chapter21. Same Time -新星-
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 8
 
その頃、克晴には戸惑うことが出来ていた。
 身を隠していても、絶対誰とも会わないわけではない。ボランティアに来る人たちと、ほんの少しだが、交流もあった。
 特に食事に関しては、片づけくらいは自分でやりたかったので、台所の出入りで顔を合わせる機会がある。その中に、変に自分を見つめてくる女の子がいた。
 うっとりとした目は、明らかに「恋をしてます」といった具合で。
 しかし克晴には、想いを寄せられても困るばかりで、あまり干渉もされたくないのも相まって、出来るだけ近づかないようにしていた。
 
 
「だいぶ慣れたようですね?」
 白い口髭を撫でながら、相談役の用意をしている克晴に、出掛け間際の神父が声を掛けてきた。
 すっかり春になり、暖かくてコートも要らないくらいの陽気になっていた。
「はい…おかげさまで……」
 額の汗をハンカチで押さえる神父に、口髭の上もですよと、指先でジェスチャーする。
「…最近は、つい何かを言ってしまうことも、あるくらいです。でも、こんな自分相手に、毎週必ず来てくれるのは…嬉しいですね」
 克晴自身、週末を楽しみにするようになり、先の長すぎる抑揚のなかった生活に、張りが出てきていた。
 頭の中の少年を思い出しながら、微笑んで返すと、
「フォッフォッ、それは良かったです!」
 神父は深い溜息をついて、心底安心したと言うように頷いた。
「外の世界に戻れる、よいリハビリになったでしょう」
「…………」
「そろそろ、約束の2年が経ちます。連絡が来るかも知れません……しかし貴方の閉鎖された生活のまま、いきなり外に送り出すのは心配でした。ちょっと無茶かとは思ったのですが、ちょうど舞い込んできた相談の代役を、無理矢理頼んでしまいました」
 丸い指を揃えて、優しく克晴の肩に右手を置く。
「貴方は、立派に成長して帰ってきました。……神の子の道を選ぶのなら、必ず素敵な神父になりますよ、懐いてくれたおちびさんが、何よりの証拠ですね。フォッ!」
 
 
 
 
 
 懺悔室の中も暖かい。
 扉に付いたカーテンから微かに入る明かりも、以前より強さを増したように感じる。
 ───また春が来たんだな…
 少年を待ちながら、克晴はふう…と溜息を付いた。
 厳しい冬を乗り越えて、真っ白な病室で、春と夏を過ごした。最後は穏やかな日々だった、メイジャー達との出会いと別れを思い出す。
 今またここに繰り返される“別れ”に、なんとなく一抹の寂寥感のようなものを覚えていた。
 恵の元へ帰れる…その喜びと一緒に、別の複雑な気持ちを抱いたのだ。 
 
 この代役神父を任せられて、2ヶ月近くになる。顔も名前も知らないながらに、自分を信用して色々なことを話してくれるようになった少年に、克晴も愛着が湧いていた。しかしそれだけに、気になることがあった。
 まだ悩みを解決しきれていない…それを最後まで聞いてあげられないとしたら、中途半端で無責任になってしまう気がする。
 そして、もう一つ大事なこと。
 ……自分はいなくなるかもしれない、それをあの子に告げなければ。
 二度といきなり掻き消えて、誰かを悲しませるようなことは、したくなかった。
 
 しかし、開口一番発せられた喜びを湛えた声は、克晴の心配を良い意味で裏切ってくれていた。
「神父さん、僕今度は、やりたいこと見つけました!」
 
 今まで聞いたことのない、明るく元気な声。それはますます面影を重ねていた恵と、重なった。可愛いな…と、思わず顔がほころぶ。
 しかし、何をみつけたんだろう? と期待していると、違うことを言い出す。
「神父さん……僕、最近とても色々なことがわかるように、なりました」
「………」
 喜びと感慨に溢れた、とても明瞭な喋り方に、一皮剥けたような印象を受けた。
 初めて聞いた頃のガサガサと掠れた感じまで、少し綺麗になった様に思える。
 話し出したのは、毎回口にする“友達”についてだった。
 この少年にとって、とても大きな存在で、大事なことを言ってくれるらしいのは、感じていた。
 その友人が、迷いも想いも受け止めたうえで、「好きな人を思い続けて、その方向で頑張れ」と言ってくれたと言う。それを理解できたことを、喜んでいる。
 
