たまには、シャッフル
3
「「え!?」」
俺と瀬良は、驚いた顔で見つめ合った。
駆けつけた待ち合わせ場所で待っていたのは、瀬良だったのだ。
ファミレスの4人掛けテーブルで一人、水だけもらって座っていた。
「「なんで!?」」
俺が聞きたい。…いや、聞いているんだ!
「瀬良……俺からの伝言、受け取ったのか?」
「知らね。……”ハマチュウは?”ってそこにいた先生に聞いたら、これ渡された」
──俺のメモだ……。
「それ、濱中センセの字か! 通りで変だと思った」
「…………」
「ハマチュウにしちゃ、汚い字でさ。よっぽど、慌ててんのかと思った」
………慌ててたがな。
「俺は、肉体労働なんでな! 字を書く必要がないんだ」
メモを握りつぶすと、浜中先生の携帯に電話をしてみた。
やはり、生徒が入れ違っていた。
「……ハイ、じゃあ待ってますので。すみません。よろしくお願いします」
席に戻ると、瀬良の向かい側にどっかりと腰を下ろした。
………なんで、瀬良なんかと向かい合って座んなきゃなんねえんだ。
「ハマチュウは?」
瀬良も、面白くなさそうに俺を見た。
「野原を連れて、車でこっちに来てくれる」
「……あいつ……ハマチュウの助手席、乗るのか」
瀬良はぶすくれて、顎を直にテーブルに乗っけた。
「……野原も、俺の正面におまえが座っているのを想像して、今頃胸が痛んでるだろうな。可哀相に」
冷ややかな目で、見下ろしてやった。
「センセー……ロリコン」
顎をテーブルに着けたまま、三白眼で睨み付けてきた。
「ロッ……ロリコン!? なんだそれは、違うだろ!」
ちょっと狼狽して、俺も睨み付けた。
「ロリロリじゃんか、あんなちっちゃいの」
「……ちっちゃいけど、歳は瀬良と同じだろうが! 浜中先生もロリコンか!?」
「はあ? やっぱセンセー、言うことがおっさんだな!」
「お…、おっさん!」
……かなりショックを受けた。まだ30前だぞ。
「だいたいね、ハマチュウは違うの。ハマチュウは……、俺がハマチュウを好きになったんだ」
身体を起こすと、背もたれに深々と寄りかかって、そう言い返してきた。
なんだか、変なことを言っている。
「ん? 意味がわかんねーな。おまえが、浜中先生のコトを好きで?」
「そう言ってんだよ!」
「浜中先生は? ……瀬良のこと、好きじゃないのか?」
瀬良は、目をしばたいた。
「……たぶん、…好き」
ちょっと考え込んで、小さく呟いた。顔を赤くしている。
「はは、いつもそんな顔してりゃ、かわいげもあるのに」
二人もいて何も頼まないのはなんだから、飲み物だけ注文した。
「へえ、瀬良もコーヒーでいいのか?」
「ハマチュウがコーヒー好きだから、俺も飲む」
「……へえ」
聞かなきゃよかったぜ。
「遅いな、ハマチュウ」
瀬良が窓の外に視線を放った。俺もつられて外を眺めた。ここからでは、駐車場はよく見えない。
「まだ、着くわけないだろ」
さっき連絡してから、まだ10分と経っていない。
「わかってるよ!」
うざったいとばかりに、睨んできた。
……しかし。
目の前でムクれている瀬良を、まじまじと見てしまった。
「……なんだよ」
「……あんな所で、何やってんだか。先生を襲うか? 普通」
「───!!」
顔を真っ赤にして、俺を見据えた。言葉を失っている。
「……生徒ならいいってもんじゃないだろ!? 未成年じゃないだけ、むしろいいんじゃん! つか、マジ、すげぇお互い様だっつーの!」
運ばれてきたコーヒーがひっくり返りそうなくらい、捲し立てた。
「………まあ、お互い様だな」
”未成年”の所は敢えて無視して、にやりと笑ってやった。確かに俺も、アレは急ぎすぎていた。
「……センセーは…野原と、いつ、くっついたのさ」
まだ赤い顔をブスッとさせて、またテーブルに顎を乗せた。
「つーか……センセーこそ、生徒に手ぇ出すなよ。心、痛まないわけ?」
今度は、俺が言葉を無くした。
「───そこは、痛まない」
瀬良が変な顔をした。
「……そこは? ……じゃあ、どこが痛むんだよ」
「……略奪婚したんだ。…おまえとそっくりなのから、奪い取った」
「───!!」
瀬良が目を見開いて、俺を凝視した。
「ヒッデーッ」
「と言っても、野原はソイツとは未遂だったし、両思いではなかったからな、…あの時点では」
「へえ」
「でも時間の問題に見えたから、俺が先に奪ってやった。いきなり凄いディープキスでな!」
