chapter6. deeper-lying structure
                 深層パズル-見えないピース-
1. 2. 3. 4. 5. 6.
 
 6
 
「………んぁッ」
 ビリッと、身体に電気が走った。
 
 オッサンの手が、パジャマの下に滑り込んでいた。胸の中心を弄くる。
「や……やめ…おっさ…!」
 今さっきまで、泣いてた男が……なんでこんな急に───!
 
「オッサンじゃ、ないでしょ。……抵抗もダメだよ」
「─────!!」
 急変した目の色は、真っ暗な光を湛えていた。
「…………ッ」
 俺は反射的に言葉を切って、動きを止めた。
 
 ────受け入れろって……今は……ムリだ。
 ちっとも回復なんか、してやしない。
 ちゃんと座れないほど、まだ内蔵までが痛かった。
 
 
 
「……心のことね」
 俺の恐怖が通じたのか、ふと笑って、そう付け加えた。
「──────」
 返事なんか出来ない。……心だって、無理だ。
 
「…強情っ張り」
 また悲しそうに眉を歪めて微笑むと、パジャマの前をはだけてきた。
「────ッ!」
「最後まではしないから…辛かったら、克晴はイかなくてもいいから」
「……んッ」
 舌先が、腹から胸へ這い上がって来た。
「……すぐ立つように、なったね」
 嬉しそうに、胸の突起をしつこく舐め回す。
「……んん、……ん…」
「どんな悲しくてもね……克晴を見ると、僕は欲情しちゃった。特に、そんなふうに怒った顔をされると」
「ぁあッ! ……くッ…」
 甘噛みしたり、舌先で弾いたり。そうしながら、両手で胸筋を撫でさすった。
「カッコイイ……この色っぽい肢体を、どうキープさせようか…色々考えたんだ」
「…………」
「僕の時はね、プレートはこんなに重くなかった。その代わり……部屋にトイレなんか無いし……シャワーもね。閉じこめられたせいで、筋肉も体力も、ごっそり落ちた」
 
 喋りながらも、濡れた舌は、脇や横腹まで余すことなく這い回る。
 筋肉の筋の一つ一つを確かめるように、ねっとりと舐め上げられた。
「………ん…」
 身体の芯をビンと弾くような刺激が、止まない。唇が下がって行くのと同時に、パジャマの下も脱がされた。
「…や……見るな…」
「やっぱり、勃ってないね。……無理もないけど」
 言いながら、膝を割って脚を開かされた。
「──────」
 息を止めて、横を向いた。
 あんな散々、薬でイッた後だ。俺の身体は、反応するどころじゃなかった。萎縮してるのを、こんなふうにジロジロ見られるのも、堪らない。
 強烈な屈辱感に、シーツをギュッと掴んで耐えた。
 
「あれ、でも……気持ちいいの? 愛液……すごいよ」
「─────ッ!」
 顔も身体も、一瞬で熱くなった。
 ……なんでこうやって、さらに辱めるんだ? コイツは…!
「んっ……ぁあ…」
 先端を舐められて、またビリッと背中が痺れた。
「かわいい。ぴくぴくしてる」
「言うなッ!」
 腹が立つ。仰け反ってしまった身体を忌々しく思いながら、オッサンを睨み付けた。
「……その眼…好き」
「─────!」
 
 首だけ少し起こした俺と、脚の間に蹲るオッサンの視線が、絡んだ。
 
「克晴の眼……大好き」
 ニコリと微笑むと、また舐めだした。
「克晴の……ここも……ここも……」
 言いながら、舌先を後まで這わせていく。
「ね、気持ちいい感覚、受け入れて……」
「……ッ」
 ぞくりと背筋が震えた。生温かい滑りに、足が動いてしまう。
 ───くそッ
 
