1.
結局、僕の指導員交代と言う嘆願は、保留となった。
見つかるまで、社長の雑用係。
そんな大役(?)いいのかな……。
そう思わないでもないけど、この会社に居続けることができて、嬉しかった。
光輝さんとはなるべく顔を合わせたくないと言ったら、社長付きになれば事務室でなく、社長室出入りになるとのこと。
社長の優しさが胸に沁みた。
社長付きになってみると、もっとこの会社のことが良くわかった。
同性同士…異性カップル、マニアックプレイ……あらゆる性癖への対応商品があり、それぞれのテスト要員がいるとのこと。このビルそのものが社長の自社ビルで、全フロアが関連会社だった。
驚いたのが、あの可愛い受付嬢までがモニターだと言うのだ。
「だって、社長の作り出す商品は、素敵なモノがいっぱい。試したくなっちゃったの」
楽しそうに笑う。ここにいると、世の中のタブーが無意味な気がしてくる。
恥ずかしがっている方が、もったいないみたいだ。
と言っても、いざモニタリングするとなると、やっぱ恥ずかしい。社長が見てるし。
僕はなるべく光輝さんの視線に入らないようにと逃げ回りながら、でも僕からはずっと見つめてみたりして、社内を移動していた。
11月のある日の午後、3時のお茶も終わり、山積みに提出されているレポートを整理していたら、社長がおもむろに僕に言った。
「あなたの指導員が決まったわよ」
「………えっ?」
聞き違いかと、もう一回たずねる。
「今日これから会いなさい」
個室の部屋番号を言うと、さっさと行くよう、手で促す。
僕は心の準備がまるで出来ていなかったから、頭が真っ白になった。
ともあれ、仕方ないので言われるまま、社長室を出た。
シャワー室を出ると、僕はバスローブの胸元を掻き抱いた。
………光輝さん以外の人に……。
社長付きになってから、数回程度、社長の前でモニタリングはやったけれど、他の人に裸は見せていない。
以前にその事を想像して、ぞっとしたし、悲しくもなったことを覚えている。
はぁ、と、ため息をつくと、目指す部屋の前まで行き、ノックをした。
「どうぞ」
優しい声がする。
入ると、柔らかいオーラを纏ったお兄さんがベッドに腰かけていた。
年恰好……年齢も、背丈も、光輝さんと同じくらいだろうか。
すらりとした身長の割には、やや華奢に見える。
真っ白なワイシャツに、ベージュのスラックス。淡い色が良く似合っていた。
眼を見張るのは、日に焼けた黒い肌の光輝さんとは正反対の、真っ白い肌。僕も白い方だけど、この人は透明に透けてしまいそうな白だった。
それと、瞳と髪の毛の色。この人の髪はとても柔らかそうな明るい茶色で、ふんわりと巻きながら首を隠している。
瞳も同じような鳶色、澄んでいて、見つめると吸い込まれそうになった。
光輝さんの目にも吸い込まれそうになったな……。
初めて光輝さんを見た時の事を思い出した。
僕は急に、光輝さんの真っ黒なサラサラした髪と真っ黒い瞳、焼けた肌が懐かしくなった。
会いたいな……。最近は姿も見ていない。
泣きそうな顔をしていたのだろう。
ベットに腰掛けていたお兄さんが、僕のところへそっと歩み寄ってきた。
無意識に見上げた僕を、ふわりと、両腕で自分の胸に抱え込んだ。
その動きが余りにも優しくて、僕は、一瞬はっとしたけど、それ以上動けなかった。
優しく、力は込めずに抱きしめてくる。胸に埋められた僕の顔に、茶色の巻き髪がふわりと掛かって、いい匂いがした。
僕が我に返って動けるようになるまで、ずっとそうしていてくれた。
ちょっと身じろいだ僕に気が付いて、やんわり腕を解く。
「大丈夫?」
優しく微笑みながら、僕に小首を傾げた。
長い睫毛、優しく下がった目じり。眉も目も口元も、全てゆるい弧を描いて優しげだった。
「あ……、はい」
スミマセンと赤くなりながら僕は答えて、誘われるがままベッドに腰掛けた。
その人は、ちょっと待っててねと言い残して、部屋から出て行った。
僕は何回も深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着けるようがんばった。
まだ、心が強張ってはいるけれど……。
「はい、良かったら、飲む?」
ホットミルクティーのカップを僕に差し出して、さっきの人が戻ってきた。
僕はお礼を言って受け取った。
