chapter20. For all time ~過去も未来も~
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 3
 
 翌日、中谷君が忌引きで、学校を休んだ。
 3学期も終わり近くなって、あと数日で春休みという日だった。
 
 田舎が遠いから、このまま今学期は登校しないって話で…。
「忌引きって、欠席にならないんだよな」
「学校何日も休めるから、いいよな」
 そんなこと笑いながら小声で話してる、クラスの男子の声を後ろに聞きながら、僕も自分の時を思い出していた。
 おばあちゃんの大きな家で、お葬式を出して。大勢の人が集まった。
 
 ───お葬式。
 ………僕の家では、やってない。
 
 
 
 
 
「天野、お前だけだぞ。プリント提出していないの」
 その日の帰りがけ、ホームルームの後に、担任の渡辺先生に呼び止められてしまった。
 
 プリントっていうのは、<進路希望>と印刷された紙のことだ。
 僕は未だに、一項目も埋めることが出来ずにいた。先生は繰り返し、早く出せと言っていたのに……
 
 気の毒そうな顔を見せながらみんなが帰って行く中、僕だけ何も言えずに取り残されて、教壇の横で先生を見上げていた。
 お兄さんみたいに若い顔が、困り眉で見下ろしてくる。
「プリント無くしたのか?」
「……いいえ」
「じゃあ、何で出さないんだ」
「────まだ、書けなくて…」
 ん? と、目を見開く、渡辺先生。
「書けなくないだろう。志望校くらい、あるだろ?」
「………」
「……天野は、将来何になりたいんだ?」
 
「──────」
 
 神父さんに訊かれた言葉と、同じ。
 でもこれを考えようとすると、僕の頭は麻痺したように止まってしまう。
 心も頭も真っ白になって、なぜか考えることができなくなってしまうんだ。
 
「……はーっ…」
 大きくため息をついて、先生が後ろ頭を掻いた。
 めったに叱ることがなく、いつも言い含めるみたいに、話してくれる。その先生が、見上げるだけの僕を、睨み付けてきた。
「何でも良いから、書いておけよ。その通りに進まなくたっていいんだ。目安なんだよ、目安! 言っていることが判るか?」
 最後の方は声が荒くなって、僕はびくりと肩を竦めた。
「………」
 それでも、何も言えない。
「……はぁ~~っ、ったく…」
 めんどくさいと言う風に先生は目をつぶった。首を横に振ると、改めて僕を見下ろしてきた。
 その顔は苛立ちに満ちていて、とうとう怒りだしたように、強い口調になった。
「何で書けないのか、言ってみろ! 適当にも書けない理由を、言ってみろよ? お前一人提出しないだけで、クラス分が纏められないんだ。親とも相談しろって、再三言っただろう、してないのか!?」
 
「………っ」
 こんなに厳しい声で言われたことがなかったから、胸を掴まれたみたいに、息苦しくなった。
 何か言わなきゃ…そう思うのに、心が動かない。怖いとか悲しいとかは、感じるのに…考えることができない。
「このままじゃ、春休みにも登校することになるぞ。そんなの、嫌だろ?」
「………」
 こくんと頷いた僕に、ほっとしたように表情を和らげると、渡辺先生はあと3日のうちに提出しろと、もう一回念を押して、帰るように促してくれた。
 
 ………柴田先生みたいに、自分が親に連絡するとは、言わないんだ。
 連絡されても、困っちゃったから、良かったんだけど……。
 進路の相談なんて、とうさんにしたことがなかった。
 
「……あの…先生」
 今ふと、とうさんのことを考えて、訊きたくなったことがあった。
「ん? なんだ?」
「───例えば、ですけど……おばあちゃんが…いなくなって…」
 
 僕は何を訊いているのだろう。
 怖くて目を背けていることなのに。
 
「……お葬式を出さないってこと……ありますか?」
 
「いなくなって…? 亡くなったってことか?」
 怪訝な顔で、僕を見る。
 ───僕は、頷けない。……ただ先生の言葉の先を、息を止めて待っていた。
 
「さあなぁ…そんなこと、普通はないな。……何の例えだよ? それ」
 
 
「───いえ……ありがとうございます」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……はぁ」
 着替えたあと、ため息をついて、僕は勉強机に着いた。
 目の前には、問題のプリント用紙。
 先生に厳しく言われて、追いつめられた気持ちになった。
 ……どうしても…なぜか真剣に考えようとは、思わなかったんだ。
 
 ───君は、何がしたいのかな?───
 
 頭に響いてきたのは、神父さんの…克にぃの声だった。
 ……何がしたい? ……何ができる?
 ……オトナになりたいって、ずっと願い続けて来た僕は、何になりたかったっけ?
 真剣に考えないと。
 初めて、そうしなきゃいけないって思った気がした。
 
 空欄を眺めながら、シャーペンをグッと握りしめて。
「……希望する高校名を、書きなさい」
 声に出しながら読んで、思い浮かべるのは、克にぃが行った高校だった。
 国立大学を目指すならココって言う、エリアトップの進学校。僕なんか、行けるはずもない…。
 
「他は、ないのかな。…メグが行ける高校」
 クスリと笑う声が、耳に届いた。
「……え!?」
 隣に並べた勉強机に、いつの間にか克にぃが座っている。
「うそ…克にぃ!!」
 教会で思い出した、あの優しい笑顔がそこにあって。
 僕は嬉しくて、両腕を伸ばして胸に飛びついた。
「……克にぃ! 帰ってきてくれたの!?」
 
「違うよ、メグ。兄ちゃんは………」
 
 ………え?
 何て言ったの?
 