「……………」
 オッサンは、じっと俺を見つめて、溜息交じりに呟いた。
「……ごうじょっぱり……」
 全部を咥内に、含まれた。
「ん……ぁあっ…、ぅあ………」
 鈍い快感が、這い回る。
「こんなに、感じてるのになぁ」
 糸を引いた唇を舐めて、這い上がってきた。俺はキスを避けて、反対側に顔を背けた。
 
「……綺麗………ごめんね…君を見ていると………我慢出来ない」
 最後は抱き締められて、腰を合わせてきた。
 ソファーでやられたときと同じ、前を重ねて腰を振る。
「……ぁ…、…ぁあッ……」
 俺は刺激には反応したけれど、イク事はなかった。おっさんだけ白濁を俺の腹に飛ばして、果てた。
 
 
 
 シャワーの後の鏡には、今までないほどの赤紫の痣が、首や胸に散っていた。
 結局繰り返しだ。俺の反発が、オッサンの性欲を煽る。
 “気持ちいい感覚、受け入れて”
 俺にそんな理由は、ない。
 ……そう思う限り、こんなのは嫌なんだ。
 アイツが誰を好きだったろうが───そんなの……
 
 ───パンドラの箱の底には、希望があるんじゃないのか?
 
 無意識に期待していた。
 心を晒したオッサンが、俺を解放すること。
 
 ……こんな愛が、あるかよ。
 鏡の中の目は、恵を求める。
 真っ直ぐにお互いを見て、好きだよと囁き合って、微笑み合って。
 お互いが幸せであることを、喜ぶ。
 メグが笑うから、俺も笑うんだ……。俺の愛は……一つだ。
 
 
 恵と一緒に歩く未来だけを見続けていた俺は、それが揺らぐはずなどないと、思っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「克晴……起きて。ご飯作ったよ」
 オッサンに揺り動かされて、目を覚ました。
 
 
 あれからの俺たちは、少し変わった。
 おっさんがまた、会社に行く日が増えて。─── そして、青い顔をして帰ってくる。
 
 その顔を見るたび、俺も心臓を冷やした。
「チェイスの手下を、また…見たのか?」
 情報が欲しい俺は、自分から声を掛けるようにした。
 
 オッサンも、俺に今までと違う気遣いをするようになった。
「克晴は、与えられるだけの情報なんかに、興味ないんだ。自分で調べる方が、よかったんだよね?」
 そう言って、俺用にと新しいパソコンを用意した。自分のもリビングに移動させ、自室に閉じこもってやっていた仕事を、俺と居る空間で始めていた。
 
 
 
 
「おはよう! 早く座って」
「………………」
 
 ホットコーヒーと、トースト。ベーコンと目玉焼きに、サラダ。
 定番のようなメニューを並べて、朝陽の差し込むリビングは、明るかった。
 
「ね、昨日渡そうと思ってた物が、あるんだ」
「……何?」
 照れくさそうな変なカオが、テーブルの向こうでもじもじしている。
「克晴が、イイ子になってくれたから……ご褒美」
 ─────!!
 差し出してきた大きな紙袋の中身は、下着と外出着の一揃えだった。
「…………」
 手の中の物が信じられなくて、何も言えなくなった。
 
 
 “克晴を好き”オッサンがそう言った次の日の朝、俺は訊いていた。
『───俺……いつまで、このままなんだ…?』
 起きあがった時、手首のプレートが変に重くて。ベッドを降りる時の、アンクレットにも違和感を感じた。
 一瞬でも、期待してしまったから。外される気配のないそれに、不安を覚えたんだ。
 
 部屋を出ようとしていたオッサンが、ドアに手を掛けながら、振り向いて言った。
『…………ずっと』
 
 表情の読めないその顔に、不気味ささえ感じた。訊かなければ良かったと、後悔していたんだ。
 それなのに……
 
 
 
「嬉しくないの?」
 何故喜ばない、とばかりにオッサンが眉を寄せた。
 以前の俺なら、自分で服を奪っておいて何言ってんだ! って、反発した。……でも今は、そんなこと言ってる場合じゃない。
「嬉しい」
 オッサンをちらりと見て、笑えたか……
 怒りを堪えつつ、震えも抑えていた。
 ──まともな服が、着れるなんて! ──
 
