<第2部>
chapter1. break out- 闇の幕開け -
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 1
 
その日は、突然やって来た。
 
 
 俺は恵が最近よく保健室で休むという話しを聞いて、心配だった。
 家で一緒に居る分には、とても元気そうだ。今までと何の変わりもない。
 それなのに、あの貧血事件以来、恵はちょくちょく保健室で寝込んでしまうと言う。恵自身、何の自覚もなく、なんで寝込んでいるのかまったく分からないらしい。
 恵の身体が、どこか悪いのか……。一度、医者に診せた方がいいのか。そんなことを考えながら、大学から家に帰る途中だった。
 
「克晴!」
 俺の横にまた、悪魔の車が横付けされた。
「!!」
 反射的に俺は飛び退いた。そして、逃げようと背中を向けた時、
「克晴? どこに行くんだ?」
 車内から違う声が、俺を呼び止めた。ギクッとして、俺の脚が止まる。
「…………」
 ゆっくりと振り向くと、悪魔の隣に、父さんが乗っていた。
「───!」
 その奥で、悪魔が薄目を細めて嗤っているのが見える。
「……とう…さん?」
 声が掠れた。
「話しを煮詰めに来たぞ。早く乗りなさい」
「………?」
「克晴、先輩はこの後も仕事があるんだ。忙しい中来てくれたんだから、時間無駄にできないよ。乗って!」
 運転席から、人の良さそうな明るい声。
「…………」
 俺は、二人をじっと見つめた。
 朗らかな邪気のない顔が並んでいる。その空々しさに、吐き気を覚えた。
 ……話しを煮詰めるって、なんだ?
 
 胸騒ぎがした。
 ──ノッチャ、イケナイ
 
 こんな車、あいつ一人だったらとっくに逃げていた。絶対乗るもんか!
「克晴、早く乗りなさい」
 でも、……父さんを連れて来るなんて。
 用意周到にも程がある。
 俺の脚は、逃げることも、乗ることも出来ずに竦んでいた。
「おい、克晴?」
「克晴、早く」
 
 ──カツハル…カツハル……ハヤク……ハヤク──
 
 見えない触手に絡め取られるように、二人の声が俺を縛る。
 ……助手席じゃないだけ、マシだ。
 そう言い聞かせた。乗せられても、まだ自由だ。後部座席のドアに手を掛けた時、遠くから声がした。
 
「────天野!!」
 ちらりと視界に入ったのは、あの時トイレの外にいた、山崎……。
 車に乗り込む瞬間、俺は迷った。
 あいつの後ろに、走って逃げて行きたい。そしたら、こんな地獄、逃げ出せるかな……
 
 
 そんな考えは0.1秒と保たずに、俺の中から消えた。俺の身体は、山崎の声に応えることも出来ないまま、車に吸い込まれた。
 獲物を捕らえた車は音もなく滑り出し、山崎の姿を背後に取り残したまま、異世界へと向かって走った。
「克晴、何もたもたしてんだよ」
 イライラしたように、運転席から声が飛んできた。
「先輩、ほんとに時間がないんだから。お前のために、来てくれてんのに」
「…………」
「雅義、少しは融通がつくから、大丈夫だ。大事なことだから、焦らずに話し合わないとな」
「…………」
 さっきから…何言ってんだ。俺は、話しが見えずに黙っていた。
 車は近くのファミレスに止まった。3人で店奥のテーブルに座る。
「父さん忙しくて、まだ昼を食べてないんだ。克晴も何か食べるか?」
「……いいよ、俺は大学でちゃんと食べたから」
 にっこり笑って、返した。
 ……何やってんだ、俺。家族ごっこを、なんでこんなに必死にやってんだ。
 さっきはこの二人が、とても滑稽に見えた。現実と非現実が、同じような罪のない顔を並べて俺を見ていた。
 何もかも承知でそんな顔をしている悪魔。何も知らないから、そんな顔をしていられる父さん。
 
