chapter21. Same Time ~甦生~
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 1
 
「カツハルは、死んだ」
 
 低めのバリトンが夜の甲板で、静かに響いた。
 銀の双牟が見つめる先には、遙か向こうで燃え尽きてゆく赤い炎が、白煙を幾筋も立ち上らせている。
 
 そこには水没する貨物船の、最後の姿があった。
 船首を真上に持ち上げて、先端が大渦に飲み込まれてゆく。
 赤黒く染まっていた空や海は色褪せ、灰色から元の闇へと戻っていく。名残のような轟音が海中を伝い、停泊していたクルーザーの船底をも、震わせていた。
 
「あいつは時間に、間に合わなかった」
 銀の瞳に炎の消えた暗闇を映しながら、抑揚のない声が冷たく言い放つ。
 それへ、ズンと響く低い声が、怒りを孕んで投げかけられた。
「まだ判らんだろう、もう少し船を寄せろ」
 
 プラチナを纏った男は腰まである髪をさらりとなびかせて、背後に立つ大男に視線を移した。そして眼を細めて、この冷徹な男にしては珍しい苦々しいような表情を、一瞬だけ作った。
「立てる状態では、ないはずだ。戻って安静にしていろ」
「…船を寄せろ」
「よく意識が戻ったものだが…まだ安心はできないと、言われただろう。……死ぬかもしれないぞ、メイジャー」
 
 無謀な重圧を掛けてくるこの大男に、目覚めた途端現状を問われ、最後はたしなめる有様だった。
 銃弾を胸と腹に1発づつ、肩に2発。貫通していない弾もあり、肩を裂き内蔵を剔っての摘出手術を施していた。
 更に出血が激しかったため、立ち上がるのでさえ、通常の人間なら不可能だろうという重体だ。
 
 包帯を体中に巻き、手すりを掴む手を震わせながらも、にじり寄って来る男の顔には、鬼気迫るものがある。部下達ならば、青ざめて言うことを聞いたに違いなかった。
 しかしクルーザーの主は、まったく取り合わない。
「船を出す。ベッドへ戻れ」
 冷たい視線を投げかけて、颯爽と身を翻す。白カシミアのロングコートが、銀の裏地を見せてはためいた。
「グラディス…!」
 すれ違いざまに、そう低音が唸った時、にわかに甲板が騒がしくなった。
 
 サーチライトがいくつも照らされ、黒い海に丸い光の円を作る。
 黒服に身を纏った同じ顔をした青年達が数人、デッキの先に立っていた2m近い長身の二人に、走り寄ってきた。
 
「プルクスが海面に浮かぶ何かを、見つけたようです。あそこです」
 いくつものライトの円が海面で一つに重ねられ、そこに確かに、何かがあった。
 黒い球体と、後ろに白い塊も見え隠れする。
「…ふたり…? ───いるようですね……」
 
 
 
「……克晴、……シレンッ!!」
 
 
 指し示した方向へ、一同が眼を向けて確認した時。
 それと同時に叫んだ大男メイジャーは、船首の端から海へ…誰が止める隙もなく、激しい水しぶきと音を立てて、飛び込んでいた。
 
 後を追うように立て続き、黒い双子がしなやかに身を躍らせて、二人同時に飛び込む。 
 他にデッキに出ていた者は、ボートを下ろす用意を始めた。総てが合図無しで、淡々と行われてゆく。
 その中で一人、喧噪を見下ろしながら腕を組む銀の王グラディスは、呆れた様に溜息を一つだけ、ついていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 沈む船から離れ、海面に見え隠れする唯一の灯りを追い、シレンを牽引しながら泳ぎ続けた克晴は、体温を奪われ、そして意識をも失い始めていた。
「……はは、…メグ、待ってろよ」
 もはや感覚は麻痺し、寒さも冷たさも感じていない。
 幻覚や妄想を見始め、逢いたいと願うただ一人の弟、恵との再開の一人遊びを始めていた。
 
 
 ──俺は、自由だ──
 
 苦しみの全てから解放されたと感じた克晴に、光りの輪が重なる。
 最後の力が尽きようとしていた。
 まばゆい輝き── それは克晴にとって、自分を導いてくれた光、恵そのものだった。
 ……天使だ…天使の光臨……
 克晴はそこへ手を伸ばして、温かな手に触れた気がした。
 ……メグ
 消えゆく意識の中で、克晴は泣いていた。
 
