たまには、シャッフル
2
僕、浜中尚哉(はまなか なおや)。のんびりと基礎解析の先生をやってます。
マイペースに、生徒に迷惑を掛けないことだけは配慮して、毎年なんとか平穏に教師をやってました。
……去年までは。
年々、生徒の素行が悪くなっているのには、実際、困ってました。
せめてプリントさえ見てくれたら、テストはクリアできるのに。それが、自分の成績として影響するのだから、そこだけはやって欲しかったんです。
ほとほと困っていたら、瀬良君が助け船を出してくれました。
僕のことを”ハマチュウ”と呼んでくれて…。
その愛称が、今年赴任してきた濱中先生に移ってしまっても、ただ一人ハマチュウと呼び続けてくれた生徒がいた。
……それが瀬良君だった。
瀬良君は、毎回僕のプリントを配ってくれる。
僕は嬉しくて、その度お礼を言うのに、1回も振り返ってくれません。
……嫌われているのかな?
でも、授業中、ずっと僕の顔を見てる。
視線を合わせなくても、顔を上げてこちらに向けているのは瀬良君だけだから、教壇側に立っていれば直接見なくたってわかるんです。
でも、いざ顔を見ようとすると、そっぽを向いてしまう。
……僕は、瀬良君がわかりません。
でも、会話したり何か頼んだり出来るのは、瀬良君しかいなかったので。
「あ、瀬良君。丁度良かった、ちょっと手伝ってくれないかな」
つい、聞いちゃった。
友達といたのに、一人残ってくれて、手伝ってくれました。優しい子です。
瀬良君とのプリント作りは、とても楽しかったです。
必死で紙押さえをしてくれて、裁断するとき、思わぬ至近距離に何回も切り損ないそうになっちゃいました。
……瀬良君の髪のいい匂いに、ひたすらドキドキしてました。
───でも、僕は教師で……。
瀬良君に「好き」と言われて…困りました。
いきなりキスされたときも、一瞬くらっとしたけど…あんまり拙いキスに…心が痛くなっちゃって。
「……君はまだ子供すぎるんです。一時の気の迷いでこんなコトしてはダメです!」
迫ってくる瀬良君のシャツを掴んで、肩を押さえて、とにかく冷静になってくれるよう、祈りました。
どんなに大人びて見えても、本人がそう言っても、その行動は子供そのもの。
衝動的で、後のことなど考えもしない。
そう思い込もうとしたのに……
だって、僕なんかに関わってはいけないんです。それなのに。
……びっくりした。
──なんですか、あのキスは!
次の日、また迫ってきた瀬良君に…とうとう僕は……
「……チュウ………」
「……ハマチュウ!」
「あ、ハイ」
「ハイ。じゃないだろ! 何考え事してんだよ」
「ごめんなさい…」
僕は、顔が赤くなった。
どうしても連れて行けと言われ、時々来るようになったホテル。
僕が先にシャワーを浴びてベッドに入っていたら、瀬良君が潜り込んできて…。
「んっ」
例のめちゃくちゃ上手いキスで、いきなり唇を塞がれた。
瀬良君の舌が、僕の口内を探る。優しく撫でては、吸い上げて。その度背筋が痺れてしまった。
「……はぁ…」
やっと解放されると、銀色の糸を伝わせて、瀬良君が微笑んだ。
「ハマチュウ、…色っぽい顔」
「…………」
「さっき、何考えてたんだよ?」
また聞いてきた。鼻がくっつく距離で、僕を覗き込んで。
「顔、赤くしてさ。なんかヤラシイことだろ」
僕は、もっともっと顔が赤くなっちゃいました。
「瀬良君との……初エッチの……ことです」
「──!!」
瀬良君の顔も、真っ赤になった。がばっと身体を離して、僕をじっと見る。
「───ハマチュウ!」
ぎゅっと抱きしめられた。
「ハマチュウ、可愛い!」
「か……かわいいって……」
年の差、何歳だと思ってるんだか!