 朝食もそこそこに、ベッドの部屋に戻ってそれらを身につけた。
 ボクサーパンツに、ジーンズ。ロゴTと、長袖シャツ。それと靴下。
「…………」
 こんな当然の物が、俺には奇跡のように見えた。
 ボクサーは久しぶりに穿くせいか、少し窮屈に感じる。
 ジーンズは落ち着いた茶系の黒。ステッチのセンスから、かなり上質物なのが判る。
 バックポケットには、これ見よがしなブランドタグだ。
 腿に吸い付くように、ピッタリだった。
 ロゴTは濃紺。かなり襟ぐりが開いている。シャツは真っ白だけど、各所に入っている金色のラインが、ジーンズのブラウンと妙にマッチしている。
 一つ一つをそんなふうに、眺めて確認しながら、着ていった。
 身体にピッタリした布が、気持ちを引き締めていく。パジャマなんかじゃない。これで、外を歩くことができるんだって……
 
「ああ、やっぱり似合うなあ!」
 待ちきれないように、オッサンが部屋に入ってきた。
「克晴には、絶対ストレートだって! ボトムとか体型崩すだけだからね!」
 嬉しそうに、俺を眺める。
「克晴のその真っ黒い髪と目には、メリハリ効いたコントラストがいいんだ」
 悦に入ったように、眺めてはぺらぺらと喋る。
 実際コレは、かなり俺の好みだった。こんな上等なものじゃないけれど、いつも、ジーンズと適当なシャツ。……服を選んでる時間が、勿体なかったんだ。
 メグには、似合いそうな可愛いのを選んであげるのが、楽しかった。
 
「君を雨の中、見つけた時は。………軽薄なストリート系の服なんか着てたから……僕、ビックリしたけどね」
「……………」
 あれは……山崎が面白がって、着せ替え遊びをさせたんだ。
 オッサンごっこの次は、若者ごっこしよう! なんて、言って。
 ───戯けながら……俺の面倒を、よく見てくれた。
 ようやく俺は、服を手に入れたけれど。拘束プレートは、まだそのままだ。外に出れる訳じゃない。
 ───アイツに、礼を言う時が来るんだろうか。
 
 黙ってしまった俺を、オッサンも黙って見つめてくる。
 俺の方が少し高い目線で。こんなにしっかり服を着て対峙しているのが、妙な感覚だった。
 ここが俺の家だったら。手足にこんな物、嵌めていなかったら。
 俺らはただの、他人なんだ。
 
「……サイズが心配だったから、今はこれだけ。もっと買ってくるね。……これからは、室内でもこの格好だよ」
 
 ゆっくりと手を伸ばしてくると、ジーンズの前を開けた。
「…………ッ」
「ボクサー、かっこいいなぁ……トランクスじゃなくて、これでいい?」
 下着の上から、揉んでくる。
「………ああ」
 俺は辛うじて、頷いた。
 せっかく穿けた下着が、汚される。たった今身につけた衣服を、脱がされる。
 オッサンは結局、俺を全裸にした。
 
 
 
 
 それでも……
 シャワーのあとに、下着がある。朝起きて、洋服に着替えられる。
 これは、俺の中にも変化をもたらした。
 
 ジーンズでPCを触っていると、大学に行っていた頃の感覚を思い出す。気が引き締まって、背筋が伸びる。
 オッサンが隣りに座って説明することを、あまり嫌悪せずに、聞けるようになった。
 ……チェイスがここには、来ないのか?
 オッサンが留守の時は、嵌め殺しとは言え、窓のある寝室には居たくなかった。
 そんな気分から、出迎えはリビングでするようになって。オッサンは、俺が同室にいることを、子供のように喜んだ。
 そんなことが数日、繰り返された。
 
