chapter1. break out- 闇の幕開け -
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人の気配で、目が覚めた。
「………!」
ガバッと身体を起こして、後退った。
いつの間にか帰ってきたオッサンが枕元に座り、俺を覗き込んでいた。スーツを着込んだままだ。
「ただいま、克晴」
にっこり笑う。その顔だけ見てると、罪のない童顔なオッサンだった。
……こんなことするとは、とても思えない。
「─────」
俺は睨み付けて、壁際に下がった。
「そういうトコ、変わってないね。必要以上は、まったく喋らない」
……そんなことは覚えてない。声を出すのも、嫌なだけだった。
「僕ね、またすぐに出なきゃいけないんだ」
「………」
「だから、一発やらせて」
「!?」
何事もないような顔をしてそう言うと、俺の手首を掴んだ。
「───!!」
引っ張られて、バランスが取れない。俺の身体は、ベッドに横倒しになった。
そのまま手首を強引に引き上げ、またヘッドパイプの鎖に繋いでしまった。
「くっ」
俺が抗うと、ヤツは嬉しそうに笑った。
「無理無理。それは外せないから……それより、シャツがびっしょりだね。コレじゃ風邪を引いちゃう」
そんな愁傷な事を言いながらも、手を伸ばして俺の胸に触ってくる。
「やめろ!」
ぞわっとした感触に、身体が震えた。痛んだ場所は、まだちっとも回復していない。触られたくなかった。
「無理はお前だ! ……触るなよッ!」
下へと滑らせていく掌を、止めたかった。
でも、まったく容赦のないこの悪魔は、愛撫を繰り返して核心へと近づいていく。
「……んっ」
胸も舌先で突いては舐め回した。
「やめ……やめろって! 俺はもう、嫌だ!」
必死に頭を上げて、怒鳴りつけた。
……もう嫌だ。こんなの普通じゃない!
せっかく落ち着いていた身体が、また熱くなっていく。蹴り上げた足も押さえ込まれ、前を咥えられた。
「………ッ」
下腹部から、いつもの嫌悪と疼きが同時に湧き上がる。舌を絡めて唇で擦られ、俺の身体はどんどん高められてしまった。
後ろに指も入ってきて、また身体が跳ねた。出入りさせながら、中の一点を突いてくる。
「やっ……!」
その瞬間は、ぎゅっと目を瞑った。
知りたくない。感じたくない。こんな身体──!
「はぁっ……!」
口の中でイかされて、もう何も考えたくなかった。ぐったりした俺の身体が、俯せにひっくり返された。
「!?」
急に身体を動かされて、驚いて振り向いた。後ろに放った俺の目線を、ヤツは捉えた。そして、悪魔の微笑みを浮かべる。
「たまには、バックもいいかなって」
言うなり、俺の腰を高く持ち上げた。
「……あっ」
鋭い痛み、異物感。熱い肉棒が、俺を貫いた。
「……ぁあっ!」
激しく出入りし始める。擦られて、体内の奧まで剔られる。
「克晴……克晴」
腰を抱きしめて背中に覆い被さると、譫言のように俺を呼んだ。
「やっ……、いやだッ……」
揺さぶられながら、頭を振って嫌がった。どんどん体内が熱を持っていく。
身体を支えている膝を通り過ぎて、つま先まで痺れる。
「……かつ…んッ…!」
「ぁッ……はぁ…ッ!」
俺の中で、ヤツがいったのが分かった。熱い液体が俺の中に迸る。
「……んっ」
最後まで激しく腰を打ち付けると、ずるりと出ていった。
「………はぁ」
今度こそ、ぐったりとベッドに横たわる。今回はいつまでも、挿れっぱなしじゃなかった。
───助かった。
放心したまま、目線だけヤツを追う。忙しそうに身なりを整えていた。
「はあ、気持ちよかった! やっぱ、克晴は最高だね」
支度を終えると、そう言って俺の頭を撫でた。
「……!」
睨み返した俺にもう一度微笑むと、ベッドとの鎖を外して、
「じゃあね、僕行くね。いい子にしてるんだよ」
なんて言っている。
「………」
俺は睨むのも馬鹿馬鹿しくて、反対側に顔を向けた。
その時、オッサンの携帯が鳴った。
オッサンは慌ててスーツの胸ポケットから携帯を取り出すと、営業声で電話に出た。
「……はい、お世話になります。……はい、その節はありがとうございました…」
ぺこぺこしながら、対応している。
……父さんと同じだ。
父さんも、会社からの電話に出ると、声が変わる。態度や言葉も、相手によってかなり違う。
でもどれも、家にいる時の「父さん」じゃなくなる。小さい頃は、それが嫌でしょうがなかった。
……恵も同じようなことを、言ってたな。“大人の空気”って。
そう言えば、オッサンの仕事してる姿って、初めて見た。どうでもいいことを考えながら、ぼんやり会話を聞いていた。
「えっ、……はい、では、直ぐに伺います! ……場所は……」
