1.
 
「で、どっちが良かったの?」
 
 女社長が、何でもないことのように聞いてくる。
 僕は清められて、パジャマを着せられ、自分のベッドにいた。
 眠り込んでしまい、起きた所を訪問されたのだ。もう、夕暮れになっていた。
 真っ赤になって俯く僕。
「テストは私の前でやりなさいって、言ってあったのに。何考えてんだか、あいつ」
 ぷんすかしながら苦々しく言う。
 この人にしてみれば大事なデータ収集が出来なかったことが、悔しいらしい。
「正直に言いなさいね。バイブは気持ちよかった?」
 僕は耳を塞ぎたい気持ちで、目一杯俯く。
 今、社長は一人で来ている。ここに光輝さんはいない。
 恥ずかしい僕の感想を聞かれないことに、唯一の救いがあった。
「僕……どっちにしても一人じゃ……やだ」
 声を絞り出して、本当に思ったことを一言で言った。
「………は?」
 眉間にしわを寄せて、見つめてくる。美人なだけに凄みがある。
「自分で入れるっていうのが……嫌だ。でも今日の方が……動く方がすごい。始めは気持ち悪いし辛かったけど、自分では出来ない動きしてくれるから、孤独感が薄れるっていうか………」
 あの時の惨めな気持ちを思いだして、ため息混じりに言った。
「……なるほどねぇ」
 腕を組んで、枕元に突っ立っている社長は、妙に納得した表情を作った。
「巽君……きみ、オナニーあんましないでしょ。しかもバックバージン」
 いきなり、飛び上がるほど恥ずかしいことを言ってきた。
 僕は布団をひっつかんで頭までかぶった。
「オナニーっていうのは一人でやるから”自慰行為”っていうのよ。誰かを想い描いた時、躰が劣情に駆られてしたくてたまらなくなるの。それか、セックスの快感を忘れられなくて、つい躰をいじっちゃう。その時の手助けになるのが、オモチャなのよ」
 布団を被ったままジッと聞いている僕に、社長はあやすように語りかける。
「だから、孤独感が薄れるっていうのは、当たってると思う。……いい感想ね」
 ぽんぽんと布団からはみ出ている頭を叩いてくれる。僕は布団を少し下げて、目だけ出した。
「今時の二十歳、……そこそこ経験があって、擦れてないってのを期待して募集したつもりだったけど、とんでもない清らかさんが、舞い込んじゃったわね」
 優しい顔で微笑みつつ、
「あいつの目は、確かなハズなんだけど、なんで今回は失敗したのかしら?」
 不思議そうに、僕の目を覗き込んできた。
 僕は”失敗”の言葉に引っかかった。不意にじわっと涙が浮かぶ。
「………クビですか? 僕」
 泣き出した僕に慌てた社長は、またポンポンと頭を撫でてくれた。
「な……何言ってんの! ごめんね、そう言う意味じゃないの。きみは優秀なテストマンになれるわよ。オモチャはオナニーの時だけじゃなくて、恋人同士の情事にも必須なの。恋人に使われて感じる時のデータも大事よ。今日のテストで、巽君の適正がわかっただけ」
「……………」
「ただね、私が出したオーダーと、違うタイプを連れてきたのは……初めてなのよ」
 そう言って女社長は、訝しそうに目の色を暗くさせた。
 
 
 
 その夜、真っ暗な部屋で僕は眠れなくて、ベッドの中で途方に暮れていた。
 お尻にまだ、何かが挟まっているような気がして落ち着かないのだ。
 躰を起こして座っていると尚更辛い。
 テストが終わって、真っ昼間から眠ってしまったせいもある。眠気が来ない。
 
 ふう………。
 ため息をひとつ。何となく社長の言葉を思い出した。
 
”誰かを想い描いた時、躰が劣情に駆られて、したくてたまらなくなるの”
 
 考えてみると、僕は今まで誰かをそれ程好きになったことがなかった。
 職探しで必死だったのもあるけれど、学生のころから、そこら辺は無頓着だったと思う。
 誰かを思い描く……なんて、経験がなかった。ふと、光輝さんの顔が浮かぶ。
 前髪を無造作に掻き上げて、微笑んでくれる………。
 僕はびっくりして頭を振る。顔が熱くなるのがわかった。
 下半身がきゅっと疼いた。昨日今日と、あの大きな掌がいじくった所……。
 僕はそこに感覚が蘇って、堪らなくなった。
 躰の奥底に突き上げる快感。こすれる時の疼き。知らずに、呼吸が荒くなる。前に手が伸びてしまった。上を向いて堅くなっている。鈴口に親指を当てると、露が出てきた。
 ────!!
 僕は、一瞬よぎる嫌悪感と罪悪感に目を伏せて、右手でそれを扱いた。
 まるであの大きな掌に包まれているように。
 …………光輝さんっ
 熱い吐息を首筋に思い出して、僕は果てた。
 しばらく肩で息をしていて、動けない。
 熱くなった感情が落ち着いてくるに従い、僕は愕然となった。
 オナニーをしてしまった……。光輝さんを思い浮かべて。
 汚してしまったシーツより、そのことがショックだった。
 
