chapter6. deeper-lying structure
                      深層パズル-真相-
1. 2. 3. 4. 5. 6.
 
 5
 
 決して開けなかった、パンドラの箱。
 
 
 ……俺はそれを、開けた。
 
 その奥底に見つけた、“哀しみ”は───
 “愛されていなかった”と、思い込んで傷付いていた、俺だった。
 
 
 
 
「今考えると……アメリカ行きそのものが、変だったんだ」
 
 今度はオッサンが、箱を開き始めた。
 俺にとって、二つ目のパンドラ……。
 色々な顔を見せるクセに、肝心の本心は、一切見せなかった。
 
「2年だった期間が、6年にもなったことも……不可解だけど」
 
 
 ………オッサンの声だけが、静かに響く。二人の記憶が、6年前に遡ってゆく。
 白いカーテンに照明が反射して、昼も夜もない。時計のないこの部屋は、時を逆流していく、小箱のようだった。
 
 
「僕が付くはずだった、役職がね……向こうに、すでになかった」
「……? ………すでにって……」
 
 俺は、半身だけ起こして喋るオッサンを、見上げた。
 苦渋の顔が目を伏せると、ベッドに突いた腕がまた、握り拳を作った。
 
「コッチに帰って来てからは、机もない」
「…………!?」
「向こうで僕が出来ることと言ったら、補佐しかなくて」
「……………」
「取引先相手に愚痴って、相談に乗ってもらってた。……それが、グラディス」
 
 ────グラディス……
 時々オッサンに掛かってきてた、携帯の相手だ。
 殆ど聞き取れないけど、時々聞こえるのは、この単語だった。
 
 
 
「そいつとの取引は、うちの社運にかかわる程の、シェアを占めているんだ……」
「……………」
「……わかる? ヤツの一存で、僕の会社が危機に陥るかもしれない…ってこと」
 
 皮肉な笑いを口の端に浮かべて、ちらりと俺を見た。
「─────」
 俺は何も言えず、ただ次の言葉を待った。
 
「……向こうに渡って、1年で罠に落ちた」
「……………」
「僕は…克晴がずっと好きで…それをグラディスに話していた。離れてしまったこと…何も伝えられなかったこと……後悔をぶちまけては、慰めてもらってたんだ」
 
 
「………………」
「“カツハルのこと、悩まなくて済むようになるよ”そう誘われてね、バカな僕は、ノコノコと付いて行った」
 
 
「アイツの放った一言は……“カツハルを忘れて、俺を見ろ”」
 ─────!
「………そんなこと、出来るわけ……ないじゃんね」
 哀しそうに笑うと、また目を伏せた。
「ヤツは、拒否した僕を捕まえて、……クスリ漬けにした」
 悔しそうに、口の端を歪める。
「言葉では、会社のこと、ちらつかされて……生きた心地がしなかった」
「………………」
「僕は…すぐ堕ちた。……あんなの、精神力で我慢できることじゃない」
 ────薬って……それを判ってて…あんなこと、俺にやったのか……
 初めて体内に挿れられた時のショックを、生々しく思い出した。
 首筋を、気持ち悪い冷や汗が、流れていく。
「だからね…驚いた。僕よりよっぽど効くのに。克晴は……絶対負けなかったね」
「──────」
 負けない。負ける訳にいかない………それだけが、俺のプライドだったから。
 寂しげに揺れるオッサンの瞳は、無言で頷いた俺から、動かなかった。
 
「克晴が……好き」
 
「…………」
「その気持ちは、変わらなかった。ヤツの言いなりになって、やっと外に出して貰えて。プレートを嵌めたまま、会社に行って……戻るのは檻の中……なにを強いられても、言わされても」
 
「!! ……触るなッ!」
 急に手を握られて、ゾッとした。
 薬の効果が残っているような気がしたんだ。反射的に、振り払った。
 
「───僕のそんな心、グラディスはちゃんと見抜いてて、本気になってしまった」
 手を宙に彷徨わせたまま、オッサンは続けた。
「……本気?」
「ヤツに言わせると、悪戯心に火をつけられて…もう消せなくなったって」
 
 ───なんだ…それ。
 ……冗談ですることじゃ…ないだろ……。
 目を瞠った俺に、オッサンは、またふっと口の端を上げた。
「ヤバイ奴って、言ったでしょ……そう言う感覚で、何でもやる」
「………何でもって…」
 知らずに息を呑んだ。
 哀しみで揺れる茶色い瞳の底に、諦めきったような地獄を見た気がした。
 
 
「もう死ぬって…何度も思った。その度、従うんだけど……ダメなんだ……僕には……克晴…………君が……」
 
 ぽろっと、潤んでいた目から涙が零れた。
「小さな身体が……君の眼が忘れられない。……僕は気が付くと、君ばかりを想い、グラディスを逆上させた」
 
 
 ───“眼”
 ……俺のこの眼が、父さんみたいだって…。
 コイツは、そう言ったんだ。
 そして、その眼を好きだと……
 
「……俺の眼として……いつから、見ていた?」
 言われる度に、俺を通して父さんを見ているのだと……悔しかった。
 野球だなんだって、四六時中父さんにべったりしてるクセに……こんなコトだけ、俺かよ! って。
 
