chapter5. calling you 君を呼ぶ -重力の宿命-
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「……天野?」
 
 うたた寝しているのか。
 斜めにベッドの上半分だけをリクライニングのように起こして、寄りかかりながら目を閉じている。
「…あ……霧島君!」
 俺の声に気が付くと、嬉しそうに笑顔を輝かせた。
「あれ、どうしたの? ……ほっぺた」
 赤く腫れてるのにすぐ気付いて、心配そうな顔に変わった。
「俺の、ケジメ! これで、スッキリしたんだ!」
「………?」
 ニッカリ笑う俺に、天野もつられて微笑んだ。
 
 
 昼間は間仕切カーテンを、閉めないらしい。子供部屋だから、だってさ!
 他には、入り口の方のベッドが二つ、小さな子たちで埋まってるだけだった。
 でも、面会に来てる時ぐらいは、いいよな? 
 俺はいつも通り、天井のレールから下がっている、ピンクのカーテンをぐるりと引いて、個室を作った。
 
「来てくれて、ありがと。さっきとうさんたち、帰ったとこ」
 また、にこっと笑った。
「へえ、こんな時間に?」
「うん!」
 衰弱したような顔色は、変わらないけど。この笑顔は、明るくなったと思う。
「にしても、そろそろ退屈だろ!」
 一日中寝たきりじゃ、俺なら耐えられないと思う。
「うん……でも、色々検査とかあって……」
「検査?」
 聞き返すと顔を赤らめて、下を向いた。
「うん……だから、そうでもないよ」
 もじもじ、指の先で布団を弄くっている。
 パジャマの袖を捲り上げた腕には、血を採ったあとによくやる脱脂綿が貼り付けてあった。
「……大変だな」
 パイプ椅子を出して、横に座った。ちょっと低いけど、立ってるより目線は同じになる。
 目の前の顔はクリーム色のパジャマが似合ってて、やっぱり可愛いと思う。
「……うん」
 小首を傾げて、頷く。その首筋に、あの時の赤い斑点の跡が、うっすらと残っているような気がする。
「………!」
 俺は慌てて、ソコから目を反らした。
 “俺もサクラバを、殴ってやりゃよかった!”初日の見舞いでは、悔しさと怒りが、再燃した。
 ───でも、今は……
 ……反対にあの時の……コイツの姿がチラついて……
「……………」
 俺も、赤面してるのがわかる。顔が熱くなっていく。
 
 
 
「俺さ………やっと天野に、言えることがある」
「…………?」
 キョトンとして俺を見る、茶色い綺麗な目。
 じっと見つめ合って、ホントにやっと……真っ直ぐ見ることができたと、思った。
「ごめんな……手……離して」
 途端に、その瞳が潤みだした。
 眉がハの字に寄って、長い下睫毛が濡れていく。
「ううん……僕こそ……うそばっかり……」
「………」
「ごめんね、ホントのこと言えなくて……やっと謝れたよぉ…」
 泣くのを我慢して、声がひっくり返っている。
 
「……俺……縛られて、サクラバに写真撮るって、脅されたとき……すっげ、怖かった」
 あの時、天野が何に怖がってるか、少し解った気がした。
 身をもって知った。……そんなモノで脅されたらって、恐怖。
 こんな、克にいしか頼る相手がいない天野に、どんな判断が出来たって言うんだ……。
「お前が悪いんじゃ、ないよ」
「………霧島君」
「でも、俺だけには、言って欲しかった」
「……うっ……」
 今度こそ号泣しそうに、顔を歪めた。
「もうそれも、終わりだ。こないだ叩いたので!」
 先生の言うとおり、天野にも決着つけさせなきゃ。
 手を伸ばして、頭を撫でてやった。ふわふわの髪……天野の髪。
 夏休みを過ぎたら随分長くなってて、余計女の子みたいに見えてた。……切る余裕なんて、なかったんだな。
 
