chapter21. Same Time ~新生~
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 6
 
 意識を取り戻した雅義は、目は開けたものの、それ以上は動かなかった。
 “自分は生きている”そのことすら、判っているのか。
 数週間は、されるがままの人形のようにぼんやりとどこか一点を見つめ、一声を発することもなかった。
 
 ケロイド状になった皮膚を少しでも綺麗にさせるべく、皮膚の移植手術を何度も受け、順を追って全身の治療が施されていく。
 熱風を受けた左目は、傷ついた眼球の視力保持に徹した処置を、施す。
 臓器損傷による腹膜炎併発の恐れもあった。早急に腹を開いて血を出し、繋ぎ合わせる必要があった。
 体力が持つのか…急がねば間に合わない施術と、体を出来る限り休ませるためのプログラムが組まれて、慎重に進められていく。
 包帯とギブスと幾つものカテーテルは、人造人間でも作っているかのようにその体を覆い尽くし、至る所から管を伸ばし、首を横に振ることすら困難であろう姿を作り出していた。
 
 その日々の中で、腫れで埋もれている目は、少しずつ瞳を動かすようになり、呼びかけに反応するようになり、ドクター達をほっとさせた。
 まだ顔中が包帯で埋まり、辛うじて右目と唇が外気に触れている、という状態でいる時。
 その唇を湿らすため、いつもどおりカスターがガーゼで潤わすと、ふいに舌が、その水分を舐め取った。
 そして、初めて掠れた声を出した。
 
「……かつはる…は…?」
 
 目は何も映していないように、宙を見ている。
 カスターは驚いたように一瞬手を止めて、それからちらりと、グラディスに視線を向け、
「───無事です」
 静かに、一言だけ、告げた。
 
「……そう…」
 
 安堵の籠もった声を掠れさせると、それきりまた、口を閉ざした。
 病室を個室に移し、世話は総て黒子達が入れ替わりに看るだけで、他の面会は一切ない。
 まさか同じ院内に克晴がいるとは露も知らぬまま、雅義は朦朧とした意識の中で、体と心の回復に専念していった。
 
 
 
 
 
 雅義が皮膚移植の2回目を終えた頃、シレンも個室に移り、しかしまだ動けないので、克晴とメイジャーが、時折見舞いに足を運んでいた。
 シレンは眩しいほどの、白く輝くシルクのパジャマを着ている。
 克晴には、青系のものを与えられていた。
『二人に変なモノを着せておけるか。グラディスは、こういうところまでは、気が利かない』
 と、プルクスに揃えさせていたのだ。
 後で知った克晴は、苦笑いを抑えられなかった。
 
 シレンの手にはまだ、グローブのようなミトンが嵌められている。
「足や手が痒くて…寝ている間や無意識に、掻きむしるのを、防止なんだって」
 克晴に説明しているシレンは顔色も良く、新薬の後遺症と言えば、胃が食物を受け付けない程度にまで回復していた。
『外傷はしもやけや爛れとして残っているが、血行が良くなっていけば、それも治っていきます。後は体力の回復を待つのみ、他の心配はもう要らないでしょう』
 ドクターからの診断に、メイジャーは息をついて、頷いていた。
 克晴はと言えば、退院できるほどに完治していた。
 
 
 
「くすぐったい」
 メイジャーがシレンにキスをし、シレンがお返しとばかりに、伸びた髭に頬ずりをしている。
「…いたッ……」
「シレン?」
 心配した克晴に、困り笑いを浮かべる白い顔。
「柔らかいと思ったのに…伸びていても、肌に刺さるね」
「……は…」
 
 笑う克晴を眺め、腕を組みなおして横に立つメイジャー。この巨体の黒ガウンの下からも、すでに包帯は消えていた。
「────」
 シレンからその男へ、グラディスは視線を移す。
 一人離れた位置で、いつも通りの観察をした後だった。
 視線に気づいたメイジャーが、無言でグラディスへ歩み寄る。
「……カツハルの今後を、割り出した」
 薄い唇がそう動いたとき、克晴の耳にもその声は届き、視線がドアの方へ向けられた。
 白い病室の入り口で、ドアの高さ限界ほどの二人が、並んで立っている。
 黒い王と銀の王が顔を寄せ合うのは、やはり見応えのあるものだった。
 
