chapter15. break up -砕けた闇-解縛-
1.2.3.
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「──────?」
そのキーワードで、俺はやっと現状に意識を戻した。
───この船は……やはり、グラディスが何かしたのか。
……でも、だったらなんで……
オッサンの言動に不可解なモノを感じて、思わず見つめた。
なんで、俺にだけ。……一緒に、逃げないのか?
その視線に、また微笑んで答える。
「僕…もう無理だから……」
「………」
「克晴だけは───行かなくちゃダメだ」
俺の首に、腕を巻き付けて。顔だけなんとか上げて、息も、絶え絶えに……
そして、哀しげに微笑した。
「……このコート、君に着せたかった」
暖かそうな、しっかりしたハーフコート。フード周りが、血でベタベタになっている。
だから、そんなこと言っているのかと思った。
でも、そうじゃなかった。
「…ごめんね…もう───脱ぐこともできなくて…」
──────!
俺はやっと、気が付いた。
逃げたくたって、逃げられない。……もう、動けないんだ。
それほどこの火傷と怪我は、オッサンの身体を、芯まで蝕んでいた。
……何で、気が付かなかったんだろう。呟き繋ぐ、言葉の裏……。
俺は自分のことで、興奮していて。
オッサンが、ここまでズタボロになっている意味を、理解していなかった。
「早く…………炎が完全に回る前に……」
“僕の克晴”
そう言い続けていたオッサンの言葉………同じように俺を、呼び続けるけれど。
“克晴だけは……”
さっきから届いてくるのは、……その想いだ。
────オッサン……
その気迫をもう一度、喰らった。
「克晴、走って!」
いきなり顔色を真っ青にして、信じられない力で俺を突き飛ばした。
「…………!」
その反動で立ち上がったオッサンは、よろめくように、炎の中に突っ込んでいった。
そこには、浮かび上がる大きな影が…。そいつはのっそりと、煙の間から姿を現した。
──── チェイス!?
いつのまに、潜んでいたんだ。
「マサヨシ……許さねぇッ……ぶっ殺してやるッ!」
怒りの咆吼を上げると、太い腕を振り回した。
ヤツも激しく顔を火傷していて、憤激に牙を剥き出していた。身の毛もよだつような、恐ろしい容貌に変化している。
その存在を確認しただけで、俺の身体は勝手に震え上がった。
「………!」
オッサンに突き飛ばされても、立ててはいなかった。尻もちを突いたみたいに座り込んでた身体は、恐怖に掻き立てられて起き上がっていた。
そして無意識に一歩下がって、転びそうになった。
アンクレットの重量が、消えたからか。体のバランスが取れない。
鉄下駄を脱いだようにヨタついてしまい、軽くなりすぎた足や手で、空中を泳ぐように藻掻いて、なんとか踏みとどまった。
「克晴、早く……今のうちに!」
必死に叫ぶ声が、炎の中から届いてくる。再度目をやると、無謀にもチェイスの脚にしがみついているオッサンが、見えた。それは……さっきと、まったく同じ姿だった。
────こうして、俺を守っていたのか……
こっちに必死に首をねじ曲げて、心配そうに見ている。そして、俺と目が合った瞬間、また……
「……行って」
そう、声を絞り出しながら、微笑んだ。
────オッサン……!
