ!」 
 
 
 僕は今度こそ、パニックになった。
 
 
 
 なに…誰のこと、言ってるの… 
 ────この神父さんじゃ、なかったの…?
 
 
 
 僕が話してた、神父さん……
 エミさんが言ってる人……
 頭がぐるぐる回り出す。
 
 
 待って、ちょっと待ってと、心臓が早く鳴り出す。
 
 
 この人じゃないなら、アレは誰……?
 エミさんが見たって、黒天使って……何!?
 
「……………」 
 全身が、考えてはいけない期待に、ガタガタと震えだしていた。
 
 
 
 
 どういうこと…?
 
 ────神父さんが……もう一人、いるの?
 
 
 
 ……克にぃの……声をした────
 


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