 ……そして、それを知っていながら、知らない振りで笑う俺。
 
 一番滑稽なのは、俺かもしれない。
 
 父さんの横で、俺を見て嗤う悪魔がいる。…コイツの目には、こんな俺がどう映っているんだろうか。
「それでね、克晴のどうしてもって希望を聞いてくれて」
 俺はぼんやりしていて、何も聞いていなかった。この二人のやり取りに、俺は大抵参加などしない。こいつの父さんへのご機嫌取りなんて、いつも聞いてない。でも、ふいにその言葉は俺に向けられて、耳に入ってきた。
「………?」
「今日から、イイって! よかったね!」
 悪魔が満面の笑みを湛えて、俺にそう言う。
「…………」
 俺の希望? なんだそれ。
「恵君には、ちゃんと内緒にしてるからね。知られちゃうとうるさくて、台無しになっちゃうから」
 したり顔で、なおも言う。
「……恵?」
 俺の心がそのキーワードで、動き出した。
「恵がなんですか? 何を内緒なんです!」
 恵に何かしたら、許さない! そう思うだけで身体が熱くなる。
「恵君に知られたら、きっと泣かれて困るって、克晴が言ったんじゃないか」
 非難気味に、俺に声を被せた。
「雅義の……いや、克晴の言うとおり、恵にもそろそろ自立の自覚をさせないとな。お前にまかせきりもそろそろ止めた方がいいと、父さんも考えた」
 さらりとそう言って、父さんは食後のコーヒーを啜っている。
 
 ────?
 話しが本当に読めない。
 恵の自立? ……俺はそんなこと、一言も言ってない。
 
「……なに…」
 声が掠れる。問いたださなければ。
 
 何の話しをしている? 
 俺を余所に、俺が言ってるみたいに、何の話しを進めている?
 
「ああ、先輩! ほら、もう時間ですよ」
 悪魔が俺の言葉を遮る。
「──そうか」
 腕時計を確認しながら、父さんは複雑な顔をした。改めて俺に向き合う。
「……?」
「克晴。……お前はもう、大学生になったんだな」
「…………」
「そうは言っても、まだ18歳だ。今月19歳になっても、まだまだ未成年だ」
「…………」
「だから、父さんも初めは心配した。でも克晴の強い思いを、信じてみようと思う」
「───?」
「雅義が一緒なら、安心だしな。迷惑掛けるんじゃないぞ」
「…!? ……父さん?」
「父さん、ここの所忙しくて、まともにお前の話を聞いてやらなかったからな。済まなかった」
 父さんはそう言うと、カップの中を空にした。
 
 
 ───ここの所、忙しくて
 ───まともに話しを……
 
「───っ」
 ……違う!
 父さんは、ずっとずっと、俺の話なんか、聞きやしなかった。小学校の時から、……もっとその前から。そして今も。
 誰の言葉を、俺のモノとして聞いているって? 
 俺はいつもの喉の詰まる息苦しさが湧いてきて、声が出ず、隣の悪魔を睨み付けた。
 
 何を仕組んでいる……
 何を企んでいるんだ?
 
「───!」
 俺はゾッとした。
 ……楽しげに。嬉しそうに、笑っている。俺を見つめて。
 
「その分、雅義から散々聞かされたよ。お前の強い希望を。だからさっきも言ったが、父さんはお前を信じてみようと思う」
「……俺は、なにも…父さん…」
「まあ、そんな訳だから、しっかりやれよ。恵には上手いこと、言っておくからな」
 急に慌ただしく席を立つ。こうなると話にならない。俺は帰ってからじっくり聞き出すしかないと、仕事の顔付きになった父親の目を眺めた。
「あ、先輩。僕たちも出ます」
 腕時計を睨みながら一人先に行こうとする父さんに、オッサンが声をかける。俺を追い立てて、3人で店を出た。 
 


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