chapter19. Spread wings~おでこじゃ遠いから~
1.2.3.4.
 
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 学ランを着た天野は───ハッキリ言って、似合わないと思った。
 男臭い俺らはともかく、女の子みたいな天野の白い顔に、黒くて肩の張った制服は、かなり変だと……。
 
「……………」
 
 でも、本人もそれを自覚しているのか、“何て言われるか、判ってるんだぞ”って目で、見上げてくる。
 眉を寄せてへの字口で、じっと睨むように、俺の眼を見る。
 
 中学に上がる頃には、天野はまた綺麗になっていた。
 ふわふわの髪が、優しく頬を包む。
 長い睫毛…澄んだ茶色の瞳。白い肌に赤い唇…細くなった小さな顎。
 詰め襟とカッターシャツの間から覗く、伸びた首筋と鎖骨が、変に滑らかで……
 
 俺には却って、こんな顔した天野が学ラン着てることで、嫌でもコイツが“男”なんだと思い知らされて………変に緊張……ドキドキしてしまった。
 情けないと思いつつ、何も言えなくて。ただ見つめ返すしか、できなかった。
 
 
 
 
 
 
 天野を守りたい…そう思った俺が、小学5年の時に思い付いたのは、武闘家になることだった。
 単純に、体を鍛えれば強くなれると思っていた俺は、タクマさんに“姉ちゃんより強くなりたい”って、言ったんだ。
 タクマさんは始めは、面白半分にパンチや体術を教えてくれた。そのうち『丈太郎、素質あるな!』と、本格的に指導してくれるようになった。
 中学では柔道部に入って、勧めてもらった柔術やボクシングなんかを教えてくれるジムへも通い出していた。
 体を動かして、相手を倒す。寝技・立ち技を駆使して、試合に勝つ……技術と頭脳の勝負だ。
 それが楽しくて、俺も夢中になっていった。
「総合格闘技」というスポーツ。
 雑誌や試合を見せてもらっては、強い選手に憧れて。
 強くありたいと願う俺には、眩しくて、熱望する世界になっていった。
 
 
 
 
 
 そして天野も、変わっていった。
 この2年間、あいつも人並みなことができるようにと、毎日何か前進させるように、練習や努力を重ね続けた。
 その中で、一番頑張ってること……克にいが戻って来ないことで、泣き言を言わなくなった。
 俺にその影を求めることも、しない。
 時々思い出話を口から零しては、ハッとしたように唇を噛み締めて、寂しそうに目を伏せた。
 
 
 1.2年ともクラスが離れ、天野と一緒にいる時間が、前より短くなった。
 他の誰よりも、いつも一緒にいるけれど。
 前みたいに、……それこそ、兄弟のようには、いられなかった。
 廊下で擦れ違う。校門で待ち合わせして、帰る。
 目に触れるたび、新鮮に胸が高鳴った。
 
「……なに?」と、首を傾げて、俺を見上げてくる。
 つい見とれて、言葉をなくした時。
 つい…言ってしまいたくなる…“好きだ”と─── それを噛み殺した時。
 
 前みたいに、抱きついて来ない。俺も、抱き締められない。
 それが悲しくて……触れることすら、躊躇ってしまう。
 体も頭も熱くなって、自分がどうにかなってしまいそうだった。
 
 
 
 
 
 ───なのに……
 
「……んだよ、とうとう好きな女、できたか?」
 
 よく行くようになっていた念願のたこ焼き屋のスーパーで、また啓太さんが現れて。
 天野に、気持ちを確かめていた。
 命令されて買ってきたジュースは、3本。俺の手は空いてなかった。
 それを言い訳に……
 
 “違うの……僕はまだ、克にぃを待ってるから”
 
 そう無言で、哀しみのオーラを発している、天野の背中。
 一生懸命に啓太さんを見上げているのだろう、傾げた頭が、小刻みに震えている。
 それを、いつもみたいに、冗談で抱えて引き剥がすことが出来なかった。
 
「こいつ…いるから、駄目ですよ……好きなヒト」
 
 自分で言うって、思ってた以上にキツイ───俺の声も、震えた。
 
 
 俺も啓太さんも、はなっから太刀打ちできないんだ…“克晴”って存在に。
 悔しくて、落ち込んでる啓太さんに、いつものパンチ自慢を誘った。
 殴り合ってると、少しは気が紛れたから。
 駄目だ駄目だ、まだ俺は、ちっとも強くなってねぇ!
 
 
 
 俺はこの時、決心したんだ。
 ただ見守ってんのが、いいとは限らない……天野の心、優先してたつもりだった。
 ───でも、間違ってた。
 まだ泣くんだ、天野は。そこから取っ払ってやらなきゃ、駄目じゃんか。
 泣かせないように、あやすんじゃない。
 涙の原因を、なくしてやらなきゃ……そう学んだんじゃ、なかったのか。
 
 それに、そう学んでから2年も経ってんだ。
 啓太さんだって、告白しなおしてるくらいだ。……俺だって、言ったっていいよな。
 お前を好きな奴、ここにもいるんだぞって───
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 俺のその決心は、覚悟も準備もないままに、変なところで出てしまった。
 
 ボランティアが楽しかった。体動かすのが好きだって、実感できたから。
 だからつい、タクマさんと相談してる将来のこと、天野に喋ったんだ。
 そしたら、
「………」 
 目をぱちくりと見開いて見上げてくるカオが、あんまりに無防備で。
 ……それでいて、寂しそうに陰るから。
 
