chapter1. break out- 闇の幕開け -
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5
次に目を覚ました時は、これが夢ならどれだけ嬉しいかと、願っていた。
取り戻しつつある意識の中で、身体の痛みが、現実を俺に教えた。目を開けなくても、此処が自分のベッドじゃないと、思い知らされる。
「……………」
薄目を開けて、恐る恐る光を取り込んでみた。
霞む視界。白いカーテンが、外界を遮断している。光源は天井の蛍光灯だった。昼なのか夜なのか、ちっとも分からない。
俺は壁を背にして、横向きに寝かせられていた。目の前には、束ねられたままの両腕が拳を作っている。
拘束具の革ベルトが手首に食い込んでいるのが、妙に生々しく見えた。
………痛い。
身体が、特に後ろが……
動かなくても引き吊れる。背骨と股関節が軋んだ。
痛い
痛い
……これは、夢なんかじゃない。悪夢のような現実は、まだ続いていた。
────恵。
……あれから、どのくらい経っているのだろう。
俺が帰らなくて、きっと泣いてる。窓辺に蹲って、動くこともできずに俺を待ってる。
前がそうだったんだ、あの時の泣きようは酷かった…。
……かわいそうに……
その姿を想像すると、胸が痛くなった。いたたまれなくて、思考を掻き消す。
俺はやっと霞の取れてきた視界で、目線だけ動かしてもう一度部屋を見回した。
……ヤツはいない。
10畳ぐらいの広さはあるか……。
端まで見えないからよくは判らないけれど、個室にしてはかなり広い部屋のようだった。
身体を動かしてみようと思ったけど、あちこち痛すぎて、とてもじゃないがピクリとも動けなかった。
「…ハァ」
溜息のような深呼吸で、枕に顔を半分埋めた。動けないまま、手元を見つめてみる。
拘束されたままの手首が、気になる。なぜ外していないのか。
………まさか、ずっとこのままじゃ……。
俺はぞっとした。あいつじゃ、やりかねない。やってることは、すでに犯罪と言っていい。
その時、足元の方でドアの開く気配がした。バタン、と閉める音と共に、ヤツが入ってきた。
「あ、起きた?」
俺を覗き込んで嬉しそうに言う。俺は返事もしないで、ただ睨み付けた。
ヤツはそれを気にもしないで、枕元に腰掛けた。手に持っていたトレーの中の注射器を、拾い上げる。
「!!」
俺は驚いて、軋む身体を少し引いた。……何する気だ?
「安心していいよ。コレは単なる栄養剤」
言いながら、器用に俺の腕に時間を掛けて打った。
「痛……」
止血ガーゼに顔を顰めた俺に、嬉しそうにまた言ってくる。
「よかった。やっぱ、動いてないとつまんなくて」
カチャカチャとトレーを鳴らして片づけると、俺の顔の前に蹲った。
「おはよう」
にっこり笑う。
「…………」
俺はこの図太さに付いていけない。ただ睨み付けて、手首を少し突きだした。
「それは外せないよ。暴れられたら、押さえきれないからね」
「………」
何も喋らない俺をじっと見ると、掛け布団を剥いだ。
「……!」
俺は、縛られた時に着ていたシャツだけで、他は全部はぎ取られていた。露わになった下半身に手を伸ばしてくる。
「……触るな!」
低く呻きながら、牽制した。
「……はは。さすが。まだそんなこと、言えるの」
ちょっと目を丸くして、驚いて見せた。
「でも、もうこの身体は僕のモノだから、何したって自由だよ」
言いながら、手を俺の身体に這わせた。
「……ッ」
腰から太腿、膝までの稜線を、何度も撫でる。
「この腰骨、カッコイイ」
「………」
「……先輩に………本当に、よく似てる……」
「!!」
ヤツは視線を床に這わせて、そう笑った。
「だったら……」
俺は、奥歯を噛み締めた。
「父さんに、してもらえよ!」
腰も動かして、身体を遠ざけた。触れられていたくない。
「俺なんかじゃなく、父さんに言えばいいだろ! セックスさせろって!」
追ってきたヤツの手が、一瞬止まった。
「こんなことしてて、なんになるんだよ!? 俺を家に帰せッ!」
睨み付けた目に、視線が絡む。ヤツの目は丸く見開かれて、なにか言いたげな口が少し開いたままだった。
暫く、お互いに睨み合っていた。
「……なんなら、俺が言ってやる」
俺は低く笑った。
「そうだ。そうすりゃ、良かったんだ。あんたが俺にやった事は、絶対に隠したかった。……でも、あんたの気持ちが父さんに伝われば、こんな事も終わるよな」
腹の底から笑った。そうだ、簡単なことだ。なんで思いつかなかったんだ。俺は自分を隠すことしか、思い付かなかった。
笑い続ける俺の首に、ヤツの手が伸びてきた。声を止めようとする様に、きつく締める。
「───っ」
「……自分の立場が、分かってないね。…克晴」
──苦しい。
どんどん、喉を締め上げてくる。
「生かすも殺すも、僕次第なんだ。あんまり生意気だと、酷いことしちゃうよ」
「……んっ」
締め上げたまま、唇を重ねてきた。俺は苦しくて、藻掻いた。身体を動かすと全身が痛い。
それでも力を振り絞って、拘束された両手でのし掛かってきた胸を、押し返した。
「──!」
身体が離れ、喉も解放された。
「ハァッ……、ゲ…ゲホッ」
やっと、呼吸を確保して、俺は咽せた。
「……本当に、大きくなったよね、克晴」
咽せている俺を上から眺めて、悪魔がそう呟いた。
「………」
「身長なんて、あの時の倍になったかと思ったよ…。あんまり背が高くなっててさ。……力も強くなるわけだ」
──当たり前だ。6年も経ってんだ。俺はもう、小さな子供じゃない。
「……僕は…本当に、……うらしま太郎だ」
「……?」
また不可解な事を言っている。
「……太郎だか花子だか、知んねーけど」
オッサンの感傷に、付き合ってる余裕はない。
「自分で行ったんだろ、アメリカに! グダグダ言ってんじゃねぇよ!」
「………!」
「なんの説明もなしに! 自分だけ分かってて、楽しんでたんだろ? だから残りの時間で、あんなスゲーヤリ納めしてったってわけだ!」
文句なら、俺だっていっぱいあった。言葉が止まらない。
「もう6年も経ってんだ! なんでこんなこと繰り返すんだよ!?」
今更、今更! 俺の頭は、それでいっぱいだった。
俺には恵がいる。やっと恵と、一緒に歩いていける。今が大事な時なんだ。
だから、…こんな状態はあり得ない。こんなヤツに関わってる場合じゃないんだ。
「家に帰せ」
……恵に会いたい。
「これ、解けよ!」
腕を突き出して、力一杯叫んだ。
俺の言葉に、顔を引き吊らせていたオッサンは、黙って立ち上がった。
「……僕、これから仕事だから」
小さくそう言うと、部屋から出て行ってしまった。ガチャリと施錠の音が響く。
「───!」
取り残された俺は、呆然とした。
……帰れない
……帰してもらえない?
───うそだろ……
手首の拘束が疎ましい、身体が軋むのが辛い。放心しすぎて、しばらく力も入らなかった。
それでも俺は、何とかベッドの上で身体を起こした。