chapter21. Same Time -新星-
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壁を挟んだ向こう側でも、同じ葛藤が繰り広げられていた。
もしかして…そんな期待は、ちらりとあった。
でも恵は、敢えて考えないようにして、この一週間、芽生えてしまう期待を心の隅っこに追いやって過ごしていた。
無駄に期待だけして、もし違っていたら──ひとえにそれを、恐れていた。
何度も帰ってくると言い聞かせては、裏切られてきた。
その心が、もう傷つきたくないと…惨めで悲しい気持ちになるのは嫌なんだと、用心するようになっていた。
しかし今、声を聴いていて、やはり思う……気持ちのせいなのか、今までより余計に似て聴こえる。
髭の神父のように淡々と教えを語る声の中に、自分を愛してくれた優しさのような温かさを、時々感じる気がするのだ。
「僕も、会うのが怖い…変わっちゃった僕だから……でも、会いたい……会いたいんです」
喋りながら、つい向こう側に居るのが誰なのか判らなくなって、心を絞り出してしまっていた。
それなのに、かみ合った答えが返ってくる。
───でも、なんで…?
この神父さんが…もし、…もし…そうだったとして…何で、言ってくれないの。
僕だって、わからないの? そんなこと…あるのかな……。
ズキズキと鳴りっぱなしの心臓は、破れてしまうのではないかと、思うほどだった。
暗がりの中で、必死に声を聞き取り、気配を探った。
……そうじゃない、やっぱり違うんだ。
だからこんなに、静かに言葉を返すんだ。……だって………僕をわからないはず、ないもん……
打ち消す力が強い。
今までずっとずっと、耐えてきた心。そうだと思いたいのに、思えない。
どうしても、自分から確かめる勇気は、出なかった。
「だから君も…愛されたことを、疑わないのだとしたら、…そのまま信じて」
「──────」
優しい声…抱きしめて、いつも自分のためだけに居てくれた、その温かさ……もうだめだと、喉が引きつる音を出した。
つい叫びそうになる、その名前。
ぐっと飲み込んで、違う言葉を絞り出す。
「信じてる……信じたい…だから僕、……旅人になることにしたんです」
克にぃを探すんだ。
一人で何処だっていく。……そうだ、大人になったら、あのホテルにだって行けるんだ…。
恵は闇の中に、青い宇宙を見ていた。その目から、透明な滴が零れる。
「僕…いろんなこと知って、成長しました」
「………」
「友達や、先生、とうさん……相談するってことを、覚えて…」
「─────!」
ちょと待てと、今度こそ克晴の心は、叫んでいた。
今聞こえた、“とうさん”その言い方…やはりそれは……。
震える唇をなんとか動かしながら、克晴も言葉を絞る。
「その友人も……自分は成長したって、言ってた…」
「愛してるって、伝えるばかりで……弱みは見せなかった。がっかりされたくなくて、カッコばかりつけて、── その子にも、嘘を付いていたんだって…」
「………」
「今度会えたら、何があったのか…全部語りたいと思ってる…。自分をその子にさらけ出して……何故、こんなことになってしまったのか───」
「……何も言わなかった。総て隠して…それが間違いだったって───
……青い小宇宙の中で、…話して聞かせてたい…ってさ」
ヒッと、恵の喉が空気を漏らした。
─── やっぱり…やっぱり! …そうなの……そうなんだ……!
確信と期待と、まだちょっとの恐怖。
友人って……なに……なんでそんな言い方…
全身が心臓みたいになって、動悸でバラバラに崩れそうになっている。
心の中でさえ、怖くてその名を呼べないでいた。
「───────」
しかも話す内容が、恵自身が身をもって感じていたこと…あまりにもそれと同じで。
自分も伝えなきゃと思っていたことだけに、恵は心底驚いていた。
呼吸困難のように、息が苦しくなる。
ぶるぶると震える唇。
苦痛で歪む眉。
「……それ、僕も…知った……」
「………?」
「“言う”って事が、どれだけ大変で、…でも大切なことか……言わないでいると、どんどん大変なことになっていっちゃって……」
涙声はぐしょぐしょで、キンキンと高鳴る耳鳴りの内側で、変に響いた。
「言えなかったことで、お仕置きを受けてるのかって………ひっく…」
「……なにが、あったの?」
暗がりに届く、真剣に心配する声。
それはさっきまでの優しさとは打って変わって、鋭く問い質すようだった。
「……言う……言うよぅ……僕も言うから…」
帰ってきて……顔を見せてよ……!