「教えて、メグ───で、……メグが何に、なりたいのか…」
 
 
 ────!? 何……?
 
 言い終わらないうちに、見上げた顔がかき消えた。
「……あ!?」
 克にぃだと思って、しがみついていた胸は、よく見たらとうさんだった。
 ───なんで……錯覚!?
「うわ、……ごめんなさい」
 慌てて離れた僕に、静かな声が訊いてきた。
 
「恵、そろそろ将来のことを、聞かせてくれないか」
「………え」
「自立したお前が何になりたいのか、父さんは知りたいんだ」
 
 ───自立したお前が……
 
 嫌な不安に、胸を突かれた。
 見上げた顔が、また違う顔にすり替わっていく。
 さっきまで見てたカオだ……
 
 ………渡辺先生!!
「天野、なんでこんなことも書けないんだ? 必要なことだろう」
 ───僕の部屋に、何で……
 そんな一瞬の疑問なんか、考えている暇は無かった。
「霧島はとっくに一人で、将来を決めたって言うのに!」
 さっきよりも、ずっと怒った顔で、怒鳴りつけてくる。
「後はお前一人なんだよ! お前一人!!」
 乱暴に立ち上がると、僕の胸ぐらを掴んで引っ張り上げた。
「……せんっ…」
「一人になったって、誰もいなくたって、考えなければいけないことなんだ、早くしろ!」
 
「─────!!」
 
 いきなり部屋は輝きを失い、辺り一面真っ暗闇になった。
 上も下も判らないほどの暗の中で、声だけが頭に響いてきた。
 とうさんの声で、先生の声で、首を絞めながら訊いてくる。
『もう中学3年にもなるのに。お前は自分一人で、将来を決めることも、できないのか!?』
 
「……? ……ちがう…」
 
 なんか心に、引っかかる。……僕は、一人だから…決められないんじゃない。
 
 
 苦しくて藻掻いていると、真っ暗い中に、首を絞めてくる影が、ぼんやりと見えてきた。
 ───え、……か…克にぃ……!?
 
 優しい笑顔。大好きな腕が、僕の首を絞めている。
 ……何がなんだか…どうなってるの…?
 混乱している僕を見下ろす顔が、口を動かした。
 
 
『メグ……、兄ちゃんの………』
 
 
 ───また何か、言おうとしてる……
 
 せっかくの克にぃの声なのに、僕は本能的な恐怖を感じた。
 全身に冷や汗が浮かんで、鳥肌が立つ。
 ……さっきの、聞き取れなかった言葉だ……
 ……それは、聞いちゃいけない……!
「いやだ……克にぃ!!」
 叫びながら首の手を振り解くと、背中を向けて、その場から走って逃げだした。
 
 怖い。
 聞いちゃダメだ。考えないようにしてるのに。
 僕は、何も考えたくないんだ。
 ───捕まったら、怖いことが待ってる!
 夢中で、闇の奥へ奥へと逃げた。
 そっちに逃げ込めば、なんにも考えなくて済む空間が、あったはずだから。
 
 
 
 ───なんで…なんで克にぃが…僕を苦しめるの…!?
 なんで僕は、なにも考えたくないの……?
 
 
 何も考えたくないのに、走りながら頭をぐるぐるまわる。
 
 神父さんの声が、克にぃの声が……
 僕のふりをして、問いかけてくる。
 
 
 いやだ…早くあそこへ、たどり着かなきゃ。
 心を閉ざせる場所へ……!
 
 急に押し寄せてきた恐怖───先生の怒り、進路の要求、克にぃの問い掛け。
 何が起こっているのか、何がそんなに怖いのか。
 僕にはまったく、わからなかった。
 ただただ、恐怖と不安が、僕を追い立てる。
 
 
 ───あそこだ……!
 暗闇の奥に、目指す場所が見えてきた。
 果てのない地獄の底まで続いているような、深い深い亀裂。
 闇を縦に引き裂いて、そこからがっぱりと、更なる闇が口を開けていた。
 幾度となく、落ちそうになった、心の深淵。
 そこに足を引っかけて、あと半歩進めば……二度と這い上がれない裂け目に、落ちていた。いつもその淵に立っていた僕の手を、引っ張って止めてくれていたのが、霧島君だった。
 
 克にぃが帰って来ない。
 その事が原因で、悲鳴を上げた僕の心の裂け目だった。
 
 その亀裂の底の底に、いつの頃からか、今度は自分から……僕は一番見たくない気持ちを、隠していた。
 ──何で帰ってこないの? 克にぃは、どうなっちゃったの?──
 日を重ねるごとに膨らんでいく恐怖を、そこに押し込めた。
 知ってしまうことも。
 知らないから、考えてしまうことも。
 何もかも嫌だった。
 だから、考えないように。……僕自身も気が付かないほど心の奥底へ、その恐怖そのものを、閉じこめたんだ。
 
 
 ………そして僕も今、そこまで落ちる。将来なんか、いらない。
 
 
 
 
 ───なんで、いらないの?───
 
 
 
 
 追いかけてくる克にぃの声が、また僕に考えさせる。
 後少しで、たどり着くのに。
 僕より先に、閉じこめた恐怖を見つけ出すかのように……
 闇の底に、ぽつんと落ちている、小さな小さな真っ黒い箱。
 真っ直ぐに、それを目指す。
 
 
 ……やめて…やめて…!!
 ─── それは、僕の心なんだ、放っておいてよ!!
 
 
 開けさせまいと、僕が両手を伸ばして掴んだ瞬間─────
 
 ───アッ…!
 
 
 
 蓋が勝手に開いて、更なる闇の塊が、飛び出してきた。
 


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