 いつも一人じゃなかった。幸せだったんだ……俺は…
 ───ありがとう、メグ…愛してる…
 
 温もりに包まれて、最後の意識も手放して、生きること総てからの、魂の解放をしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 幾重にも重なるサーチライトに照らし出されたそれは、白い顔を上げた。そして張り付く黒髪の隙間からうつろな目を船に向けて、うっすらと微笑んでいた。
 手も足も硬直して、冷え切った克晴の体は、浮くことを放棄したように、飛び込んだメイジャーの数メートル先でシレンを手放し、海に沈み始めた。
 
 溺れてゆく2つの肢体。
 赤髪は波間に呑まれ、もう一つは海底に引き込まれてゆく。
 サーチライトのおかげで、海中にまで明かりが届く。メイジャーは海面を流されるシレンの影を眼の端に確認しながら、手を伸ばしたまま波間に落ちていく克晴を追った。泳ぎ追いついた手を掴み、握りしめ、引き寄せて海中で抱きかかえると、反応しない四肢は、海水よりも冷たく凍っていた。
 大男は厚い胸板にそれを包み込んで浮上し、待機していた黒子達の操るボートへ引き上げさせた。そこには寸前に双子によって助けられていたシレンが、横たわっていた。
 
 如何なる強靱な肉体をもってしても、重い傷を抱えたまま極寒の海に飛び込むなど、無理があった。
 メイジャーは二人の姿を確認した後に力尽き、またしても、死の淵を彷徨うこととなった。シレンと克晴と共に、昏睡状態の身となり、戦友グラディスの顔を歪ませた。
 
 開いた傷を再び縫い合わせた黒子は、何度も「保たないかもしれません」と繰り返し、「それならそれでいい」と、冷たい声は感慨もなく返された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ────克にぃ…
 
 優しい声に包まれた気がした。
 そして精一杯の優しさで、背中を抱きしめてくれる恵の腕。それがもっと大きな温もりへと変化した気がして、克晴は深い眠りから、意識を目覚めさせた。
 
「──────」
 
 薄く開けた瞳に映るのは、眩しい光と白い天井。
 混濁したままの意識は、それが何なのか、判らないでいる。瞬きもままならない緩慢な動きで、頬に触れる温かな感触へ反応したように、視線を右に動かした。
 
「……かつはる」
 
 鼓膜に直接ズシンと来る低音が、耳を震わす。
「…………」
 目を凝らすと、大きな黒いシルエットが横から自分を覗き込んでいる。
「…克晴」
 もう一度囁かれて、今度は胸が痺れた様に、揺さぶられた。
 
「──────」
 深い緑を帯びたダークブラウンが、太い眉を顰めて自分を見つめている。
「気が付いたか、オレが判るか?」
 低い声は、己がそこにいるのを当然として、静かに訊いてくる。
 しかし克晴には、その姿が目に映っていること、自分自身がどうなっているのか、その理解からしなければならなかった。
 
 ───ここは…天国か?
 真っ白で眩しい病室に勘違いをして、自分はやはり死んだのかと思った。しかし、目の前にある男の顔を眺めながら、思い直した。
 ───いや、メイジャーがいるんだから、地獄か……
 
「…おい、克晴?」
 目を開けたままぼんやり眺めてくるだけの顔に、メイジャーは少し力強く語りかけた。
 ブランケットの上から寝ている肩を掴んで激しく揺さぶり、頬を軽く叩く。
「しっかりしろ、オレを呼べ! 喋れないのか?」
「……………ッ」
 ガクガクと力強い振動と、衝撃、響く重低音、それらが克晴の全身に響きわたり、衝撃のように停止していた思考を、揺り動かした。
 
 ────エッ、…………メイジャー…!?
 
 驚きはそのまま眼光に宿り、見開いた目線となって、斜めに覗き込んでくるダークブラウンと見つめ合った。
「……ッ!!」
 衝動的に体を起こしてその顔をもう一度、穴の開くほど見つめ直す。
 顔中髭を生やして、太い眉、力強い鼻梁、掻き上げた真っ黒な前髪、そして厚みのある大きな体と…その存在感。今は髭は伸び、院内服の上に黒いガウンを纏っているが、紛れもなくあのメイジャーだった。
 
「────あ…」
 我に返ったように克晴は顔を上げて、巨体の後ろに視線を巡らせた。
 窓に白いブラインド、横の棚には水差しと何かの器具、そして左腕からは点滴の管が上に伸びていて……病室…ベッドの上? ……自分は死んでいないのだ、と悟った。
 そしてハッと思い出して、目の前の顔に訊いていた。乾いた唇と舌で、掠れた声を絞り出す。
 
「シ…シレンは!? ……俺が助かったなら……」
 ダークブラウンが驚いたように見開かれると、ジッとその様子を見つめてから、抑えた声で教えた。
「……別室で、集中治療を受けている。まだ目覚めてはいないが…大丈夫だ」
 
