chapter10. proprietary right -所有権-
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「オレのモノに、アレが嵌ったままなのが、気に入らない」
「─────!」
僕を回想から引きずり戻すように、ドスを利かせた言葉が耳を突いた。
“オレのモノ”と言い放つ自信に、カチンときた。
「……………」
また睨み合って、視線を絡めた。
「鍵を出せば、お前も助けてやる」
───真っ直ぐな黒い瞳。同じ色なのに、その奥深さ、底知れなさは……克晴とはまったく違う。
“僕の克晴”……その証。……今は、あのキーだけだ。
「……出すもんか…」
つい、言ってしまった。
駆け引きを仕掛けられているようで、悔しかったんだ。
──そんな言葉で、所有権は放棄しない!
──自分が助かりたいために、克晴を売ったりもしない!
そのプライドに、火を点けられていた。
あのキーでの拘束力は、問答無用だから。
“所有権”というのは克晴の身体を、物理的に完全な物扱いが出来るって事でもあるんだ。
こいつらにそんな危険な物を、渡すわけにはいかない。……悪用されたら…想像もしたくない悪夢が、容易に浮かんでくる。
……そうさ……守れるのは、僕だけだ。僕が克晴を、守るんだ────
ひっくり返されては、しがみつくプライド。今の僕には、それしか残っていなかった。
メイジャーの片頬がゆっくりと持ち上がって、目が妖しげに煌めいた。
その顔は、ニヤリと笑っていた。
「ここにあるって、ことだよな」
「─────」
……しまった……
そう思った顔色まで見抜くように、漆黒の視線は僕を離さない。
「服にも体内にも、隠してなかった」
「………」
「じゃあ、どこだ?」
視線だけ部屋の端々に走らせて、すぐに僕を見据える。
「そこの、発泡スチロールの箱か?」
「──────」
ヒヤリとした。あんな簡単な所でなくて、良かった。
「流石に、胃の中じゃないな…さっき、飲み込んだりはしなかっただろう?」
「………………」
「そこに転がっている、パンの中……」
「…………」
メイジャーはゆっくりと、キーを隠せそうな場所を言い続けた。
カビていて、とても食べられやしないパン。差し入れにあったそれは、いつまでも床に放置され、横たわった僕の横で、時々ネズミが囓っていた。
……天井に投げ上げることが、出来ないでいたら……
もしかしたら、そこに隠したかもしれない。そんな場所まで次々と、言葉にしては僕を観察する。
その度に、背中にじわりと冷や汗を掻いた。
「………………」
───コイツは…人の心を見抜く力でもあるのか。
心臓の音が、どんどん高鳴って行く。爆音となって、最後は聞こえてしまうんじゃないか。破裂してしまうんじゃないか……。
「壁の排気口か…ダクトの奥か……?」
「………………」
言い当てていく隠し場所が、床から離れていく。
緊張感が、床の冷たさや凍える手足の先の感覚さえ、奪っていった。
───判っているのに、わざと違う場所を言って僕を動揺させている。
そんな気がしてならない。
僕の不安を煽って、ボロを出すのを待っているようにも……
……つい天井に、目線が行きそうになる。
「──────」
それを堪えて、克晴への想いを精神力にして、黒い双眸を睨み続けた。
「……なるほど。ここにあることは、判った」
「………」
「お前の視線が向かない所が、そうだ」
もう一度ニヤリと頬を歪めて、メイジャーは立ち上がった。
「………!!」
最後の追い打ちを掛けられて、鼓動がもう限界とばかりに、悲鳴を上げた。
「じっくりと探して、オレの手で克晴から、アレを外してやる」
余裕を見せて、笑う顔───
全身に脂汗を流しながら、僕は心で溜息をついた。
焦っていないこの男……プレートの拘束力までは、気がついていないんだ。
「…………」
ホッとしたのもつかの間、メイジャーの脚の向こうに、克晴…その反対側にチェイスが見えた。
その顔は、今の会話が聞こえていたみたいに、ニヤついている。
壁により掛かって腕を組んで、楽しそうに……
「早いもん勝ちだな」
得体の知れない凶悪な光を、碧色の眼に閃めかせて。
それだけ言うと、手下を従えて部屋から出て行った。
…………!