 
「天野が、好きだ……友達なんかじゃなく…!」
 
 教会からの帰り道。駅は直ぐ側だってのに、その横道に連れ込んだ。
 
「いつまで、克にいを待つんだよ……もう居なくなって、3年だぜ…いつ帰って来るか…それより、戻らないかもしれないんだ」 
 
 禁句にしてた克にいのこと、俺から解放した。
 敢えてそこに触れなきゃ、こいつは泣きやまない。
 見上げてくる真っ赤な目と鼻。食いしばる唇。
 震える天野を、抱き締めた。
 俺だって震えてる…久しぶりの腕の感触。髪の匂い、温もり……。
 
「ずっと、こうして抱き締めたかった。克にいの代わりじゃなく…俺として、お前を……」
 
 髪に顔を埋めて、耳元に囁いていた。自分にも天野にも、言い聞かせるように。
 …柔らかいな……
 抱き締めてわかる。どんだけ、コイツが好きか……
 
 衝動が抑えられない。
 殆ど無意識に、肩をフェンスに押さえつけていた。
 
 
 ────天野…
 
 
 鼻先が触れそうな距離で、ボロボロと…見開いた眼から、大粒の涙。
 
 顰めた眉は、目の色は、…拒否だった。
「─────」 
 俺も唇を噛み締めた。これ以上は近づけない…泣きたくなるのを堪えた。
 
 
 
 
 人目も気付かないほど、真剣だった。
 押し倒しそうなくらい、やばかったのに。
「…ぼく……まだ…」
 困った顔で泣く天野に、俺はそれ以上の言葉を遮った。
「また、泣かせちまった」
 そう笑って、カッコつけた。返事なんか、いつでもいいって顔して。
 
 電車の音か聞こえてきた頃、気恥ずかしくなって……二人で赤くなって、笑った。
 冬の夕暮れ。日陰になった線路沿いの裏道は、かなり冷え込んできていたのに、体中熱かった。
 やっぱ、笑ってる天野がいい…。
 ───俺の忘れられない、胸の痛い思い出になった。
 
 
 
 
 
 
 
 その翌日、まさかの事件があった。
 月曜は部活のある日だから、いつもなら別々の下校だった。
 俺はいつも通り稽古に夢中で、顧問にしつこく大外刈りの練習をしてもらっていた。
 相手を掴んで重心を崩しながら、足を引っかけて、床に払い倒す。
 寝技に持ち込むには、基本中の基本だ。腰を強くして、タックルも上手くならなければならない。
 これを身に染みるまで習得しろと、タクマさんに言われていた。
 そんなで一人遅くなって、汗を拭くのもまどろっこしく着替えて、校門まで走って行ったら。
 
 ────天野…!?
 
 染めたように明るい茶色い髪。
 小さな体が、校門のすぐ内側でうずくまっている。
 駆けつけて驚いた。握りしめている紙切れ…そこにかいてある文字。
 
 “桜庭” 
 
 今更、こんな名前…目にするなんて───!
 
 ぞわりと背筋に、嫌な悪寒が走った。
 ……何の用があるってんだ。
 ……天野に会って、何をする気だ?
 アイツがしたこと、天野はまだ怖がってる。俺だって、許しちゃいねえ。
 犯罪者が服役したって、やったことは消えねえんだ!
 
 余りの怒りに、メモを破って握りつぶした。
 そして震えている天野を、その怯えを取っ払うように力を込めて、抱き締めていた。
 俺が守る……今度こそ、守ってやるって。
 
 
 ───なのに。 
 もっと驚いたのは、当の天野にだった。
 
 
 
「僕ね……あんなことされて…自分を嫌い…。好きになってもらうなんて、できない」
 
 
 
 
 ガチガチに震えて、声も出ないでいた。
 一人では外にも出られない。送り迎えをして、やっと登校している感じだったのに。
 一週間後のボランティアの帰りに、家に付き合ってほしいと言い出した。
 
『早いほうがいいから…僕……先生に電話する。怖いから…一緒にいて』
 
『もう“先生”じゃねえだろ、あんなヤツ! ……会ってどうすんだよッ』
 俺が止めるのも聞かずに、“お願い”の一点張りだ。
 何かに取り付かれたみたいに、顔つきが変だった。
 怖がってるのは目に見えてわかる。なのに……何をそんな必死になったのか、俺には判らなかった。
 
 そして今日、万が一の用意を借りてきて、それでも俺は止めさせたかった。
 危険すぎると思った。
 タクマさんに訊いてみたら、やっぱ、虐待した大人が子供に会うことなんて、本来許されないことだって、そう言ってたんだ。
 
 それでもサクラバに会いに行くって、きかないから。
 “自分を嫌い…好きになってもらうなんて、できない”
 俺を真っ直ぐ見つめて、そんなこと言うから……
 
 そんなはず、ないだろ。
 俺は無意識に、首を振っていた。
 
「これ以上嫌いに、なりたくない……嫌われたくもない……」
「────」
「だから、……先生を自分で断ち切らないと…駄目なの…」
 
 今までの天野だったら、泣いてただろう。そんな目をしているのに。
 意を決したその顔は、見たことのない必死さだった。
 
 ───俺を頼れって、言ったのに。自分で解決しようと、してるのか……
 
 結局俺は、何にもしてやれねぇのか。
 体を鍛えてたって、意味がない。俺は天野を、直接守れない。
 悔しくて、哀しかった。
 
 
 
 反対に天野は……天野こそ強くなっていることに、驚いた。
 泣いては立ち上がって、その度、強くなってんだな。
 
「わかった……でも、無理すんなよ」
 
 天野が自分で、なんとかするってなら、せめて後ろから目を光らせていてやる。
 何か手を出そうってんなら、容赦しない。
 
 
 
 俺はタクマさんから借りてきたハンチング帽を、目深に被って。
 天野より先に入店し、サクラバの後ろに潜んだ。
 


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