chapter6. deeper-lying structure
                      深層パズル-真相-
1. 2. 3. 4. 5. 6.
 
 4
 
「………あの薬……克晴にいろいろ使った…他の薬や、拘束器具も。何でそんなの、僕が知ってると思う?」
 
 
 両腕をベッドに上げて、握り拳を作って。
 そこに視線を落としながら、暗い光を帯びた目で、オッサンは喋り出した。
 
「“ダテにアメリカ帰りじゃない”なんて、僕……言ってたけど。外国に行ったからって、みんながみんな、こんなモノ手に入れられる訳じゃない」
 
 掛布からはみ出ている俺の手首の金属に、ちらりと視線を移して、まるで吐き捨てるような言い方だった。
 
「その世界に、首を突っ込まなきゃ。……そこんとこは、日本も同じだよね。善と悪の世界なんて、ホントは隣り合わせなのに、普通はみんな、知らない」
 
 
 ………何を言い出したのか……。
 遠回しな喋り出しに、はぐらかされるかと思った。
 そして、もっともらしく言う言葉に嗤ってしまった。
 バカバカしくて。
「俺がそうだよな……知りたくもないのに、巻き込まれた!」
 
 “普通”じゃなくなったんだ、俺は。
 残酷な秘密を持たされた。歪な性暴力。無理矢理大人にさせられて、世界がまるで変わってしまった。
 
 みんなと擦れ違っていく感覚。……違和感は、どうしても拭えない。平和ごっこの日常の中で、俺にはそこが異世界になった。
 コイツの言うとおり、隣り合わせでそんなモノはすぐそこにあったんだ。
 
 誰も、俺の本当のことなんか知りやしない。
 ただのクラスメートの、一人で……
 ……眩しい教室、明るいリビング。
 ガキっぽくじゃれ合う友達………笑う母さん……可愛いメグ。
 変わったのは、俺だけだった。
 ……知らなきゃ、俺だってあのままでいられたのに。
 
 
「………だから、なんだってんだよ?」
 気分が悪い。
 俺だけまともじゃないあの感覚は、どうにも辛すぎて……
 叫ぶことで、感傷を頭から振り払った。
「あんたがマフィアかヤクザかなんて、どうでもいい! そんなこと訊いてんじゃ、ないだろ!?」
 
 
 オッサンの瞳が揺れた。
「──僕も………同じ……だから」
 哀しげに歪めた口元が、微かに笑った。
 
「……あっちでね。僕に目を付けたヤツに、幽閉されてた」
 
 ───────!!
 
 
「取引先の男だったんだけど……そいつは、ヤバすぎた」
「……………」
「小さな克晴にしてしまったこと……この身体で思い知らされたよ。……そして…それ以上に、いろいろ………」
 
 
 
 
 ………向こうで……犯られてた…?
 このオッサンが…?
 ………信じられない。
 コイツはいつだって、俺にとって抗いきれない、最強の悪魔だった。
 
 ───でも……だからって……
 
 コイツがそれを、繰り返していいって理由には……ならない。
 
 ……思い知ったんなら、尚更だろ……?
 
 
 
 
「克晴に、こんなことできたのは……その時の知識が、あるからなんだ」
 瞬きもしなかった双眸が、視線を上げた。
 真っ直ぐに、俺を見つめる。
「久しぶりの再会で、君はいきなり走って逃げ出した。……その背中を見て……酷いショックを受けたよ」
「……………」
「格好良く、育ったよね……あんなに小さかったのに……。僕は19歳の君を、捕まえたくなった」
 投げ出してる俺の手を、握ってきた。
 
「…………離せ!」
 怠くて動かない。強引に揺すって、引き剥がした。
 
 ───なんだ…それ……
 
「何で、俺なんだよ!! 父さんだろッ!?」
 前も、同じことを叫んでいた。
 父さんの身代わりってだけで、なんでこんな目に遭わなきゃなんないんだ!
「利用出来るなら、誰だってよかったくせに!」
 
「───克晴ッ…!」
 
 オッサンが目を見開いた。
「毎日会社で会ってんだから、あっちに行けよッ!!」
 父さんがこんな奴、相手にするはずが無い。
 それを、コイツは分かってんだ……だから、俺なんかに……
 それが、どれだけ俺を苦しめたか───この悪魔には、判らない。
 
 払っても絡めてくる指に、憎悪した。
「離せよッ、触るなッ!!」
 俺には、囲われる理由も、快感を受け入れる理由も、この悪魔を憎む以外も!
 何もないんだ!
 
