chapter15. break up -砕けた闇-解縛-
1.2.3.
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───ただ君の……幸せだけを───
真っ直ぐに俺の眼を、見る。今までのような、欲望を孕んだそれじゃなく。
「……………」
その言葉を、信じた訳じゃなかった。ただ、あまりにその眼が、必死に訴えてきたから。
“早く、手を” ───切望するような、眼光に。
そして、本当に……これが、外されるのか………?
その事がまず、信じられなくて。そんな気持ちに押されながら、右腕を出した。
「…………」
血だらけの両手が、プレートを包む。
……ゾクリ…
背中に何かが走ったのは、撫でられた嫌悪のせいか……これから起こる事に、緊張したのか。
俺は、じっと見ていた。オッサンの手元を。
ポケットから何か取り出す。
小さな金属板を、人差し指と親指の間に挟んで。グッと、握り込んだ。
────────!
繋ぎ目も判らないほど、滑らかなプレートが。二つに割れて、腕から外れた。
それはスローモーションのように、ゆっくりと剥がれ落ちて行って。
硬い金属音を、床に響かせた。
「…………」
────軽い…
右腕だけ、重力を失ったように。肘から先が、跳ね上がった。
………どれだけ……
圧迫していたのだろう…あの金属は。
無くなってみて、実感する。
俺の身体の一部になっていて、もう時々…違和感も感じない程だった。
剥き出しになった皮膚が、空気にさらされて────
味わったことのない、開放感が……じわりと、そこから湧いてきた。
「ごめん……ごめんね……」
ナイフで剔った手首の傷を見つけて、オッサンが泣く。
俺の、抵抗の証。
俺は負けなかった。
だから……勝ったんだろうか。……俺は……
革ベルトで、拘束されて。鎖で繋がれて。こんなモノ嵌められて。
薬と恐怖で、心を縛られた。
毎日が、セックスの強要……屈辱と、陵辱しかない。
あの白い部屋から、逃げ出したかった。青と白の世界に、帰りたかった。
その枷が、今────次々と、外されていく。
左腕、……右足……左足……
ガランと、重々しい音を響かせて、最後の枷が外れた時。
全身が宙に浮くような錯覚まで、起こした。
「……これで、自由」
オッサンの声が、遠くに聞こえた。
その意味を、空気を吸い込むように、身体が実感していく。
────解放だ………俺は……自由だ………
心まで、体から離れたような気がした。
ふわりと目の回るような浮遊感……このまま……
このまま…メグのところまで、飛んで行けたらいいのにな。
「………克晴」
真っ白になりそうな俺の心……高揚して、何も考えられなくなっていた。
抱き締められて、意識が身体に戻った。
力のない腕が、今まで散々やってきたように、俺を胸に抱いて。
首筋に顔を、埋めてきた。
オッサンの熱い息が、耳にかかる。
「…………」
俺は脱力しきったように、動けないでいた。
他の音は、何も聞こえない。
何も感じない。
「ずっと……言えなかった……克晴」
震える声、震える息……
耳のすぐ横で、苦しそうに喘ぎながらも、呟きを絞り出す。
一言ずつ……繋げていく。
「ごめん……ごめん───愛して…ごめん……」
「───────」
……泣き声に変わった、最後のそれは……
俺の…欲しかった言葉……なのだろうか。
放心していた心に、何かが染みこんできた。
ずっと解らなかった。
何でこんなコトされるのか。……なんで、俺なんだ。
“克晴が好き” そう言われたところで、扱いは変わらなかった。
俺の意志なんて、どうでも良くて。コイツの欲望の捌け口でしか、無かった。
憎んで、憎んで………
「……オッサン」
「アンタは……狂ってた」
俺の絞り出した声も、情けないほど嗄れていた。
「……うん」
非難しているのに、ふふ…と、耳元で嬉しそうな吐息。