 ───いい友達をもっているんだな、……良かった。
 この子が一人ではないと感じるのは、克晴にはとても嬉しく、ほっとすることだった。
 
 そして同時に思い浮かぶ、二つの顔。
 どっちにしても克晴には、胸の痛くなる記憶が甦る。
 一人は、怪我をした自分を匿ってくれた、眼鏡の男だ。
 ───俺がもっと頼っていたら… 一人で抱え込まなかったら……相談するとしたら、ヤツだっただろう。
 しかし、誰とも深い関係を作らないできた克晴には、“信頼”の殻を破ることなど、できるはずもなかった。
 ───でも、メグには…アイツがいた。
 もう一つの、憎たらしい顔が浮かぶ。
 どんな状況でも恵の事を一番に心配し、「俺に天野をください」とまで言った。
 ……俺がいなくても、メグは一人じゃない。
 その存在は疑いようが無く、唯一克晴を安心させる存在だった。
 
 
 友人…ましてや親友と呼べる存在は、人が生きていく上でとても重要なもののはずだ。それを、横にある時には気が付けなかった克晴は、自分のような失敗をしてはいけないと、願った。
「そんなに思ってくれる友人など、めったに出会えるものじゃないよ。……感謝して、大切にしないとね」
 恵へ教えるような気持ちから出た、自然な言葉だった。
 だがそれは、山崎という存在を“友人”として認められなかったことへの、自戒でもあった。
 
 
 その後の告白からも、前進できている様子に、克晴は心底安心する思いだった。
「僕、ずっと一人だと思ってました。…でも、違ったんです」
 どれだけの孤独を抱えていたのか…そうじゃなかったという、喜びが溢れている。
 悩んでいたこと、進めなかったことを解決できたのは、“一人じゃなかった”からだと言っているように聞こえた。
 
「…誰かに助けを求めることが、できたんだね?」
「……うん……はい、僕…頑張りました」
 
 返ってくる返事が可愛らしくて、どうしても、恵と重ねてしまう。
「それは、進歩したね」
「……ぅう……はい!」
 暗がりに響く声が、愛しくさえ思える。くすりと、思わず声に出して笑っていた。
 そして、 
「……じゃあ、もうココは卒業かな?」
 伝えなければ……もうすぐいなくなると。
 
「あ、それは……まだこれから怖いこと、あるかもしれないし…」
 慌てた声が、縋り付くように追ってきた。
 
「………」
 
 克晴の胸が、変に締め付けられる。
 言っても悲しませてしまうのは、判った。
 そして自分も寂しいと、はっきりと感じていた。
 
「……そう、じゃあ来週も来てください」
 複雑な思いを隠して、冷静にそれだけ言って、その日の相談室は終わった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 天野晴海は、雅義のマンションを訊ね、車を探し、克晴のことを心配した。
 もっとも信頼を置いていた会社の後輩が、人を刺して逃げた…そしてそのまま克晴と共に行方不明になってしまった。
 
『雅義、やめるんだ!』
 叫んで止めに入った時は、すでに遅かった。
『─── 先輩……!』
 血だらけの顔で、後輩の宮村雅義が、見上げてくる。
『もう、やめろ!』
 
 凶器の鋏を腕ごと掴んで押さえ込み、一緒に血塗れになって揉み合った後、青ざめた雅義は、自分を突き飛ばして、部屋を飛び出して行ってしまった。
 晴海は咄嗟に、『俺が刺した!』そう言い張り、雅義を庇った。
 
