chapter5. calling you 君を呼ぶ -重力の宿命-
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「柴田センセ! 俺を殴れ!!」
 
 あれから3日。
 俺はどうしても、これをやらなきゃ気が済まなかった。
 
「………霧島?」
 柴田先生を放課後、いつもの花壇に呼び出して。
 睨み付けて、叫んでいた。
 秋風がかなり涼しくて、俺のシャツや先生のスーツの裾をはためかせた。
 
「………何、言ってるんだ?」
 驚いて見下ろしてくる目が、焦れったい。
 
「俺、自分が許せねぇ! もうわかんねえって、天野を放り出しちまった!」
「……………」
「殴っても何しても、あいつから言葉を引き出させなきゃ、いけなかったのにさ!」
 その前に、諦めた。
 俺、逃げ出した。
「なのに、あいつの頬、叩いちまったんだ……このままじゃ、俺の気が済まないんだよ!」
 
 見舞いに行くたび、弱った天野の顔をちゃんと見れなくて。
 いつか助けるんだったら、俺がこんなふうに知るぐらいだったら!
 ───もっと早く、もっと早く、何であの時……!!
 いろんな場面が思いつく。あの時も…、あの時も……!
 その後悔が、俺を責め続ける。
 
 
 こんなことしたって、取り返しが付くモンじゃないけど、何かしなけりゃ収まらなかったんだ。
「先生、早く! そうでないと俺、自分で壁にアタマ打ち付けるぞ!」
 俺の苛立ちに、柴田先生は困ったように目を見開いた。
「……霧島、そこまで言うなら。覚悟はいいな?」
「いいよ!」
「よし! 歯、食いしばれ!」
 
「──────!」
 
 パーンッ! というハデな甲高い音が、左頬から響いた。
 
「───痛ッてぇ!!!」
 勢いで身体が傾いて、そこに尻餅を着いた。もっと拳の衝撃を想像していたから、余計表面だけ痛く感じた。
「センセ…なんだよ、俺、殴れって言ったのに!」
 頬を押さえながら、立ち上がって文句を付けた。
 柴田先生は、右手を振りながら笑っていた。
「お前だって、叩いただけだ。だから、それでいいんだ」
「………………」
「これで、自分を責めるの、止めるな?」
「! ──うん」
「同じ痛みで充分だ。お前の後悔は、そこで終わりだ! 分かったな?」
「…………うん!!」
 先生の笑顔と頬の痺れで、心の痛いの……消えた気がした。
 
「……にしても、イッテー! ……容赦ねぇなぁ、センセ!」
 ジンジンとする痛みが、熱に変わっていく。
「それくらいしないと、納得しないだろ? 二発も叩くのは、ごめんだぞ!」
 ニヤリと、悪そうなカオを作って、笑いやがった。さすが柴田センセ……。
 
「よし! じゃあ、次は俺を殴れ!」
「はッ!?」
 先生から笑顔が消えて、真剣な眼が睨み付けてきた。
「俺もな……天野に言われた言葉で、自分がどんなに無責任だったか、思い知った」
「…………」
「“俺”に、相談してくれてたのにな。手に負えなくて、他に押し付けた」
「……先生」
 苦しそうに歪んだ顔は、あの時みたいに、また泣きそうに見えた。
「お前を放りだし、天野を放りだし、……信じてやらなかった」
 グッと固めた握り拳が、震えた。
「俺こそ、殴られても、殴る資格なんか…」
「なに言ってんの!? あれは有りだろ! あんなヤツ、ボコられて当然なんだ!」
 俺は驚いて、先生の言葉を遮った。
「──────」
 頷いたけど、黙り込んでるその眼は、哀しい。
 
 ───先生も、俺みたいな後悔してるんだ。
 そう思った。
「よし、じゃあ………遠慮無く!」
 俺は右腕の袖を捲り上げた。
「先生、目ェ、ひん剥け!!」
「……!?」
 
 ボグッと鈍い音がして、先生の横っ面……顎のあたりに、俺の振り上げたパンチが命中していた。
 同時に、先生の叫び声。
「……げっっっ!!」
 
 ふらっとアタマが揺れて、横倒しに倒れてしまった。
「うわッ、アゴに入っちゃった! センセ…ゴメン!」
 まだまだ、先生の肩より背は低いけど。下からの打ち抜きは、何度も練習していた。
 