「あ……あぁっ!」
耳、うなじ、首筋と唇が降りてきた。瀬良君の舌使いはどこの場所でも絶妙で、僕はどうしても声を上げさせられてしまった。
「あ、…ダメです! そんなとこ、跡付けちゃダメです!」
首の付け根を、きつく吸われた。さすがに人目に触れそうで、僕は焦った。
「……じゃあ、ここならいい?」
ちらっと僕をみて、楽しそうにそう言うと、脇腹に吸い付いた。
「んぁあっ…」
ぞくりと、背中に疼きが走って、腰を捩ってしまった。
「ハマチュウ、俺のモノ! 跡付けた!」
満足そうに笑う、瀬良君。
実は毎回、どっかしらに付けられてはそう言って抱きしめられています…。
「ん……」
愛撫の舌先が、後ろの蕾まで辿り着いた。
「あっ、……はぁ……」
僕は仰け反って、疼きを逃がした。
尖らした舌先を、蕾の淵に沿わせて何度も円を描く。
「んっ……ぁぁ…」
我慢できない僕の身体が痙攣し出すと、その舌先を中心に埋め込んでくる。
「あ! ……はぁ!」
吐息とともに喘いでしまった。
「…瀬良君……上手すぎです…」
「へへ。大巨匠、直伝に、教えてもらってっからね!」
腰の向こうで、そんなことを言った!
「お…穏やかじゃ、ないな! その発言!!」
僕だって、怒ること、あるんです。
「誰ですか? ……気になってたんですよ…!」
「ハマチュウ、やきもち!?」
嬉しそうに、瀬良君が目を輝かせた。
「…………」
「ウソ、だよ。うそ! 直伝はキスまで。後は知識だけ」
「……ダメです! キスだけでも、ダメです!」
「…うるさいな。これ、上手くならなきゃ、ハマチュウいつまでも俺のこと子供扱いだったろ!?」
また、唇を塞がれた。
「んん───っ」
今度は手で愛撫してくる。
「ぁあっ……」
指が進入してきて、蕾を刺激する。
「ハマチュウ…もう、焦らしはナシだ…」
僕もコレには異議は無い。
「ハイ……久しぶりですね…」
「ん……」
瀬良君が、入ってきた。熱い、僕の瀬良君……。
「あっ、……はぁっ…!」
「ハマチュウ……ハマチュウ──!!」
激しい、腰をぶつける音。恥ずかしい水音も響く。
「あッ……あッ、あぁッ…!」
ドクン、と僕の中で熱が弾けた。
「んあぁっ…!」
僕も、瀬良君の手を白濁で汚した。
「……ハマチュウ」
息を切らしながら、僕を抱きしめてくれる。
僕より、若干一回り小さい瀬良君。それでも僕はその腕に暖かい包容力を感じていた。
「ハマチュウ……今度、ちゃんとデートしよ…」
「…そうですね。まだ一回もしたことなかったな……」
首筋に暖かい息を吐きながら、瀬良君は嬉しそうに笑った。
「やった! 約束!」
「ハ・マ・チュ~!」
印刷室で、瀬良君が口を尖らす。
「ごめんなさい、本当に時間がないんです」
約束したまま、どこにも行けず、それどころかエッチもままならなくなっていた。
「学校の新校舎建て直しと、体育館移設の会議で、先生達は総出で忙しいんです。もうちょっと、待っててください」
「……やだ。待たない!」
「…えっ」
印刷し終えた紙の束を移動させると、瀬良君はいきなり僕に飛びかかってきた。
「あっ! ダメです、瀬良君!……こんなトコで…」
「しっ…、すぐ終わらせるから、ダイジョブ!」
「ダイジョブって……」
僕はもう校舎内で、あんなコトは絶対ダメだと、自分に言い聞かせていた。
もし誰かに見つかったら大変だし、……それに…。
焦って抗おうとしたら、バランスを崩してしまった。
「あっ」
二人で床に倒れ込んでしまった。
「…痛ってー」
「瀬良君! 大丈夫? ……ごめんね」
心配して、僕に乗っかってしまった瀬良君を覗き込んだ。
「センセ…キス」
真剣な顔をして、首を伸ばしてきた。
僕はその両肩を押さえて、止めた。
「……せ…瀬良君!」
「……なんでだよっハマチュウ!」
「ダメです…。瀬良君……こんなとこではっ……」
「だから、なんで……!」
その時、隣の部屋から机が倒れるような激しい音が響いた。同時に、さっき自分達が立てたような、人が倒れ込む音。…小さな悲鳴。
「────!!」
びっくりして、僕と瀬良君は無言で、見つめ合ってしまった。
「ちょっと……俺、見てくる…」
「え……ダメ……」
そんな危険なこと…! 僕が止める間もなく、瀬良君はドアを開けて顔を半分出していた。
「…うわ───っ!!」
思いがけない、瀬良君の悲鳴。
慌てて起きあがって、僕も半分だけ覗いた。
その声に危険信号はなく、単純に驚いているようだったから。
「……………」
二つの並んだドアから、それぞれ2つづつ、半分だけ顔が出ていた。
「………ハマナカ先生」
僕と濱中先生は、見つめ合って、同時にお互いを呼んでしまった。
どっちも、顔が真っ赤で。
「ナニ……してんですか? …先生」
濱中先生が、虚ろな目で聞いてきた。
ナニをしてたんです……って、いきなり告白しだしたのかと勘違いして、僕は酷く泡を食ってしまった。
ナニって、ナニって……!