 立ち話に聞いてしまった、己との関わりのありそうな内容───怪我を負った人事部長の長谷川に、何があったのか…6年前に遡る所から問い質し、目が眩む思いを味わわされた。
「お前のした人事で、雅義の人生が狂い、精神的に傷つけられたのは確かだろう。俺はこんな事で、雅義を犯罪者にはしたくない」
 と、責任の所在を迫り、
「お前が訴えるなら、俺が刺したと言い張るつもりだ」
 そう長谷川を、説き伏せた。
 長谷川は、最初は痛々しく憤っていたが、自らの行為を知られた負い目と、晴海にそんな自供などさせられない弱みから、泣き寝入りを余儀なくされることとなった。
 
 雅義を“犯罪者”にしてしまっては、一緒にいる克晴までどうなるか判らない。
 それが父親として、一番の心配だった。
 
 ───父親として───
 
 そう思う度、晴海は胸が痛んだ。
 自分は、克晴の何を知っていただろう?
 しっかりした意志の強い、賢い息子だとは思っていた。しかし、長男が何を大切にし、何を何処にしまい、こんなときは誰に連絡を付けたらいいのか……
 友人の一人も、知らない───そのことに、愕然としていた。
 どうしていいか判らず、息子の机を闇雲に調べたりしてみたが、手がかりになるモノは、何一つ見つけられなかった。
 
 
 雅義のマンションは開けっ放しで、その内装の奇妙さには驚いたが、監禁などとは、思いもつかない。雅義の人柄を信用しきっていて、そして克晴の心情を知らない晴海は、克晴は自分の意志で雅義と共にいるのだと、考えていた。 
 警察沙汰になどは、雅義が犯罪者として扱われ、追いつめてしまう危険性があると思うと、ともできなかった……しかし、どうやって二人を探していいかも判らない。
 まんじりともしない中、ひたすらに二人が無事で戻ってくるのを、祈って待つしかなかった。
 
 ただ、“父親として”…そう考えて、己ができることがあるとしたら。
 月日が経ってゆくうちに、それを考えずにはいられなかった。
 父親として何もしてこなかった克晴に、いつ帰ってきてもいいように、いつでも帰って来られるように、克晴の居場所を保っておこう…それくらいしか、考え付けないでいた。
 大学休学の手続きをとり、部屋をそのままにし、保険や保証を払い続け…たとえ何年経っても、“お前の家は此処だ”と言ってやれるように。その覚悟を固めていった。
 
 
 
 次男の恵に対しても、同じ責任を感じていた。
 放任過ぎたこと…判っているつもりでいたこと……そして中学に上がり、しっかりした芯の強い子に育って行っていることにも気づいた。
 恵のために何かしてやりたいと思ったが、野球に明け暮れ、子育てなど本当の意味でしてこなかった晴海には、息子の好みどころか、子供が何に興味を持ち、何に喜ぶのか…そのこと自体を判ってはいなかった。
 
 それで妻にコミュニケーションの取り方を相談し、ぎこちないながらも料理を一緒に作ることを考えついた。
 恵のために会社の時間を削り、恵のためだけの空間を用意する…初めての経験に、「張り切りすぎよ」と、妻に笑われる始末だった。
「こんな風に会話を増やすのは、沈んでいた家が明るくなって、いいものだな」
 晴海も、いつにない微笑をこぼしていた。
 そして何度もその機会を設け、克晴の話題を通して恵を知るにつれ、次男が大切に思えてならなくなっていった。
 
 
 だいぶ経った冬の終わりの日。
 早めに会社から帰宅した途端、突然二階から絶叫が聞こえてきた。
 驚いて子供部屋に飛び込んでみると、
「克にぃが、いないなんて…僕は嫌なんだ!! 一人は嫌だよぉ…!!」
 電気も点けない暗い部屋の中央で、蹲った恵が、半狂乱に泣き叫んでいる。
 こんなに激しい感情の噴出など、今まで一度も見たことが無かった。
 狂気のようなその光景に、晴海はゾッと背筋を凍らせた。
 