そして、こんなボロボロになっていながらも、性懲りもなく言いやがった。
「今も……克晴に、狂ってる」
「─────!」
いつもいつも、“克晴が”…そう言って、襲いかかってきた。
“君が悪いんだ”─── その言葉を、裏に隠して。……全てが、俺のせいみたいに……
「最後まで、俺のせいかよ!」
怒りで震えた肩を、ぎゅっと押さえ込まれた。
「違う……言えなかった、僕のせい!」
「………………!」
「……振り向かせられなかった、僕のせい」
必死に俺を、抱き締める。
ろくに力も入らない腕で。耳元に叫んでくる。
……言い聞かせるように、悲痛な色を帯びて。
床にへたり込んだままの俺たちは、鉄板の上で、揉み合うように蠢いた。
「………」
全身を使って、“聞いてくれ” と訴えてくる、そのひたすらな気配に…俺はそれ以上の抵抗が、出来なくなった。
それは……命を絞り出すような、高く掠れた…泣き声───
……オッサンの、俺への懺悔だった。
「……………」
「縛り付けてごめん……」
「言えなくて─────ごめん……」
泣きながら……力の入らない手が、俺に縋り付く。
震えては、ぎゅっと力を込める。
────嫌悪し続けた、その腕は…
今は……俺を拘束するためのものでは、なくなったのか。
炎と煙が、部屋中に広がっている。
空気が熱くて、膨張しているようで、息苦しい。
衝撃も破壊音も続くけれど、俺にはそれらが、現実より遠くに感じた。
それよりも、今触れているオッサンの腕、投げ出している俺の手足……
その感触だけに、意識は持って行かれた。
「…………」
嘘みたいだった。
プレートが外され、……もう何の強要もしない腕に、抱き締められている。
俺は自由で、振り払おうと思えば、それができるんだ。
それでも俺は、じっと動けず。頭も肩も、オッサンの吐息と体温に、包まれたままだった。
ガキの頃に感じた…コイツの中の憎みきれないでいた何か……その感覚を、思い起こしていた。
包み込む温かさ…恋愛感情とは別のそれを、俺は探っていた。
その答えは、メイジャーとシレンが、教えてくれた。
「……アンタは…俺にとって、二人目の父親だった」
「……えっ」
オッサンが驚いて、顔を離した。
俺だって、それに気付いた時は……驚いた。
……俺が死にそうになった時、いつもコイツが側にいた。
その瞬間の声だけは、コイツは“大人”であり、掛け値なしに俺を心配する、一人の人間だった。
成長過程で不安になった時も、それで弱音を見せた時も……
───時々寄越すコイツの温もりは、俺にとっては、それは…父さんの代わりだったんだ。
それなのに───
「……あんなことさえ、しなけりゃ……アンタは俺の…家族だった…」
欲望ばかり押しつけて。俺から総てを奪って。
本当に…そんなことしか出来なかった、コイツのせいだ。
振り向くわけが、ないだろ……
「拘束も陵辱も……何もかも……そしたら、嫌わずにすんだのにな」
好きになったりしなくたって。
ここまで憎まなかった。
……解放されたからって、悔しさは滲み出る。
怒りの眼で、オッサンを睨んでやった。
「───────」
でも目の前の顔は、嬉しそうに笑っている。
愛おしそうに……赤く染まった瞳に俺を映して。
その眼から、透明な雫が零れた。
「………そうか…」
小さな吐息で、満足げに、呟いている。……かと思ったら、哀しげに歪んだ。
そして、その顔が不意に近付いてきた。
「………!」
いきなりのキスに驚いて、俺は咄嗟に唇を振り払った。
そして、違和感に気付いた。
「………?」
もう一度ねめつけた先には、余りにも弱々しい顔で微笑む、ボロボロのオッサン。
「…………」
真っ直ぐに俺を見つめてくる目は、澄んだ光を湛えて。
大怪我をしているのに、痛みすらないように、穏やかで……
「克晴…行って……」
絞り出す声は、嘘みたいに静かだった。
「……グラディスが…船用意して……待っているから」