───チェイスは……知っている。あのプレートの威力を……
僕がグラディスに、嵌められていたんだから。
次々と嵐が吹くように、新手の恐怖が襲ってくる……
端から見ていて、どれだけおかしいほど、顔色を変えていることか。
「メイジャー……チェイスは、危険過ぎます」
シレンが閉じた扉を見ながら、堪りかねたような声を出した。
「あんなのをこの船に、これ以上のさばらせておいては……」
白いブラウスの裾をたなびかせて、メイジャーに身体を寄せる。
「今回は積み荷も、モノが違います。くすねたり…何かしやしないか、心配です」
「うむ……しかしアイツは、グラディスの弟だ。始末するわけにはいかない」
メイジャーも苦い顔を作って、言い捨てた。
「隙を見せなければ、大丈夫だ」
赤い頭を撫でて微笑む。
「それに、このメイジャーに……オレに何かあったら、チェイスなど、この世界で生きてはいけない」
最後は不敵に笑う男に、嬉しそうに全身を寄せて、シレンも見上げて見つめ合う。
「…………」
僕一人、部屋の奥で転がっていて……それを眺めて変な気分になった。
克晴は、反対の腕でメイジャーに抱かれたまま、大人しく立っている。
こっちを一度も、見てはくれない。
僕の様子に気付いたシレンが、涼しい微笑みを口元に浮かべながら、近付いてきた。
「……マサヨシ」
「……………」
場違いなほど、高い声。
このむさ苦しい船の中で、華を添えるに相応しい容姿と振る舞い。
無意識にも、眼を惹くものがあった。……まるで、一輪の赤い薔薇みたいだ。
「今の克晴が、どう見えます?」
その華麗な外見とは裏腹に、棘を刺すような冷たい視線。
………どうって……
投げかけられた質問に、想いは克晴へ飛んだ。逞しい腕の中で、じっと動かない。
───格好いい横顔…髪がまた伸びたな………。
大好きなあの眼。睨み付けてくる時以外、僕を映さない。
その眼は、メイジャーに特別な感情を持っているようにも…見えない。
……今は…何を思って、誰を見ているんだろう……
「……………」
答えられないで再びシレンを見上げると、細いウェーブを掻き上げながら、冷徹な言葉を発してきた。
「メイジャーも言っていましたが……あなたが、何をしてあげられるのか」
「……………」
「好きなら…“愛している”と言い張るのなら、それくらい判りそうなものですが」
「シレン」
メイジャーが扉の外で呼んだ。
克晴はもう、外に出ていた。
「ボクには、あなたが克晴のパートナーの資格を持っているだなんて、とても思えない」
「────!」
「克晴が幸せになれるのなら、それで良いと思わないのですか?」
───幸せにって……
「あなたが殺されないでいる意味を、よく考えることですね」
……え?
それ以上は口を閉ざして、ブーツの踵を床に響かせた。メイジャーの待つドアに向かっていく。
「済みません。余計なことを言いました…」
向こうへ詫びる遠い声と共に、扉は閉まった。
その音は、僕の心に不穏な余韻を残した。
「──────」
さっき僕は、克晴が心配してくれたことを喜んだ。……でも。
“克晴に、恩を着せる”……そうハッキリと言い放ったメイジャー。
僕の命と引き替えに、何か要求しているのか……?
僕のために、克晴が……?
時間が…いつか解決してくれると、思っていた。
ずっとずっと、この腕に抱き締めて……好きなんだ。愛してるんだ。大事にするから……
そう言い続けて、その想いがいつか届いて……二人で幸せになれたら。
なれると、思ったんだ。
どうしてもあの魂が、僕を完全拒絶しているようには思えなくて。
でも、こんな事になってしまって、どうだ……
“あなたが、殺されないでいる意味を”
───僕の一方通行の想いは、また克晴の努力を見ていなかった。
「……かつはる…」
チェイスに殴り殺されそうだった時、“止めろ!”と、叫んでくれた。
「…………う…ぅ…」
さっき胸に込み上げた熱いものが、再び体中を熱くして……両目から溢れた。
結局メイジャーだって、縛り付けているんじゃないか。
どっちが、幸せに出来るかだって……?
