4.
「まあ、最近は女も後ろヤルけどな」
にやっと笑うと、それを掴んで僕の眼の前に持ってくる。
「これの優れものは、ポイント攻めが出来るところだ」
「……?」
小首を傾げると、
「昨日、後ろのいいところ、あったろ」
人差し指をクイクイと曲げて見せる。
「……あっ」
また真っ赤になる。どこまで鈍いんだろう、僕は……。
「あれは、男にしかないんだ。前立腺だからな」
目を丸くして聞き入る僕。
「そこにちょうどここが当たるように挿入する。んで、リモコンでバイブを動かすんだけど」
言いながら、スイッチを入れる。ウィーンという音と共に全体が振動を始めた。
「ここだけ違う動きをする」
違うボタンを押すと、ポイント攻めの小さな盛り上がりから、なんと、枝別れのように小さな突起がにょっきりと飛び出てきた。その突起が、手を振るように、左右にひょこひょこ動いている。
僕は、丸くしてた目を見開いて、口もあんぐり開いてしまった。
「ははは……、なんて顔してんだよ!」
光輝さんが、僕の首に抱きつくように、圧し掛かってきて笑い続けた。
僕は、笑い事じゃない! と頭を整理しにかかった。
あんなの入れるの? ……僕に?
真っ青になって、震える。
「……やだ……怖い」
まだ肩で笑っている光輝さんに、ちょっと腹も立って言ってやった。
入れるのは僕なのに!
「……大丈夫。痛くないように入れてやる」
身体を起こすと、涙目で、優しくおでこにキスをしてくれた。
それから頬に、首筋に、鎖骨に、胸の突起に、少しずつ、その唇はゆっくり降りていく。
敏感なところに触れるたび、僕の身体はぴくんと震えた。
……今日はあんまり、変な声を出したくないなぁ……
思わず出そうになる、吐息を飲み込んだ。すると、光輝さんの指が伸びてきて、人差し指を僕の口の中に差し込んだ。
「あがっ?」
「口を噤んじゃダメだって言ったろ。……噛むなよ」
にやっと笑って、反対の手で、僕の胸を撫で始めた。唇で突起を摘み、舌で舐め回す。
手の平は脇腹から胸を越えて鎖骨まで、ゆるゆるとなで上げる。
「ん……あぁ……あぁ……!」
指のせいで口が閉じれない。
噛まないように、力も入れられないので、僕の喘ぎは煩いほど迸る。唾液も飲み込めず、指の掛かっている唇の端から、頬を伝った。
いきなりこの醜態。僕は光輝さんに目で哀願した。
「しゃぶって」
口の中の人差し指を、僕の舌に絡めてきた。
僕は口を窄めて、それを舐めた。噛まないように。歯を当てないように。右に左に舌を動かし、唇だけ窄めて、その内壁で指を吸い上げた。
途端に、その指が硬直するのがわかった。
「?」
「……おまえ」
睨み付けるように、僕を見る鋭い目付き。
僕は訳がわからず、指を口から離した。怖かった。
その手が、僕の喉に掛かる。軽く閉められて、苦しくなった。
「ん……こう……き……さん?」
「誰にこんなこと、仕込まれた?」
低い声で唸るように言う。
僕は意味がわからず、首を横に振った。
「なんだよ、そのテクは!」
「や……やめて……」
更に首を閉めてきたので、必死に言った。恐怖で涙が出た。
「僕……知らない……」
不意に手が離れたので、僕は咽た。
起き上がって、激しく咳を繰り返す。唾液がシーツに垂れるけど、かまっていられない。
呼吸が落ち着いて、やっと顔を上げると、蒼白になった光輝さんがこっちを見ていた。僕は怖かったけど、誤解はいやだから、必死に訴えた。
「……テクってなに? ……僕……命令……一生懸命、がんばった…」
首元をさすりながら、尚も言う。
「ぼく……ダメ人間だから、なに聞かれたかは、今もわかんないけど……」
涙が出てきて、ボロボロと頬を伝い落ちる。
「何で光輝さんが怒っているのかが、一番知りたいよ。僕、何を失敗したの? 命令……聞けてなかった……? もしかして……声、我慢しちゃったこと……?」
クビは嫌だし、ここを追われるということは、この人とはもう会えないということだ。
僕は今までの経験上、失敗の原因がどこにあるかをとにかく聞いて、悪いところは直さなきゃ、という根性を染み込ませていた。
訳もわからず怒られて、嫌われて、クビになるほど理不尽なことはない。無碍にあしらわれて放り出されることが、何度もあった。
解決して先に進めるなら、居続けるためには、そこに拘らなきゃならない、と思う。原因が僕にあるなら、いくらでも改善する。言うことを聞く。
だから教えて。そのチャンスを、僕にください………。
真正面から、光輝さんの瞳を見据えて、目で訴える。涙はぽろぽろと止まらない。
「……すまない……」
光輝さんが目線はそのまま、力なく謝った。
その眼光に刺すような狂気もない。心細げで、後悔でいっぱいだった。
「あんまり、上手かったから………ちょっと頭が混乱しちまって……」
僕は尚も、問い詰める目線で見つめた。
「いや……、だから、どっかの男にそんな唇の使い方を……仕込まれたのかと、勘違いしたんだ」
「…………!」
僕は、自分に嫌悪した。そんな風に思われるほど、いやらしく卑猥に指をしゃぶったのかと。
その目の色を、非難と捕らえたらしく、光輝さんは益々謝った。
「おまえがそんなこと……ある訳ないのに……、俺自身が一番知ってるはずなのに……」
「………え?」
はっとして顔色を変えた光輝さんは、なんでもない、とそっけなく顔を背けた。
何のことか、もっと聞きたかったけど、そんな雰囲気ではなかった。
大きくため息をついて、もう一度僕を見る。
「……俺が怖いか?」
「…………」
苦しそうな視線に、何も言えない。ただ見つめ返した。
「昨日も、泣かしちまった」
「…………」
「俺が……嫌だったら、指導員を替えてもいいぞ。………ここを辞めてもいいんだし……」
「…………!」
……なんで、そんな事言うのだろう?