……あったかい……
これをわざわざ買いに行ってくれたのだ。
一口啜って口に含む。やさしい甘さと温かみが、心まで広がる気がした。
「ぼくは、
柔らかいソプラノ。シーツに指で字を教えてくれる。
「あ……矢野巽です。……よろしくお願いします」
ぺこっと頭を下げた。
「ふふ……思ったとおりの声だ」
ふわっと、睦月さんが笑った。春風がそよいだような気がした。
「君を見たときのイメージ通りの声だったから。ちょっと嬉しくて」
目をまるくして、見つめ続ける僕。
自分がガサツ過ぎて、この空気を壊してしまうのでは……と、何も喋れなかった。
そんな僕を優しく覗き込むと、飲み終わった紙カップを渡すよう手を差し出してきた。
僕は金縛りが解けたようにはっとしてカップを預けると、ベッドの端でもぞもぞと動いた。
なんだか、妙に照れくさい。この人の空気に付いていけない。
そんな僕にまた微笑む。
「こっちに来て、外を見ない? ……綺麗だよ」
西日を背に受けて、微笑むその姿こそ、物凄くきれいだった。
僕たちはパイプ椅子を並べて、窓外の夕暮れを眺めた。
「綺麗……」
「ね」
其処には、暮れてゆく夕焼けに彩られた、明かりの灯り始めるビルや民家が、どこまでも広がっていた。赤と紫紺に染め抜かれた、夕闇。
僕は目を細めて、見つめ続けた。
やがて夕日はすっかり、地平線のビル群の向こうに沈んで行った。
すっかり暗くなって、ガラス窓には室内照明に反射されて、僕の顔が映っていた。
隣には僕を見つめる睦月さんも。
「あ……、すみません、僕……」
恥ずかしくて、赤くなってしまった。ぽかんと口を開けたマヌケ面を、ずっと見られていたのだ。
「僕、こっち側の窓から、こんなにちゃんと外見たの初めてで……」
それもそうだ。実際には4回しか入っていないんだから。
「ここに入社させてもらって、もう3ヶ月になるのに、なんだかな……ですね」
何をいっているのか最後はわからなくなってしまった。
あまりに優しい目で包み込むように見てくれるから。言い訳などどうでもいい気がした。
「……ここの指導員てね、基本は自分がスカウトした子だけの面倒を見るの」
しどろもどろになった僕に、睦月さんは頷きながら微笑んだ。
「……だからね、ちょっとぼくも戸惑っているんだ。君にインスピレーションを感じたのは、ぼくではないのだから」
「……………………」
「ぼくの勝手な第一印象で、君を扱っていいものなのか。なんと言っても、ぼくも交代は初めてだからね」
困ったように、小首をかしげて微笑む。
「………僕、頑張ります。気に入らないことがあったら、その場ではっきり言ってください」
強い視線で、睦月さんに言った。
それだけは、はじめに伝えようと決めていたから。
もう、訳がわからないのだけは、嫌だった。なんだっていいから、ちゃんと理由が欲しかった。
気負った僕の視線に、ちょっと目を見開いて、睦月さんはまた微笑んだ。
「うん、ぼくにもね。約束だよ」
「あ……、はい」
差し伸べてきた手を、握り返した。初めて触れる肌。柔らくて温かかった。
その手が僕の髪をそっと撫でる。
「柔らかい。癖っ毛だね。後ろがこんなに跳ねてる」
僕の後頭部のぴんぴんはねてる髪を摘みながら、ふふと、笑う。
「ぼくも猫っ毛ですぐ巻いちゃうんだ。短いと君みたいに跳ねちゃうから、少し伸ばしてる」
肩に掛かる巻き毛を指で梳いた。
見惚れて見上げていた僕の頬を一撫でして、ベッドへ誘う。
「ぼく流でやるからね、辛かったらごめんね。嫌だったら必ず言葉で伝えて」
僕を膝の中に向かい合わせで抱え込んで、頭を撫でた。
気持ちよくて、そのままずっとそうしていたかった。
睦月さんは、僕をベッドに横たえさせると、バスローブの紐に手を掛けた。
確認を取るように、僕に視線を放る。
僕は身体の強張りを解して、こくんと頷いた。
冷やりと室内の温度を感じる。
肌蹴られた下は何もつけていない。
ほう、とため息を付きながら、睦月さんは僕をつま先まで眺めた。
恥ずかしさに、身体は縮こまってしまった。
そんな僕をじっと見ながら、髪を垂らして上体を近づけてくる。首の下に片腕を差し入れて、僕を抱くように並んで横たわった。
反対の手で頬に触れ、額の髪を後ろに梳いてくれる。それがまた気持ちよくて、僕は睦月さんを見上げてちょっと微笑んだ。