1.
結局僕は、とんでもない会社に入社していた。
―大人の玩具ネット専門店―
内容: 研究・製造
テスト
広告・販売
アフターケア
……この、テスト部門に僕は抜擢されていた。
というか、そこの募集だったのだ。
ここの女社長、渡来梓(わたらい あずさ…推定28歳)は、大人の玩具フェチが行き過ぎて、流通会社を立ち上げた。そのうちそれだけではあきたらず、自分でも考案して自社ブランドの製造・販売に専念し、その玩具が成功か失敗作かを、売り出す前に社員で確かめさせているのだという。
昨日、初めての仕事(?)が終わった後、そんな説明を受けた。
僕がどんな玩具を好む体か、まだまだ試すと言う。
その上で、僕タイプの客専用の玩具を考える。社長の新作を味わうのはその後なので、期待しててネ、だと。
どうやら、違うタイプのテスト要員が何人もいるらしい。隠れ社員が、何人いるかわからない会社だった。
僕の貧困事情を聞いた光輝さんは、このオフィスにある一室を使えるよう、社長に頼んでくれた。
このソファーと椅子だけのような個室がたくさんあるらしい。いつテスト要員が来てもいいようにと。その中で仮眠ベッドと、ちょっとしたキッチンのある部屋もあるのだそうだ。
腰砕けになってしまった僕をその部屋まで抱えてくれて、光輝さんはいろいろ面倒を見てくれた。
簡単な生活雑貨、着替えや下着もそろえてある。
……ふと疑問に思う。
……聞いてみようか。
ベッドに横になりながら、換気していた窓をしめている光輝さんを眺める。
綺麗な横顔。かっこいい体躯、長い脚。やっぱり見惚れてしまう。
「………あの……」
「ん?」
振り返って、優しい微笑を零す。
なんとなく、どきっとしながら僕は聞いた。
「ここには以前、僕タイプがいたんですか?」
「………え?」
質問の意味が判らないらしい。
こっちに来て、切れ長の瞳が僕を覗きこんだ。ドキドキが激しくなる。
「だって……、着替えとか……下着とか。僕にぴったりのが揃ってるなんて……」
「………あ、ああ、そうか」
ちょっと困惑した表情を作って、僕から視線を外した。
「うん、そう。以前ね。もう辞めちゃったから。だから募集してた訳」
すぐにこっと笑って、そう言った。
僕は、なんとなくそれを聞いて、気持ちがモヤモヤとした。
「何、おまえ、お古は着るのいやか?」
俯いてしまった僕の頭をくしゃっとして、光輝さんが笑った。
「え!?」
僕は慌てた。
「そんな! ……そんな贅沢、思いもしない! ……友達のお情けを梯子して生きてきたんですよ、僕!」
必死に誤解を解きたくて、訴える僕を、一瞬息を呑むように見つめてきた、光輝さん。
その隙をついて、僕はもう一つのモヤモヤを聞いてみた。
「……今日みたいな、新人検査……。いつも光輝さんがやるんですか?」
ハッとした目が、僕を見つめなおす。
「まあ、大概はな……」
「……そう…ですか」
僕の心はなぜか重くなった。
「でも、全員じゃないぜ。俺にだって選ぶ権利がある」
苦笑いするその顔に、僕は思わず、
「あ、じゃあ、僕はとりあえず選ばれた口だ」
と笑った。路上で見つけてくれたことを思い出して。
その笑いに笑顔で答えてくれると、光輝さんは改めて僕の枕元に両手を付いた。
綺麗な顔が急に接近して、僕の心臓が飛び出すかと思った。真剣な表情で、僕を見つめる真っ黒な瞳。吸い込まれそうになった。
その双眸が細められ、手を伸ばして、僕の頭を撫でた。
「お前、ほんとに可愛かった。来てくれてサンキューな」
心がキュッと痛くなった。なぜか涙が出そうになる。
慌てて俯いてごまかした。
それを、痴態を思い出したと勘違いされたらしい。光輝さんは、心配げに覗き込んだ。
「今日はちょと、やりすぎた。何もかも。ほんとごめんな」
頭を優しく擦ってくれる。
「明日も似たようなことやるけど、道具がマジで嫌なときは言えよ。他の使うから」
僕は噴出した。それって、解決になってない……。
笑い出した僕に、びっくりしてから、一緒に笑ってくれた。
「そいじゃな、お休み」
明日の説明をしてから、光輝さんは出て行った。マンションを近くに借りているという。
僕は、真っ暗になった部屋でため息をついた。
昨日まで、寝る場所をその日暮らしで探していた。なぜか上手くいかない世渡りに疲れきっていた。急に冷たくされ、急に解雇され、その説明は一切してもらえない。何が何だか判らない。
でも、どこへ行ってもそうなるから……、僕が悪いのかなあ……。
そして、僕が自分に下した評価は、”ダメ人間”。
それなのに、今の自分は何だろう。
とりあえず今晩からは、寝心地のいいベットが確約されている。
仕事内容はともかく、待遇がめちゃくちゃにいい。
給料は破格だし、そのうち寮住まいにさせてくれるという。時間も余り決まっていなくて、試作品にだけきちんと対応すればいい。自由時間は、なにしててもいい、なんて……。
─────はぁ。
もう一度、溜息。
他人には言えない仕事かもしれないけど……、身体を売るのとは違う。
見世物になるわけじゃないし、何人もの人間を相手に身体を汚す訳でもない。
……だって、相手は玩具だもんなぁ。
クスリと笑ってしまった。
もともとセックス関係とは縁が遠く、自慰はしても、玩具など別の世界の話だった。
無機質なものを突っ込むのに抵抗がない訳じゃないけど……。
光輝さんの優しい掌を思い出してしまった。思わず顔が熱くなる。
あの人じゃなければ、僕は嫌になって、途中で飛び出していたかもしれない。
初めて、人に救われて仕事が続くかも……
そんなことを考えながら、疲れた身体は、泥のように眠りに落ちていた。
そして今日、僕はビル内にある購買で朝食をとり、10時に出社した。
総て同じビル内なので、ほとんど動かないでいい。しかも昨日、カードを一枚渡されていて、このビル内であればどこでも通用するとのことだった。キャッシュカード、カードキー、身分証明、あらゆる効力があるらしい。さっそく朝食でも使ったのだった。
「おはようございます」
昨日と同じ受付嬢に、挨拶する。
「おはよー、採用おめでとね!」
同じような年頃のその子は、可愛く微笑んでくれた。
「うん、ありがと」
笑顔で返すと、事務所に入った。
昨日は緊張していて判らなかったけれど、このビルは1フロアがすごく広い。それを7~9階の3フロアを借り切っているのだ。
9階でエレベーターを降りると、真正面にどこまでもまっすぐに伸びる廊下がある。その手前に、左に受付、右にロビーがあって、正面に伸びる廊下にはすぐに入れない。
小さなロビーは来客を待たせるようになっている。
受付を通ると、南北に廊下がまっすぐ走っていて、左側にはドアが3つある。
手前から20畳くらいの応接室、その奥が同じ20畳の幹部用事務室、その奥が社長室…と、ビルの東側に縦に並んでいる。
右の西側には個室のドアが沢山並んでいて何部屋あるかわからないくらいだ。その一番手前で、昨日は面接(?)をしたのだった。
このフロアの下の階に同じ間取りで個室が左右に同じだけある。その一番奥の東側の部屋を、僕は借りている。
寝ている天井のその上は、社長室って訳だ。
7階は、ネット販売の事務所で、そこの事務員さん達は上には来ないらしい。