「……かつ、 克にいぃ─────ッ!!!!」
爆発するような、絶叫だった。
我慢していた分、押さえきれない想いが、全身から噴き出すようだった。
叫んでからアッと思って、口を両手で塞ぐ。
封印していた名前、一度叫んだらとまらない。心では、叫び続ける。
克にぃ、克にぃ、克にぃ!!
僕だよ、僕、ここにいるのに……! 会いたいよおぉ……!!!
「うっ……ふぅっ……」
恵は必死に押し黙って、泣きやもうとした。
太股の上にぱたぱたと涙の粒が落ちて、泣き声の代わりに音を立てていく。
「…………?」
しゃくり上げも堪えて、フウフウと、自分の鼻息だけが、手の隙間から聞こえる。
他はぴたりと静かになった懺悔室で、隣の気配に気が付いた。
反応が、まるでない。
………え…違ったの…?
やっぱ呼ばなきゃよかったの……嫌な不安が、恵の胸をよぎった。
それと同時に、正面のドアのカーテンに影が差した。
「──────」
暗い部屋に、一筋の光が射し込む。
それは幅を広げて、どんどん明るさを増していった。
その光の中心に、影が立つ。
「………」
眩しくて目を凝らす恵の視界に、金色の背光を受けた黒天使が姿を現した。
長い黒髪が、耳を隠して真っ直ぐに胸の上まで流れ落ちている。
白いアルバは足下まで、スカートのように長い。
そのシルエットは、まるで見知らぬ人物だった。
しかし、長めの前髪の隙間から見つめてくる、その真っ黒な双牟は……
「─────」
瞠った目を瞬きも許さないように、微動だにしないまま、恵も凝視する。
大好きで大好きで、写真を毎日見続けた……
忘れようのない克晴の、優しい眼差し、口元、……懐かしい顔。
夢に見ても、どんなに泣いても、帰ってこなかった、大好きな克にい。
それが、今目の前に立っている。
「……………………」
目を一瞬でも瞑ってしまったら、消えてしまうんじゃないかと。
それを恐れるように、恵は座ったまま見つめ続ける。
ゆっくりと、克晴が小屋に足を踏み入れてきた。
お互い、声は一言も発しなかった。
いや、喋れなかった。
さらりと、布ずれの音だけが響く。
見上げてくる、驚くほど育っている、幼かった弟。
目の前に座って、見開いた目…濡れた、長い睫。
克晴もまた、この光景が幻じゃないかと、目で見ても信じられなくて。
声で呼んで…指で触れては…、消えてしまうんじゃないか……
それを恐れるように、瞬きもできず、顔をそっとそっと、近づけてゆく。
そして小さな唇に、唇が、重なった。
「──────」
兄弟の、見開いたままの両目から、静かに涙が流れた。
「……………」
互いをその瞳に映しながら、声にならない熱い想いが、流れ落ちる。
二人の重ねられた唇は、いつまでも離せなかった。
「…………ふ…」
離れていた時間を、取り戻すかのように。
克晴と恵は、お互いの体温を確かめ合い、呼吸を共有し、いつまでも、いつまでも…離すことができないでいた。
天野克晴と、天野恵。
愛し合う兄弟は引き剥がされ…そして、それぞれの時間を歩かされた。
それが今、愛を貫き、運命を乗り越えて再会できた……
二人の時間と空間が一つに重なった、瞬間だった。
TimeFrame ~それぞれの時間枠~
- 完 -