1.
 
「君が好きだよ、巽君………」
 
 瞠目して鳶色の瞳を見返す。
「君の声、身体、仕草が堪らなく愛しい。その心さえも、ぼくは欲しい」
 
 ベッドの脇から半身を乗り上げて、横になったままの僕を頭ごと抱え込む。
「君の総てをこうやって抱え込んで、この手の中だけで……ぼくだけに笑って欲しい。ぼくが与える快楽だけに、悦びを感じて欲しい」
「…………」
「昨日一晩、そう思って君を抱き締めていたんだ。無防備な君は、ずっとぼくの中に居てくれた」
 
 白いシャツと喉元、それ以外見えないほど抱え込まれて。
 睦月さんの吐息がかかる。
 …………熱い。
 睦月さんの鼓動が聞こえる。
 僕の心臓も高鳴る。
 唇が耳たぶに押し当てられた。耳が灼ける。
「巽くん……」
 ビクンと肩が震えた。
 睦月さん…、睦月さん……僕は………!
 僕は目を瞑って、体を硬くした。
 
 
 ふう……、とため息が聞こえた。
「でもね、それはいけないことなんだ」
 腕をゆっくりと放す。
 熱い熱に包まれていた僕は、部屋の冷気に冷まされていった。
 悲しそうな瞳で僕を覗きこむ。
「君の意思を無視して、ぼくだけの我侭で、そんなことは許されない。………それに、そんなことがバレたら、ここをクビになってしまうからね」
 長い睫毛が濃い影を作って、切なく揺れた。失敗した微笑。
「ぼくは、こんな性格だから、言わずにはいられなかった。自分も、相手にも、はっきりしていて欲しい。密かに想うなんて、嫌いなんだ」
 頭を優しく撫でられて、僕は辛かった。
 だって僕は……。
 僕も悲しい顔をしていたのだろう。
 頬を両手で挟まれた。
「そんな顔しないの」
 にっこり笑ってくれる。
「ぼくが君に付いてる間は、君はぼくのもの……」
 はっとして、目線を合わせる。
「それは、嫌?」
 優しい笑顔。ちょっと困ったように眉を寄せる。
 僕は頭の中がぐるぐるしたけど、やがて首を横に振った。
「………嫌じゃ……ない」
 眼が完全に細められて、愁眉が開かれた。
「そう、良かった」
 ほっとしたように呟く。
「その間はぼくだけを、見てね。そしてもし、その間にぼくが君の一番になれたら、その時は教えてね。………ぼくは、ものすごく気が長いんだ。いつまでも待ってる」
 髪を撫でてくれながら、ふっと、微笑む。
「それまでは、この事は他の人には内緒、ね。だけど、ぼくが君を好きなこと……それを忘れないでいて」
 
 
 
 
 その日から数日間は、僕はまともに歩けなくて、仕事にならなかった。
 起きられるようになると、社長に事務を手伝わされた。
「睦月が心配してるわよ。凄い反省してる」
「はあ……」
 パソコンの前で、ボンヤリ答えた。
 僕が回復するまで、ずっと面倒を見てくれた。
 でも、あの熱い抱擁は、あの時限りだった。
 君がすき……そんな熱っぽい視線も、もう送ってこない。
 あの優しい口づけも、もう無い。
 口づけ……。
 光輝さんのキスは、いつも貪るように僕を吸い上げてきた。睦月さんとは、正反対だ。
 僕は時々、あの時の最後の痛いキスを思い出した。
 睦月さんは僕を好きだと言って、キスをくれる。
 ……光輝さんは?
 僕を吸い尽くしてしまうような、激しいキス。
 なぜあんなキスをしたの…… その心裏を知りたかった。
 僕は複雑に絡み合う心を、持て余していた。
 
「ところで、巽君。これはないんじゃないの」
 苦々しい顔で、一枚のレポートをひらひらさせる。
 僕が今回提出したやつだ。
「しょっぱなから、随分がんばったものね。それはいいんだけど、でもここ。”アナルスティックは、内臓を掴んで洗濯板にこすり付ける感じ”…なにこれ」
 社長は苦笑して、その後声を上げて笑い出した。
 僕も一緒に笑ってしまった。あの時はほんとにそう思ったんだから。
「でも、こっちはいいわね。”スティックの長さが気になる。慣れてる人はいいけれど、下手をしたら内蔵が危ない”」
 ふう、と息をつく。
「そうなのよね。刺激を求めすぎて、ついつい行き過ぎになりがち。そこら辺の安全対策はとても気を使っているのよ。でも使う側が無茶して規定を守んない場合が困るのよね……」
 思案顔で、唇に人差し指を当てた。
 僕は、レポートの感想をきちんと教えてくれる社長に、心で頭を下げた。
 ………睦月さんにも。
 ── 良いも悪いも、言わなければ伝わらない。遣り甲斐がない。──
 本当に、その通りだと思った。 
 