 克晴のことを話題にしながら、父親からは、消息に触れることは何も語らなかった。
 なぜ、いきなり居なくなったか…恵には伝えられるモノではない、子供は知らなくてよいと、ただそう考えていたのだ。
 それがどれだけ無碍な扱いであり、残酷なことだったのか、今思い知らされる思いだった。
 ───この子まで失っては、いけない……!
 頬を叩いて、肩を揺さぶって、胸に抱きしめる。小さな体が震えているのを、どう押さえ付けたら止まるのか…晴海なりの全力で、恵への想いを込めて叱りつけた。
 
「お前の命は、お前だけのモノじゃないんだぞ!」
 
 それは心からの言葉……克晴の溺愛した弟であり、自分の大切な息子であり、妻にとっても残った次男は心の支えである。
 誰にとっても、大切な存在なのだと、教えたかった。
「うん……」
 微かに返事をしたのを確認し、ほっと胸をなで下ろし、全身の力が抜けていった。
 
 寸でのところで、大事なモノを繋ぎ留める事ができた晴海は、今までの架空だった絆を深めるように、兄の代わりに頼られて進路相談を受けたりと、より親密な話をできるようになっていったのであった。
 
 
 
 
「とうさん……僕、寝るね…」 
 
 
「……」
 
「……とうさん?」
「……ん、ああ…今日は早いな……お休み、恵」
 
 
 視線を上げて、顔を見ながら返事をする。 
 
 リビングのソファーで、夕刊を広げていた。
 ……今までよりは“良い父親”になれているのだろうか…。
 もっと語りあって行けるといい……
 
 口元を綻ばせて、感慨に浸っていた。
 
 
「お休みね」と、続いて声を掛ける妻。
 小さなパジャマの後ろ姿を見送りながら、晴海は読んでいない夕刊を畳んで、
 ソファーに背中を預けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 しかし、総てをうち明けられていた訳ではなく、晴海には知らないこともある。
 恵は毎週のボランティアのことは話していたが、告白をしていることまでは、伝えてはいなかった。
 
 
 
 ───僕が毎週会っていたのは、猫背の新米神父さんじゃなかった……!
 克にぃみたいな声の、もう一人の神父さんが、いるなんて……?
 
 
 混乱した恵は、早々に潜り込んだベッドの中で一人、今日あったことが整理できないまま、うずくまった。
 エミの興奮は、パニックになっている恵を、有無を言わさずに巻き込んでいた。
『今なら、まだ2階の食堂にいるよ、見てきなよ!』
 それどころじゃない、という気持ちと、それは誰? という興味が同時に働き、言われるままに階段を上った。
『セレネ君、長い髪が背中まである、綺麗な黒天使様だよ!!』
 階下から教えられたが、そんなことを言われても、どんな人間なのか想像が付かない。
 しかし恐る恐る2階を覗いてみた時には、もう食堂と台所には誰の姿も見あたらなかった。
 
 
 
「………ふぅ…」
 
 洗いたてのシーツに頬を擦り付けて、寝返りを打ってから、膝を抱えなおす。
 ………綺麗な黒天使って、いったいどんな顔をしてるのかなあ…?
 エミの抽象的な表現は、恵の想像力ではとても形には、ならなかった。
 
 ただドキドキと、訳も分からず心臓が早くなる。
 
 ………あの声…あんな声をした人……
 
 
 
 ───新米神父さんじゃ、なかったんだ……
 その瞬間の驚きを思い出し、また心臓がズキンと鳴る。
 飛び出してしまいそうな気がして、胸のところでパジャマを握った。
 
 ……まさかもう一人、神父様がいるなんて……
 ……その“黒天使様”が、僕の話を聞いていてくれた…神父様なんだよね…?
 
 鼓動が早くなっていって、痛い。 
 ぎゅっと押さえながら、ますます体を丸めて縮こまる。 
 
 
 どんな人なの? 
 どんな顔をしているの?
 もっとちゃんと、声が聞きたい… 
 
 ……僕も、顔を見たい……来週会えるなら、僕も顔がみたいよ……
 


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