 
 
 翌朝、どんな顔して会えばいいかな……なんて、考えながら事務室の扉を開けた。
 まだ誰もいなかった。
 朝日に照らされた明るい部屋は、昨日より妙に広く見えた。
 なんとなくほっとして、自分のデスクに座る。
 光輝さんのデスクの方に目をやって、ため息をついた。そこに座っていて、こっちに笑いかける光輝さんの幻を見そうで怖かったから。
 僕のデスクの上には、レポート用の書類が2枚置かれていた。
「………」
 事細かなアンケート方式になっていて、10段階で、快感度を示すようなチェック表まである。
 その内容に赤面した。とても声に出して読めない。
 そう言えば、
「今後は、どこの部分にどういう刺激がくるといい……とかいう感想をきかせてね」
 って昨日言われたっけ。
 両手で髪の毛をかきむしりながら、悶絶した。これをクリアしないと、仕事にならない。なんとか書き込んでいって、最後の最後にある質問に、思わず手を止めた。
 
”これを使ったことで、あなたの躰は、どこか変わりましたか”
 
 僕は、迷わず10を付けた。
 僕は知らなかったがこれを見た社長は、一人呟いていた。
「あの子場合、お道具じゃなくて、経験値よね……」
 
 その日から3日間、光輝さんは出社しなかった。
 風邪をひいて熱を出したらしい。
 社長が苦々しく、
「目撃証言によると、腰タオル一枚で廊下にずっと突っ立っていたとか…。ホントに何考えてんのかしら、あの馬鹿」
 と言っていた。
 僕は、心臓に針を刺されたかと思った。僕のせいで、そんな病気をしてしまったのだ。
 そういえば、体を洗う必要のない光輝さんが、入れ違いでシャワーを浴びに行った。きっと、体が冷え切ってしまったからだったのだ。
 でも僕を待たせないように、すぐ来てくれた。温まりきらずに……。
 ………僕は心に熱いモノが込み上げて来るのを押さえきれなかった。
 自室でベッドに蹲り、自分を掻き抱く。
 自分自身がわからなくて、怖かった。
 
 どんどん光輝さんに傾倒していく……。
 
 その3日間は、世の中に出回るオモチャについて、じっくり勉強させられた。
 個室に籠もって、色々なビデオも見させられた。
「そこにあるオモチャ、使いたくなったら遠慮しなくていいのよ。でも使った数だけレポート書いてね」
 にっこり言う社長。
「……ハイ」
 僕も病気になりそうだった。
 
 4日ぶりに光輝さんが出社した。ちょっと面やつれした感じが痛々しい。
 それでも僕の気持ちは、犬っころのように喜んでしまった。久しぶりに見る光輝さんはやっぱり綺麗でかっこいいのだ。
「あの……僕のせいで、風邪引かしちゃって、……ごめんなさい」
 すかさず寄って行って、小さく謝った。顔を見たらすぐに言おうと思っていたから。
「あ? …別にお前のせじゃないよ」
 優しく笑って、頭に手を乗せてくれる。
「そんな下らないこと、まさか社長に言ってないよな」
 顔を上に向かせ、僕を覗き込む。
「あ……いえ、それは……」
 僕は心臓が高鳴って、顔を反むけた。至近距離すぎる。
「………? どうした?」
 光輝さんが僕の異変に気づき、肩を掴んで向いあわせる。
「俺のいない間に、何かあったのか?」
 心配そうに覗き込む。
 僕はこの間の自慰以来、変に光輝さんを意識してしまっていた。
 思い出すだけで身体が熱くなって、鼓動が高鳴る。
 その感情をどうしていいか、もてあましていたのだ。
 その本人が、目の前で涼しい眼を僕に晒す。
「な……なんでも、ないですっ」
 焦って藻掻くが、離してくれない。
「なんでもない訳ないだろ、おい!」
 光輝さんの眉が、吊り上がった。 
 
 
 


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