「────」
 
 言い聞かせるような、ゆっくりとした、言い方だった。
 一気に噴き出しそうになった、不安と焦燥感が抑えられていくのを、克晴は胸の内にじわりと感じた。
 そして、この先回りをする物言い、もう聞くことはないと思った低いバス…その声の主───これは本物なのかと、やっと眼と眼で見つめ合った。
 それでもまだ、半信半疑で。嘘だと打ち消すように、首を横に振りながら、掠れた声を絞り出した。
 
「………メイジャー…」
 
「…そうだ、オレだ」
 
 起こした上半身を支えるように、太い腕を背中から回して肩を抱き、鼻先が触れるほど顔を寄せた。 
「……生きてた…のか?」 
 声が震えるのを、克晴自身、抑えられなかった。
 自分の手をすり抜けて、海に落ちて行った男。その体からは、幾つもの血飛沫が上がっていた。
 極寒の海にあんな落ち方をして、助かる訳がない。死んだと信じこんでいた克晴には、どうしても目の前の事実が理解できなかった。
「なんで…どうして……」
 驚きで高揚していく顔に、フッと口の端を上げてメイジャーは、
「オレが死ぬか。…不死身だ」
 ゆったりと口の端を上げて、余裕の笑みを作って見せた。
 
「海中で涼みながら、寝ていたからな。オレもよく判らんが…そいつらがグラディスの船に、運んだらしい」 
「───え?──」 
 メイジャーの視線を追ってベッドの反対側に顔を向けると、そこには白銀の王が黒い双子を従えて、自分を見下ろしている姿があった。
 
「……グラディス!」
 
 これが最後とデッキの上で見つめたあの顔が、傷一つなくそこにある。克晴はまた驚いて見上げた。
 白いスーツを着こなしている銀細工の端正な顔は、変わらずの無表情だった。
 克晴の意識が戻ったことも、メイジャーがそこにいることも、どう感じているのか、まるで読めない。
 冷めた眼光で、腕組みをしている。
「……………」
 流れ落ちてくる銀の滝を見上げながら、走馬燈のようにあの夜の記憶を思い起こして、克晴は胸に引っかかる物を感じた。
 
「助けた? メイジャーを? ……嘘だ。あんた、見殺しにしたんじゃないか…」
 
 自分の目で見た光景が、鮮明に蘇る。一人別世界にでもいるように、離れた場所で携帯電話なんかしていて…あの時に感じた絶望感も思い出し、見上げていた顔は、怒りに眉が吊り上がっていた。
「俺が叫んでいたって、まるっきり…ッ」
 悔しすぎて、喉が詰まった。
 カラカラに乾いている舌では、もともと喋れる物ではなかった。ブランケットを握りしめて睨み付けるのを、銀の目は聞こえていないかのように微動だにせず、見下ろしてくる。
 
「わたしがデッキに上がった時には、もう撃たれていた。…あそこでチェイスを責めても、何も変らない」
 
 薄い唇が、さらりと言葉を紡いだ。
「………は…」
 事例を物語るだけのような物言いに、やはり温かい人間味などは感じられない。納得のいく説明にも、なってはいなかった。
 
「貨物船に乗り付けたグラディス様の船は、離れた距離に停泊させていたのです。連絡を受けてすぐに、ボートを出せました」
 
 後を引き取るように、背後の左側の青年が、説明を付け足した。
「………連絡?」 
 勢いで睨み付けた克晴に、漆黒の瞳もまた涼しげだった。
「同時にわたしたちはすぐに飛び込んでいたので、間に合ったのです」
「…メイジャーが左舷側に落ちた…と、言っただけだ」
「─────」
 困惑しはじめた克晴の横で、当のメイジャーも当然至極のように冷めた声で語りだした。
「こいつは仕事や組織に目を行き届かせるために、いつも携帯で船と連絡を取っている。どの組織がどう動いたか──見張らせて、事細かに報告させているんだ。そのついでだった、と言っている」
 最後は屈めていた巨体を起こして立ち上がると、
「“オレ”を───お前が、放置するはずもないがな」
 向かい合った銀の王に、口の端をぐいと引き上げて、不敵な笑みを作った。
 
 
「……そんな……助けたなら、何でそう言わないんだよ…?」
 
 対峙する銀と黒の山の間で、克晴は複雑に絡む記憶を、どうしても解せないでいた。
 チェイスに味方したような振る舞いや、薬を打たれた自分を観察する時の姿は、とても裏でそんなことをしているような人間には、思えなかった。
 


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