「……僕ね」
 暫く撫でていると、俯いたまま小さな声で喋り出した。
「自分が言えないから……お仕置き受けてるんだって、思ったこと、あった」
「…………」
「でも、桜庭先生に“君の罪だ”って言われて……よく分からなかったけど……その言葉だけは、すごい悲しかった」
 布団を握り締めて、唇も噛み締めた。
「あの時、霧島君が、“悪いのはオマエだろ”って、先生に言い返してくれて」
「……ああ」
 あんなめちゃくちゃなこと、黙ってられなかったんだ。
「僕……嬉しかった」
「……うん。当然だろ、あんなの」
 天野は、ちょっと言葉をとめて鼻をすすると、息を吸い直した。
「……それからね……」
「おい、そんな喋り続けて、平気か?」
 昨日も、見舞いには来たけど、疲れたようにすぐうとうとし出すんだ。
 長くは居れなかった。
 でも、心配して覗き込んだ天野の顔を見て、俺のお決まり……心臓が飛び跳ねた。
「──────」
 大声で泣き出しそうに歪んでた顔が、ウソみたいに、微笑んだんだ。
 ほっぺたを紅くして、嬉しそうに目を細めて……
 透明なスジが頬を伝ってるけど、克にいがいた頃みたいに、鮮やかな笑顔だった。
「僕の死んじゃった心臓、霧島君が動かしてくれたんだよ」
「…………!!」
「生き返らせてもらったの……その前からも、ずっと、助けられてた」
 綺麗な涙を流しながら、泣いてないみたいに微笑んで、お礼を言う。
「僕……ずっとずっと、言いたかった。……ごめんなさいと……ありがと……」
 
「────天野ッ」
 
 俺はもう、我慢が出来なかった。
 ベッドに乗り出して小さい身体を引き寄せて、抱き締めていた。
 胸に顔を押し付けるように、頭も肩も、抱え込んだ。
「この両腕……俺も死んでた。天野を…助けたくて、生き返った」
 抱き締めたくて…って、言えなかったのは、俺の見栄。カッコ付けちまった。
「よかった……天野に、笑顔が戻って」
 あの時のコイツの叫びが、俺の凍ってた心も、溶かしたんだ。
 俺も笑って、俺の服で涙を拭いてる顔を、覗き込んだ。
「うん……もう平気………」
 顔を起こして、天野も何度でも微笑む。克にいにしがみつくみたいに、俺に抱きついて。
 キラキラ……光が零れるみたいに、眩しい微笑み。
「霧島君、ごめんね。……もう少し、このまま……」
 ふわりと髪を揺らして、また俺の胸に、顔を埋めた。
 お互い、しっかり抱き合って、腕が痛いくらい……
 
 
「…………天野」
 
 言いそうになる。……この気持ち。鼓動が、全身に廻っていく。
 
 ───好きだ、好きだ、好きだ………
 
 そう鳴り続ける音が、いっそ届いてしまえば……。
 荒くなる息はもう、天野に聞こえてる。
 
 
 
「僕ね……」
 ────!
 再び喋り出した声に、俺は慌てて言葉を呑んだ。
「僕…あの時、わかったことがあるんだ」
「……うん?」
 今度はしがみついてくる指に、キュッと力が入った。
「桜庭先生にずっと“好き”って言われ続けてて。……他の人にも」
 ……………ん?
「でも、いくらそう言われても、どうしても違うと思った。でも…その言葉を言うとき、その声はみんな真剣で」
「………うん」
「なにが、ほんとか…わかんなかった………でも…僕は……」
「………………」
 言葉を選ぶように、ゆっくり喋る。
 呼吸に合わせて、髪を撫でてやっていた。
 不意に、しがみついてくる腕全部に、力が入った。顔を更に、俺の胸に押し付けてくる。
 ────天野?
 
「……僕が教えてもらってたのは……その言葉の前に、気持ちがあるの」
 くぐもった声が、震えている。
「僕を想ってくれる…それがわかるから、僕も胸、痛くなるの」
「…………」
「……たまらなく……好きって、思うの」
「……うん」
 
 ───恵……メグ……メグ……! ───
 
 両手を広げて、俺のじいちゃんみたいな甘い顔して……克にいはいつも、天野を抱き締めていた。
 
 
「克にぃ……」
 
 
 小さく呟いた、最後の言葉───
 もうちょっと顔を離していたら、聞こえなかった。
 胸に押し付けたコイツの唇が…その震えが、俺に教えていた。
 
 ───天野……
 俺もなんだぜ。態度でわかるんじゃ、ないのかよ……
 
 
 
 もう今は、呼ぶことすら許されない。
 コイツが克にいを呼べないのと、同じ……どんなに呼んだって、愛しい人は、その腕には───
 
 
 
 
 