いきなりナニ言ってんですか、センセ──ッッッ!!…って。
「…先生こそ」
聞き違いだと気が付いて、とにかく返事を返した。
引きつる顔を、無理矢理笑顔にして。
まともに、喋ることもできない。
「……ナニも」
濱中先生も、にっこりしてきた。
「僕もです……では」
それ以上、会話は無理だと思った。引っ込んでしまえ。きっと濱中先生もわかってくれるでしょう。
笑顔のまま顔を引っ込めると、瀬良君も引っ張り込んで、ドアをパタンと閉めた。
「はぁ──────っ!!」
閉めたドアに背中で寄りかかって、深い溜息をついた。
「びっくりした!!!」
瀬良君も、目を見開いて、黙ったままだ。
「……まさか、濱中先生が…驚きです……」
「──うん、ほんと」
瀬良君も、やっと声を出した。
「しかも、あいつ…下から顔出してたちっこいの」
「……野原君…ですね?」
「うん…。一学期の終わりに廊下で…ハマチューと話してたヤツだろ」
「…はい。彼でした」
よく覚えているなあと、僕は瀬良君の顔を見つめてしまった。
「ハマチューと笑顔で話してるヤツなんて、珍しくて……覚えてた」
じろりと、僕を睨み返してきた。
「あんまちっこいから、始め新入生かと思ったし」
僕は嬉しくて微笑んだ。瀬良君、ヤキモチだ…。
「…あの時は、野原君があんまり寂しそうに、下を向いて歩いてたから。…声を掛けずにはいられなかったんです」
「それで、あいつが……ハマチュウにころっとイッちゃったら、どーすんだよ」
ぶすくれて、ますます睨み付けてくる。僕はそれに、また笑顔で返した。
「…あの時、たぶん彼の目は…」
僕は、何か言いたそうだった野原君の顔を思い出す。
「濱中先生しか、見えてなかったですよ」
「…………」
……まだ睨み付けてくる。
「瀬良君……怖いです」
僕はドアから離れて、一歩下がった。
「……センセ。俺、やっぱしたい…我慢できない」
────!! …やっぱり!
にじり寄ってくる瀬良君に、恐怖を感じた。
……嫉妬心から、性欲を煽ってしまった!!
「……見つかっちゃったんですよ! 事件だったんですよ? そんな後でもヤルなんて」
「関係ない。影響なかったんだから、そんなの、俺にとって何もなかったのと同じだ」
「そんな理屈は……」
「リクツ? そんな難しいもんじゃないだろ!」
「……ダメです。いい加減、…諦めて」
「…なんでだよ!!」
「ガッコウでは、やっぱり…」
「だって、センセー、忙しい、忙しいって、ちっともホテル連れてってくれないじゃんか!」
「……瀬良君」
胸が締め付けられてしまった。
「なんだよ! ハマチュウ、俺とヤリたくないのかよ!」
胸ぐらを掴んで、揺さぶられた。そして、悲しげに眉を寄せた。
「俺、…こんなに、ハマュウとしたいのに……」
────瀬良君!
