chapter13. Falling Angel -フォーリン・エンジェル-
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3
チェイスが、嬉しそうに手を挙げた。
「グラディス、アレ、本当にすげえよ!」
「────!?」
俺はまた驚いて、今度は横の顔を見上げた。
兄を見たら犬のように、近寄っていたくせに。胸を反らした、尊大な態度と言葉使い。俺を離しもせず、自分のところまで歩いてくる兄を待った。
「そうだろう」
グラディスはそんなこと、気にも留めないように微笑んだ。
………………。
通路の中央で立ち止まると、二人で顔を合わせて、含み笑いまでしている。
やはり兄弟か…
まったく違うとはいえ、二人には共通した空気がある。
この二人だけ、銀髪と白磁器の様に白い肌のせいかもしれない。こんな風に寄り添って立っていると、独特の雰囲気が生まれる。
「アレは、オレらだけで山分けだ。他のヤツになんか渡さないぜ!」
碧眼を輝かせて、チェイスが興奮を抑えながら言う。
「好きにするがいい。全て、お前の物なのだから」
さらりと銀の髪が揺れる。透き通った睫毛が、ゆっくりと上下した。
「何を言ってんだ、兄さん……」
チェイスの言葉が、急にいつもの媚びた口調に戻った。
「オレ、いつも兄さんのためにって……ブツも、もっと多く分けたっていいぜ!」
「お前が考え行動して、成した結果だろう。わたしに義理立てなどは、無用だ」
唇の端を上げて、美麗に微笑む。
月の雫が零れるように……それは、あまりにも清閑とし過ぎている。
「………」
俺は、自分の目が信じられなかった。
起こっている事の重大さを、まるで解っていないように……
メイジャーが、死んだんだぞ……目の前のソイツが、撃ち殺したってのに!
なのに、涼しげな佇まいからは、動揺や慨嘆などの感情が、微塵も感じられない。
───やっぱり、そうなのか。
胸に、細い針を突き立てられた気がした。
氷でできた、細くて長い長い針……ツキンと小さな痛みを走らせる。
俺の中に生まれていた疑心……それが、確信になっていった。
親友のような顔をしていて。好敵手だと、メイジャーに言わせておいて───結局は兄弟の方が、いいのか。
チェイスが勝ったなら、そっちがボスなのか!?
凍てつく針が、燃え上がる怒りを、冷たい炎に変えていく。
───幻滅……いや、失望だ。
こんなヤツ…期待したって、本当に…ムダだったんだ……?
でも、それでもメイジャーの信頼を思うと、俺はどうしても信じられなくて……信じたくなくて。
「あんた、コイツに怒りは湧かないのか……」
睨み上げて口をついた言葉に、グラディスも視線を寄越した。
「──────」
何も言わずに、じっと俺の眼を見る。
透き通った銀の、睫毛の奥……煌めく瞳の色は……やっぱり読めない。どんなに睨み付けても、探ってみても、石の様に冷たい光しか返してこない。
数秒見つめ合うと、興味を失ったようについと顔を逸らして、チェイスに向けた。
「成果もリスクも──全て、お前のものだ」
さらりと顔にかかる前髪を掻き上げて、また薄く微笑む。
チェイスの横顔が赤らんで、一瞬泣きそうに歪んだ。
……リスク?
そう言えば、シレンも言っていた。“この世界は、お前を許さない”
グラディスはそれだけ言うと、微笑を消し去り、靴の踵を鳴らした。
チェイスの手下達が、慌てて道を空ける。その通路を、何事もなかったようにもう振り向きもせず、居住区の方へ戻って行った。
「………… チッ…」
眉間にシワを寄せて後ろ姿を見送ると、太い腕が乱暴に俺の腰を、抱き直した。
「オレは…王だ。オレが、キングだ」
悔しそうに唸る。
───そんな器じゃない…それは、誰が見たって……。
絞り出すような声は、ただ言い張っているようにしか、聞こえない。俺の目線に何かを嗅ぎ取ったのか、険しい顔が更に唇を歪めた。
「ハハ…誰がメイジャーを消したか……今、どれだけの奴が知っているよ?」
「………?」
泣きそうだけど、勝ち誇ったような…興奮した声で、独り言のように俺に呟き始めた。
「漏らさなきゃいいんだ。アイツは、勝手に死んだ」
「─────」
「クルーはみんな、ブッ殺してやる。この船の秘密は、全部海に沈めてやるよ!」
「……ッ!」
ゾッとした。
凶悪に燃えた眼が、恐ろしい。
勝者だと言いながら、追い詰められた獣のように震えている。
「クハハハッ……ヤってやるッ、 証拠なんか、全部消しちまえばいい!」
思い付いた案に浮かれたみたいに、ゲラゲラ笑い出した。
「……アッ」
勢いで腰を引かれたのを、反射的に反発してしまった。
「…チッ」
嫌悪を露わにした俺を見て、現実に戻ったようにチェイスは鼻白んだ。手下たちまでもが、不穏なカオで佇んでいる。
「クソッ……来いよ、カツハル!」
面白く無さそうに舌打ちすると、オレの力を見せてやる! と喚きながら、強引に通路の奥に進んだ。
そして一つのドアの前で、足を止めた。
「ここで何が起こっていると、思うよ?」
気を取り直して楽しそうに、俺を見下ろしてきた。
「……………」
「…よく聞いてみな」
片方だけ唇を捲り上げる、不気味な笑み…。それを横目で見ながら耳を澄ませた。
………!