妙に慌て出した。会話しながら、目線で何か探している。
「ちょっとお待ちください、今、メモをとります…」
そう言って部屋の外にでると、暫く会話を続けていた。そのうちその声も聞こえなくなった。
俺は耳をそばだてながら、ずっとそれを聞いていた。そして気配を伺っていた。
そして……
まさかと思いつつ、鼓動が早まっていくのを、押さえられなかった。
───焦るな。
ドクドクと高鳴る心臓を押さえて、俺はゆっくりと起きあがった。
傷む身体を宥めながら、忍び足で外と繋がるドアの前に立つ。
「………………」
部屋の向こうには、何の気配もない。
ドアノブに手を掛けた。緊張で汗を掻いている。そっと静かに回してみた。
──カチャリ…
小さな音をひとつだけ立てて、それは開いた。
さっきまでは、どんなにガチャガチャ言わせても、びくともしなかったのに。
「────!」
こんなに簡単に開いたことが、信じられなかった。オッサンは急な仕事の電話で、慌てていた。
……それにしたって…。
とにかく、チャンスだった。気付いて、引き返して来るかもしれない。
その部屋を見回すと、そこは左右に広がる広いダイニングルームだった。左奧にカウンターとキッチン。
その右横にあるドア、俺の真正面に見えている、曇りガラスの嵌った木製ドアが、向こう側の廊下へ続いているようだ。
急いでキッチンの中に入って物色すると、引き出しの中に果物ナイフがあった。それを掴んだ。
あとは……。
もう一度部屋を見渡す。着替えが欲しかった。クローゼットやタンスのようなものは見あたらない。
ダイニングテーブルの椅子に、今朝オッサンが着ていた服が掛けられていた。
「………っ」
背に腹は変えられない。下着もつけないまま、グレーのスラックスを直に穿いた。
大人物だけど、体格は同じようなものだから、穿けなくはなかった。
まだ湿っているシャツのボタンを留め、オッサンのワイシャツにナイフをくるみ、玄関に走った。
────急げ、急げ!
タタキには幸い、自分の靴があった。裸足にそれを突っ掛けると、俺は玄関を飛び出した。
外だ!
新鮮な空気を、吸った気がした。
……やっと酸素を、吸えた…!
エレベーターホールまで走ってから、脇の階段を使って駆け下りた。
ここが何階だかわからない。でも、とにかくあそこから離れなければ!
他の人に会うのも嫌だった。こんな格好を目撃されたら、警察を呼ばれかねない。
「はあ…動きづらいな」
幾階か駆け下りてるうちに息が切れて、足を止めた。こんな手を括られたままじゃバランスが取れない。
俺は階段の途中に座り込むと、ナイフを逆刃に握って、皮ベルトを擦ってみた。
力が入らないせいで、手応えが余り無い。歯で咥えたり膝に挟んだりして、同じ場所に刃を当てて一カ所つけた切り痕を、擦り続ける。
何時間そうしていたか、わからない。ただ一心に、その作業を繰り返した。
時々足音が響くたび、緊張した。上ってくる気配を感じると、他の階に逃げた。そうやって、やっと少しずつ皮ベルトは裂けていった。
焦ると手元が狂い、ナイフが滑った。何度も取り落として、指や腕を切った。
───落ち着け、落ち着け…!
そう自分に言い聞かせて、やっと最後の一筋を力任せに引きちぎった。
反動で、右の手首をざっくりと切ってしまった。
「痛ッ───!」
左手で押さえたときには、階段にボタボタと弧を描いて血が垂れていた。
───しまった……!
ナイフが階段を転がり落ちていく。金属音がやたらと、響いた。
俺は素早くシャツを脱ぐと、それを手首に巻いて、痛みごと押さえ付けた。
湿っているせいで、染みこんだ血液がどんどん滲んでいく。
「クッ………」
壁にもたれて、止まるのを待った。
──食べてないうえに、大量出血か……
階段にちりばめられた血液の痕を見ていると、貧血を起こしそうだった。
でも、俺の口元はにやりと笑わずには、いられなかった。
───外れた! ……脱出成功だ!
後は一刻も早く、ここを立ち去らなけりゃ……
止血もそこそこに、持ってきたワイシャツを着込んで、濡れているシャツを腕に巻き付け直した。なるべく血の付いてない面を表に出して。
そして急いで一階まで駆け下りると、マンションの外に出て、近くの物陰に潜んだ。
───オッサンは…いない…?
……見つかって、いないな…?
それを確信するまでは、安心できなかった。
「…………」
急な運動と緊張とで、心臓の音ばかりが耳に付く。
暫くそのままで居たけれど、周りに動く気配がないことに、やっと息を吐くことができた。
……これから、どうしよう。
逃げたはいいけれど、とりあえずの行く宛がない。
電柱の番地を確認してみて、一人の顔が頭に浮かんだ。
───この住所は……