chapter21. Same Time -新星-
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 10
 
 壁を挟んだ向こう側でも、同じ葛藤が繰り広げられていた。
 
 もしかして…そんな期待は、ちらりとあった。
 でも恵は、敢えて考えないようにして、この一週間、芽生えてしまう期待を心の隅っこに追いやって過ごしていた。
 
 無駄に期待だけして、もし違っていたら──ひとえにそれを、恐れていた。
 何度も帰ってくると言い聞かせては、裏切られてきた。
 その心が、もう傷つきたくないと…惨めで悲しい気持ちになるのは嫌なんだと、用心するようになっていた。
 
 しかし今、声を聞いていて、やはり思う……気分ちのせいなのか、今までより余計に似て聞こえる。
 髭の神父のように淡々と教えを語る声の中に、自分を愛してくれた優しさのような温かさを、時々感じる気がするのだ。
 
「僕も、会うのが怖い…変わっちゃった僕だから……でも、会いたい……会いたいんです」
 喋りながら、つい向こう側に居るのが誰なのか判らなくなって、心を絞り出してしまっていた。
 それなのに、かみ合った答えが返ってくる。
 
 
 ───でも、なんで…?
 この神父さんが…もし、…もし…そうだったとして…何で、言ってくれないの。
 僕だって、わからないの? そんなこと…あるのかな……。
 
 
 ズキズキと鳴りっぱなしの心臓は、破れてしまうのではないかと、思うほどだった。
 暗がりの中で、必死に声を聞き取り、気配を探った。
 
 ……そうじゃない、やっぱり違うんだ。
 だからこんなに、静かに言葉を返すんだ。……だって………僕をわからないはず、ないもん……
 
 
 打ち消す力が強い。
 今までずっとずっと、耐えてきた心。そうだと思いたいのに、思えない。
 どうしても、自分から確かめる勇気は、出なかった。
 
 
 
「だから君も…愛されたことを、疑わないのだとしたら、…そのまま信じて」
 
 
「──────」
 
 優しい声…抱きしめて、いつも自分のためだけに居てくれた、その温かさ……もうだめだと、喉が引きつる音を出した。
 つい叫びそうになる、その名前。
 ぐっと飲み込んで、違う言葉を絞り出す。
 
 
「信じてる……信じたい…だから僕、……旅人になることにしたんです」 
 
 克にぃを探すんだ。
 一人で何処だっていく。……そうだ、大人になったら、あのホテルにだって行けるんだ…。
 恵は闇の中に、青い宇宙を見ていた。その目から、透明な滴が零れる。
 
「僕…いろんなこと知って、成長しました」
「………」
「友達や、先生、とうさん……相談するってことを、覚えて…」
 
 
「─────!」
 
 
 ちょと待てと、今度こそ克晴の心は、叫んでいた。
 今聞こえた、“とうさん”その言い方…やはりそれは……。
 震える唇をなんとか動かしながら、克晴も言葉を絞る。
「その友人も……自分は成長したって、言ってた…」
 
「愛してるって、伝えるばかりで……弱みは見せなかった。がっかりされたくなくて、カッコばかりつけて、── その子にも、嘘を付いていたんだって…」
 
「………」
 
「今度会えたら、何があったのか…全部語りたいと思ってる…。自分をその子にさらけ出して……何故、こんなことになってしまったのか───」
 
 
 
「……何も言わなかった。総て隠して…それが間違いだったって───
 ……青い小宇宙の中で、…話して聞かせてたい…ってさ」
 
 
 
 ヒッと、恵の喉が空気を漏らした。 
 
 ─── やっぱり…やっぱり! …そうなの……そうなんだ……!
 確信と期待と、まだちょっとの恐怖。
 友人って……なに……なんでそんな言い方…
 全身が心臓みたいになって、動悸でバラバラに崩れそうになっている。
 心の中でさえ、怖くてその名を呼べないでいた。
 
「───────」 
 しかも話す内容が、恵自身が身をもって感じていたこと…あまりにもそれと同じで。
 自分も伝えなきゃと思っていたことだけに、恵は心底驚いていた。
 呼吸困難のように、息が苦しくなる。 
 
 ぶるぶると震える唇。
 苦痛で歪む眉。
 
 
 
 
「……それ、僕も…知った……」
 
「………?」
 
 
 
「“言う”って事が、どれだけ大変で、…でも大切なことか……言わないでいると、どんどん大変なことになっていっちゃって……」 
 
 涙声はぐしょぐしょで、キンキンと高鳴る耳鳴りの内側で、変に響いた。
 
「言えなかったことで、お仕置きを受けてるのかって………ひっく…」
 
 
 
「……なにが、あったの?」
 
 暗がりに届く、真剣に心配する声。
 それはさっきまでの優しさとは打って変わって、鋭く問い質すようだった。
 
「……言う……言うよぅ……僕も言うから…」
 
 帰ってきて……顔を見せてよ……!
 