ぎくりとして、身体が揺れてしまった。その腰を太い腕が、グッと押さえる。
────何……
中から聞こえてきたのは、妖しげな気配と…甲高い声。
……シレン。
確かに、シレンの声だった。
でも……?
『……ぁあ………あぁん………早く…』
『…あ…はぁ……はやく……いれて…』
──────!?
……この……喘ぎは……
何をされているかは、容易に想像が付いた。
打ち消しては、否定できないでいた、シレンへの仕打ち。寄って集って、餌食になっているのだろうと……
「…………」
拳を握りしめた。手の平に、じっとり汗を掻いている。
───でもまさか、この声…こんな言葉は───
「ヒャハハ、イイ声だろ!」
愕然としている俺に、チェイスがゲスな声で笑い出した。
「よく見てみろ! これが、オヤジを好きだと言っていたヤツの姿だぜッ」
開け放たれたドアの向こうには、目を覆いたくなる光景が広がっていた。
中央に一つだけ置かれた、高脚のベッド。
その上で、全裸のシレンが数人の男に体中を触られていた。
────シレン…!
俺のことなど、気づきもしない。
快楽に身をゆだねて、喘いでいる……あの凛とした気高さなど微塵もない、あられのない格好で。
「シレン」
チェイスが呼びながら、ベッドの前に進み出た。
うつろだった灰色の目が、少し反応して上を向いた。でも、とても焦点が合っているようには、見えない。
「…………」
あまりの惨状に、吐き気すら覚えた。心臓がドクンドクンと…危険信号を、打ち鳴らし始める。
「カツハル…見ろよ。ここまで、従順になったんだぜ」
息を呑む俺に見せつけるように、白い顔を撫でて、喉…胸へと手を滑らせていく。細い身体は打ち震えて、悦びの声を上げる。
「ああ……もっと……」
チェイスに縋り付くように、腕を伸ばして、腰を触りだした。
「もっと……何が欲しいんだ?」
卑猥な声で、チェイスが聞く。
「こ……これ……」
しがみついた腰の前を、まさぐり始めた。
「や……やめろ、シレンッ!」
俺は堪りかねて、声を上げた。
「そんなこと、するなよッ」
……どうして、あのシレンが!?
特にチェイスには、憎悪を見せて…そうでなくたって、こんなこと……するはずがないのに。
甲板の上で、死のうとした後のシレンは……おかしかった。
笑い続ける姿は、狂気にも似て……
……あのまま正気が……戻らなくなってしまったのか……?
俺の叫びなど無視して、チェイスはまたシレンに聞いた。
「どうして欲しいんだ?」
赤い髪を撫で上げると、白い喉を反らせた。
……最後のベッドで見た、あの艶やかだったシレンが……
「入れて………早く…突いて」
ハァハァ…と妖しく息づきながら、頬を上気させて……脚を広げた。
「───シレン!!」
これ以上はダメだ!
俺は後ろ手のまま、止めようと近寄った。
それを胸を押して止めると、チェイスは益々面白そうに笑った。
「生意気なシレン。オレに盾突いてばかりきやがって……ところがどうよ。まる1日可愛がってやったら、この有様さ」
目前の白い顔を見下ろすと、やはり俺なんか見えていない。チェイスの股間を弄っては、言葉にならない叫びを上げている。
「そんなに、コレが欲しいか」
チェイスが嗤う。
「………ほしい」
シレンがねだる。
「オレが欲しいのか」
「……ほしい…」
「オレのことが好きか」
「………」
得意げに投げかけるチェイスの最後の言葉に、シレンは一瞬動きを止めた。
「……すき……」
─────── !!
……まさか……
耳で聞いた言葉が信じられなくて、思わず凝視した。
真っ白な顔にうつろな目で、本当に…メイジャーとの時のような、生気と妖艶さがまるでない。
でも……メイジャーが命を賭けて、助けたシレンだった。
────嘘だろ……メイジャーへの…愛は……?
そんな……簡単に…口にできる言葉なのか……
“後から付いてくる愛も、あるんだよ”
そう言ったあの心は……相手がメイジャーだったからだ。そのはずなのに……
俺はショックを受けすぎて、目に映る現実が、うまく消化出来なかった。
────そんなはず…ない……
“この人でなければ…って、出会う順番があるんだよ”
そう美しく微笑んだ人……あの笑顔は……それを思い出して、少し頭が冷静になった気がした。
────何を……されたんだ……
「何を…シレンに、何をしたんだ!?」
「ヒャハハハハッ!」
俺の狼狽と、叫び……同時に、チェイスも弾かれたように笑い出した。
「オレは手に入れた!」
「見たかよ、この威力……これが “ Falling Angel ” の力よ!」
「─────!!」
「次はオマエだ、カツハル! 今からオマエにコレをぶち込んでやる。オマエもこうなるんだ!」
縋り付くシレンを撫でながら、俺に嗤い続ける。
「……オマエ、誰にも懐かないんだよな? 愛してるって言わないんだよなぁ?」
「このヤクで、オマエの全てを奪ってやるよ!」