「……たぶん、ホテルに初めて連れ込んだ時は…もう。……河に落ちた時は、完全に君を好きだった……死なせたくなかった」
 
 
「──────」
 狂った運命の歯車が、今もその秒針で回り続けながら……
 噛み合うはずだったかもしれないもう一つを、今更ながら浮き上がらせる。
 考えずには、いられない。
 そっちの歯車で、時間が回っていたなら……俺は…俺たちは、どう違っていたんだろう。
 
 
 
 
 
「それでもね、帰れると思ってたから。それまでの辛抱って、なんとか頑張ってたんだ……まさか6年も放置されるとは、思ってもなかった」
 
 ───6年……
 改めて、長いと感じる……。
 
「僕は……ずっと君と居たかった。成長を見続けて……大人になるのを、横で見ていたかった」
 
「…………………」
 上からじっと見ていた顔が下りてきた。
 触れるほど近くに、頬を寄せてくる。
 俺が拒絶しないギリギリの距離で、体温を感じようとでもするかのように。
 オッサンが喋るたび、耳に息が掛かった。
 
「いつか、言えるかな……僕の愚行が許される筈は、ないけど───なんでこんなコトをしてしまったか……君が理解出来る時が来たら、言えるかな……そう思いながら…」
 熱い滴が、また俺に降ってきた。
「なのに……君の一番大事な時期に……僕は一緒に居れなかった……それが、悲しくて、悲しくて……」
 泣き続ける。
 ぽたぽた、ぽたぽた、……熱い感触が、俺の首や肩に伝わっていく。
 
 
 この哀しみは───俺のと、同じだ。
 恵と引き剥がされて……一日だって離れたくなかったのに…。
 胸の痛みが、複雑になった。
 ……コイツの嘆きなんか、俺には関係ない。
 ……俺の哀しみは、コイツのせいなんだ。
 
 ───だけど……なんだ? この別の、痛みは………
 
 
 
「……戻るまで、ずっと……?」
 黙り込んだオッサンを、促した。
「うん……2年目くらいから、グラディスは暴力を止めてくれた。僕を離さないし、夜は酷かったけど……空いた時間は、いろいろ教えてくれた……」
 
「………………」
 ……オッサンも、知識は豊富だったから。
 俺も教わるところは、あった……。
 コイツが消えたとき、そんなことばっか思い出して……悔しくて……。
 
「経営理念とか、流通の法則、マネーゲームの鉄則……僕は面白くて、のめり込んで覚えていった」
「……へえ」
 本当に楽しそうな声で言うから───驚いた。
 そんな状況で、楽しめるコトがあるなんて……俺には、判らない。
 
「懐いたような僕を、グラディスは、あちこち連れて行ってくれたよ。……その中に、そのプレートや、シートベルトのロックキーを作ってる店もあった」
 
「………は……アレも…ね!」
 思わず呻いた。
 イヤミを込めて、笑ってやった。あのロックの音が、俺の心臓を何回凍らせたか。
 
「……僕がいっそ彼を見ていれば……グラディスを受け入れていたら、また違ってたかもしれない」
「────?」
「克晴しか見ない僕のせいで……グラディスもまた、僕に拘り続けた。そのことが……チェイスの怒りを買った」
 
 
「──── チェイス…!!」
 身体が、ビクッと竦んでしまった。あの恐怖が、一瞬で蘇る。
 凶暴さしかない眼光。俺なんか、まるっきり物扱いだった。
 薬の感覚と、真っ暗な絶望まで、思い出した───
「…………」
 無意識に、腕を体に巻き付けた。
 
 
「克晴……」
 身体を添わせて、おっさんも横になった。そっと腕を伸ばしてきて、向かい合わせるように、抱き込まれた。
 さっきは手を払ったけれど、今は動けずに胸に顔を埋めた。……身体の震えが止まらない。
 
 
「僕もね、チェイスに犯られた。……一人になった隙をついて、襲ってきた」
「………………」
「ズタズタになった僕を介抱しながら、グラディスは弟を諫めたけど……聞きやしない。余計、凶暴になった」
 オッサンの腕も、震えていた。……声も……俺より、よっぽどだ。
「……なんで…そんな」
 
 
「弟チェイスは、実の兄を……愛している」
 
 
 ──────!!
 