 
 
 
「……かつ、 克にいぃ─────ッ!!!!」
  
 
 
 
 爆発するような、絶叫だった。
 我慢していた分、押さえきれない想いが、全身から噴き出すようだった。
 
 叫んでからアッと思って、口を両手で塞ぐ。
 封印していた名前、一度叫んだらとまらない。心では、叫び続ける。
 克にぃ、克にぃ、克にぃ!!
 僕だよ、僕、ここにいるのに……! 会いたいよおぉ……!!!
 
「うっ……ふぅっ……」 
 恵は必死に押し黙って、泣きやもうとした。
 太股の上にぱたぱたと涙の粒が落ちて、泣き声の代わりに音を立てていく。
 
「…………?」
 しゃくり上げも堪えて、フウフウと、自分の鼻息だけが、手の隙間から聞こえる。
 他はぴたりと静かになった懺悔室で、隣の気配に気が付いた。
 反応が、まるでない。 
 
 ………え…違ったの…?
 
 やっぱ呼ばなきゃよかったの……嫌な不安が、恵の胸をよぎった。
 それと同時に、正面のドアのカーテンに影が差した。
 
「──────」
 
 
 
 
 
 暗い部屋に、一筋の光が射し込む。
 それは幅を広げて、どんどん明るさを増していった。
 その光の中心に、影が立つ。
 
「………」
 眩しくて目を凝らす恵の視界に、金色の背光を受けた黒天使が姿を現した。
 
 長い黒髪が、耳を隠して真っ直ぐに胸の上まで流れ落ちている。
 白いアルバは足下まで、スカートのように長い。
 そのシルエットは、まるで見知らぬ人物だった。
 
 しかし、長めの前髪の隙間から見つめてくる、その真っ黒な双牟は……
 
「─────」 
 瞠った目を瞬きも許さないように、微動だにしないまま、恵も凝視する。
 
 大好きで大好きで、写真を毎日見続けた……
 忘れようのない克晴の、優しい眼差し、口元、……懐かしい顔。
 夢に見ても、どんなに泣いても、帰ってこなかった、大好きな克にい。
 
 それが、今目の前に立っている。 
「……………………」
 目を一瞬でも瞑ってしまったら、消えてしまうんじゃないかと。
 それを恐れるように、恵は座ったまま見つめ続ける。
 
 
 ゆっくりと、克晴が小屋に足を踏み入れてきた。
 お互い、声は一言も発しなかった。
 
 いや、喋れなかった。
 
 さらりと、布ずれの音だけが響く。
 見上げてくる、驚くほど育っている、幼かった弟。
 目の前に座って、見開いた目…濡れた、長い睫。
 克晴もまた、この光景が幻じゃないかと、目で見ても信じられなくて。
 声で呼んで…指で触れては…、消えてしまうんじゃないか……
 
 それを恐れるように、瞬きもできず、顔をそっとそっと、近づけてゆく。
 そして小さな唇に、唇が、重なった。
 
 
「──────」
 
 
 兄弟の、見開いたままの両目から、静かに涙が流れた。
「……………」
 互いをその瞳に映しながら、声にならない熱い想いが、流れ落ちる。
 
 二人の重ねられた唇は、いつまでも離せなかった。
「…………ふ…」
 離れていた時間を、取り戻すかのように。
 克晴と恵は、お互いの体温を確かめ合い、呼吸を共有し、いつまでも、いつまでも…離すことができないでいた。
 
 
 
 
 
 
 天野克晴と、天野恵。
 愛し合う兄弟は引き剥がされ…そして、それぞれの時間を歩かされた。
 
 
 
 それが今、愛を貫き、運命を乗り越えて再会できた……
 二人の時間と空間が一つに重なった、瞬間だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
   TimeFrame ~それぞれの時間枠~
 
          - 完 -
 


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