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僕の高校には、ハマナカ先生が二人いる。
一人は、浜中先生。こっちは元からいた先生。
一人は、濱中先生。こっちは僕が2年になった時、赴任してきた。
浜中先生がハマチュウって呼ばれてたのに、濱中先生が赴任してきたら、みんなあっちをハマチュウって呼び出しちゃった。
もう一つの区別の仕方は、なんというか……。
僕たちの会話の中だけならいいけど、本人には呼べないよね。
簡浜(カンハマ)と難濱(ムズハマ)。
漢字が簡単か、難しいかってだけの、単純な発想だった。
これは誰かがいつの間にか、言い出していた。
僕は運動音痴で、体育の時間がきらいだった。
基本的に走るのが苦手。そしてとくに球技がだめ。バスケなんか、何してるのかわかんないくらい。
野球はとりあえずバット振って、当たったら走ればいいんだけど。
当たらないし、走ってもアウト。
こんな僕は、ムズハマ先生が恐かった。
教師というのは、不出来な生徒を嫌う。
嫌らわれると、成績も悪い……努力なんて、見やしないんだから。
体育の時間が来ると、いつも憂鬱になってしまった。
「ミチル、着替えようぜ」
「うん」
今日も体育の時間がやってきた。
「………はぁ」
思わず溜息をついてしまう。
「何、デッカイ溜息ついてんだよ。昼飯の食い過ぎか?」
「なんだよそれ」
笑ってから、拗ねた目で小五郎を見た。
「……知ってるくせに」
「はは、今日はバスケだよな」
「うん、僕、スコアマンに立候補しよ」
「駄目だ」
「濱中先生……」
「そんなの、ローテーションだ。野原は前回やってんだから、今日は試合に出ろ」
「…………」
無慈悲な先生を見上げた。
僕は小さいから、下から見上げると、大きい先生は雲の上に頭が出ているように見える。じろりと睨まれて、それ以上何も言えなかった。
「野原! なにしてんだ!」
「野原! さっさとパスしろよ!」
案の定、僕は怒鳴られてばかり。団体競技は足を引っ張るから、よけい嫌なんだ。
もう、どうしていいか判らずおろおろしてしまった。
ピッと、笛が鳴り、また注意だ。
「野原、完全にダブドリ! 一回ドリブル止めたら、さっさとパスしろ!」
「……はい」
力のない声で返事をして、持っていたボールを手放した。
僕なんかにパスしなきゃいいのに、小五郎がチームにいると、しょっちゅうパスしてくる。
「目立つからやめてよ」
試合が終わって、次のチームと入れ替わった。コートの端っこに座ると、小五郎に非難の目を向けた。
「実践でボール持たないと、上達しないだろ?」
「理屈がわかんないんだから、持っても無理なんだよ」
「ミチル、左利きだからなあ」
「うん」
ドリブルして、最後は右手で持ってワンツウでシュート。
そんなこと言われたって。
口では言えても、身体が判らない。左手で何かやろうとしちゃうんだ。
かと言って、左側からやれば出来るってもんでもない。
ピーッと笛が鳴り響いた。
「終了ー!!」
やっと苦痛の時間が、終わった。
僕はのろのろと立ち上がった。
「野原、これ片づけて」
バスケットボールがたくさん入った鉄カゴ。
その隣に濱中先生が立っていた。
「……はい」
体育館のすみにたくさんボールが転がっている。
それを拾いに行っては、カゴに戻す。
それだけで、かなりの運動量だった。
小五郎も手伝ってくれたので、だいぶ助かったけど。
最後はそのカゴを倉庫に戻すんだけど、これが一番大変。重いんだ。
小五郎が押してくれないと、無理だった。
「お前ら、仲いいな」
濱中先生が、倉庫の鍵を閉めながら僕たちを眺めた。
「ハマチュウ、新しいから、知らないっしょ!」
小五郎が、にやりと笑って僕の首に腕を回して引き寄せた。
「わ!?」
「オレたち、一年の時から、デキてるんだぜ」
───!!