「グラディスは、弟とも寝る……でも、心は僕に向いてしまった。……それが許せなくて、ヤツは、何度も…僕を襲った」
 
 
「何度も……?」
 何故か、俺の中に怒りが湧いた。
「何やってんだよ、その兄貴……!」
 弟のやること、何で止められないんだ? 野放しなことに、腹が立った。
 
「……マフィアじゃないけど、ヤバイ組織に入ってて…その手駒を動かせるんだ。組織網が半端無い。情報伝達が早い……僕を隠しても、すぐ見つける……同じでしょ? 今回と」
「………ッ」
 
 蒼白になった俺の顔を、また胸に押し付けた。
 オッサンも、声を震わす。
 
「アイツが来るって……携帯で聞いて、このマンションはもう住所がバレてるから。とにかく部屋を借りて、そっちに君を移したのに」
「…………」
「遅かった。いや…たぶん手下が先に来て、探っていたんだ……そうでなきゃ…あんな筒抜けになるはずが、ない」
 
 確かに……あれは、タイミングの良すぎる侵入だったと───
 
「君に呑ませた薬が切れるまでに、戻るはずだったんだ……」
「………」
「グラディスが送ってくれた銃を、受け取りに行っていた。まさか、その間に来るなんて! ……僕は間に合わなかった……」
 抱き締める指が、肩に食い込むほど───俺の震えを押さえ込もうとするように、力が籠もった。
 
「ゴメンね……でも……解放出来なかった。手放したくない……どうしても、こうして…克晴を、抱き締めていたいんだ」
 
 ────勝手なことを…!
 また反発心が湧いた。……でも、あれを思い出すのは、俺自身…辛くて。
「──────」
 口に出して攻めるのも、嫌気が差した。
 
 
 オッサンは、長い溜息をついた。
「コッチに帰れることになって、さすがにグラディスも、僕を解放した。プレートも外されて……Good Luck ! そう言ったんだ。それで総てが、終わったはずだった」
 
「…………それが…?」
「帰国してからの職場に、不安を覚えてね。…僕は、自分で会社を興した。ネットで物流を、始めたんだ」
 ………へえ…
 オッサンの財源の一部を、そこに見た気がした。
「グラディスがそれに気が付いて、また僕に関わろうとした。……かなりしつこく、連絡を寄越して…。だからチェイスが、動いたんだ」
 
 俺の腹が、また苛ついた。
 グラディスってヤツは……なんで、そんなバカなんだ! あんな危険な弟を、無責任に放置しやがって!
 身体をオッサンから引き剥がすと、睨み付けた。
「ワンダフルドールって、何のことだよ!?」
 俺を見て、何度も呟いた。それを言うときは……目の色が違った。
 鳥肌が立つのと同時に、むかついたんだ。
 “人形”って言葉に。
 
 
「それは……グラディスが付けた、克晴の愛称。……写真を観て、始めに言った言葉がそれだった。“素晴らしい……なんとも魅惑的な人形だね”って」
 
 ────写真なんか、見せたのか!
「……勝手に、…俺のッ……」
「うん、克晴が中学の時に撮った写真。僕の大好きな一枚……格好いいけど、まだ少し可愛い……。いつもそれを肌身離さず、持っていたんだ。幽閉されるまでは」
「……………」
 恥ずかし気もなく嬉しそうに微笑むから、返す言葉を無くした。
「克晴を奪われないかと、不安になるほどだったよ。……君のこと話題にする時は、好んでそう呼んでいた」
 ……どんな話題をしてんだか。……聞きたくもないけど。
 
「チェイスには当然、面白くなかったはずだ」
 オッサンはまた眉を寄せて、渋い顔を作った。
「……………」
「愛する兄が興味を持つ……僕と克晴。……チェイスには、どっちも憎むべき対象になった」
「……はッ!? 俺は関係無いだろ? 勝手に、写真だけで──」
 驚いて、声を上げた。
「ううん……どっちにしたって、ヤツにしてみれば、一緒くただ。……僕を排除するって意味では」
「なんだ…それ……」
 
 
 
 ───最悪……だ……巻き添えにも、程がある。
 
 
 開けてしまった箱から出てきた、俺の戸惑い。
 オッサンの心。
 俺が知りたかったのは、こんなことだったのか。
 
 
 根底にある原因は、明白すぎて。
 皆、欲しがっているモノは一つだってこと────
 
 でも、それを強引に奪うことを、誰が許されるって言うんだ……?
 
 
 
 
「克晴……そんな顔……しないで」
 また抱き締めようとするから、今度こそ突っぱねた。
「触るなッ! やっぱりアンタは、許せない……!」
 どこまで行ったって、元凶は、やっぱりコイツだ。
「俺に構わなきゃ……何もかも!」
 
「……かつ…」
 オッサンがいつもの、傷付いた顔をした。自分が被害者みたいに。
 憎らしくて、睨み上げた瞬間……
「……あッ」
 強引に抱き締められて、上を向かされた。
「んんッ!」
 激しいキス。舌をねじ込んでくる。
 
「おっさ……やめ…」
 
「克晴……逃げないで…嫌がらないで……そんな悲しいこと…言わないで!」
 キスを繰り返しながら、切れ切れに呟く。
 
 
 
「もう、繋ぎたくない。僕を受け入れて……」
 


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