 
 1週間後、僕は全快して、改めて睦月さんと個室で会った。
「……よろしく……お願いします」
 上目遣いで、睦月さんを見る。頬が赤くなってしまう。
 相変わらず綺麗で、ドキドキした。
 今日は、首が折り返してあるハイネックのセーター。クリーム色のそれはふんわりと暖かそうで、よく似合う。
 すらりとした脚は、キャメルカラーのデニムパンツ。
「どうしたの?」
 ふと、微笑んで首を傾げる。
「……睦月さんは、いいなあ。背が高くて」
「そう? 君もそんなに小さくは、ないんじゃない?」
「165cm。特別小さくはないけど……」
 もっと高い方が、かっこいい。180はありそうな睦月さんを見上げる。
「……睦月さんくらいあると……脚が長くて、かっこいい」
「………!」
 噴き出して、僕の頭を胸にくっ付けるように引き寄せた。
「君みたいに目のデッカイ、カッコいいお兄さんはやだなあ」
 笑いながら、僕の頬を押さえて覗きこむ。
「今の君が、一番いいと思うよ。可愛い」
 ぽん、と頭に手を置いて、ベッドの向こう側、サイドボードへ歩いていった。
”今の君で………”
 ぽわん、としながらその言葉を反芻していて、思い出してしまった。
 
 響くバリトン。
”それも含めて、全部可愛い”
 
 
 またチクリと胸が痛んだ。
 僕はどうしたいのだろう。
 この気持ちは、本当はなんなのか。
 睦月さんに告白された時、僕の頭には光輝さんがいた。
 光輝さんがいるから、睦月さんには応えられない。……そう思った。
 
 僕は……光輝さんが、好きなの?
 
 でも、僕は光輝さんの何を知って、どこが好きなのか……。
 会うと怖くなる。
 怒らせて、後悔させてしまう自分が、いつか本当に嫌われてしまいそうで。
 僕はただ、あのカッコよくて素敵な笑顔を見ていたい。
 僕にもあの笑顔を保っていてほしいだけなのに……。
 ……だから、逃げた。
 自分から、光輝さんの前から姿を消した。
 それがよかったのか、悪かったのかなんてわからない。
 少なくとも、まだ同じ会社にいれてるってことが、僕を光輝さんと繋いでいた。
 
 ぼんやりと、ベッドの向こうに立っている背中が、視界に映る。
 サイドボードに向って、じっと動かないでいる睦月さんが。その背中がやけに、細い。
 ………いけない。睦月さんの前で落ち込んじゃ。
 ハタと気づいて、睦月さんの隣まで走って近寄る。
「何、見てるんですか?」
 睦月さんは、何かを並べて、う~ん、と思案していた。
 僕は覗き込んでぎょっとした。
 この間とは明らかに違う分野の、どぎついモノがサイドボードに並んでいた。
「ん? そうだねぇ、巽君、どれがいい?」
 お菓子でも選ぶように聞いてくる。
 僕は眼を白黒させながら、もう一回見た。
 ひゃー……これ、どうすんだろ?
 カタログに載っていないようなものもいくつかある。
「これ……は?」
 ものすごくシンプルな物に気が付いた。
 長さ2cm、直径3cmくらいの筒状のリング。透明なシリコンみたいだ。
「これ? これかあ」
 摘み上げて、意味ありげに笑う。
「巽君が、物凄く喜ぶか、いらないって言うか……どっちだろう?」
 悪戯っぽい眼をして、僕を見てくる。
「わ……わかりませんよ。それが何か知らないんだから!」
 どきどきして、突き放す。
「そうだよね。じゃあこれと。もう一つは?」
「えっ、まだ選ぶんですか?」
 ぎょっとして、睦月さんを仰ぎ見る。
 さっきのが何かわかんないけど、そんなに色々するんだろうか。
 こないだは、あれ1本で僕は壊れちゃったのに。
 
 蒼白になりながら、またもや一つの物が眼に留まる。
 これもシンプルだなぁ。
 まるで、ガラスで作られた雨樋。細竹を縦に割っただけみたいな30cm位の長い半円の棒。
 クリスタルのように全体が透き通って、固くて冷たそうだ。
 円の内側は、前面きらきら乱反射して、どうなっているのかよくわかんない。
 手に取ろうしたら、さきに睦月さんが拾い上げた。
「あ……」
「これね、わかった。相変わらず、良いチョイス」
 柔らかに笑って、枕元にそれらを置いた。
「さ、おいで」
 ベッドに僕を導く。
 
 
 


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