 メイジャーが斜めに振り向き、ブラウンの瞳に克晴の総てを、映し入れた。
「克晴」
 口の端をグイと引き上げて、にやりと笑う。
 
「飛ぶときが、来たぞ」
 
 そして顎でグラディスを指し、低音を響かせた。
「コイツ流に言わせると、お前は"nova"……死ぬとき盛大に輝き、そして新たに生まれた新星だ。その輝きで、愛する者を照らせ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「動けったって、無理だよ」
 “ベッドの上でも、なるべく動け”という、退室して行ったドクターからの指示に、雅義はドアの方を睨み付けながら、文句を言った。
「どう動けってんだ」
 
 移植手術による傷跡はだいぶ塞がり、顔や全身の腫れや痣は綺麗に引いていた。一命を危ぶまれた体は、総力を挙げて受けた治療の甲斐があり、想定内以上の酷い後遺症は残らずに済んでいた。
 そして、ギブスは外され体中を覆っていた包帯もかなり減り、ベッドに起きあがれるようになった患者に、様々な宿題が出されていたのだった。
 彫刻のように冷たい顔で横にいるグラディスは、ドクターの診断結果に一度頷いたきり、雅義の文句など耳にも入らない様子でいる。
 
「………」
 それを横目で恨めしそうに睨むと、雅義は溜息をついて、まだあちこちが痛い体をベッドに横たえた。
 死の淵を彷徨いながらも意識がはっきりとしてくるにつけ、自分が生きていたことに驚き、克晴も無事だったということを、感無量に無慈悲なはずの神に、感謝していた。
 ───今度ばかりは…本当に、感謝しなくちゃ……。
 
 体の回復につれて思考能力が戻ってくると、感慨深く思うことが沢山でてくる。
 甲斐甲斐しく面倒を看てくれる黒子達の、見分けが付くようになっていくうちに、ぽつりぽつりと話すようになっていった。
 聞けばたわいないことなら答えてくれるので、少しずつ会話をするリハビリにもなる。
 それに伴い、やはり気になってしまう克晴のこと……今、どうしているだろう、元気でいるのかな……それだけは知りたくて、しかし聞けずに、時々知らずに溜息をついていた。
 
 でも今、どうせいつかはきっと聞いてしまうのだからと、我慢が出来なくなった。
「……克晴は、どうしてるの?」
 つい訊いてしまった質問に、
 
「オマエが潜伏していた教会へ、送った」
「……教会…」
 
 まさか教えてくれるとは思わず、眼を瞠ってグラディスを眺めてから、視線を宙に彷徨わせた。
「……そうか…あそこ」
 自分がグラディスから身を隠すため、そしてチェイスから逃げるために利用した教会だった。皮肉にも、そこに克晴が同じように潜伏するとは。
 物思いに沈みそうになったとき、更に思いがけない事を、グラディスは口にした。
 
「マサヨシが刺した、長谷川永一という男…」
「───えッ?」
「……生きている。アイツも死んではいない」
「ほ…ホント?」
 
 動かない体を起こそうとするように首を伸ばして、銀細工の顔を食い入るように見つめる。
 克晴への思いも今は消し飛ぶほど、驚いていた。
「……死ななかった……僕は、人殺しには…ならなかったんだ…」
 驚いた顔のまま、呟く。
 総てはそこからの、逃避行となっていたのだ。
 克晴を奪おうとした男を刺し、そして愛しい克晴を連れ回した。
 ─── その逃避行も、終わりを告げられ、…行き着いた最後の最後は……
 