「……おまッ……」
 先生は顎を押さえながら、上体だけ起こして、首を振った。さっきの俺みたいに、尻餅をついた格好だ。
「なんだ今の………お前こそ、容赦ねーな」
 痛そうに片頬だけ上げて、にやっと笑うから、俺も安心した。
「だって、本気じゃないと。先生に失礼だろ!」
 同じように笑ってやったら、いつもの優しい先生の顔が、見上げてきた。
「……すごいパンチ、持ってんなぁ……霧島」
 俺はますます笑顔になって、二の腕の筋肉のたんこぶを作って見せた。
「へへッ! ねーちゃんとその彼氏仕込み。総合格闘技のパンチだぜ!」
 
「……そう言うことは、早く言え……」
 呆れたように間の抜けた声を出すと、“今のは効いた!”と笑い出した。
 俺もなんか楽しくて、一緒に大笑いした。
 
「な……霧島、さっきは言わなかったけど」
 まだ痛そうにアゴをさすりながら、先生が立ち上がった。
「ん?」
 優しいけど、どっか真剣な声に、俺も笑うのをやめた。
 仰ぎ見て見つめ合った目が、ドキッとするくらい温かい。
「お前の言葉で言うなら、……お前も、有りだったと思うぞ」
「え? ……何が?」
「天野の頬、ペンってやったこと」
「………!」
「天野もきっと、自分を責めてると思うから」
「……うん」
「あれで終わりなんだって、まだ落ち込んでたら、言ってヤレよ」
「うん!」
 
 そうやって俺たち、落とし前つけたんだ。自分の気持ちに。
 そのあと、先生が一緒に見舞いに行くからって、車に乗せて貰えることになった。
 
 
 
「へへ、ラッキー! チャリだとちょっと遠かったんだよね」
 後ろの席にランドセルを放り入れると、助手席に乗り込んだ。
 先生の車は、オッサンクサイ臭いがしなかった。清潔な感じ。
「センセの車、臭わないね」
 父ちゃんが会社から借りてくる車は、スッゲークサイ。あちこち汚ねーし。
「ああ、煙草吸わないからだな。家族用だから、綺麗にしてるんだぞ。これでも」
 照れ笑いなんか、してる。
「へーッ」
 先生じゃないみたいなカオが見れて、俺も楽しくなった。
 ……優しく笑う、柴田先生。
 この先生が味方で良かったって、何度も思った。
「俺さぁ…… 一瞬、センセが敵かと、思ったんだよ」
「えっ!? いつだ?」
 こっちが驚くほどびっくりして、首を俺に向けた。
「わッ! 前ッ、前見ろよ! ……保健室に入ってきたときだよ! 怒りもしないで、じっと動かないし…」
 あの時の先生の顔は……俺、ウソだろ? って、ちょっと思った。
 
「───ああ……悪かったな……」
 正面にカオを戻した先生の声は、低い呻りに変わっていた。
「あの時は、驚いて…………言葉も出なかった」
 絞り出すような、苦しい声。
 それ以上はまた、言葉がないみたいで……
「……そっか。……そう言や、俺もだ」
 黙り込んだ先生の横で、俺も呟いていた。目隠し取られた時を、思い出した。
 天野、その度……傷ついたよな、きっと。
 胸がズキンて、痛くなる。
 
 ────あ!
 それでもう一個、思い出した!
「センセ、あん時、克にいのこと、なんか言ってたよな?」
 思わず、運転中の腕を掴みそうになった。
「……ああ?」
 何だ? って目線で、ちらりと見る。
「先生…俺さ、克にいのことで、天野が知らないこと知ってる」
「えっ?」
 また、顔ごと俺を見た。
 ちょうど赤信号で止まったから、そのままじっと俺を見続ける。
「先生が天野と克にいを、重ねてたことも知ってる」
「……霧島!」
 目を見開いて、見下ろしてくる。
 ぽかんと口まで開けて。
「……今の天野に、克にいの名前は……ダメなんだ」
「……ダメ?」
「うん……おかしくなっちまう。……だから、あいつの前では言わないで欲しいんだ」
 泣き崩れる天野を、見たくない。
 もう、同じコトで何度も刺激しちゃ、駄目なんだよ。
 そう……あいつが自分で、話せるようになるまでは……
 