「だって……だって、だって」
僕はもう、言うしかなかった。すっかり涙目になっていた。
「クセになってしまうのが、怖くて……」
「………!」
「こんなトコで、”すぐできる”なんて、身体が覚えてしまったら……」
「…………」
「僕は忍耐の効かない、だらしのない大人になってしまう…」
「……ハマチュウ」
「瀬良君を見るたびに、求めてしまいたくなったら……僕は、それが怖いんです」
「……………」
「”今”しかなくて、いつも…こうやって二人で向かい合っている”今、この時”だけを、見ていられるなら……僕は、こんなに怖がらない」
「…………」
「でも、見えてしまうんです。僕が我慢しなければ。僕がコントロールしなければ……あってはならない未来が来てしまう」
目から流れるものを隠そうと、両手で顔を覆った。
「僕は、それが怖いんです……」
「……ハマチュウ……」
瀬良君が、僕の頭を抱えてくれた。
「俺……ごめん。俺…また、子供やってた……」
僕の両手をそっと顔から剥がすと、辛そうな顔を覗かせた。
「こないだも……それでハマチュウ泣かせちゃったのに……」
「…………」
「ごめん。もう無理言わないから………泣くなよ……」
「…………」
僕は、まだ泣きながら……口元がほころんでしまった。
瀬良君の言葉、好きだ。
それに、自分こそ、そんな顔して…。
「……うん。僕の方こそ、ごめんなさい……瀬良君を泣かせてる……」
「えっ」
驚いて、慌てて自分のほっぺたを触っている。
「うっ……ウソ言うなよ、ハマチュウ!」
真っ赤になって、睨んできた。
「痛い心が、僕にはわかります。僕は…100%生徒の味方なんですから」
涙も止まったから、にっこり微笑んだ。
「っ……こんな時だけ、大人になるなよな!」
眉を吊り上げると、ぷいっと立ち上がって印刷室から出て行ってしまった。
………あ!
その背中を見て、胸がまた痛くなった。
今度こそ、怒らせてしまった。
自分の都合と気分で、教師になったり甘えてみたり……
そりゃ、怒りますね……
瀬良君の、振り向かない背中を思い出した。
まだ瀬良君が怖くて、僕をどう思っているか判らなくて……でも、感謝の気持ちは伝えたかったから、「ありがとう」って。…お礼を言ったとき、いつも振り向いて欲しかった。
振り向かない背中を、見つめ続けて……とても切なかった。
「また、泣いてる」
瀬良君が呆れた声を出した。
戻ってきて、戸口に立って僕を見下ろしていた。
「……瀬良君」
「ほら、もう泣くなって」
僕の前でしゃがみ込むと、持ってきた濡らしたハンカチで僕の顔を拭き始めた。
「……………」
僕は、されるがまま、顔を拭いて貰っていた。
「……ハマチュウ……ほら」
拭ったハンカチを僕に向ける。インクで真っ黒になっていた。
「……あ」
自分の手を見ると、インクが指先から肘の内側まで擦れたように付いている。
きっとさっき、乾かないうちに印刷物を抱えてしまったのだ。
「まったくなあ。……前言撤回」
「…………」
「ハマチュウ………大人のふりするな!」
厳しい目で睨み付けられた。
「ハマチュウは、”ハマチュウ”なんだ! 前も言ったけど、教師とか大人だからとか、難しいこと考えるなよな!」
「……………」
僕はふっと笑いながら、また目頭が熱くなった。
「拭くから、手ぇ出せよ!」
ぶっきらぼうに、僕の手首を引っ張る。
自然、引っ張られた僕は、上体も瀬良君に引き寄せられた。
「……ぅん」
瀬良君の……優しい、優しい……触れるだけのキス。
「……これくらいは、許してくれるよな?」
上目遣いに、悪戯っ子の顔が覗き込んでくる。
「……大人じゃない僕に、許可を取るんですか?」
「うん。…子供じゃないから」
僕は、おかしくて、とうとう声を出して笑ってしまった。
「あーっ、その手で顔触るなよ!」
「……ハイ……」
手を拭いて貰いながら、いつまでも笑いが止まらなかった。
すっかり忘れてしまっていたけれど。
濱中先生とはその後、膝をつき合わせて話すような内容ではないので、本当に何事も無かったように接した。
そして……困ったことに、瀬良君と決めた日にちに、また職員会議が入ってしまった!
会議に出ない美術の安藤先生が職員室に残っていたので、慌てた僕は、安藤先生に伝言をお願いした。
もう、キャンセルは効かない。今度こそ本当に怒らせてしまうだろう。
「僕を訪ねて来る生徒がいます。その子に、この場所に先に行くように伝えてください」
メモの走り書きを、握らせた。
「はいはい」
「必ず、後から行くからって!」
「はいはい」
初老の安藤先生は、にっこりと快く引き受けてくれた。
その返事を確認して、僕は慌てて会議室に向かって走っていった。