 見開いていた眼を半分閉じ、雅義はじっと遠くを見るような目つきになった。
 それをグラディスは眺め続ける。
 
 そこは、この病院で一番広く豪華に作られた個室だった。
 個室と言ってもパーテーションで区切ってあり、かなり広い。
 床には絨毯が敷かれ、ドアにはインターホン。入り口手前のスペースには、ミニキッチン、冷蔵庫、トイレなど。
 奥のベッドのスペースは倍の広さはあり、テレビパソコン、オーディオセットなどの娯楽設備は当然のこと、見舞客をもてなす応接セットに大きなソファー、そして突き当たりの壁は、一面大きな風通しの良い窓になっていた。
 ガラス窓は3枚で、左右が中央にスライドして開閉する。その外には、テラスがあり、カウチまで置いてある。
 さらにその外側には、克晴が見ていた景色とほぼ同じ景色が、広がっている。
 違うのは、最上階であるということ、空に秋色の薄雲が張り始め、森は夏の間に生い茂った葉を、黒々と密集させていることだった。
 
 その木の枝を渡って、涼しくなった風が入ってくる。
 さらりとそよぐ銀の糸が、秋の日に透けて煌めく。
 回診が終わり、昼食にさしかかる時間帯だった。双子も揃い、その用意をしている。
 
 
「見慣れた空だな……また、舞い戻って来ちゃった」
 日本の空とは、青味が違う。雅義はいつも、そう思って見上げていた。
「………」
「……ここでずっと暮らすんなら、こっちの気候にまた、慣れないとね」
 ふてくされた顔で、グラディスをねめつける。
 
 
 克晴を手放すと決めてプレートを外し、命を懸けて逃がそうとした。
 その時点で雅義は、克晴への思いの丈を、総て放出してしまっていた。
 そして目を覚ました時、視界に入ってきたこの顔──銀の冷たい眼が、自分を見下ろしているのを感じた時、自分の運命を悟っていた。
 
 しかし素直になれない部分が、言葉や感情を動かすのを遅らせていた。
 その運命に、無意識にふてくされ、何も喋れないでいたのだ。
 
 手厚い看護と待遇とは裏腹に、にこりともしない冷然とした表情で、それでもいつも雅義の病室にいるグラディス。
 四六時中専用電話が鳴り、取引会社との連絡を取っている。
 雅義のいた会社とは、すでに用無しとばかりに物流契約を切ってしまっていると聞かされた時は、開いた口が塞がらなかった。……先輩…会社、大丈夫かな。ちらりと思ったけれど、後の祭りであった。
 そして雅義は、自分なりに先の事を考えるように、なっていた。
 
「……………」
 何も言わずに見つめてくる、銀の宝石を覗き込んで。
 また駄々っ子のように、口を開いた。
 
 
「ここに居なきゃいけないんなら……従うよ」
 
「………」
 
「……でも、プレートは嫌だ。あの部屋も…二度と嫌だ…」
 
 
 鼻の頭にシワを寄せて、何かを思い出すように、苦い表情を作った。
 そして息を吐いて、
「それに、“Start afresh !”って、挨拶してくれなきゃ」
 じろりと睨み上げながら、続ける。
「じゃあね!って言ったんだ…。だったら“改めて宜しく”って、挨拶するのが筋だろ」
 
 
「──────」
 
「それに、僕にも仕事をくれよ。ただ人形のように居るだけじゃ、嫌だからね」
 
 
 口を尖らせて、わがままを並べ立てるような喋りだった。
 昼食を運んできた双子が、珍しく眼を見開いて、面白そうなカオを作る。
「…有能なんですか?」
 カスターが探るように、聞いてきた。明らかに面白がっている。
「バカ言うなよ、僕が立ち上げた会社を見て、グラディスが本気で提携しようって、言って来たんだぞ……なあ!」
 
 反対側を振り向いたとき、窓側に座るグラディスの髪を、また風が撫でた。
 毛先まで高く舞い上げ、キラキラと眩しいほどの乱反射を部屋中にまき散らし、ゆっくりと乱れた前髪を掻き上げる。
 その顔を見て雅義は、驚いて口をつぐんだ。
 
 
 
「………グラディス……笑ってるの…?」
 
 
 
 柔らかな秋の日差しが、暖かく部屋に差し込んでくる。
 まるで時が止まったような、眩しい一瞬。
 そのとき病室は、一枚の美しい絵画の様だった。
 


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