「!! ……唾つけたんかい、文字通り。なんちゅーセンセーだ……」
苦々しい顔で、首を横に振っている。
俺は、あの時の焦った気持ちを思い出していた。
体育倉庫で俺を見上げた、あの目。
独り占めしたくて、俺のモノになって欲しくて、強引に唇を奪ってしまった。
それなのに、三浦や浜中先生に、無防備すぎて…。
どうしても野原が欲しかった。
自分の腕の中に閉じこめてしまわないと、心配で気が変になるかと思った。
暴走する性欲に、俺自身が振り回されて…、野原を壊してしまいそうで、恐怖した。
「実際、無理矢理は……ちょっと可哀想だったな」
思わず呟いてしまった。
「はっ? 無理矢理?」
瀬良が耳ざとく、突っ込んできた。
「……まあ、そんなようなもんだった」
口だけ、とはいえ、嫌がっているのに強引にイかせて、泣かせてしまった。
「あんなちっちゃいのに、無理矢理? 犯罪だろ! センセ、自分の体格わかってんの!?」
勘違いした瀬良が、言わんでいいことを言ってきた。
「先生が無茶苦茶したら、壊れちゃうよ! …どうせ、あれだろ、好きだとか告白だけのつもりだったのに、欲情して止まんなくなったとか。……センセー精力絶倫そうだもんな! ついでに馬並み? 野原、よく付き合ってんな!」
俺は、ゲラゲラ笑い出した瀬良の腕を掴んで、無理矢理テーブルのこっち側に引き寄せた。
「───!!」
驚いて笑いを止めたその顔を、もう一方の手で捕らえた。
顎を掴んで俺に向かせ、鋭く睨み付ける。
「…随分、言いたいこと、言ってくれるな」
図星の所を、ゲラゲラ笑いやがって。茶化されたことに、一瞬で怒りに火がついた。
コイツなんかに言われなくたって、酷いのなんかは、わかってる。
傷付けたいわけじゃない…あの時はしょうがなかった。
そう自分に言い聞かせてるけど、罪悪感が拭えない。それが怒らせる原因だった。
「馬並みかどうか、確かめさせてやろうか?」
「──────」
「お前の身体が良かったら、俺の小姓か2号さんにしてやっても、いいんだぜ」
「………………」
凄んだ俺の目線に、瀬良は何も言い返さない。
しばらく瀬良と睨み合った。
「───チッ、…お前を抱く気はしないな」
ポイっと瀬良の手を離した。凄むのも馬鹿馬鹿しくなって。
こいつらのせいじゃないとは言え、貴重な時間が潰れていることに、苛ついていた。
「浜中先生に悪いしな」
ついでのように、付け足した。ま、コレはホントだけど。
瀬良は、ほっとしたように息をついて、手首をさすった。
「センセ…ごめん。…俺、ずっとイライラしてて。…思ってもないコト言った」
瀬良の愁傷な態度に、俺も大人げなかったと、自分が情けなくなった。
「いや……俺も、悪かった」
瀬良は俺をチラリと見ると、手元のコーヒーに目線を落とした。
「センセー。…俺もやや無理矢理……同じだよ。…止まんなくなった」
「…………」
「さっきセンセー茶化してて、ホントは俺、自分に言ってたんだ」
熱いコーヒーを口まで持っていって、飲まずにテーブルに戻す。さっきまでの憎たらしい顔が、急に暗く陰った。
「ハマチューにさ…俺が自分の感情押し付けなかったら、よかったのかなって思うときがある。でも、顔見ると止まんなくなる」
「……………」
こいつも俺と同じようなことで悩んでいるらしい。
あんな強引なキスで、振り向かせてしまった。
俺に付き合わせてしまって、よかったのだろうか…。
「はっ! いっちょ前の悩みだな」
ニヤリと笑ってしまった。俺が子供なのか、瀬良が大人なのか。
言葉では笑ってみても、今は瀬良をガキ扱い出来なかった。
「……濱中センセーは、どうするつもりさ?」
「ん?」
「野原のこと」
「…………」
──どうするもなにも……。
通りすがりは嫌だと言って泣いた、野原の顔が思い浮かんだ。
つまみ食いみたいにされたくないって。
……そんなこと、俺がするはずがない。
でも……。
「ハマチュウがさあ……泣くんだよ」
「…………!」
「俺が卒業するときは、自分を見捨てろだとか……今だけよろしく、なんてさぁ」
「……瀬良」
「そう言って、泣くんだよ……」
コーヒーカップから登り立つ湯気を、じっと見つめている。
「俺…どうしたらいいのか。どういうモノなんか、わからないんだ。ただずっと一緒にいたいと思ってちゃ…いけないのかな」
目線を上げて、俺を見た。