 
 その間オッサンは、引き剥がされた6年を、毎晩悲しんだ。
 俺を背中から抱き締めるのがホームポジションのように、添い寝して。犯った後もそうでない時も、肩口に顔を埋めて泣いた。
「……どうしてかなぁ。何が悪いのか…わからないよ」
「…………」
 出勤した日は、特に泣いていた。
「何が間違って、こうなっちゃたんだ……僕はただ……克晴と一緒に居たいだけだったのに」
 
 俺も聞くに付け、不可解ではあった。
 会社の仕組みなんて、詳しく判らないけど……向こうでもコッチでも、社員とは名ばかりで…。
 そのせいで、在籍が危なくなっているのは、俺でも判る。だから、物流会社なんて自分で興したんだ。
 でも、それだけじゃ済まない。
 アメリカに行ったせいで、グラディスという男に遭ってしまった。
 その因果が幾重にも枝葉を広げて、俺にまで伸びて……それすらも、傷となってオッサンに返っていく。
 驚いたのは、オッサンの唯一の肉親……母親が、その6年間の間に亡くなっていたことだった。
 親と暮らしてるから、実家には連れ込めない──あの頃はそう言っていた。ヘンタイだから結婚も出来ないんだって、子供心にそう笑ってやった。
「お袋の死に目に会えなかった。……それどころか、葬儀にも出れなかった」
  
「行かなけりゃ、よかったのかな……でも、会社を辞めたら先輩と縁が切れる。そしたら、君と会えなくなる……それだけは、嫌だったんだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その日の朝、ダイニングには夏は終わったと感じる、柔らかな朝日が差し込んでいた。
 
 “俺は、いつまでこのままなんだ?”……そう訊いた朝からすでに、一週間以上…。見えない影に怯えながらも、ゆるりと時は過ぎていた。
 
 
 食卓には、相変わらずカチカチの目玉焼き。
「……父さんが、好きなんだ」
「え?」
 ホットミルクをマグカップに注ぎながら、オッサンが俺を見た。
「固焼きの黄身。……俺とメグは、半熟の方が好きだった」
 でも母さんは、全部いっぺんに父さん優先に焼いてしまうから。俺がメグに作ってやる時は、垂れ落ちるくらいの柔らかさで……
 
「うん……先輩が好きだったから……僕も…」
 目を見開いて、俺を見る。
「そうか……克晴の好み、聞いたことなかったね」
 興奮したように目を輝かせて、温まったマグカップを俺に差し出した。
「……別に」
 受け取りながら、クセで睨み付けた。
 俺の好みなんて、どうでもいい。ただ、なんとなく思ったことを口にしてしまった。
 そしてやっぱり心配になる。あの家では、父さんが総てだから。あの人は……メグが、上手く渡り合える相手じゃない。
 ───今頃、どうしているか。
 手の中の温もりが、メグのあたたかさのような気がして、胸が痛かった。
 
「じゃ、行ってくるね」
 ここ何回かの出勤の度、オッサンの様子は変だった。今日も、意を決したような言い方だ。
 自分に言い聞かせてるみたいに……
 
「…………」
 行ってらっしゃいもお帰りも、そんなもの俺は言わない。
 家族ごっこなんて、冗談じゃない。
「……じゃ」
 寂しそうな笑顔でもう一度そう言うと、スーツを羽織って出て行った。リビングから先の、外の世界へ───
 俺には異世界。絶対に越えられない壁が、そこには張られている。
 ソファーに座ったまま、横目で視線だけ送った。
 
 
 
 
 その異世界へ、突然飛び出すことになるとは……
 濃紺の背中を見送った時には、思いもしなかった。
 
 
 昼過ぎに、いきなり帰ってきたオッサンの姿は、異常だった。
 真っ赤……
 顔や胸が、血だらけだった。
 その格好のまま、俺にしがみつくように抱き付いてきた。
 
 
「克晴……僕に、付いてきて!」
 


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