 そのあと暫くして、柴田先生が入ってきた。
「霧島、もういいか?」
 
 カーテンを揺らして、茶色いスーツが顔を覗かせる。
「うん、バッチリ!」
「えっ、先生……その顔……!」
 
 俺の返事と、天野の驚きが、一緒だった。
 先生のアゴは、時間が経って、もっともっと腫れていた。
「気にすんな、ちょっとしたケジメだよ!」
 俺と同じ事を言って、ムリして笑った。
「……ふふ…」
 天野も、先生の変な引きつり顔に、おかしそうに笑った。
 
「あ、柴田先生!」
 何かを思い出したように笑いを止めると、天野はベッドの向こう側に置いてあるワゴンの引き出しから、小さな物を取り出した。
「………見て」
 大事そうに両手の中に収まっているそれは、真新しい携帯電話だった。
「これ、……天野のか?」
 先生が、驚いて訊いた。
「うん、とうさんがさっき、持ってきてくれたの」
「へえ! すげー!」
 単純に驚いてる俺の横で、柴田先生の吐息が、震えた気がした。
「─── そうか。……よかったな…………天野」
 屈んで腕を伸ばし、ベッドに座り直していた天野の頭を、軽くぽんぽんと叩いた。
 
 
「うん。……ごめんなって。とうさんも……」
 また、微笑みながら、頬を濡らした。
「ご褒美だと思った。僕、最後は……ちゃんと言えたから……」
「……ああ、そうだな」
 ぽんぽん、ぽんぽん………優しく叩き続ける。
「うん…………急がしくてね、あまり話せないから。これで、会話をしようって」
 嬉しそうに俯いて、両手で包んだ黒光りする携帯を、頬に擦り付けている。
 
 
 
 
「………天野、それ、おじさんが…選んできたのか?」
 泣きやんで落ち着いた頃、俺はどうしても気になって、訊いてみた。
 その手に光っているパネルの表面は、どう見ても、渋い焦げ茶の木目…。
 ───ジジくせーぞ、それ……
 
「うん! “携帯を持つからには、オトナ扱いだ!”って!!」
 それはもう、嬉しそうに、天野は声を跳ね上げた。
「僕、赤やピンクより、ずっとイイ! カッコイイよ!!」
 
「…………」
 満面の笑みに、俺と先生は、それ以上何も言えなかった。本人が喜んでんなら、それでいいんだから。
 でも……思わずには、いられない。
 いくら、大人扱いって言ったって。まだ小学生だし……この天野が使うってのに。
 
 
 そんなデザイン、子供に買ってこないぞ、普通!?
 俺だったら絶対イヤだ、こんなオッサンくさいの!!
 
 ───天野の父さんて、もしかして、……ちょっとズレてないか?
 
 
 
 
 帰りの車の中で、先生は「よかった」と、安心笑い。俺は「アレは、ヤバイ!」と、泣き笑い!
 
 
「霧島は、携帯……持ちたくは、ないのか?」
 送ってもらった家の前で、柴田先生がそんなこと言うから。
 俺は飛び降りた後、運転席を覗き込んで、言ってやった。
 
「んなの、いらないよ! 俺は、直接呼ぶ! 直接、話す!」
 ───もう、救急センセイも、いらないし!
 
「お前らしいな」と、先生も納得顔で、頷いていた。
「ね、それよりさ……」
 俺は覗き込んだ左側にある物が、気になっていた。
「せんせ、まだ10月……終わってないけど、これ、もらっちゃ駄目?」
 日よけパネルに嵌めてある、星空のカレンダー。
 長方形のその紙には、天野の誕生月の星座が、プリントされていた。
 
「お? いいけど……そんなもの、なんにするんだ?」
「おわ! 裏は4月じゃん!」
 プラスチックの枠から抜き取ってみて驚いた。両面プリントになっていたんだ。
 先生が訊いてくるのも答えないで、俺は一人で喜んだ。
 だって、4月は俺の誕生月! 偶然にも背中合わせってのが、嬉しかった。
「なんか、気に入ったんだ、これ! センセ、ありがとうね!」
 
 
 部屋に戻ってからも、布団に入ってからも、表裏ひっくり返しては、何度も眺めてた。
 何がって、わかんないけど……天野のって思うだけで、嬉しかったんだ。
 その星空に、無性に惹かれた。
 
 
 ………でも。次の日知ったけど。
 克にいも、4月生まれだった!
 


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