chapter15. break up -砕けた闇-解縛-
1.2.3.
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『克晴……ここで、じっとしていて』
いきなり現れたオッサンは、雄叫びを上げながら火炎瓶を投げて、部屋中を混乱に陥れた。
ベッドに駆け寄ってくると、縄を解いて俺を抱き締めて、それだけ言い置いて……
瞬く間にチェイス達を連れて、通路へ飛び出して行ってしまった。
『もうすぐだぜ…カツハル……すぐに、オレしかその眼に映らなくしてやる』
めくられた腕、注射針、チェイスの興奮…恐怖と絶望……
───あわや、またあの薬を───!
俺の心と体は金縛りのように硬直してしまい、戒めを解かれても、すぐに動くことが出来なかった。
「………………」
残った数人に監視されながら、呆然として。
何が起きたのか把握できずに、部屋の奥を焦がす炎の名残を、見つめていた。
───助かった……
でも、オッサンが…何であんな………グラディスは……?
船底からは轟音と振動が、立て続いている。
衝撃が激しすぎて、大地震が起きているように、ベッドまで動いた。
あの音は───爆発…なのか……?
そこではたと思い出して、俺はゾッとした。
───マジか…重油を積んでるんだろ? ……この船……
「Oooh…!」
「────ッ!」
ひときわ激しい、部屋中に轟くような爆裂音で揺さぶられて、床が傾き始めた。
軋んだ繋ぎ目や配管から、白煙が噴き出して、部屋には新たな炎が、広がり始めた。
「What happened !?」
煙幕に飲み込まれたゴロツキ達も、口々に何か叫んでいる。
視界の利かなくなった部屋の隅を、黒い影が右往左往と動き回った。
今だ…俺も、逃げなけりゃ……
そして、気が付いた。
「───シレン…!」
あるはずの床に、その姿がなくなっている。
……あんな身体で動けるとは、思えない。チェイスの手下に、連れ去られたのか?
ベッドを下りて探そうとしたとき、油断してしまった。
「You can't get way, you dool !」
怒鳴り声と共に、横から金髪男が殴りかかってきた。
───アッ! ……しまった…と思うより、早かった。
「…グッ」
鳩尾に一発、すぐさま後頭部に一撃。
したたか煙を吸い込んで、咽せる間もなく───視界はまた、暗転した。
そして──── 今……再び俺の前に、オッサンの姿があった。
……なんだ
……何、やってんだ…?
衝撃を受けて、意識を取り戻した。俺は床に投げ出されたように、部屋の真ん中で転がっていた。
「──────?」
異様な気配を感じて、吐き気と頭痛で呻きながらも、視線だけ動かした。
煙の中で、二人の男が揉み合っている。
目を凝らすと、霞んだ視界がはっきりしてくるにつれ、正体が見えてきた。
───オッサン……?
手や顔が、火傷と流血で真っ黒になっている。余りに酷くて、誰だか判らないほどだった。
その体を、自分より図体のデカイ男にしがみつかせて、何か呟いている。
顔面に打ち下ろされる、容赦のない拳。厄介者を引き剥がそうと、やけくそのように連打されて。
それでもそいつに必死に食らい付いて、噛みついて……泣きながら……
「……はる…………はる……ッ」
俺を呼んでいた。
「──────」
凄まじい気迫に、息が詰まった。
身を呈した、渾身のタックル……どう見たって、無茶なのに。何があって、こんなボロボロで……それでも、殴られ続けているんだ……?
余りに惨くて、それなのに諦めない壮絶さに、全身の肌が粟立った。
とうとう執念で、男を追っ払って、俺を見る。
─── その顔は、泣きながらも……薄ら笑っていた。
「………オッサン…」
俺の口からも、知らずに、呻き声が漏れていた。
「……克晴……気が付いたんだ…」
倒れたまま腹這いながら、にじり寄ってくる。
「…………」
近くで見ると、益々酷い。
広がる炎に照らし出された顔は、俺を慰み続けた憎たらしいオッサンの…見る影もなかった。
タダレれた肌。殴打で腫れ上がった目、頬、顎…。
切れた額からは、血が流れ続ける。それを邪魔そうに眉を寄せて。
……よく見えないのか……彷徨いながらも瞬きを繰り返す、その瞳には──嬉しそうな輝きを、湛えている。
ドロドロの手を伸ばして、頬を撫でてきた。
「……………!」
ゾッとした。
まるで、地獄まで連れて行かれそうな気がして。
その感覚で、唖然としていた俺は正気を取り戻した。
「…手、出して」
何か言ってくるオッサンの言葉を遮って、叫んだ。
「……シレンは!?」
一番に心配だったことを、思い出した。周りを見渡しながら、白い身体を探した。誰か仲間が助けているなら、それでいいんだ。
でも───
「………知らない」
ポカンと言い返してくるその様子に、俺は歯噛みした。
「……クソッ!」
やっぱりチェイス一派が…! 悔しくて、力任せに床を殴った。
「克晴…手、出して」
オッサンは自分ペースで、俺に触ってくる。
「─────」
こんなになって、まだ……コイツは、欲情してるのか?
睨み付けた視線に、弱々しい微笑みが返ってきた。
「プレート、外すから…」
─────え?
やっと絞り出したような、掠れた声。
苦しそうに俺を見る目は、早くと促している。
「………どうして」
思わず呻いた言葉に、俺自身、呆れた。
どれだけ呪ったか、この四肢の呪縛を。
どれだけ全部取っ払って、自由になりたいと、願い続けたか───
なのに……いざ“外す”と言われたって、信じられなかったんだ。
俺に、拘って…拘って…執着し続けて。
さっきのもつれ合いも、振り向いた時の笑みも、鬼気迫るモノがあった。
“僕の克晴” ───言葉にしなくても、聞こえてきた。
そして、驚いたことに…コイツの言いぐさときたら、
「君を幸せに、したいんだ……」
─────はッ…?
可笑しすぎて、腹で笑った。
よく言う───何を今更、どの面下げて……ッ!
怒りで目眩がするようだ……色々な悪態も、頭の中でグルグル回る。
こんなことすら咄嗟に言い返せなくなるほど、俺を“躾て”おいて。
言葉を失ったまま睨み返していると、オッサンは更に苦しそうに、顔を歪めた。
ハァ…と、虫の息のような呼吸をして、真剣な眼差しを俺に向ける。
「側に居なくても…もう一緒に居れなくていいから……」
「…………」
「克晴には、幸せになって欲しいんだ」
「──────」
大のおとなが、泣き声を…振るわせて……
途切れ途切れに、掠れて……やっと聞こえるほど、小さい。
「今は、ただ君の……幸せだけを、願う……」