 
 
「克晴!!」
 
 
 
 両手でプレートを掴まれ、凄い力で引き寄せられた。
「─────!」
 激しいディープキス。ベッドに乗りあがって、全身で覆いかぶさってきた。
「んんッ……んッ……!」
「黙って! 黙って! ……克晴……言わないで……」
 外れた唇の代わりに、顔ごと胸に押し付けられた。
 
「違うんだ! ……先輩なんかじゃない!」
「─────」
 
 
 
「………僕は、克晴が好きなんだよ!!」
 
 
 
 耳に直接、叫んできた。
 
 俺の肩口に顔を埋めて、喉の奥から絞り出すような声。
 息が詰まるほど、肩も頭も抱え込まれた。
 
「確かに先輩が好きだった。でもそんなの、初めの頃だけだ! ……ずっとずっと克晴……君が、好きだった」
 
 
 ────なに……
 何を言い出したか……頭が麻痺したみたいに、理解出来ない。
 
 
「克晴が好き…克晴が好き……! 僕には、それしかないんだ」
「───────」
「先輩じゃない……克晴なんだ。君が好き……好きで堪らない」
 
 
 
 
 しつこく繰り返す、そのことば───いい加減、耳に入ってきた。
 
「……何を言って……」
 散々、俺をなぶって……プライドも未来も……奪うだけ奪って────
 暴力でこんな所に、押し込めておいて!
 
 
 自分が何したか……わからないのか……この男は……?
 
「“大人”のアンタが……まだ精通もしてなかった俺を縛り上げて……何をした?」
「…………ッ!」
 強烈に頭が熱くなった。
 
「中学に上がったばっかの、制服着たままの俺に……何したよッ?」
「…………かつ…」
 
 燃えるような熱を吐くように、思い出したくもない記憶が蘇る。どれだけ絶望の淵に立たされたと、思ってんだ!
「離せよ! ……この腕、解けッ!!」
 身体を捩って暴れた。抱き締められていることが、もう許せない。
 
「どこまで、バカにする気だ!? ……アレが、“好き”なヤツにやることか!!」
 
 力任せに、両手で突き飛ばして、やっと少し離れた。
 泣きそうな顔で見下ろしてくる顔に、俺は皮肉な笑いさえ、込み上げてくる。
 
「最後のヤリ逃げは、すごかったよなぁ!?」
 あの2ヶ月は、遠慮や気遣いなんか、欠片もなくなっていた。急変した態度に、説明もない。
 突然、次の日にはいなくなりやがって!
 
 
「克晴……克晴! 黙って……」
 今度は、掌で口を塞ごうとする。俺はそれを払い除けながら、構わずに熱い息で叫び続けた。
「オッサンがいきなり消えて、俺がどう思ったと思ってんだ!?」
「………え?」
 
「体おかしくされて、自分のことなのにその理由すら知ることも出来ずに……どんだけ苦しんで、憎んだと思うよ!?」
 俺の2年間は“もう用済みだ”って、放り出された。
 あれだけ俺に構っておいて、用無しとなったら一言の説明もなく!!
 そのせいで、手に入れた自由と引き替えに、訳の判らない怒りに駆られた。
 
「俺は知りたかった! なんでこんな目に、遭わなきゃならなかったのか。俺の地獄は、本当に終わったのか? って!!」
 
「…………!!」
 
「せめて説明してくれれば……! 飽きたとか、用済みとか、そんなんでもアンタの口から聞かされれば、俺は気持ちに区切りがついたんだ!」
 怒りが止まらない。
 憎しみに火がついたように、腹の底から燃え上がる。
 胸が、顔が熱い。
 何を叫んでいるのか、自分でも分からないほど────
 
 
 
「それを、今更“好き”だって? …そんなこと言ったって、もう遅いんだよ!!」
 
 
 
「────え…?」
 驚いた目が、俺を見返した。
「……いまさらって………」
 俺の滲んだ視界の中で、オッサンの顔も歪んだ。
 
 
「俺でなきゃいけない、何かが……身代わりなりにも、あると思ってた……」
 目の縁に、熱い液体が盛り上がっていく。
 
 ………愛とか好きとか、そんな言葉は知らない。あの時の俺に、そんなのの何が、わかるってんだ。
 ……ただ、俺が俺としてそこにいる以上、意味が必要だったんだ。
 それこそが、俺の存在意義……
 そうでなきゃ、あんなのが2年も続くはずがないんだ。
「おまえは、完全に無視した! 俺が耐えてた頑張りも……時々感じる体温も……そんなもの与えておいて、いきなり切り捨てたんだ!!」
 
「克晴! ……そんな……」
 
 2年間という長い拘束期間中に、オッサンと俺の間には、言葉にはしない何かが出来上がっていた。
 オッサンもそう思ってると、思っていた。
 それは、こいつなりに俺を大事にしているのを、感じる時があったからだ。
 そんなささやかなプライドさえ、一笑に付されたと思った。だから……あの時、俺はあんなに傷付いたんだ。
 