「それはそれとしてさ!」
 俺はもう一個、訊いてみたかったんだ。
 ワケ判らないカオをしたままの先生に、次の質問をしてみた。
「俺と克にいって、そんな似てる?」
 先生はえっ? と眉を上げて、改めた感じでまた、見下ろしてきた。
「ああ、似てるな。そう言えば」
「じゃあさ、どっちがカッコイイ?」
「……はは!」
 青信号で動き出した。車の揺れに合わせて、先生が笑った。
「何で、笑うんだよ!」
「色気づいたもんだな、霧島も! ……残念だが、カッコイイのは、克晴だな!」
「えッ……そっか~!」
 ガックリ来て、俺は首を垂れた。
 似てるモノはしょうがない。……でも、克にいを越えたいと思っていた俺は、どこかで勝っているところが欲しかったんだ。
 見た目がそっくりってんなら、さらに上の方がイイに決まってる!
 
「………………」
 毎日、校門まで向かえに来てた克にいを、思い出す。
 学ランの時も、私服になってからも……確かに、カッコイかったよな……
 雨の中、俺を睨み上げてきた、あの顔も……
『今は……任せる』
 そう言った、あの声も……。
 ほんとは、わかってる。俺なんかが敵わないこと……天野はやっぱり……
 
 俺の落ち込みを勘違いした先生が、慰めるように言ってきた。
「なんだ、好きな子でもいるのか?」
「………!」
 図星ってば、図星だけど……
「克晴はともかく、お前に勝つヤツがいるのか?」
 悪戯っぽく、ちらりと横目で見てくる。
「センセそれ、誉めてんの? からかってんのッ!?」
 ────そのカツハルが、問題なんだし!
 俺は拗ねて、先生から顔を背けた。目の前の日よけパネルの裏に、星空のカレンダーが飾ってある。
 それを眺めながら、サクラバの言葉を思い出した。
 
「先生……」
「ん?」
「好きってよくわかんないけど……」
 ───好きだよ…天野君──
 繰り返し繰り返し、言ってた。
「ほんとの気持ちって、言葉には……なかなか出来なくねぇ?」
「…………」
「俺……簡単に、“好き”なんて、言えない……」
「…………」
 天野が俺に微笑むと、嬉しくてしょうがなくなるけど……
「わかって欲しいから、ホントに俺を見て欲しいから。そう思うと、言いたくても……言えないんだ」
 
「……大人ぶってんなぁ」
 心底驚いてるような、先生の呟き。
「小学生のセリフとは、思えん!!」
 病院に着いて、車を駐車場に停めた所だった。俺は笑って、勢いよく車から降りた。
「なに言ってんの、センセ! 俺ら、半年後には、中学生だよ!」
 
 そうだ。俺は待ってんだから。早く大人になりたくて。
 やっとここまで来たんだ。
 
「それに、俺、4月生まれだから他よか、大人だよ! 3月生まれのヤツから見りゃ、1年上だぜ」
「……そうか、そう言う見方もあるな」
 鍵を閉めながら、先生も笑う。
「あの小生意気な、小さかった霧島がなぁ。早いモンだ。俺も歳をとるわけだ」
「何言ってんだよ! まだまだ若いじゃん!」
 さっきの仕返しをしてやった。ワザとウソっぽい目で、笑ってやる。
「……大生意気に、なっただけか!」
「イテッ」
 溜息つきながら、アタマをゴツンとやられた。
 
 エレベーターで3階まで昇って、通路を渡って……。
 天野の病室が、近づいてくる。
「センセ、ありがと! 恋愛相談、聞いてくれて!」
 さっき自分で言ってて、思った。
 わかったよ。
 訊くまでもなかったんだって。
 
 
 ──俺……天野を好きだ。
 それを言うとか、言わないとかじゃなくて……それしかないんだ。
 
 
「おう! ほら、後から行くから、見舞ってこい。ちゃんと励ましてやれよ!」
「……うん!」
 二人っきりで、話したかったから。
 気が利く先生に、やっぱ感謝!
 俺は、ドアのない六人部屋に飛び込むと、左の一番奥に走った。
 
 
 
「天野!」
 大好きなその名を、また呼べるようになったのが、嬉しくて。
 


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