───克晴を解っているのは、僕なのに……
あの横顔が、悲しかった。
“誰を見ているんだろう”……そんなこと思った振りしたけど、でもそれはウソだ。
だって、僕はいつだって判っていた。そう、誰よりも解ってるんだ。
克晴は……恵君しか見ない。
アイツじゃない…メイジャーなんかじゃない。
「……克晴を…幸せに出来るのは……恵君だけなんだ……」
涙と一緒に、言葉が零れた。
「──────」
自分で言って、ハッとしてしまった。
……認めたくなかった。
───僕が頑なに目を瞑ってきた事実。
だって、それを認めてしまったら……
「悲しむのも、そこまでだな」
突然、厭らしい含み笑いが聞こえた。
「───えッ…」
誰も居なくなった部屋に、チェイスが一人で戻ってきていた。
「早いもの勝ちだって、言ったよな」
靴音を響かせてゆっくりと歩いてくると、野獣の眼で僕を見下ろす。
「鍵の場所を聞きだして、お前を殺してやる。いつまでも、目障りなヤツめ!」
牙を剥き出すように頬を上げて、嗤った。
───やっぱり!
その恐怖が胃の底から突き上がってきた。
「……殺されたって…!」
起きあがって、逃げようとした。
「……くッ…」
まだ体中が痛い。
「無駄に逃げるんじゃねぇよ。苦しみが長引くだけだぜ」
「……こんなことだろうと、思いました」
透き通った声が、伸びてくるチェイスの腕を止めた。
「─────!!」
今度はチェイスと二人で、首をねじ曲げて、声の方向を振り向いていた。
開け放ったドアの前に、シレンが立っている。
後ろに仲間を引き連れて。
片手を腰に当てて、冷ややかに灰色の眼が、チェイスをねめつけていた。
「この船にある物は、全てメイジャーの物です。勝手なことは許されませんよ」
「…………」
舌打ちするチェイスにクスリと笑って、一歩ずつ近寄ってくる。
「ぬけがけなんて……ひょっとして貴方こそ、克晴が気になるんじゃないですか?」
「なにッ……」
「マサヨシ虐めにかこつけて、もう一度抱きたいから、さっきも手を出したのでしょう」
アハハと、甲高く笑い出した。
「貴方に克晴は、扱えない。どんなに犯したって、克晴は貴方なんか、相手にはしません!」
「……黙れッ!」
───僕と同じ事を……。
シレンの挑発は、見事に的をついていた。
丁寧な物言いが、余計に神経を逆撫でしている。
「貴方は子供みたいに、なんでも欲しがる。まったく我慢が出来ない。そんなだから、誰にも愛されないんですよ。……実の兄にもね!」
「……コイツ!」
チェイスの額に、太い青筋が浮かんだ。身の毛もよだつような、恐ろしい形相になっていく。
「その口、先に潰してやるッ!」
Gladysの名を彫り込んだ白い二の腕にも、青い血管が浮かび上がった。猪のように、入り口へ向かって走る。
飛びかかろうとした猛獣に、シレンの引き連れていた仲間達5人が、すっと前に出て対峙した。
その後ろで、シレンは、追い打ちを止めない。ちらりと僕を見て、
「今回の件にしたって、貴方の数々の喚きから察するに……おおかたグラディスが、貴方よりマサヨシを大事にしたからじゃ、ないんですか?」
燃え上がる赤い薔薇のように、綺麗で激しい…眼を光らせて妖しく微笑む。
「フ…そんな無駄なこと…。マサヨシを殺したって、どうせ貴方など、振り向いてなんかもらえないのに!」
───この執念……
長きに渡る確執なのか、個人的恨みも含むのか……。
「………………」
渦巻く憎悪に、僕も飲み込まれていた。
それから───シレンの言うことは、真実だと。
“チェイスに、兄の興味が戻らない”ってことじゃない。
そんなのは、僕が捕まる前からだ。ヤツは、とっくにチェイスに飽きていたんだから。
……そうじゃなくて……
───グラディスは……僕が死んだって、哀しみやしない。
気紛れだけで、人と接する。
あの男の冷酷さは、半端じゃないんだ。
弟を本気で止めようと、しなかった。……だからこんな事になったって、いうのに。
アイツがいつまでも、拘るから……僕なんかさっさと飽きてしまえば、それで済んでいたのに。
「己のことを判らないなんて、貴方は…可愛そうな人ですね」
シレンの容赦ない冷笑に、とうとうチェイスが切れた。
「この野郎…もう我慢できねぇッ…お前から、ぶっ殺してやる!」
太い腕を振り上げて、集団に襲いかかった。
その瞬間、同時にカルヴィンが部屋に入ってきた。
「くだらねぇこと、やってんじゃねえ!」
小競り合いを罵倒して、緊張した声を張り上げた。
「シレン、甲板に出ろとメイジャーからの命令だ!」
「……グラディスが来たぞ」