じっと見つめてくる。
「兄貴にいろんなコト聞いて…いろいろベンキョしたつもりだけど……こればっかりは、聞けなくて」
眉を顰めてから、また俺を見た。
「……センセーならどうすんのかなって…思って」
「………」
真っ直ぐな瀬良の視線を、正面から受け止めた。
”卒業”は俺にとっても、厳しい現実だった。野原の今後を、俺は責任を持ちたい。
でもそれが反対に、野原を辛い目に遭わせることばかりな気がして、躊躇ってしまうのだ。
「……俺は…。───俺も同じだ」
「…………」
「野原と、ずっと一緒にいたい。ずっとずっと一緒にいたいよ」
小さい野原が横にいるような気がした。視界の下線ぎりぎりの所で、いつも、もそもそと動いている。
思わず笑みが漏れた。
「……許されるなら…ずっと…な」
「───うん」
瀬良も、目を細めた。
「浜中先生に、そのまま言ってみろよ。俺は、野原に同じコト言うから」
「…………」
この不安は、黙っていると勝手に大きくなる。それはマズイんだ。
もう、すれ違っちゃいけない。もう、野原を泣かせたくない。
そのためには、考えたくない不安と真剣に向き合っていかないと、いけないんだ。
そうすれば……
「──許されるかも、しんないぜ」
片眉を上げて、笑ってやった。
あんまり真面目な顔して、しんみりしてるから。
「自分でゴールを決めてな…そこに向かって走るんだ。走っていれば、辿り着くことはできるだろ」
俺はいつもそういうつもりで、グラウンドを走っていた。迷いがあるときは走るのが一番なんだ。
「……うん。そうだね」
明るく笑って、瀬良は声を大きくした。
「やっぱ、濱中センセーは”先生”だな!」
「ん?」
「俺のハマチューは、”ハマチュウ”だから、ちっと、ね」
「なんだ、そりゃ」
「はは、なんでもない!」
楽しそうに笑うと、コーヒーを苦そうに一口すすった。
「瀬良…ほんとは飲めないんじゃねーの?」
ついそう聞いた。どう見ても無理している。
「うるさい、ほっとけ」
瀬良は笑っていた顔を不機嫌に歪めた。
俺は呆れて、ガキにも大人にもなるその顔を、睨み付けた。
「その教師を教師と思わない喋り方、やめろ」
「どの面下げて、教師だって?」
瀬良は苦いコーヒーに悪戦苦闘しながら、ニヤリとやり返して来た。そして悪戯っぽい顔で、笑う。
「さっきも言ったけど、俺、ちゃんと濱中先生のことはセンセーだと思ってるよ」
「……へえ」
まあ、その言葉は、ありがたく受け取っておこう。
「浜中先生たち、遅いな」
今度は俺が呟いた。
腕時計で時間を確認すると、もう小一時間は過ぎている。いい加減、瀬良とばかり顔を付き合わせていても面白くない。
瀬良も同じことを思うらしい。チラチラ入り口に視線を飛ばしては、ブスッとした。
その顔が、余計なことを思い出して、急に興味ありげに聞いてきた。
「ところで、……俺のそっくりさんは?」
「───!」
俺の、痛い所のもう一つだ。
三浦のいない隙をついた俺は、卑怯だった。
「安心しろ。他のあてがっといた」
瀬良が、さっきみたいに目を丸くした。
「……!! ひっで───ッ!!!」
「へんな勘違いすんなよ、キューピッド役をやっただけだ」
「ぐはは! このツラでキューピッドだって!!」
「ツラって……おまえなあ」
まったく、口の減らないヤツだ。言った俺も恥ずかしくなったが。
……どうなったか、なんて詳しく聞いていない。
あの子に泣きつかれて困った俺は、そのまま全部、三浦に打ち明けた。
夏休み明けから、毎日体育館の端に小さな姿がちょこんとあるのを見ると、三浦はそれをOKしたんだな…と勝手に思っていた。
「あ、ハマチューの車だ!」
瀬良が嬉しそうに目を輝かせた。
道路に、駐車場に入ろうとしている浜中先生の車が見えた。
「濱中先生、コーヒーのこと、ハマチュウに言うなよ!」
瀬良が俺を見上げてきた。
こんな時ばっか、”先生”だ。
「……ああ。俺のことロリコンとかジジイとか言わなきゃな!」
「言わない!」
「……即答かよ! 調子いいな、ったく」
片眉を上げて、瀬良を見た。すっかり元気な顔になって、入り口を気にしている。
「……迷ったら、グランド走れよ。俺も付き合ってやるから」
「…………」
目を見開いて、俺を見る。
「……うん! サンキュー、センセ! やっぱ、センセーは先生だ!」
またそれを言う瀬良に、俺も笑った。