「なっ」
僕は急接近した小五郎の顔を睨み付けた。
何、言ってんだ!? 赤面した僕を、マジマジと先生は見下ろしてきた。
「へえ」
「……へえって、ハマチュウ驚かないの?」
つまんなそうに小五郎が言った。
「腕、離して……小五郎」
僕が苦しくて藻掻くと、やっと解放してくれた。
「野原を見てりゃ、嘘だって判る」
ニヤリと、先生が笑った。
その顔が格好良くて………。
僕はもっと顔を赤くした。
濱中先生は、とてもかっこいい。掘りの深い顔が、遠くからでも、その目鼻立ちを判らせる。赤いジャージがよく似合っていた。
女子だけじゃなく、男子にも好かれている。
バスケの顧問を引き受けたせいで、最近は部員数が増えたらしかった。
小五郎は、一年の時からバスケ部員だけど。
「目かな」
「鼻だよ」
「口だって!」
「くちぃ~?」
ゲラゲラと笑い声が響く。
更衣室の中は、「ハマチュウは何故カッコイイ論」で盛り上がっていた。
……目、だと思う。
さっき見つめられて、そう思った。あと、太い眉。意志の強さを全面に出してるようで。
身長が高いのもいいな。僕はほんとうに小さいから。
「ミチル、着替えろよ。何してんの?」
ぼけっと考えていたら、小五郎にせかされた。
「……小五郎は、どう思う?」
「は?」
「濱中先生のカッコいいところ」
「……アホか。でも部活の指導で、見本の動きを見せてくれるときは、やっぱ上手いなあって思うね」
「ああ、想像しただけで、カッコよさそう」
僕は頷いた。
「でも、カッコいいってか、スケベそうじゃねえ?」
……なにそれ。僕は笑った。
「小五郎くらいだよ、あの先生にそんなこと言うの」
「野原、これ片づけて」
「はい~」
今日は隣のクラスと合同体育。体育館でバスケ組と、校庭でテニス組に別れていた。
小五郎はバスケ部員だから、そういう人はハンディを付けるため、テニス組にまわされていた。
だから、今は小五郎がいない。僕一人で頑張らなければ。
濱中先生は、よく僕に片づけをさせる。
運動音痴な分、点数は稼がないと…って、僕も自分から何かしら手伝うようにはしていた。でも……。
………けっこう頻繁なんだ。悪意に思っちゃいけないんだろうけど。
ダメ生徒はこのぐらいしろ、とか思ってるのかな…。
「今日はお守りが、いないな」
ボールを拾ってカゴに戻ると、濱中先生も同じ事を言った。
「……はい」
「? 元気ないな」
「……バスケをやると背が伸びるって、本当ですか?」
つい、聞いてしまった。先生の隣にいると、小さいのがコンプレックスに感じてしまう。
「まあ、神話だな」
「えー! でもバスケ選手って、みんな背が高いじゃないですか。……濱中先生も」
「俺はもともと長身だったからなあ。上手いヤツが残って、それがみんな背が高いだけだ」
「………そうかなぁ」
「だから野原、バスケ部に入部するなんて言うなよ」
また先生がニヤリと笑った。
手伝ってもらって、カゴを体育倉庫の奥に押し込んでいる最中だった。
「え~!」
心を見透かされたようで、恥ずかしい。
「にわか入部が多くて、困ってんだ」
本当に困ったように、眉を下げて笑った。
「…………」
「三浦くらいみんな上手きゃ、文句もないけどな」
「はい。……小五郎は、ほんとにバスケ好きですからね」
小五郎が褒められて、僕はちょっと嬉しくなった。
「……………」
先生が、じっと僕を見た。
「?」
「野原は、俺のことハマチュウって呼ばないのな」
「…………」
僕も、先生を見返してしまった。
「……分不相応ですから」
”ハマチュウ”はやっぱり、浜中先生のニックネームだと思う。だから僕は、これでいいんだ。
……それに、小五郎くらいスポーツが出来て、先生に好かれてる自身があるならいいけどさ。
先生を愛称で…なんて、自分に自信がないと呼べないよ。
普段の、拗ねた心が出てた。
じろりと上目遣いで、睨んでしまった。
「───!!」
えっ!?
いきなり押さえ込まれて、キスをされた。
先生の唇が、僕の口を塞ぐ。
「んっ!!」
濡れた舌が割り込んで、僕の中をめちゃくちゃに動き回った。
──なに!?
──やだ!!
何が起こっているか、わからなかった。
肩を抱き込まれ、顎を固定されて。
……逃げられない!
最後は絡めた舌を吸い上げられて、僕は悲鳴をあげた。
目眩がして、解放された時は立っていられなかった。
「………」
先生の腕の中でもたれて、しばらく放心してしまった。
「野原…。三浦とデキてるって、本当か?」
…………え?
「………?」
冗談なのか、本気で聞いてるのかわからなくて、ただ見上げた。
僕は、それどころじゃなかった。顔中が火照っている。
「……この様子を見れば、想像はつくけどな」
僕を見下ろして笑う。
その目が、真剣に僕を見据えた。
「野原、フリーなら俺と付き合えよ」
…………え!?
「…んっ!」
また、口を塞がれた。
今度はもっと舌を絡めてくる。
やだ……先生、やめて。
そう言いたいのに、身体が痺れてしまって。
抵抗する力も出なかった。
体育倉庫の奥とは言っても、出入り口の扉は開いてるし、いつ生徒が来るかわからない。
そんな場所で、僕は先生に何度もキスをされた。
「濱中……せんせい」
しがみついていても、立っているのが辛い。
涙目で見上げた。
「了解?」
そう聞かれて、僕は………頷いた。