確かに、怖かったけど……。でも……。
僕は、悲しくなった。
ベットに突いていた両手を震わせて、シーツを握り締める。
「……ここを辞めても……行き場所がないです……」
掠れた声は、喉のせいじゃない。心が痛かった。
「………他の指導員て……。他の男の人が……光輝さんみたいに、僕に……するの?」
光輝さんの顔が、苦しそうに歪んだ。
僕は勘違いをしていた。
僕が余りにも厭らしい唇使いをしたから、経験者みたいで僕を嫌になったのかと思ったのだ。そういうのは光輝さんの好みではないのかと。
そういえば、路上での人選はかなり真剣だったし……なんてことまで、頭を過ぎった。
でも僕は、この仕事そのものが余り得意でないと思う。自分の変な声も本当は、聞きたくない。人を替えてまで続けるのは、絶対に苦痛だ。
……ここも、やっぱり長続きしないのかなあ。
まだ2日目でこの有様だ……。
今までの、続かないバイトがちょっとトラウマになっている。落ち込み癖が出てしまった。数々のバイトを思い出して、悲しくなった。
……そんなに僕は、駄目人間なのかな……。
頭の中は、グルグルと変な思考が駆け巡った。
でも、辞めたって、本当に行き場がない。結局、問題はそこだ。
………だから。
「僕は………光輝さんが……いい」
これしかないのだ。僕が生きていくためには。
ちゃんと、自己主張しなきゃ。
「……………」
複雑な表情で、僕を見つめる光輝さん。それに怯む。
……僕じゃ、嫌なのかな……。
僕がいくらそんな事言っても、光輝さんにも選ぶ権利がある。それより、もともとが選び間違えたと思って後悔しているかも。
それならそれで、しかたないのかなぁ……
上手くいかない人生を、ちょっと恨んだ。
「………なんで……俺がいい?」
バリトンが響いた。
落ち込んで下を向いていた僕は、顔を上げた。
「怖くないのか? ………嫌じゃないのか?」
光輝さんの声。昨日耳元でずっと囁いてくれた、ここちよい優しい声……。
僕は、こくんと頷いた。
それを見て、光輝さんは悲しそうな瞳をした。僕の喉元にゆっくり手を伸ばして、そっと撫でてくれる。
「痛くして、ごめんな。怖い思いさせて、ごめんな」
その手は泣いてるみたいに、震えていた。
「………僕は……」
その震える手に、自分の手を重ねる。
「この手に、光輝さんのその声に、勇気付けられたんです」
「…………」
「昨日も、思ってました。光輝さんでなきゃ、たぶん途中で逃げ出してたって」
昨日の恥ずかしい事を思い出して、僕はちょっと苦笑した。
それにつられたのか、光輝さんも、かすかに微笑んでくれた。
「だから僕、光輝さんがいいんです。光輝さんでないと、きっと続けられない……」
路頭に迷うのも嫌だけど、”僕じゃ駄目だ”と言われるのは、何でだか、もっと辛い気がした。
「……巽……」
光輝さんはまた顔を歪めると、僕をグイと引き寄せた。
両脚の間にすっぽり入れて、背後から抱え込む。腕ごとぎゅっと抱きしめられた。
首と肩の間に、額が押し付けられる。光輝さんのさらさらの髪の毛が、僕の頬を擽った。
そして、……こもった小さな囁き声。
「……サンキューな……」
じわっと心から、暖かいものが染み出した。
「…………」
声にならない。
……嬉しい。
……僕でいいの?
代わりに、涙が頬を伝った。
前で組まれている光輝さんの腕に、ぽたぽたと雫が落ちる。
「……また、泣かしちまったな……」
耳たぶに唇を押し付けながら、辛そうにそう言う。
「……嬉し涙……だから……」
やっと声が出た。
「そか……。そっちなら、何回でもいいよな」
和らいだ声で、ちょっと笑った。
優しく僕の顎を捕らえると、唇を導いた。
柔らかいキス。
「ほんと、ごめんな」