「俺は……アンタから感じたそれを憎んだ。惨めで……心の置き場が無くて……」
 視界を滲ませていたモノが、枕元に落ちていく。
 
 
「だから恵に縋った。メグを愛して、愛して……俺の心はやっと救われたんだ! オマエなんかに、それがわかるか!?」
 
「かつ────」
 
「気安くそんな言葉、使うんじゃねぇよ!」
 
 
 メグとの愛が、汚される………同じ言葉で、一緒になんかされたくない!
 跨るオッサンを、ありったけの憎しみで睨み上げた。
 
 
「……………」
 呆然とした顔で、オッサンは時が止まったみたいに、動かない。
 
 
 
「…………言えなかった」
 
 
 
 震える、押し殺したような声……
 ぽつりと呟いたそれと、温かい滴が同時に、俺の頬に落ちてきた。
 
「言えるわけがない……。本当に、僕は酷いことばかりして……」
「──────」
「好きも、ゴメンも………どんなに言ったって、ウソになるって思った」
 
 …………なんだ……それ……
 
「伝わんなきゃ、言わないのか……俺の気持ちは、どうでもいいってことだよな!?」
 やっぱり自分のことしか考えてない、コイツは!
「違う…違う……嫌われてると思ってたんだ。……だから……伝えて、ハッキリそう言われるのが………怖かった」
 俺のじゃない滴が、いくつも頬を伝っていく。
「アメリカ行きも、……君が喜ぶのを見たくなかった」
「…………!」
「あの頃の君の悪態は、僕をとっても傷つけた。お別れなんて前もって言ったら、何言われるか……考えたくもなくて」
 
 ────そんな理由……
 そんな自分勝手な理由で、俺は苦しめられたのか……
 
「………克晴?」
 おかしくて……笑い出していた。
「……喜んで当然だろ? ……そんなの事前に聞かされたら! そして俺は、心の底から解放されたはずだった!!」
「……………」
 哀しそうに歪ませる顔に、更に言ってやった。
「“好き”なんて、もちろん受け入れるはずない! 罵って罵って……」
 皮肉な笑いが止まらない……。
 笑ってるのに、頬を伝うものも、止まらない。なんだ、この気持ち。
 
 整理したかった。俺の置き去りの心。
 ちゃんと向き合って、憎んでいれば……
「………アレが過去のこととして、終わってたら……俺は走って逃げたりなんか…しなかった」
 
「──────!」
 
「そしたら、……どうだった…? 俺……こんな目に、遭わずに済んでたのか?」
 再度ねじ曲げられた、俺の未来……。
 コイツのせいで、俺はまた自分の居場所を失ったんだ。
「アンタのくだらない見栄と我欲で……俺は、二度も地獄に堕ちた……」
 そして、恵を巻き込んだ。
 “愛”という名目で、俺の気持ちをメグに押し付けた。
 その後まで、まったく同じだ……理由も伝えられずに、いきなり姿を消した──
 
「克晴…そんな哀しい声……!」
 おっさんが堪りかねたように、俺をまた抱き締めた。
 
「………メグに……俺は……」
 応えてくれたんだ……あの子は。
「好きって言い続けて……愛してるって言い直して……俺は、伝えた……」
 俺の気持ち、伝わったんだ。
 だからなおさら……大事にしなきゃいけなかったのに!
 
 
 
「克晴……克晴……ごめん………」
 
 
 
 止まらない。
 熱い血が吹き上げるみたいに、滴が頬を伝う。
 いまさら……全部、いまさら───やり直せない。取り返しがつかないんだ。
 傷付いた俺は、身体も心も……穢されて……ボロボロにされた。
 そして、傷つけてしまったメグを、きっと今も泣かせているんだ。
 
「克晴………克晴……ごめん………ごめんね……泣かせてごめん……」
 
 首だけ振り続ける俺に、オッサンは泣きながら一生分のゴメンを、言い続けた。
 過去の俺に……今の俺に……未来の俺に────
 
 
 
 
 “違う路が、あったかもしれない”……その後悔に、胸を灼かれるように。
 
 
 
「………まだ、説明は終わってないよな」
 
 疲れ果てて、気が付くと、意識が落ちそうになっていた。
 でも、俺の知りたいことは、まだ聞き終わってない。コレを確かめなきゃ、悪夢にうなされる。
 同じようにグッタリとしていた胸の上の顔に、促した。
 
 
「……アイツは、何なんだよ?」
 あの、プラチナブロンド……どう考えてもオッサンより若い。
 
「うん────」
 オッサンは顔を上げて、意を決したように、唇を噛み締めた。
 
「アイツは……僕を幽閉した男の……弟だ」
「……………」
 
 
 
「僕を、殺したいほど……憎んでいる」
 


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