胸に何か詰まるものを感じながら、出入り口を見た。もう炎は退っ引きならない勢いで、部屋中に広がっている。
「───────」
───焼け死ぬかもしれない───急に“死”を、間近に感じた。
一瞬のうちに、今までの事が脳裏を駆け巡った。
こんな所に連れ込まれたこと自体、間違ってるのに……最後は巻き込まれて死ぬなんて、冗談じゃない。
──俺が船の沈没に、付き合う筋合いはない。
──オッサンなんか、自業自得だ……
覚束ない足取りで、ドアを目指して歩き出した。
「…………」
急ぎながらも、さっきのオッサンの姿が、目に焼き付いて離れない。知らずに拳を、握りしめていた。
……俺を突き飛ばして、逃がせた。
そして炎の中…無茶だってどう考えたって判る、あのチェイスに食らいついていた。………残る命の総てを、俺に懸けているような、気迫で。
────俺は……
オッサンを殺したいほど、憎んでいた。
いつか殺してやる! 犯されるたび悔しくて、そう誓った。
だから、どんな形でもあの悪魔が滅びる事に、抵抗など無いはずだった。
……でも……倉庫でチェイスに嬲り殺されそうになるのを、止めてしまった。
俺は自分が、判らなかった。
どんなヤツであれ、人が死ぬのは…見たくないのか………
なのに、メイジャーがチェイスの口に銃口を突っ込んだ時は、止める気も起きなかった。
アイツはあの時、メイジャーに殺されてもしかたないと───
そう思ったのは何故か。……最後のベッドの中で、判った。アイツの蛮行を裁くのは、この船にいる限り、メイジャーなのだと。
メイジャーがそう判断したなら───
「…………」
またグッと、拳を握り直した。じゃあ、オッサンは……? チェイスがオッサンを、始末していい理由など……あるのか。
「……クソッ」
バカバカしい自問自答に、歯軋りした。ドアに背を向け、ベッドの方へ踵を返した。
炎と煙の中心では、残虐な光景が繰り広げられていた。
止めようとするオッサンの手に、すでに力はなく。一方的に太い腕と硬い靴先が、ボロ雑巾のような塊を殴り、蹴り飛ばしていた。
叫び声も出ないそれは……屍のように、横たわってしまい……
「──────」
それなのに、オッサンは……安堵のような微笑みを、時々浮かべていた。
………なんで……
悔しさが胸に、湧き上がる。
“克晴さえ助かれば”
それって、俺が……メグさえ幸せなら……そう思っていたのと、同じじゃないか。
最後になって、そんなの……
「…“権利”なんてものが、あるなら……」
とどめを刺しそうなチェイスの動きを、止めたくて。怒りと恐怖を押し殺して、俺は低く、呻いていた。
「……雅義を…殺していいのは、……俺だけだ」
踏みつけようとしていた足を止めて、猛獣が俺を見た。
「……カツハル!」
ギラリと眼を光らせて、赤い舌が捲れ上がった上唇を舐め上げた。嬉しそうに片頬を上げて、ニヤリと笑う。
火傷で引きつれたそのカオは、この世のモノとは思えないほど、恐ろしかった。
俺が倒さなきゃいけない相手─── それは、オッサンだと思っていた。……あの悪魔に勝つために、俺は自分の心の闇と向き合った。
強くなりたいと、願ったから。
それで総てが終わると……自分を取り戻せると、思っていたんだ。
でも……ちっとも強くなんか、なっていなかった。
いつもいつも、チェイスから逃げた。
メイジャーに従い、守られ、それに甘んじて……そんな自分が嫌で、カルヴィンに師範を頼んだのに。
「…………」
真っ直ぐに睨み合って、チェイスと対峙した。
分厚い胸に、太い腕。怪我をしていても、その脅威が薄れることはない、獰猛な眼光。
「………ヒャハハ…」
逃した獲物が戻ってきたとばかりに、頬を紅潮させて見下してくる。
俺を犯し、シレンを壊し……メイジャーとカルヴィンを、殺した男。 そして今、雅義まで…………
「ハァ……」
足が竦む。
……ここでまた…逃げるのか───
震える体に、言い聞かせた。
……俺の中の、弱虫……立ち向かわなきゃ───終わらない。
強くなんか、なれないんだ。
「……ウオオオオッ……!」
これを越えたら、今度こそ俺は、大人になれるのか───
立ちはだかる“チェイス”と言う名の宿命に。
俺は叫びながら、飛びかかって行った。